ローズとカイの合同訓練
カイはいつもの落ち着いた様子で部屋に入ってきた。靴音がタイル張りの床に柔らかく響く。表情は冷静で、眼鏡はきっちりと整えられており、いつもの彼そのものだった。
だが――その視線がローズに向けられた瞬間、その冷静さは一瞬で崩れ去った。
ローズは、教師たちのそばで小さな手鏡を持ちながら、何気なく立っていた。深紅のルビー色の口紅をゆっくりと、丁寧に唇へと塗り重ねる。その仕草は優雅で、どこか挑発的ですらあった。視線が交わった瞬間、空気が張り詰め、二人はその場に固まった。
「わああああああああああああああああああああ!!!」
二人は同時に叫び声を上げ、その声は混ざり合い、混沌とした叫びとなった。
近くに立っていた教師の一人、ミウは腹を抱え、大爆笑した。肩を震わせ、涙をこらえきれずに吹き出す。
「ぷっふっ!」
なんとか堪えようとするも、無理だった。
カイは信じられないという表情で、ローズを指差した。
「なんであいつがここにいるんだ!?」
声が鋭く、苛立ちがあらわだった。
「ここは真面目な訓練の場だろ!?サーカスじゃねぇんだぞ!」
ローズは手鏡をパチンと閉じ、刃のような視線を向けた。
「なんであんたがここにいるのよ、クソバカ!」
カイは素早く眼鏡を直し、イライラとした動作で表情を引き締めた。
「クソバカ?誰に向かって言ってんだ?バカはお前だろ!」
ローズの表情が険しくなり、腕を組んでカイに詰め寄った。顔と顔が、ほとんど触れそうな距離に迫る。
「女に向かってバカって言うなんて、どういう神経してんの?」
カイも一歩も引かず、皮肉たっぷりの口調で言い返す。
「バカみたいなことするからだろ!」
二人の顔がますます近づき、緊張が張り詰めていく。ローズの尻尾が怒りでピシピシと動き、カイの眼鏡が光を反射し、彼の表情をさらに鋭く見せた。
「もう、もう!やめなさい!」
ミウが拍手をして二人の間に割って入った。目をキラキラさせながら、楽しそうに二人を見つめる。
「私とタカシマで、合同訓練を開くことにしたの」
壁際にいたタカシマ・リントロウが、穏やかな微笑みを浮かべた。
「もちろんだ」
声は落ち着いており、威厳を漂わせていた。
突然、ミウが駆け寄り、タカシマに抱きついた。腕にしがみつき、嬉しそうに笑顔を弾けさせながら跳ねるように言う。
「ほら、タカシマ先生、みんなに計画を教えてあげて!」
タカシマはため息をつき、無表情のままミウの頭を軽く撫でた。小さく笑みを浮かべ、彼女の鼻をツンと指先で触れる。
「落ち着け、ミウ」
ミウは目を見開き、頬を赤らめてニヤリと笑った。
「ツンだけ?足りない!キスちょうだい!」
と、唇をとがらせて顔を近づけた。
タカシマは無言で手を上げ、彼女の顔を止めた。
「やめなさい」
その声は落ち着いていたが、威厳があった。
カイとローズは同時に顔をしかめ、わずかに身を引いた。
「うわぁ……」
二人は小声でつぶやき、その表情は完全にシンクロしていた。
タカシマはわずかに頬を赤らめ、姿勢を正し、ネクタイをきゅっと締め直した。
「さて――」
声を整えながら言う。
「合同訓練を行う理由は、君たち二人が全く噛み合っていないからだ」
「それは、あいつがバカだからだろ!」
カイは間髪入れずに返した。
ローズの目がギラリと光り、間髪入れずにカイの腕を殴った。
「痛っ!」
カイは腕を押さえ、ローズを睨む。
「何すんだよ!?」
「バカだからでしょ!」
ローズの尻尾が怒りに震え、声を荒げる。
「アンタが堅物すぎるからこうなるのよ!」
「こっちだって、あいつのワガママに付き合ってられないんだよ!」
カイは腕を組み、顔をそむけた。
「私がワガママ?!」
ローズは声を張り上げ、指を突きつける。
「アンタはいつも自分のやり方が一番だって思ってるでしょ!」
「だって俺のやり方が一番だろ!」
カイは眼鏡をクイッと上げ、得意げに言い切った。
タカシマは長いため息をつき、冷たく言い放った。
「……お前ら、夫婦喧嘩みたいだな」
その言葉に、カイとローズは同時にタカシマを見た。顔が真っ赤に染まった。
「はぁ!?!?!?」
二人は同時に叫び、声が裏返った。
二人は同時に喋り始め、声がぶつかり合い、言葉が渦巻いた。
「俺が?あいつと?正気かよ!?」
カイは怒りにまかせて叫び、鼻の上までズレた眼鏡を慌てて直した。
「そんなこと、絶対にあり得ない!一生、いや、何百万年経ってもない!」
ローズも必死に手を振り、耳を伏せて顔を赤くしながら声を張り上げた。
「はぁ!?正気じゃないの!?私があんな奴と!?無理無理無理!この人生でも次の人生でも、絶対にあり得ない!」
カイはローズを指差し、声を上げた。
「こいつは失礼だし、だらしないし、人間として最低限の礼儀も知らない!」
ローズも指を突き返し、顔を真っ赤にしながら言い返した。
「そっちこそ、偉そうで、何でも自分が正しいって思ってて、最低最悪の上から目線野郎じゃない!」
タカシマは腕を組み、無表情でやり取りを見守っていた。一方でミウは肩を震わせ、笑いをこらえるのに必死だった。
「顔、トマトみたいに真っ赤だよ」
ついにミウが堪えきれず、クスクスと笑いながら茶化した。
「ホント、お似合いの二人だわ」
その一言で二人の声はさらに大きくなった。
「あり得ないってば!」
カイが声を張り上げる。声が少し裏返り、ミウを睨む視線は必死そのものだ。
ローズもミウに向き直り、尻尾を激しく振りながら言い放った。
「そんなわけないでしょ!?無理、絶対無理、あんな奴となんて!」
「そうだ!」
カイはローズに指を向け、力強く頷く。
「絶対にあり得ない!」
二人は同時に顔を背け、腕を組みながらプイッと反対方向を向いた。頬を赤く染めたまま、息を合わせるように言い放つ。
「絶対にだ!」
タカシマが咳払いを一つし、その落ち着いた声が混乱の中に響いた。
「……もういいだろ。そろそろ訓練に入るぞ」
その声に、二人はピタリと口を閉じた。
「やっとか」
カイは小さく呟き、眼鏡を押し上げながら教師たちに目を向けた。
ローズは髪をかき上げ、尻尾を苛立たしながらも視線をチラリとカイへ向け、すぐに逸らした。
「……さっさと終わらせましょ」
「よーし!始めよう!」
ミウが楽しそうに手を叩き、声を弾ませた。
「訓練開始!」
タカシマが手を軽く振ると、カイとローズの姿が一瞬でかき消えた。
気づけば二人は広大な草原に立っていた。空はどこまでも広がり、視界を遮るものは何もなかった。
「ここ……どこだ?」
ローズが周囲を警戒しながら呟く。
すると、空からミウの明るい声が響いてきた。
「ここは『マジック・ドメイン』だよ!ここでは死なないから安心して。訓練シミュレーションみたいなもの。あ、サボっちゃダメだからね!」
地面に二本の剣が、ガシャン!と突き刺さった。
「これから、君たちには魔獣を相手にしてもらう」
タカシマの落ち着いた声が響く。
「協力するもよし、しないもよし。結果は君たち次第だ」
「はあ!?」
ローズは目を見開き、剣を見つめた。
「こんなの、絶対うまくいかないって…」
カイはため息をつき、眼鏡を押し上げながら呟いた。
「……負けたらマスターズの訓練ペナルティだ。絶対負けたくないな」
ミウがクスクスと笑い声をあげる。
「ちなみに、負けたら一週間食事抜きだからね!」
「うげぇ!」
二人は同時に呻き声を上げたが、仕方なく剣を手に取った。
カイは眼鏡の奥の目を細め、額に汗をにじませながら呟く。
「これは……絶対やばい」
ローズは彼を睨み、指を突きつけた。
「負けたらあんたのせいだからね!」
カイは薄く笑い、口元を吊り上げた。
「自業自得だろ、お姫様。俺のこと嫌いだって言ったのはお前だろ?」
ローズは拳を握りしめ、顔を真っ赤にして睨み返した。
「そっちこそ、根暗の知ったかメガネ!」
そのとき、大地が震えた。轟音と共に、巨大なドラゴンが姿を現した。発光する目が二人をロックオンする。
ローズは息を呑み、一歩後ずさりしながら尋ねた。
「準備は……いい?」
カイは剣の柄を握りしめ、顔を引き締めた。
「全然だ」
「なら上等よ」
ローズは小さく笑い、剣を構えた。
「やってやろうじゃない!」
ドラゴンの咆哮がマジック・ドメイン全体に響き渡り、空気を震わせた。翼が影のように広がり、戦場を覆う暗い影を落とす。その鋭い牙には炎が踊り、今にも破壊を解き放たんとしていた。
ローズは剣を握る手に力を込め、尻尾が緊張で小刻みに揺れる。
「で、天才さん」彼女は鋭い声で言った。「作戦は?」
カイは眼鏡を直し、冷静さを装うものの、武器を握る手には力が入っていた。
「死ぬな」
「はぁ?それだけ?」
ローズは目を大きく見開き、呆れた声を上げた。
「なんでそれが私の頭に浮かばなかったんだろうね!」
カイが答える前に、ドラゴンが大きくのけぞり、炎の奔流を吐き出した。二人は反射的に反対方向へ飛び込み、地面が炎に包まれ、熱気が肌を焼いた。ローズは地面に叩きつけられ、煙にむせながら咳き込んだ。急いで立ち上がり、カイを睨みつけた。
「これがあんたの言うチームワークなら、もうダメだわ!」
カイは平然と眼鏡を直しながら答えた。
「挟撃だ。俺が囮になる。お前は弱点を狙え」
ローズは鼻で笑った。
「囮?で、私はどうするの?『ちょっと待っててくれる?刺させて』ってお願いするの?」
カイは冷たい視線を向けた。
「お前は目立つのが得意だろ。それを活かせ」
ドラゴンが再び唸り声を上げ、カイに向かって巨大な顎を振り下ろした。カイはギリギリで回避しつつ、魔法陣を展開した。
「バリア!」
透明な盾が現れ、攻撃を防ぐ。
その間に、ローズはドラゴンの横腹へと駆け出した。巨大な爪を足場にして跳び上がり、首元へと駆け上がる。
「任せなさい!」
彼女は剣を構えた。
だがドラゴンは素早く頭をひねり、燃えるような瞳でローズを見据えた。炎が口元に集まり始める。
「ローズ!!」
カイの声が響く。彼は小声で呪文を唱え、エネルギーを解き放った。彼はローズのもとへと飛び込み、空中で彼女を抱きかかえ、炎から引き離した。炎の流れが二人のすぐそばをかすめ、熱気が肌を焼く。
二人は地面に激しく叩きつけられ、カイはローズを庇うように覆いかぶさった。
「バカ!」
ローズが叫び、素早く起き上がった。
「ここでは死なないけど、現実だったら灰になってたわよ!」
彼女の尻尾が怒りで逆立つ。
カイは片腕で身体を支え、もう一方の手で眼鏡を直しながら苦笑した。
「現実だったら、灰になってたのはお前の方だろ」
ローズは目を瞬かせ、一瞬だけ睨む目が和らいだ。沈黙が一瞬流れる。
やがてカイが立ち上がり、表情を引き締めた。
「一人じゃ無理だ」
声は穏やかだが力強かった。
「ローズ、お前は近接戦闘が得意だ。俺が魔法で援護する。信じろ」
ローズは迷いながらも剣を握りしめ、カイの顔を見た。冷静で決意に満ちた表情。
「……分かった。でも負けたら、あんたのせいだから」
カイは薄く笑みを浮かべた。
「了解。それじゃ、終わらせよう」
ドラゴンが再び咆哮し、怒りに満ちた目を二人に向けた。地面を引き裂くように尾を振り上げ、次の攻撃を構えた。
カイは手を上げ、再び呪文を唱える。
「バリア!」
輝く盾が出現し、炎の攻撃を防いだ。
「ローズ、行け!」
「了解!」
ローズは叫び、ドラゴンの攻撃をすり抜けながら疾走した。足元の腱を狙い、剣を振り下ろして切り裂く。ドラゴンが痛みに呻き、暴れ回る。
カイは後方から冷静に魔法を放ち、攻撃をそらし、ドラゴンを牽制した。炎が彼に向かって飛んできたが、彼は再びバリアを展開して受け止めた。
「動きを止めるな!」
ローズはドラゴンの背中によじ登り、首元へと剣を突き立てた。しかし、ドラゴンが大きくのけぞり、翼を激しく羽ばたかせたせいで、彼女は振り落とされそうになった。
カイは目を細め、状況を見極めた。
「ローズ、掴まれ!」
声には焦りが滲んでいた。彼は再び詠唱を始め、周囲の空気が震え、力が満ちていく。
「何してんの!?」
ローズが叫ぶ。
カイの声は冷静で、しかし確固たるものだった。
「終わらせる。信じろ」
魔法が完成し、ローズの身体が軽くなったのを感じた。重力魔法が彼女を包み、ふわりと宙へと持ち上げた。
「ローズ、頭を狙え!」
カイの声が空気を裂いて響く。
ローズの目が見開かれた。
「私を槍みたいに投げるつもり!?」
「その通りだ」
カイは珍しく笑みを浮かべた。
「さあ、行け!」
カイの魔法が彼女を空中へと放ち、ローズは剣を握りしめたまま一直線に飛び出した。周囲の景色がぼやけ、風が肌を裂くように吹き抜けた。
「喰らえぇぇ!」
ローズは叫び、剣をドラゴンの頭蓋へ深々と突き刺した。
ドラゴンは最後の絶叫を上げ、地面に倒れ込み、火花を散らしながら絶命した。
ローズは荒い息をつきながら剣を引き抜き、灰を払った。後ろを見ると、カイが岩にもたれかかりながら、疲れた笑みを浮かべていた。
「まあまあね」
ローズはつぶやき、袖の灰を払った。
カイは眼鏡を押し上げ、わずかに誇らしげな目をした。
「だから言っただろ、成功するって」
ローズは呆れたように目を転がしたが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
「やっぱり、あんたはオタクよ」
「お前は手がかかる」
カイも言い返したが、その声には棘はなかった。
マジック・ドメインはゆっくりと揺らぎ、次第に薄れていった。教師たちの声が周囲に響き渡る。
「よくやったな、二人とも。少々荒っぽいが、効果的だった。訓練終了だ」
現実世界へと戻ると、かつてドラゴンがいた場所は光の粒子となって消え、部屋には穏やかな静けさが戻っていた。ローズとカイは、訓練室の中央に立っていた。
静かに見守っていたタカシマが、小さく頷く。
「君の生徒もなかなか優秀だな」
視線をミウへ向け、わずかに笑みを浮かべる。
ミウは得意げな笑顔を浮かべ、腕を組んだ。
「そっちの生徒も負けてないわよ」
軽く頭を傾け、カイを見やる。
タカシマは口元にわずかな笑みを残しながら言う。
「いや、私の方が優秀だな」
ミウは一瞬瞬きをし、それから目を細めた。突然、彼の肩を軽くパンッと叩き、ふざけた笑顔で言い放つ。
「はいはい、謙遜ぶった負けず嫌いさん。嫉妬してるんでしょ?」
タカシマは片眉を上げ、肩をさすりながら答える。
「嫉妬?まさか。事実を述べただけだ」
ミウは目を転がし、ローズとカイに目を向けた。二人はいつものように軽口を叩き合っていた。
「まあまあ、どっちでもいいわ。二人とも、よく頑張ったってことで」
彼女の声にはいつもの茶目っ気があった。
タカシマは静かに笑い、柔らかい目で二人の生徒を見つめる。
「…そうだな。今回は引き分けだ」
「引き分けでいいのね!」
ミウは手をパンと叩き、急に明るい声で言った。
「さあ、真面目な話はここまで!お腹すいたでしょ?ご飯にしようよ。二人の戦い、見てるだけでお腹ぺこぺこ!」
ローズはその言葉にピクリと耳を動かし、興味を示した。一方でカイは小さくため息をつきながらも、眼鏡を直した。
教師陣と生徒たちはゆっくりと出口へ向かって歩き出した。
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