あの頃のいい時間
アーニクは玄関のドアを勢いよく開け放ち、歩道へと飛び出した。
靴が硬い地面を叩き、白い髪が一歩ごとに跳ねる。鋭い青い瞳は、まっすぐ前だけを見ていた。
鍵なんてかけている暇はない。
彼らの家は東京Xの端にあった――
郊外の整然とした街並みが、都市のまばゆい中心部と交わる場所。
この辺りには高層ビルもネオンもない。代わりに、整った家々と、木々が並ぶ通り、滑らかな歩道が広がっていた。
夕日が沈むにつれ庭のライトが次々と灯り、数組の家族が夕方の用事に追われていた。
配達用ドローンが静かに空を横切る。
ここには、人の暮らしがあった。静かで、穏やかで、確かな現実があった。
――だが、アーニクにとって「静かさ」は不要だった。
彼は刈り込まれた生け垣とモーションライトの点くポーチを通り抜け、角を曲がって、家並みの向こうへと姿を消していった。
「カイ!急げってば!遅れるぞ!」
アーニクの声が通りに響き渡り、スニーカーの音がリズムよく響く。
三ブロック離れた場所で、別の家のドアがバン!と開いた。
カイが飛び出してきた。すでに息が切れている。
段差につまずきそうになりながらも手すりに掴まり体勢を立て直す。
オレンジ色の髪は片側がぺちゃんこで、寝ていた跡がくっきり。
少しずれた眼鏡の奥で、茶色の瞳がぱちぱちと瞬いていた。
彼の服装は、まさに「とりあえず急いで着た」ような乱れ具合だった。
周囲を見渡し、遠くに走るアーニクの姿を見つけてうめいた。
「五分も待てないのかよ……」
眼鏡を直しながら走り出す。「毎回これだ……」
スピードを上げるも、足取りは不安定。
肩から下げたバッグが左右にブンブンと揺れていた。
「全員がジェット燃料で走ってるわけじゃねぇんだぞ、バカ……」
そのとき――
前方の路地から、金属がぶつかるような音が響いた。
カイはそちらに顔を向け、慌てて足を止める。
一台のショッピングカートがヨロヨロと道に飛び出してきた。まるで自我があるかのように、不安定に揺れながら。
その後ろを全速力で追いかけてくる少女――ローズ。
明るいピンク色の髪が跳ね、彼女の緑の瞳は期待で輝いていた。
頭の上では、柔らかそうな猫耳がピクピクと動いている。
カートの中には、ラウンジチェアのようにもたれるアイカの姿。
長い黒髪がカートの外へ流れ、緑の瞳は半分だけ開いていた。
しがみついている様子すらない。
カイは唖然とする。
「……なに見せられてんだ、俺……?」
ローズは最後のひと押しをして、にっこり笑った。
「タクシーサービスです♪」
カイがまばたきした。
「カート盗んだのか?」
「放置されてたやつだよ。」
「全然ちげーよ、それ!」
アイカが片目を開ける。
「けっこう快適。乗ってみなよ。」
「断る。」
「空いてるよ?」ローズがアイカの隣を指差す。
カイはカートを見て、彼女たちを見て、道路を見て――観念した。
「お前ら全員嫌い。」
そして乗り込んだ。
座った瞬間――ドン!
ローズがカートを全力で押し出した。
カイはすぐにカートの縁をつかみ叫ぶ。
「なんでブレーキついてねぇんだよ!!」
「ブレーキなんてあったら遅くなるじゃん!」ローズが叫ぶ。
カートは住宅街をミサイルのように突っ走る。
芝刈りドローンが怒ったようにビープ音を鳴らし、
デミ・ウルフの夫婦が幼い子どもを抱えて素早く避けた。
前方、アーニクが角を曲がって振り返り、カートを見て吹き出した。
「マジで!?それが作戦かよ!?」
「ちゃんと動いてるよー!」ローズが返す。
アイカがあくびしながらつぶやく。
「スムーズな走りだよ……」
カイはさらに強くつかまりながら叫ぶ。
「これが普通なわけあるかぁぁぁ!!」
通りが開け、ブロックの端にある地域劇場が見えてきた。
夕暮れの空の下、建物のライトが柔らかく輝き、
すでに人々が入り口付近に集まっていた。
「もう少しだ!」アーニクが叫ぶ。
ローズが最後の一押し。
アーニクは前へ走り出し、勢いよくジャンプ――
カートの後ろに着地。
「俺の勝ちだな。」
カイはバランスを崩しそうになる。
「三人!?このカートそんな設計じゃねーぞ!」
「一人用すら怪しいけどね」ローズが笑う。
縁石が迫る。アーニクは飛び降りて走り出し、前のハンドルをつかむ。
足を地面に擦らせながら、強引にカートを止めた。
激しく揺れたあと――ついに静止した。
三人とも勢いよく転げ落ちた。
アイカは軽やかに着地。
カイは芝生に転がり呻く。
「二度と乗らねぇ……」
ローズが伸びをしてにっこり。
「楽しかったでしょ?」
アーニクがカイの腕を取って立ち上がらせる。
「行くぞ。マルクスが始まる。」
ローズの耳がピクリと反応した。
「呼ばれてる!」
彼女はアイカの手首を取って劇場へ走り出す。
カイもふらふらと後を追った。
彼らがドアをくぐった瞬間、館内の照明が落ちた。
そして――
スピーカーからノイズと共に声が流れた。
「皆さま、本日の最後の出場者をご紹介します――
マルクス・セイリュウ・セントリオン
ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。
はじめて僕の作品に触れてくれた方も、
なんとなく気になってページを開いてくれた方も、
こうして最後まで読んでもらえたことに、心から感謝しています。
自分の頭の中にある世界やキャラクターたちが、
誰かの心に少しでも届いていたら、それだけで幸せです。
まだまだ至らないところも多いですが、
これからも、もっと面白いもの、もっと心に残る物語を届けていけるように頑張ります。
もしまたどこかで僕の名前を見かけたら、
ちょっとだけでも、思い出してもらえたら嬉しいです。
本当に、ありがとうございました。
――著者より