望月ミウ先生は最高に可愛い!!
「ん……っ」
ローズは唸り声を上げながら目を覚ました。ピクッと耳が動き、微かな鼻歌が耳に入ってくる。バニラとラベンダーの優しい香りが鼻をくすぐる――妙に落ち着く匂いだが、状況には全くそぐわない。
数回まばたきをしてから、ローズはゆっくりと体を伸ばした。しっぽがふわりとシーツの上をなぞる。手触りのいい柔らかい布団。部屋の雰囲気は完全に過剰だった。
壁はパステルカラーで塗られ、星と月の可愛いステッカーが貼られ、天井には夢のような夜空が描かれていた。キラキラしたカーテンが揺れている。
「……なにこれ?」
呆れた声でローズがつぶやいた。頬をつねってみる。
「夢に決まってる。こんなわけない」
そのとき――
バァンッ!!!
部屋の扉が勢いよく開き、壁にぶつかって大きな音を立てた。ピンク色の嵐が勢いよく駆け込んでくる。
「おっはよ〜ん☆」
中央でぴたりと立ち止まったその少女は、手を腰に当ててポーズを決めた。ツインお団子ヘアにフリルとリボンの詰まった衣装。実用性など皆無だが、本人は自信満々だ。彼女から発されるエネルギーは、町ひとつ動かせそうな勢いだった。
ローズは目を細め、頭が追いつかないままぼそりと口を開いた。
「……誰?」
「わたしは〜っ、望月ミウ!」
少女は手をたたいて、ぴょんとその場で跳ねた。
「あなたの超絶かわいくて最強なトレーナーだよっ!火星一キュートな先生、よろしくね☆」
ローズは絶句したまま、しばしその光景を見つめていた。が、突然勢いよく身を乗り出し――
「うっそでしょ!?こんなのが先生なわけあるかっての!」
彼女はミウのほっぺをむぎゅーっと両手で引っ張った。
「なにこのモチモチ感……絶対ただのマスコットじゃん……!」
「いたたたたたたたっ!やめてぇぇ〜っ!」
ミウは手足をばたつかせて抵抗するが、ローズの力には敵わない。
「ほんとに先生なんだからあぁ〜っ!」
ようやく手を離したローズは腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。
「マジで信じられない……この子が私を鍛えるって? 嘘でしょ?」
ミウはほっぺをさすりながら、ふくれっ面で言った。
「もう〜、ミウをなめるなかれ!かわいいだけじゃないんだよっ!わたし、火星一の敏捷トレーナーなんだからっ!」
ローズはじと目で見下ろす。
「じゃあそのかわいい顔面は何のためにあるのさ……」
しかし、ミウはお構いなしににじり寄り、いきなりローズに抱きついて胸元に顔を埋めた。
「うわぁ〜ん!やっぱりふわふわ〜!ローズたん最高〜っ♡」
「ちょ、待っ……!」
ローズの耳がぴくりと動き、表情が引きつる。
「この子……本当にトレーナー……?」
ローズはため息をつきながら、ミウの頭を引きはがすようにしてそっと引き離した。
「……でさ、まさか本当にこれが“訓練”ってわけじゃないよね? まさかとは思うけど、抱きつき練習とか言わないよね?」
ミウはにこにこと笑って、指をピンと立てた。
「もちろんちゃんとした訓練あるよぉ!ちゃんと準備してあるからっ!さあ、外に出て!」
ローズは耳をピクピクさせながら、疑いの目でミウを見つめる。
「……ほんとに?」
「ほんとほんとっ!」
ミウはスキップするように部屋を飛び出していった。
ローズは渋々立ち上がり、その後に続く。
部屋を出てみると、建物の外には広大な草原が広がっていた。周囲には何もない。ぽつんと建つ訓練所らしき小屋が一軒だけ――どこからどう見ても、おかしい。
「……ここで何をするの?」
ローズは腕を組んでミウに問いかけた。
ミウは満面の笑みを浮かべると、どこからともなくキラキラしたピンク色のブラスターを取り出した。
「簡単だよ〜!これで、あなたを撃つ!あなたは、それを避けるっ☆」
「……は?」
ローズのしっぽがブワッと膨らんだ。
ミウはすでに狙いを定め――
ズバァンッ!
ローズの胸に直撃。
「うわっ――あっははははははは!!!」
突然のくすぐったさに、ローズは地面に倒れ込み、転がりながら笑い出した。
「なっ……なにこれっ!?くすぐったっ……!」
ミウはケラケラ笑いながら、さらに照準を合わせた。
「ふふふ、今のは“失敗”!ちゃんと避けないと、こうなるよぉ〜!」
ローズはなんとか笑いをこらえながら、必死で立ち上がった。
「ふ、ふざけんな……今度はちゃんと避ける……!」
「いいねっ!気合入ってるぅ〜!」
ミウは再びブラスターを構えた。
ズバン!
ローズは横に飛んで回避。だが、すぐに次の一発が飛んできた。
「うわっ、ちょっ、早っ!!」
ミウの発射速度は驚くほど正確で速く、ローズは転がりながら、跳ねながら、次々とかわしていく。地面を蹴るたび、彼女のしっぽがバランスを取るように左右に揺れた。
「これ……地味にキツい……!」
ローズの息は次第に荒くなり、額には汗が浮かぶ。
「でもいい感じだよ〜!その調子その調子っ☆」
ミウは無邪気な声を上げながら、さらに連射を続けた。
ローズは歯を食いしばりながら跳ねた。足に力が入りすぎて、ふらつきながらも踏ん張る。
「ど、どんだけ撃ってくんのよあんた!」
ミウはぴょんとジャンプしながら、自分の撃ったビームすら軽やかに避けて見せた。
「だってぇ〜、鍛えるにはね、ちゃんとギリギリを責めないと!ほらほらっ、ネコミミ反応速度ってやつ見せてよぉっ!」
「うっさい!!こっちは死ぬ気なんだよッ!!」
ビームが足元をかすめるたびに、ローズの尻尾がふわっと逆立った。
汗だくになりながらも、彼女は必死で動き続けた――この、終わる気のない地獄の訓練の中で。
時間が経つにつれ、ローズの息はさらに荒くなり、足元もふらつき始めていた。
それでも、ミウは一切容赦しない。
「まだまだぁ〜☆」
ブラスターが唸りを上げ、また一発――そしてまた一発。
「はぁ……はぁ……」
ローズは地面に膝をつきそうになりながらも、寸前で踏ん張る。
「なんで……こんな小っちゃい子が……こんなに元気なんだよ……!」
「ミウはねぇ〜、エネルギー無限なのだっ♪」
にっこにこでビームを撃ち続けるミウ。笑顔は崩さず、声は軽やか。だが放たれる弾は、正確無比な高速連射。
ローズの顔は真っ赤に火照り、汗が髪にまで染み込んでいた。
「くそっ……あと少し……あとちょっとだけ……!」
だが――
ズバン!
「きゃっ!」
足を滑らせたローズはその場に崩れ落ちた。
胸を上下させながら、仰向けになって地面に倒れ込む。
「む、無理……今日……10回くらい気絶したかもしんない……」
しっぽは完全にだらんと垂れ、彼女の全身は疲労に満ちていた。
ミウはぴょんとしゃがみこみ、にこっと微笑んだ。
「おっつかれさま〜♡ 今日の訓練はこれでおしまいっ!」
「これで“おしまい”…?」
ローズは目を見開いて振り返る。
「今までが“本気”じゃなかったの……?」
ミウは楽しげにローズの鼻をちょんっと突いた。
「明日はもっとすごいよ〜♡ 今日なんてまだ“準備運動”だもん♪」
ローズは地面を見つめたまま深いため息をついた。
「……わたし、明日までに生きてる気がしないんだけど……」
「その気合、大事っ!」
ミウはグッと親指を立てた。
ローズは空を仰ぎながら、ひとことだけ。
「もう死にたい……でもちょっとだけ強くなった気もする……かも……」
翌朝。
空はまだぼんやりと明るくなり始めたばかり。
ローズは布団の中でぐったりと丸まり、まるでぬいぐるみのようにしっぽで顔を隠していた。
そこへ――
バンッ!
勢いよく扉が開かれ、見慣れたピンク色の嵐が飛び込んでくる。
「おっはよ〜ん!今日も元気にトレーニングっ☆」
ミウはベッドに飛び乗り、ぴょんぴょん跳ねながら叫んだ。
ローズは布団を頭からかぶり、ぼそりとつぶやく。
「あと……五分だけ……」
「ダ〜メっ♡」
ミウは迷いなくブランケットをばっと引きはがした。
ローズは寒さに震え、思わず目を見開いた。
「ちょっ……おい!朝っぱらから何すんのよ!」
ミウは満面の笑みで指を立てた。
「今日はね〜、特別メニューだよっ!10キロランニング〜!」
「は?」
ローズの目が一気に鋭くなる。
「……ちょっと待って、何言ってるの?」
「うんうん、しかもぉ〜、スペシャルゲスト付きっ!」
「スペシャル……ゲスト?」
「わんちゃんたちだよぉ〜!すっごく元気で、と〜ってもやる気のある、特別訓練用のワンちゃんたち☆」
ローズは絶望の表情を浮かべた。
「……アンタ、正気じゃないわね」
ミウはベッドからぴょんと飛び降りると、ローズの手を引いてズルズルと部屋から引っ張り出した。
「走らないと食べられちゃうかも〜♡」
「やっぱりアンタ狂ってるッ!!」
数分後。
ローズはジャージ姿で森の入り口に立っていた。
体にぴったりと張り付くトレーニングウェアが動きにくく、すでに気分は最悪。
目の前には広大な林道が続いており、朝霧が地面を薄く覆っていた。空気は冷たく張り詰め、木々の影が不気味に揺れている。
ローズは背後をちらりと振り返った。
だが――その瞬間、茂みの中から低く唸る声が聞こえた。
ミウはスタートラインでウキウキしながら手を振る。
「準備はいい〜?じゃあ、ルール説明っ♪」
ローズは腕を組み、顔をしかめる。
「説明もなにも、“逃げろ”しかないんでしょ?」
ミウはキラキラと笑いながら親指を立てた。
「その通りっ☆ 10キロ走り切るまで止まっちゃダメ!止まったら――ワンちゃんにガブッとされるかも♡」
「冗談じゃない……」
ローズは小さくうめき、拳を握った。
だが、ミウの声が弾んだ次の瞬間――
「よーい、ドンっ!!」
草むらが揺れた。
吠え声とともに、数匹の犬たちが爆発的な勢いで飛び出してきた。
鋭い目つき、鍛え上げられた体つき、そして何より――速い。
「ひいぃぃぃぃぃぃ!?!?」
ローズは叫び声とともに全速力で走り出した。
森を駆け抜ける風、激しく踏み鳴らされる地面、そして背後から迫る牙の気配――すべてが恐怖を煽ってくる。
「これ、完全に命がけじゃん!!!」
彼女のしっぽはまっすぐに逆立ち、耳はピンと張っていた。心臓の鼓動が耳の奥にまで響く。
後ろを見てはいけない。
止まってもいけない。
ただ、走る。
「走れ、走れ、走れぇぇぇっ!!!」
ローズは荒い息を吐きながら、森の中を必死に駆け抜けた。
枝が顔をかすめ、地面はぬかるみ、視界は霧でぼやけている。
だが、後ろから聞こえる犬たちの鳴き声と足音が、彼女の足を止めさせなかった。
「こんなの……訓練の域超えてるってぇぇぇ!!!」
彼女の髪は風に流れ、汗が額から飛び散る。呼吸は乱れ、足がどんどん重くなる。
それでも、ローズは一歩一歩、必死で前に進んだ。
「こんなことで……負けられるかっての!!」
ワンッ! ワンッ!
すぐ背後まで迫る犬の群れ。
一匹の犬が距離を詰め、ローズのしっぽに鼻先が触れそうになる――
「やばっ!!」
ローズは木の幹を蹴って横に跳ね、ギリギリで距離を取る。
その瞬間、後ろの犬が勢い余って転げ、他の犬とぶつかる。
「はぁっ、はぁっ、……セーフっ……!!」
しかし、ほんのわずかな猶予しか与えられなかった。
別の犬がすぐに迫ってくる。
「ちょ、ちょっと休ませて……!」
「ダーメっ☆」
木の上から、ミウの声が響いた。
彼女はどこからどうやって登ったのか、大きな枝の上から双眼鏡を構えて楽しそうに見下ろしていた。
「まだ3キロだよ〜!がんばって〜♡」
「3キロぉぉぉ!?まだ半分もいってないのかよ!!!」
叫びながらも、ローズは再び足に力を込め、森の奥へと駆け込んでいった。
もう汗で服はびしょびしょ、息も絶え絶え。
だが、心のどこかで、彼女は気づいていた。
――昨日よりも、速くなってる。
――昨日よりも、体がついてくる。
「ふざけた訓練でも……なんか……強くなってる気がすんだよな……っ!!」
ローズの脚は、もう棒のように重かった。
肺が焼けつくように痛み、喉は乾ききって、汗が瞳に滲む。
だけど――止まらなかった。
「あと少し……あとちょっとで……!」
背後では犬たちの足音がまだ響いていた。
迫っては遠ざかり、また迫る。まるで諦めることを知らない影だ。
「はぁっ、はぁっ……なんで……こんな……全力で走ってんのに……っ!」
足がもつれそうになるたび、しっぽでバランスを取り、木々の間を滑るように抜けていく。
ようやく、林の向こうにうっすらと見えてきた――ゴールの白いテープ。
スタート地点からぐるりと森を回った終着点。
「見えた……! 絶対届く……!」
だが、犬たちも同じタイミングで加速してきた。
牙をむき出しにし、息を荒げて――まるでローズをゴールから引きずり戻そうとするかのように。
「させるかっての……!!」
ローズは、最後の力を振り絞った。
腕を大きく振り、足に力を込め、地面を蹴る。
風を切る音。
踏みしめる音。
心臓の鼓動が、すべての音をかき消す。
――そして。
バサッ!
白いゴールテープを、ローズの身体が突き破った。
「っは……っ……!」
その瞬間、ローズの脚は力を失い、その場に崩れ落ちた。
地面に手をつき、肩で息をする。しっぽは泥にまみれ、顔は汗でぐしゃぐしゃだった。
ミウがふわりと現れ、笑顔で拍手を送る。
「おめでと〜う☆ ゴール到達〜♪ よくがんばりましたっ!」
ローズは顔をあげ、半泣きでミウを睨んだ。
「……お前マジで……人間じゃねぇ……」
ミウはケラケラと笑いながら、ローズの背中をぽんっと叩いた。
「でもすごいでしょ?昨日よりず〜っと速くなってたよ♡」
ローズは地面に突っ伏しながら、かすれた声で答えた。
「……褒められても……しんどさは変わらないからな……」