高島 倫太郎
「……っくそ、なんだこの臭い……!」
カイは鼻を突く刺激臭に思わず目を覚ました。それは顔を引っ叩かれたかのような衝撃で、意識を無理やり引き戻された。
目を開けた瞬間、強烈な光が視界を焼いた。
「うわっ!」
思わず目を細め、腕で顔を覆う。だがその直後、頭をゴンとぶつけてしまった。金属の音が響く。
「……完璧だな、マジで」
カイは頭をさすりながら、ぼそっと吐き捨てた。
「最高の目覚めってやつだ」
視界が徐々に慣れてくると、彼は辺りを見渡した。そこは病院のような、でもどこか違和感のある空間。白い壁、無機質な蛍光灯の光、静かに唸る機械音。そして整然と並んだ器具。
下にある冷たい金属の台を見下ろしながら、カイは呟いた。
「……くつろげって言われても無理があるな、これ」
彼は脚を振り下ろして起き上がろうとしたが、バランスを見誤り――
ドンッ。
床に盛大に転がり落ちた。
「マジかよ……誰だよこんな設計にしたやつ。拷問オタクかよ……」
その時、足音が静かに近づいてくるのが聞こえた。
白衣を着た男が、クリップボードを手に現れた。整った身なり、落ち着いた態度、無駄のない動き。彼の眼鏡が光を反射してキラリと光る。
「おや、目が覚めたようだね」
穏やかながらもどこか冷たい声で男は言った。
「もし起きなければ、もっと強引な手段を使うところだった」
カイは床に転がったまま睨みつけた。
「なぁ、もう使っただろ? 俺の鼻、完全にやられてんだけど」
男はわずかに笑い、肩をすくめた。
「ただの嗅ぎ薬だよ。完全に必要だった」
カイは立ち上がり、制服についた埃を払い落とした。
「次からはもっとマシな起こし方にしてくれよ。“カイ、起きろ〜”とか、そういう普通のでいいんだよ」
だが次の瞬間――
バシャッ!
冷たい水が顔面に直撃した。
カイはその場で凍りついた。水が髪から滴り落ち、顎から床へとポタポタと音を立てる。
そして、ゆっくりと顔を上げた。目は怒りで燃えていた。
「……は? なんなんだよ、マジで!!」
彼の前には、空のビーカーを持った男が、何食わぬ顔で立っていた。
「これも、必要な手段だった」
男は淡々とビーカーを机に置いた。
「完全に目が覚めたようで、なによりだ」
カイは拳を握りしめ、歯を食いしばった。
「お前、マジで……」
「いいか、文句はあとだ」
男は眼鏡を直しながら、白衣をカイに放った。
「これを着て、ついてこい。あと、そこらのものには触れるな」
カイは白衣を受け取り、むすっとしながら袖を通す。
「最っ悪の第一印象だな……」
そうぼやきながら、男のあとをついていく。
彼らは白い廊下を抜け、大きな実験室のような空間へと入った。そこには唸る機械、発光する画面、そして見たことのない装置の数々が並んでいた。
男は無言で椅子を指差し、テーブルの上にクリップボードを置いた。
「座れ」
カイは眉をひそめた。
「なに?クイズ番組かなんか?」
男はごく普通の口調で答えた。
「IQテストだ。君がここに配属された理由を知りたい」
カイはニヤリと笑いながら椅子に腰を下ろした。
「俺の天才っぷりに気づいたか。いい目してるじゃん」
男は微かに口元を緩めながら、クリップボードを手渡した。
「それじゃあ、始めてくれ」
カイは軽く受け取って、最初のページをめくった。だが――
次の瞬間、彼の表情が凍りついた。
「……は?」
ページをめくるたびに眉が寄っていく。
「なにこれ、意味わかんねぇ……」
出題された問題は、普通のIQテストの域を超えていた。高度な魔力理論、時空構造の計算、そして意味不明な図形の羅列。
タカシマ(男の名前)は腕を組んだまま笑みを浮かべた。
「正直、1問でも正解したら見直すよ。あのセクショニングオーブなんて信用してないからね」
カイはペンを握りしめ、顔をしかめた。
「へぇ……そうかよ。だったら見せてやるよ。俺を舐めるな」
室内に沈黙が流れる。
カイの書く音だけが響いていた。
数分後――
「終わった!」
カイはクリップボードを机に叩きつけるように置いた。
「はい、どうぞ。涙拭けよ」
タカシマは無言でそれを受け取り、ページをめくる。
最初は淡々と読んでいたが、徐々に目が見開かれていく。眼鏡の奥の瞳が驚きに満ちていた。
「……これは……」
彼は呟いた。
「信じられない……君のIQ、200を超えている……」
カイは腕を組み、得意げに胸を張った。
「言ったろ?天才なんだって」
タカシマはクリップボードを机に置き、ニヤリと笑った。
「これで決まりだな。君には魔導武器と魔力装備の開発を手伝ってもらう」
カイの表情から笑みが消えた。
「……断る」
タカシマはまばたき一つせず、静かに尋ねた。
「なんだって?」
カイの声は揺るがなかった。
「俺は前線に立ちたい。仲間たちと一緒に戦う。研究室の奥で部品いじるのは、俺の役目じゃない」
一瞬の沈黙――だが、タカシマはやがて口元を緩めた。
「……なるほど」
その顔に浮かぶのは皮肉ではなく、興味だった。
「いいだろう」
意外なほどあっさりと答えたその声に、カイは目を丸くする。
「マジで?そんな簡単に?」
「もちろんだ」タカシマは軽く肩をすくめた。
「だが、空いた時間は研究に協力してもらう。それが条件だ」
カイはしばらく考えたあと、手を差し出した。
「……いいぜ。契約成立だ」
タカシマはその手をしっかり握り返す。
「決まりだ。それじゃあ、さっそく始めようか」
二人はさらに奥の施設へと足を進めた。
タカシマが案内したのは、まるで戦闘シミュレーションのために作られたような広大な訓練室だった。
壁には大小さまざまな標的。
床には無数の魔力センサーと反応装置。
部屋全体が冷たい青白い光に照らされ、非現実的な雰囲気を放っていた。
「ここでは、魔力の精度を鍛えてもらう」
タカシマの声は冷静だが、その瞳には一切の妥協がなかった。
「戦うためには、まずコントロールが必要だ。ただ力を放つだけでは、何も守れない」
カイは標的を眺めながら、肩を回す。
「で、どうすんだ? ぶっ壊せばいいのか?」
タカシマは無言で一つの小型ケースを開き、中から光沢のある魔導具――ガントレットを取り出した。
「これを装着しろ」
カイはガントレットを手にはめると、その重みと冷たさを感じた。手首にぴったりとフィットし、淡く光を放つ。
「最初の課題は、全ての標的の中心を狙うこと。狙撃精度の訓練だ」
「楽勝だな」
カイは挑発するように笑い、最も近い標的に手を向けた。
魔力がガントレットに集中し――
ズバンッ!
魔力のオーブが発射され、標的のど真ん中に命中した。淡く光る波紋が広がる。
タカシマはほんの少しだけ眉を上げた。
「……悪くない」
カイは肩をすくめ、ドヤ顔で振り返った。
「ほらな、簡単だろ?」
「油断するな。問題はその精度を“持続”できるかどうかだ」
タカシマは壁の操作パネルに向かって歩き出す。
「次は――一日1,000発、全て中心を撃ち抜いてもらう」
「……いっせん?」
カイの笑顔が一瞬で引きつった。
「それ、ケタ間違ってないか?」
「間違ってない」
タカシマは無表情で返す。パネルのスイッチを押すと、部屋のあちこちで標的がせり上がり、配置がランダムに切り替わっていく。
「前線では、一瞬のミスが命取りだ。魔力の精度は、反射よりも速く、直感よりも正確でなければならない」
彼の声はどこまでも冷たく、現実的だった。
「千発撃って千発命中。それが最低ラインだ」
カイは額に汗をにじませながらも、不敵に笑った。
「ハハ……上等じゃねぇか」
彼は標的に向き直り、構えを整える。
「見せてやるよ、俺がどれだけやれるかをな」
タカシマは腕を組み、その背中を静かに見つめていた。
この訓練は、才能だけでは乗り越えられない。
苦痛と反復の果てに、真の力が宿る。
「始めろ」
タカシマの声が響いた。
カイは呼吸を整え、魔力を集中させた。
――シュンッ!
一発目のオーブが放たれ、標的の中央を正確に撃ち抜いた。
そしてすぐに次の標的が動き出す。
「……千回、ね」
カイは低く呟く。
「やってやるよ。何度だって……!」
訓練は、今始まったばかりだった――。