表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/64

マッドマン・マルリク・クラウン

「……何があった……?」

マルクスはかすれた声で呟き、ゆっくりと身体を起こした。目を走らせると、そこには粗い石造りの壁。冷たく湿っており、天井のちらつく明かりが幽かな影を揺らしていた。どう見ても改装とは無縁の場所で、快適さとは程遠い。


「……今度はどこだよ……」

マルクスはこめかみを押さえながらぼそりと呟いた。


床もまた冷たく硬く、歓迎されている気配はない。彼が立ち上がると、ブーツの音が石の床に響いた。体がぐらつき、壁に手をついて体勢を立て直す。まるで船に引きずられたかのような疲労が全身に残っていた。


慎重に一歩踏み出し、部屋を見渡す。使い古された金属の扉がひとつ、今にも崩れそうな椅子がひとつ……それだけ。窓もなければ、音も生命の気配もない。


「……これが合図ってわけか」

マルクスはそう呟きながら扉へと歩み寄る。手をかけると、取っ手は凍えるほど冷たく、老人の背骨のような軋む音を立てて開いた。


その先には、果てしなく続くような薄暗い廊下。マルクスは振り返ったが、後戻りなどできないとでも言うように、またため息をついて前を向いた。


「戻れないってことか……」

そう呟いて一歩踏み出した瞬間、背後の扉が轟音と共に閉まった。


「うわっ!?なんだよ今のは……!」

マルクスは振り向いて取っ手を掴む。力いっぱい引っ張っても開かない。


「ふざけんな……!」

怒りに任せて引っ張るが、無駄だった。


そして、石が擦れるような重い音が響く。彼が振り返ると、そこにはもう扉などなかった。ただの滑らかな壁が広がっているだけ。


マルクスは一歩後ずさりし、髪をかきあげた。

「……終わったな。マジで終わった……」


深く息を吸い込み、マルクスは再び前を向いた。

「大丈夫、マルクス。もっとヤバい状況、あったかもしれない。これは……訓練だ。強くなって、人類を救って……うん、普通、普通だよな」

自分に言い聞かせるように笑ったが、その笑いはどこか震えていた。


廊下の空気は重く、湿っていて、金属のような匂いが漂っていた。彼の足音だけが響く中、マルクスはゆっくりと歩き始めた。


「お願いだから……まともな先生であってくれよ。狂ってないやつ……せめて、風呂に入ってる人で……」


その瞬間――背筋に走る冷たい電流のような感覚。

マルクスは凍りついた。背後に何かいる。振り返るなと本能が警告していたが、好奇心と恐怖が勝ってしまった。


ゆっくりと、彼は振り向いた。


そこには――人間のようで人間じゃない「何か」が立っていた。


マルクスの顔のすぐ前。近すぎる。異常な距離感。

そいつは耳まで裂けそうなほどの笑みを浮かべていた。髪は爆発でもしたかのように四方に逆立ち、重力を無視していた。左右の瞳は色が違い、どちらも得体の知れない光を宿している。


そして、長くボロボロのコートが風もないのにバサバサと揺れ続けていた。まるで彼専用の風が吹いているかのように。


「……呼んだ?」

男が、耳元で囁くように言った。


息が近い。臭い。腐った何かが混ざったような酸っぱい匂いがした。


マルクスは反射的に顔を背けた。


「誰か、狂人って言ったか?」

男はにやにやと笑いながら言った。


マルクスの口から、情けないほど高い悲鳴が漏れた。

「ぎゃあああああっ!?」

彼は飛び退き、胸を押さえながら壁に背中をぶつけた。


「な、なんだよお前っ!?」


男――マルリク・クラウンは腹を抱えて爆笑していた。膝を叩き、肩を震わせながら、完全にツボに入った様子だった。

「ハハハ! 今の顔!最高だったぜ!もう、笑い死ぬかと思った!」


マルクスは顔を真っ赤にしながら睨みつけた。

「お、俺は別にビビってねーし!」

声が裏返っている。動揺を隠しきれない。

「お前の……その匂いがヤバいんだよ!なんだよそれ!ゴミ箱で爆発でもしたのか!? 石鹸って知ってるか!?」


マルリクは涙をぬぐいながらニヤリと笑った。

「潔癖か、可愛いなぁお前。けど安心しな、そんな習慣、すぐぶち壊してやるよ!」


マルクスは一歩後ずさり、腕を組んだ。

「いや、絶対無理だ。これ、すでに悪夢の始まりだわ……」


マルリクは片手を差し出してきた。

その手は汚れていて、まるで病原菌のかたまりのように見えた。


「よろしくな、マルクス・セントリオン。さあ、訓練を始めようか?」


マルクスはその手をまるで毒物でも見るかのように睨みつけた。

「……絶対に無理だ」


するとマルリクの瞳がギラリと輝き、口元が不気味に吊り上がった。

「心配すんなよ。終わるころには、お前は戦場で最強になるか――泣きながら命乞いするかのどっちかだ。どっちにしろ面白いけどなァ!」


マルクスはごくりと唾を飲み込んだ。胃の奥に重い不安が渦巻く。

「俺……一体何に巻き込まれたんだ……」


「さぁて!出発だ!」

マルリクが大げさに両手を広げ、まるで舞台俳優のように叫んだ。


その瞬間だった。


マルクスが瞬きをした次の瞬間、世界が崩れ始めた。

石造りの壁、ちらついていた天井の明かり、冷たい床――すべてが溶けるように消えていく。まるで夢の終わり。


気づけば、彼は広大な草原に立っていた。

黄金色の草が風に揺れ、冷たい空気が肌をなでる。


「……なにこれ……」

マルクスはあ然としながら周囲を見回した。


空は広く、焼けたようなオレンジと深い紫が交差し、遠くには鋭くそびえる崖が見える。まるで別の惑星――いや、別の世界に迷い込んだようだった。


「こっちだこっちー!」

マルリクが陽気に手を振りながら先導していく。まるで観光案内でもしているかのような態度。


半信半疑でマルクスはその後ろを追った。彼の足はまだ震えていたが、好奇心と不安が同時に背中を押していた。


マルリクは軽やかな足取りで進み、崖の縁でぴたりと止まった。


マルクスも立ち止まり、その隣に並んで下を見下ろした瞬間――息を飲んだ。


そこには、広がる巨大な森があった。

木々は不自然なほど鮮やかに輝き、エメラルドやサファイアのような葉が、まるで宇宙のかけらを宿しているかのように光っていた。


「……これが……」

マルクスの口から自然に言葉が漏れる。


「うんうん、いいリアクションだ!」

マルリクは両腕を広げ、満面の笑みを浮かべながら言った。

「さあ見てごらん!この奇跡を!この絶景を!この地獄を!」


「ここは――マーズ・ルナ・フォレストだ!」

マルリクが誇らしげに宣言した。


マルクスは目を見開いたまま、呆然と森を見つめていた。

「こんな場所……見たことない……」


「そうだろう!だけどな、坊や――」

マルリクの声が急に低く、ぞっとするような響きに変わった。

「お前にとっては、“永遠の悪夢と地獄の森”って呼ぶことになるだろうな!」


マルクスは一瞬きょとんとし、それから眉をひそめた。

「は?なんでだよ?」


「この森は誰も住んでいない理由があるのさ」

マルリクが笑みを浮かべたまま、口調だけは不気味に冷たくなる。

「この中にはな、魔力結晶から生まれた魔獣どもがウヨウヨしてる。触れただけで食われるか、消し飛ばされるかだ」


マルクスの胃がきゅっと縮こまる。

「……それなのに、なんで俺をここに連れてきたんだよ……」


「訓練だって言ったろ?」

マルリクは手をパンと打ち鳴らして笑った。

「お前の任務は、この森の端っこまでたどり着くこと!」


マルクスは再び森を見下ろし、永遠に続くような木々を睨んだ。

「……端っこなんて見えないぞ。無限に続いてるだろ……?」


「それは幻覚だ。実際には終わりがある。たぶんな!」


マルクスは拳を握りしめ、表情を険しくした。

「……わかったよ。やってやるよ。俺が強くなれば……あいつらを倒せるなら……もう誰にも、俺と同じ苦しみを味わわせないために……!」


声は怒りで震えていたが、その目には強い覚悟が宿っていた。


マルリクの口元が、にぃ、と歪む。

「いいねぇ。その目だよ、待ってたぜ……」


その直後だった。


マルリクは何の前触れもなく、マルクスの肩を押した。

「じゃ、頑張ってこーい!」


「――え?」


「――うわああああああああああああああっっ!!!」

マルクスの叫び声が空に響いた。


身体が宙に投げ出され、急速に地面が迫ってくる。何が起きたか理解する前に、落下が始まっていた。


風が耳を裂き、草原の匂いが鼻を突く。

「アイツ!完全に狂ってる!!!」

必死に手足をばたつかせながら、マルクスは絶叫した。

「絶対に戻ったらぶん殴ってやるからなあああああああ!!」


崖の上から、マルリクの声がのんびりと追いかけてきた。

「イカれてる?そうとも!完全にイッちゃってるのさ!」

彼は腹を抱えて笑いながら叫んだ。

「生き延びるのに必要なものは、ぜ〜んぶ下にあるから安心しな〜!……たぶん!それじゃ、ばいばーい!」


視界がぶれる。空が回る。


マルクスの思考は混乱し、恐怖と怒りが渦巻く。


そして――


暗転。


意識が、すうっと深い闇に沈んでいった。

楽しんでくれているなら、ぜひシェアしてね!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ