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「そういえば、この人って最年少で1級取ったってことは、準1級を十五歳の時に取ってるってことッスよね」
注文した熱々の唐揚げをかじりながら、ダンは何気ない疑問を麻子に投げる。
そうなんよねぇ、と麻子も片手で頰を押さえ、悩まし気にスマホの画面を叩く。
「1級取るには、準1級取ってから五年の実務経験積まなアカンから、十五歳の時には準1取ってる計算になるねんけど……」
「準1取るだけでも筆記に実技に面接でしょ? バケモンじゃないですか」
軽い気持ちで言った言葉だったが、ダンの口の端から『バケモン』という言葉の形をした小さな黒いものが羽虫のように勢いよく飛び出した。
「ホンマ、バケモンよねー」
頰を押さえていた片手を伸ばし、麻子は何でもない顔をして、空いた手でダンの口から飛び出してきた『文字禍』を空中で握り潰す。
「……すんません、失言でした……」
「ええよええよー。『凄い』って意味やってこと分かっとるし。この仕事しとったら、嫌でも目についてまうからね、文字禍」
ダンは口元を押さえながら申し訳なく頭を下げ、麻子は笑いながら握り潰した文字禍の残骸をおしぼりに擦り付ける。
元来、百鬼夜行が起こる前から世界中にいる文字禍とはこちら側に侵入してきた異界の虫だ。
文字は人の念が籠りやすく、存在は紀元前より報告されている。この文字禍が意思を持って人間に取り憑くと、目が見えにくくなったり、腹を壊したり、生活に支障が出てくるため、数が増えたり巨大化して人に取り憑く前に駆除するのが仕事だった。
麻子は憂いた顔でビールジョッキを持つと、万里の話題に戻す。
「そもそもメディア露出が少ないから、供給も少なすぎて……。フリーランスでやってはるんやから、今回みたいな広告案件もっと受けてほしいわー。心の栄養、もっと欲しいんよ……」
麻子は憂いた顔で残りのビールを飲み干すと、チョウに向かって、おかわりくださーい! と麻子は空のジョッキを持ち上げた。
「ダンくんも、凪に入って二年やっけ? ここのバイトの面接受けたの、高一の時やったから」
二杯目のビールを飲みながら麻子はダンに尋ねた。ダンもエビチリを頬張りながら、そうっすね、と答える。
凪とは、文字禍駆除業者として登録している屋号だ。事務所はこの中華料理店の上にある。
「中華料理屋のホールバイトが、文字禍駆除になるとは思わなかったスけど。そろそろ受験に専念しなきゃとは思ってるんですけど、部活は夏の大会で最後だし、時給も良いからもう少し貯金もしときたいなとは……」
「偉いなー。あたしなんてバイト代、全部万里様系で使ってまうもん」
麻子の言葉に、ダンは少し困ったように笑い返した。
「うち、シングルマザーなんで、自分のことで使う金は自分で稼ぎたいんですよね」
「ダンくんのそういうとこ、あたしは偉いと思うわ」
ダンは麻子に褒められ、満更でもないように照れて頭を掻く。
するとほぼ同時に、二人のスマホから鋭いサイレン音が鳴り響いた。二人は慣れたように先に音を切ると、のんびりとそれぞれのスマホの画面を覗き込む。
「なになに?」
「怪獣警報っスね。宇宙から30メートル級が落ちてきて一体暴れてるのと、それを連れてきた宇宙人が一体逃走中だそうです。旧・元町ですって」
「えー、近いやん。避難する?」
「どうしましょ。資格持ちがどこまで集まってるかっスよね」
二人が呑気に話していると、テレビの画面が速報にすぐ切り替わった。
「防衛庁の発表によると、怪獣は二足歩行で現在、文化財の旧・元町を破壊しつつ北上中! 近隣の資格保持者が結界により建物を保護しておりますが追いついていない状況です!」
手のひらサイズの、シマリス獣人のアナウンサーがカメラマンの手のひらに乗せられ、ヘルメットをかぶってマイクを片手に一生懸命状況を伝えている。
「やーん。クルミちゃん、今日もかわいいー」
「かわいいっスねー」
シマリスアナウンサーのクルミを見た麻子はでれでれと両手で頰を挟み、ダンは心の中で、麻子さんの方が可愛いっす、と口に出せない分を付け加える。
何の前触れもなく、それは起こった。
怪獣に破壊され、町の中に火の手と煙が上がる。
その中を突如、牡丹の花のような色鮮やかな紫紅色の閃光が怪獣の胴体を貫き、テレビ画面の向こうでクルミを始め、テレビクルーにどよめきが走る。
「あっ! 怪獣の近くに人影が! 資格保持者でしょうか!」
砂埃の向こうに人の影が見えるが、テレビ画面越しでは分かりづらい。
しかし、そのシルエットを見るなり麻子は思わず勢いよく立ち上がると、店の外まで轟く絶叫を上げた。
「ぎゃーーーッ!!! ばんりさまーーーーーッッッ!!!」
「えっ、嘘! 今のあれで分かるんスか?」
肉団子を喉に詰まらせそうになりながら、ダンは信じられないように目を丸めて麻子見る。
「万里様! 絶対、万里様!!! ちょっと! どないしよ!!!」
麻子は興奮して飛び跳ねながら、横に置いていたカバンの中から、バズーカ砲のようなレンズを装備したデジタル一眼レフを取り出して構えた。
「ちょっと! 災害時はその場から動いちゃダメですよ!」
「資格保持者は現場入ってエエんよ! 何の為に勉強して資格取ったと思ってんの! 万里様をちょっとでも生で近くで見るためやないの!」
「いや、知ってますけど動機が不純!!!」
残っていたビールを一気に飲み干すと、ちょっと行ってくるわ! と麻子は店の外に飛び出して行った。