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異人街文字狩り本舗  作者: みなとたぬき
第二部 一章
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38

宙に香る金木犀に、アオが鼻を引くつかせる。グラスの中で炭酸が弾けると共に、華やかで芳醇な香りが辺りに漂い始めた。

「なんじゃ、酒か?」

カウンターの上を歩き、アオは麻子のグラスを覗きこむと、水面で弾ける小さな泡が鼻先を掠った。

「そうやよ、金木犀のお酒」

甘く、どこか懐かしさを覚える温みのある芳香。

ダンは先程まで麻子と話していた話を思い出した。

金木犀ほど強い主張はしてこないが、楓眞から漂ってきた、水面に咲く蜜の匂い。アオは良い酒と喩えていた。

「仁さん、ちょっと聞きたいことがあるんスけど……」

「何だよ。ネタによっちゃ金取るぞ」

麻婆豆腐を残り少ない白米の上にかけた剛人は、大きな一掬いで口の中に放り込み、隣で麻子は小さく眉を顰める。

「高校生からお金取るんですか?」

「当たり前だろ」

麻子の言葉に、何を馬鹿なことを言ってるのだとばかりに、剛人はレンゲで米を指す。

「こっちはこれでメシ食ってんだ。情報が欲しいってぇなら金と引き換え。学生もへったくれもねぇよ」

威圧感と共に睨まれ、麻子はわざとらしく小さくなりながら、すいませーん、と目を逸らすとグラスを手に取り、一口酒を煽る。

「で、どうした?」

レンゲを置き、箸を持って餃子を挟むと、小皿に満たした餃子のタレとラー油の中に押し付けてから口の中に運び、咀嚼しながら話を促した。

金を取ると言いつつ、気にかけてくれていることはダンにも分かる。どう説明しようかと少し迷いつつも、ダンは口を開いた。

「今日、学校で変な匂いがしたんです」

ダンの言葉に剛人は露骨に顔を顰めて、ビールを喉に流し込む。

「変なって何だよ、ゴミでも落ちてたのか?」

「や、そういう汚い匂いじゃなくて。今まで嗅いだことのない匂いで……、こう……何て言ったらいいのか分かんないですけど……」

ダンが手振り身振りを交え言葉に詰まっていると、チョウにソフトボール大の丸い握り飯を作ってもらったアオが、それを両手で抱えるように頬張りながら、カウンターの上でぴょんと跳ね、小さな鼻を引くつかせた。

「酒みたいな、ええ匂いじゃった」

「そう、それ! この酒みたいな……花とお酒の匂いがいい感じに混ざったみたいな、甘いやつで!」

ダンの言葉に、剛人は僅かに片眉を上げる。

「お前、まだ未成年だろ。酒のこと聞いてどうすんだ、銘柄ぐらいならタダで教えてやるけど」

「そうじゃなくて!」

ダンは慌てて首を横にぶんぶんと振った。

「仁さん、話の腰折らんとってくれます?」

たまりかねて麻子も口を挟み、ダンに確認するように

「アオちゃんが、その匂いにつられて出てきたんよね?」

「……アオが出てきた? 学校でか?」

剛人は箸を止め、口の中の餃子を咀嚼して飲み込んだ。

「はい、それも周りに人がいたのに急に。今までこんなことなかったのに……なぁ」

ダンが呼びかけると、アオはもう握り飯を半分平らげ、小さくゲップする。

「旨そうな匂いじゃった。どうにも惹きつけられてのぉ」

「旨そう?」

アオの呑気な声に対して、眉間に皺を寄せた剛人の声が低く、硬くなる。

「おい、その匂いの出所は分かるか?」

剛人の声色が変わったことで、ダンはそこで初めて気が付いた。

あっ。これ、軽い話じゃない。

さっきまでは、もっと気楽だった。初めて気が付いた変わった匂い。アオが飛び出してきて、大変だった。また同じようなことが起こったら困るから、相談してみよう。そのくらいの気持ちだった。しかし、よくよく考えてみればアオが堪えきれずに飛び出してくるようなものだ。それもその香りを纏っていたのは、楓眞。

もし、ここで彼の名前を出せば、今までダンが知っている『小城先生』がいなくなってしまいそうで、そしてこれは本人の許可なく他人に話していい情報ではないと直感した。

「えっと……どこからかは分かんないんスけど……。一瞬だったんで……」

ほんの少し前まで騒がしかった店内に、テレビから流れるコマーシャルの軽快な売り文句とチョウが生姜を細切りにする小気味の良い音だけが響く。アオはまだ、握り飯に夢中だ。

先に麻子に話した時も、ダンはアオが飛び出してきたことは言ったが、匂いの出所については話していない。

「お前の鼻で? ……本当か?」

「……うっす」

アオが飛び出してきたことで、慌ててその場を去ったから嘘ではないと自分に言い聞かせながら、ダンは剛人を真っ直ぐ見つめながらぎこちなく頷くと、口元を強張らせる。

サングラスの奥から探るようにダンを観察していた剛人だが、それ以上は踏み込まず、ふっと視線を外す。

見逃されたと安心すると同時に、ダンは喉の奥がやや引きつるのを感じた。

「ま、いい。昔のお前なら、一人で黙って終わってたろうしな。相談してきただけ上等だ」

温度が下がってきた餃子を口内に放り込み、ビールで流し込む剛人の顔を麻子が覗き込む。

「なにか心当たりあるんですか?」

「まあな」

空になったジョッキをダンに差し出し、お代わり、と告げると、ダンはジョッキを受け取って洗い場に置くと、新しいジョッキを冷蔵庫から取り出し、先ほどと同じようにサーバーからビールを注ぐが、少しばかり気が急いて泡の部分が多くなった。

ダンからビールを受け取ると、剛人はジョッキに口をつけ、美味そうに喉を鳴らす。

「学校の中ってなら、どこかでゲートが開いた可能性はほぼ無い。旨そうな匂いってことなら、生きてるモンの匂いだな。アオみてぇな『あちら側』のものが引っ張られるならほぼ九割『こちら側』の人間からだな」

サングラスの奥から視線だけ動かし、ダンが目を伏せ、口元を引き結ぶ様子を確認すると剛人はジョッキを置き、ジャケットのポケットから煙草の箱とジッポライターを取り出す。

「色々可能性はあるが、大方、稀少血だろうな」

カチ、と金属音が弾けて剛人の手元に火が点る。手近に置いてあった灰皿を引き寄せながら、剛人は深く息を吸って肺の中に煙を呼び込んだ。

「きしょうけつ……?」

ダンが耳慣れない単語を小声で反芻する間に、煙が宙に溶けていく。

「そんなん、初めて聞くんですけど」

麻子もいつになく真剣な面持ちで、やや前のめりに身を乗り出した。

剛人は軽く肩をすくめ、口の端だけで笑う。

「そりゃそうだ。2級以上じゃねぇと、一般には開示されねぇ情報だからな。本当ならバカみてぇな大金が動くネタだ。耳の穴かっぽじってよく聞け」

おどけたようにほんの少し肩をすくめると、剛人は煙草を灰皿の縁を叩いて灰を落とす。

「稀少血ってのは、簡単に言えばちょっと特別な血だ。現場じゃ『稀血(まれち)』だの『霊血(れいけつ)』だの、好き勝手に呼んでるけどな。旧京都の御三家は知ってるか?」

ダンは慌てて首肯した。

「生まれつき、異能を使える人たち……ですよね?」

「正解」

剛人は義手の指先でダンを指差すと、そのまま煙草を挟むと白く細い煙を吐く。

「あいつらみたいなのは、ほとんどが稀少血の家系だ。言っちまえば遺伝性の体質だな。資格無しでも、四大元素以外の特殊能力を継いでる家系ってのは御三家以外にもいくつかあるし、百鬼夜行が起こる前から妖怪との交渉やら文字禍退治やら、宇宙連中とのコンタクトやら、政治的に重宝されてる奴等も多い」

チョウが中華鍋を振る音が響き、アオはカウンターの上から厨房内を興味津々の様子で覗き込んでいた。

「はいはいはーい!」

疑問とほんの少しの好奇心を隠せなくなった麻子が、ほんの少し顔をしかめながらも、元気よく片手を上げて割り込む。

「でもそれやったら、もっと表に出てもエエんとちゃいます? 重宝されてるんでしょ?」

剛人は火が消えかけた煙草を軽く吸い直し、ビールを傾ける。

「あー、色々あんだよ。……一番分かりやすいのはアレだな。アオみてぇに、人間を食わない奴でも引き寄せられるってことは?」

わざと質問に質問で答えた剛人の言葉に、麻子は一瞬考えるように黙り込んだが、その沈黙の意味はすぐに変わった。

ダンは手で口元を押さえた麻子に代わり、恐る恐る手を挙げる。

「人を食う奴も寄ってくる?」

「正解」

フィルターの際まで吸い切った煙草を灰皿に押し付けると、新しい一本を咥える。

「匂いの強さに程度はあるが、そもそも稀少血ってのはあちら側のもんを引き寄せるらしい。実際、血を飲めば霊力が上がる、肉を食えば不老不死って噂もあるくらい、百鬼夜行が起こる前から曰く付きなんだよ」

ダンは思わず、機嫌良く尻尾を揺らすアオに視線を流した。アオが惹き寄せられるのなら、人の血や肉を好むものにとってどれほどの芳香になるのか。それが楓眞から漂ってきたのは、彼が稀少血の持ち主であるということなのか、答えはすぐに見つからない。

「匂いがしたってだけで、即どうこうって話じゃねぇ。稀少血以外にも変わった匂いがするらしい奴はごまんといるしな。ただ、アオが『旨そう』って反応するってことは、質の悪い奴等からすればご馳走ってことだ。その辺、気を付けとけ」

アオは自分の名前が出てきたことで、厨房内から目を離して振り向いた。

「なんじゃ、呼んだか?」

いつの間にか、アオはチョウから揚げ春巻きをもらって、はふはふと熱そうに頬張っている。

その姿に、三人の間で張り詰めていた空気が一気に緩んだ。剛人は灰皿に煙草を押し付けて火を消す。

「呼んでねぇよ。っていうか、お前、さっきから何かしら食ってばっかだな!」

「チョウさん! アオが欲しがっても、あげちゃダメって言ったじゃないッスか! アオも帰っても夕飯無しだぞ!」

ダンが厨房にクレームも入れるも、当の調理ロボットはセンターにエラーをきたしたのか無反応を決め込み、アオは頬を膨らませてむくれる。

「何でじゃ。美味いもんを食うて何が悪い」

「普通に食い過ぎ! 太るぞ! これで帰って夕飯も食うって言ったら、いくら何でも怒るからな! これ以上重くなったら、オレが潰れる!!」

ダンとアオがやいやい言い合っている姿を眺めながら、麻子は苦笑してグラスを傾ける。

「アオちゃんがもぐもぐしてるの、可愛いんやけどねぇ」

「……っすよね!」

麻子の言葉にまた安易に同意しかけたものの、ダンの言葉は尻すぼみに消えた。

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