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その時、引き戸の引手に金気のものが当たると共に、遠慮なく引き開けられた。
「いらっしゃいませ……」
ダンが全て言い終わらないうちに、店に入ってきた剛人は、よっ、とダンと麻子に向かって軽く鋼製の義手を上げる。服や髪に染みついた煙草の臭いの上から、スパイシーながらどこか爽やかな香水がほのかに香った。
「なんだ麻子ちゃん、また風戸万里の追っかけか?」
ボロボロの麻子に気が付くと、呆れたように眉根を寄せた。
麻子は、ふふんと自慢げにカメラを掲げる。
「そのための資格やもん」
「いや、違うでしょ!」
ダンも思わず口を挟んだ。
「追っかけも程々にしとけよ」
今日の剛人は、丸サングラスの奥はどこか機嫌が良さそうで、麻子の手中にあるカメラをちらりと一瞥してから、その隣のカウンター席に腰掛けた。
白のカットソーに豹柄のジャケットを合わせ、やや細めの黒いスラックス。ヴィンテージ感のあるブラウンの革靴を履きこなしていた。
「ちょうど仁さんの噂してたんですよ。どっかで聞いてはった?」
「そんな訳ねぇだろ。メシ食いに来たんだよ、メシ」
剛人はチョウに、生ビールと麻婆豆腐定食、餃子に焼豚を頼んだ。
いつもなら愛車の運転があるため、ノンアルコールを頼む剛人を、ダンは冷えたジョッキにサーバーからビールを注ぎながら不思議そうに見つめる。
「今日は車じゃないんスか?」
「エンジンの調子が悪くて点検に出してんだよ。それに今日はオフだしな」
早々に出てきた、生ビールと六枚の焼豚が乗った小皿をダン経由で受け取ると、剛人は箸立てから割箸を抜き取り、口元で咥えて片手で割った。
「オフって言っても、お仕事入らんかっただけやん。どうせ、パチンコでも行ってはったんやろ?」
「残念。今日は競艇だ」
「そんなん、なんも変わらんでしょ」
自慢げにジョッキに口を付ける剛人に、麻子は呆れたようにため息を吐きながら、最後に一口分残していた青椒肉絲を口に入れた。
「勝ったンスか?」
剛人はダンの問いに対して、ビールを煽ってからニヤリと口角を上げ、右手の指を二本立てた。
「二万」
「すげー!」
二万円儲けたという意味に、ダンは素直に目を輝かせて感嘆の声を上げたが、麻子は箸を置き、片頬をついて剛人の顔を訝しげに覗き込む。
「幾ら負けはったん?」
剛人は、表情はそのままで指をもう一本立てる。
「三万」
「マイナスじゃないっすか!」
「ほっとけ! これでも取り返したんだよ!」
彼の、パチンコを始めとしたギャンブル癖は以前からのことだが、ほとんど勝った試しがない。半ば意地になって負けを取り返そうとして、余計に財布の中身をすり減らすのはいつものことだ。
麻子は諭すようにじっと剛人の目を見る。
「仁さん。そないにギャンブルばっかりしとったら、彼女さんに振られるで?」
麻子の言葉に、ダンはぎょっとしたように目を見張る。初耳だった。
「お金無いのに彼女いるんスか?!」
「おい! 金が無いは余計だ!」
剛人は思わず怒気を込めて立ち上がりかけ、ダンは咄嗟に身を縮めてカウンターの内に隠れた。
「だって仁さん、お洒落でかっこいいけど、いっつもお金ないじゃないっスか!」
「持ってる日もあんだよ!」
「普段お金無いんは、否定せぇへんのね」
この時ダンの脳裏には、剛人の彼女像として彼と負けず劣らずの派手な女性のシルエットが浮かんだ。
明るい髪色に長いまつ毛、豹柄のドレスに底が厚いブーツ。ラグジュアリーな装飾品。剛人の隣に並んでも遜色ない。
ダンが勝手に剛人の彼女像を思い描いている内に、麻子はわざとらしく、ゆっくり指折り数えていく。
「仁さんはギャンブルと煙草を辞めて、服と靴を買うの我慢して、車と音楽にかけるお金を見直さんと、一生お金貯まらへんやろうね」
「そうっスね!」
麻子の言葉に、ダンは軽率に深く頷いた。
「うるせぇな、さっきから! 余計なお世話だ!」
三人が騒いでいる間に、アオはチョウから新たに焼豚の切れ端を貰い、これも美味いのぅ、と感嘆しながらもぐもぐ頬張っていた。
「マーボー、ギョウザ」
チョウのアームが伸び、カウンター越しに盆に乗った麻婆豆腐定食と餃子が剛人の前に置かれた。
定食のほとんどを食べ終えた麻子は、剛人のジョッキを見ると、思うような写真を撮れなかった未練が吹っ切れたのか、肩の力を抜く。
「やっぱりあたしも、今日は飲も」
「おう、飲め飲め」
剛人も相槌を打ち、麻子は柔らかく目を細めてダンを見た。
「ダンくん、桂花陳酒のソーダ割りお願いしていい?」
「ういっす!」
麻子の頼みとあれば、仕事とはいえダンの反応は早い。カクテル一つ作るのに気合十分すぎるダンと、付けっ放しのテレビから風戸万里の名前が聞こえるや否や、即座に画面の方に向いた麻子を剛人は交互に見比べて、お前らもどうしようもねぇな、と呟いて卓上に置いてあったラー油と山椒を手に取ると麻婆豆腐に振りかけた。




