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ダンと店長はテーブルを挟んだソファで向き合って座る。

「それで、文字禍は倒したけど資格持ちが来る前に逃げてきたと」

スナックで飲んでいた店長は習性を把握している剛人に見つかると、引き摺られるようにして渋々事務所に連れてこられ、ダンから事情を聞いて少し考えるように小さく息を吐いた。

その吐息に混ざる、洋酒のスモーキーな香りに溶けたアルコール臭にダンはやや顔をしかめる。

事務所には心配した麻子も残り、ダンの右側に座ると、店長を連れてきた剛人もダンの後ろで腕を組み、渋い顔で立つ。

「どうします? 通報履歴でダンが特定されるまではいいとして、異界のものに憑依されてたなんて知られたら、下手したら政府筋のヤツらまで動きますよ」

「そこなんだよな。剛人、お前はそのワンちゃんとダンの耳は見てないのか?」

店長の問いに剛人は腕を組んだまま、ゆっくり首を横に振る。

「俺が着いた時には。話を聞いた限りだと、二年前より肉体に干渉を受けちまってますね。師匠の封印式も外れてますし、ダンの中で霊力を回復して量が増えた分、式が外れちまったんじゃないですか?」

そうか、と店長は少し考えるように指の腹で顎ひげを撫でると、軽く膝を叩いた。

「まあ、そろそろ出てくるだろう。奴さんの霊力も回復してくる頃合いだ」

「……はい?」

三人が声を揃えて聞き返した途端、ダンの胸に青白い光の輪が浮かんだ。また懐かしい香りが鼻腔をくすぐり、風が前髪を優しく揺らす。

そしてその輪の中から小さな光の球体が浮かび上がると、勢いよく外に向かって飛び出してきた。

光の球体は一瞬だけ強く光を放ち、顕現したものがダンの膝の上で落ち着く。

「あらま可愛い」

その姿に、麻子は思わず口元に手を当てて顔を綻ばせた。

青みがかった白い毛並みが、毛先に行くほど濃い青になっていくのは変わらないが、その大きさは子犬のようでかなり頭身が低く、全体的にずんぐりむっくりとして丸い。

まるで人の子のように、ダンの膝の上で短く太い両足を放り投げて座り、足裏の肉球はピンクで見るからに弾力があり、むちむちとしている。

「すまんすまん。疲れて、ちいと寝てしもうたわ」

声も高く、まるで子どもだ。

「って、ちっさ!!!」

「霊力が足りないんじゃ。仕方なかろうが」

自分の膝の上に座る生き物を見下ろしたダンは思わず声を上げ、その声にムッとしたように膝の上の生き物は声を尖らせる。

「まだ尻尾一本分しか力を取り戻しとらんけぇ、不十分なんじゃ。霊力カラッケツで姿を保ってられん」

「それで小さくなっちゃったんだ」

ダンは納得したように、膝の上の狼を眺めた。

麻子はダンの膝の上の生き物に顔を近付けると、その毛並みから漂う香りを確かめるために小さく鼻をひくつかせる。

不意に麻子の顔が近くなり思わず硬直するダンを見て、剛人は顔を背けて笑いを堪えた。

麻子は記憶を辿るように視線を泳がせたが、すぐに目線を目の前に戻した。

「ふわっふわやし、なんかいい香りもしはるねぇ。白檀みたい」

「何スか、それ」

「いい香りがする木のこと。サンダルウッドって呼び方もあるけど……ほら、お線香とかの匂いの元」

「おっ、なんか知ってる匂いだと思った」

そういった知識に疎いダンと剛人は、感嘆の声を上げた。

話を切り替えようと、店長は二度手のひらを合わせて叩くと、自分の両膝に肘をつき、ダンの膝の上にいる生き物に目線を合わせる。

「随分と昔に異界から来られて、そのままこちらに住まわれた形かな。御名は覚えてられるかな?」

「名前……。ワシは……ワシの名前……名前……。名前とは、なんじゃったかのぅ?」

頰に手を当てて可愛らしく首を傾げる姿に、ダンと麻子、剛人は思わず前につんのめった。

「忘れんなよ、自分の名前!」

ダンは膝の上に座る生き物の頰を両手で挟むと、わしわしと上下させて毛を撫で、生き物は、きゃー! と短い手足をバタバタさせながら歓声を上げる。

「みんな好き勝手に呼ぶけぇ、覚えとらん。アオとか呼びおった気もする」

「アオって……まんまじゃん」

意表をつかれたようにダンは呟く。店長が一つ大きく息を吐いた。

「まあ、昔はこちら側に流れ着いたまれびとは、こちら側での呼び名を付けるのが通例だからな。今と違ってこちら側とあちら側は言葉が通じるのも稀だったし。さて麻子ちゃん。こちらさんは、どうして藤代少年に憑依したのでしょうか?」

「えっ、あたし? そうですね、こちら側で存在を固定する為の霊力が枯渇していたところにダンくんが現れたから、エネルギーのある方に引っ張られて憑依しちゃって、そのままダンくんを経由して細々とでも霊力を回復する形になっちゃったのかなって」

急に店長に指名された麻子は目を丸くしたが、少し記憶を辿る仕草をしただけでスラスラと誦じた。

店長はどこか楽しげに頰を緩める。

「そうそう。こちらさんが文字禍を封印している最中で消滅しなかったのは、ダンの潜在意識に憑依することで辛うじて存在を繋いで、霊力を補充しつつ、姿を保ってたからだろうな」

「それ、ダンから引っ剥がしたら、霊力の補充が出来なくなるから、そのうち消えちまうってことですよね」

「えっ!」

剛人の言葉に、ダンはギョッと目を剥いて振り向いた。

霊力が逆流して自分の外見や能力に変化が出てしまうのは困るが、消えてしまうのは後味が悪い。

「どうにかならないんスか?」

「どうにもならねぇよ。自力で霊力回復出来ねぇくらい弱ってるから、お前に憑依してんだ。そりゃ剥がしたら力が枯れて消えるよ」

「それか、こちらさんがダンくん経由せんでも自力で回復出来るくらい霊力を取り戻しはったら大丈夫かも」

ダンはそれを聞くと、剛人と麻子を交互に見た。その目は決意にも似た輝きを宿している。

「それじゃあオレ、こいつを憑依させとくまんまで良いです! バレて捕まるのは嫌ですけど、そのせいでアオを消しちゃうのはもっと嫌です!」

「アホか!」

「痛ッ!!!」

剛人は思わず鋼の義手でダンの頭に拳骨を落とし、ダンは涙目で頭を押さえた。

ソファの背に手をつき、剛人はダンの方へ身を乗り出す。

「そもそも、こちらさんの霊力が逆流したから、お前の身体に影響出てたんだぞ! そもそも、異界のものを憑依させてると、そいつに引かれて余計なモンまでぞろぞろ出てくるから危険視されてんだよ! 資格も持ってねぇ、自分で何も出来ねぇただのガキが一端の口きいてんじゃねぇよ!!!」

「確かにオレは何も出来ないですけど! でも、関わっちゃったからには、今のオレに出来ることはやれるだけやりたいんですよ!」

ダンは膝の上に乗っていたアオを麻子との間に下ろすと、立ち上がり、ソファの背を挟んで剛人の目を見据え、負けじと言い返す。

「こいつ、多分悪いやつじゃないし、力の枝の束をばら撒いちゃったのはオレにも半分責任があります! だからオレは、こいつの尻尾探します! 全部見つけるまで身体も貸します!」

「人の話を聞かねえやつだな!!!」

剛人はカッとなってダンの胸倉を掴み、流石に麻子が腰を上げ、冷静に二人の間に割って入って嗜める。

「はいはい、ストップストップー。心配なのは分かるけど、エエ大人が手を出したらアカンし、大きい声も出さへんの」

「なんだか、ワシのせいで悪いのぅ」

アオも流石に耳をぺしょりと伏せる。

「剛人」

店長が呆れたように名を呼び、呼ばれたことに反応した彼の顔面に向かって、宙で右手の中指を弾く仕草をした。ぴしり、と見えない礫が空気を裂き、剛人の額に激突する。

「いってぇ!!!」

剛人はダンの胸倉から手を離して、何かが飛んできた額を押さえると、ソファの後ろに倒れ込む。

「仁さん。ダンくん、これでけっこう頑固やから、一回言い出したら聞かへんよ」

麻子はソファの背面に身を乗り出すと、痛みで額を押さえてうずくまる剛人に、言い聞かせるように告げ、店長はどこか悪戯っぽい目を向けてダンに向き直った。

「藤代少年。情状酌量の余地はある。お前さんが捕まる可能性は低いから、政府筋の伝手でそちらさんを剥がすことも出来るけど、どうする?」

ダンは真っ直ぐに店長を見据える。

「それで、こいつが消えちゃうなら嫌です!」

ほらね、と麻子はソファに捕まりながらやっと立ち上がる剛人に目配せした。剛人の額の皮膚は、小さく赤くなっている。

「分かった分かった。なら、こちらのアオ殿との決め事を作ろう」

店長はやれやれとばかりに、肩を小さくすくめると、先にアオを見る。

「まず、私たち事情を知る者以外の前で姿を現さないこと。知られればダンもアオ殿も窮地に陥る」

「あい分かった」

ダンの横で、アオが短い手を元気よく上げる。

「ダンも、今日のように私たちの預かり知らない所で危険が及ぶかもしれない。弱った怪異は他の怪異に取って格好の餌だ。自分の身はなるべく自分で守れるように心がけろ。回復が早まるよう、霊力の共有は適度に交わせるように封印はかけ直すが、封印ってのはそもそも完璧なものは存在しない。霊力が逆流したら、今日みたいに外見に変化が出ることもあるだろう。ただし、それは他人には見られるな。何かあったら私か麻子に連絡しろ」

「分かりました。……でも店長、今日電話出てきてくれなかったじゃないですか!」

「次からは出るよ。気が付いたらな」

「ダンくん。絶っ対、先にあたしに連絡しといで」

ダンの横から麻子が、臆面もなく真剣な声色で言った。

ダンも麻子の目を見て、力強く頷く。

「そんな信用ない?」

「自分の日頃の行い、胸に手を当ててよぉく思い出してみぃ」

麻子は呆れたように、生ゴミでも見る目で店長を見た。

店長は楽しそうにくっくっと喉を鳴らすと、憮然とした顔でソファの背もたれにしゃがんでもたれかかる剛人に視線を移した。

剛人はダンの決断に、不満気に口元を歪めていたが、右手で拳を作るとダンの肩を軽く小突く。

「なんかあったら俺も助けてやるから、困ったらいつでも連絡してこい」

「仁さん……」

不承不承といった口ぶりだったが、ダンは彼の情を感じ取ると思わず頬が緩んだ。

「ありがとうございます!」

ダンは咄嗟にソファから立ち上がると、勢いよく頭を下げた。

「このままだと、目覚めがわりぃだけだからだよ! ヤバくなったら政府筋に引き渡すからな!」

剛人は立ち上がると、唇を尖らせたまま両手をポケットに突っ込み、そっぽを向いたが、そんなことせぇへんくせに、と麻子が茶化す。

「麻子ちゃん、なんか言った?」

「ううん。なーんにも」

振り返って、サングラスの奥からギロリと睨む剛人に、麻子は肩をすくめて目を逸らした。

「ぶち助かるわぁ」

アオがソファの上で、短い足をぷらぷらと呑気に揺らす。

ダンは頭を上げると、思い思いに彼を見守る周りの大人たちを見回して、小さく息を吸う。

「よろしくお願いします!」

再度、深々と頭を下げた。

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