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「わーっ! どうしよう! どうしようコレ!!!」

「落ち着きんさい。ちいとワシの霊力が逆流して、坊主に干渉しとるだけじゃけぇ」

自分の耳を指先で摘みながら大騒ぎするダンに、獣は嘆息する。耳はほのかに温かく、触るとくすぐったい。少し意識してみるとぴこぴこと自由に動く。自分の身体から生えているとはいえ、文字通り毛色の違う耳にダンの胃は重くなっていく。

「じきに消えるけぇ、待ちぃ」

「待てって言ってもさ!」

通報はダンのスマホから送っているので、間もなく警察が資格持ちのどちらかが、最悪の場合は両方がここへやってくるはずだ。マイクロチップで身元を調べられたら、ダンにこの耳や足のような目立つ外見になる因子がないことはすぐバレる。

加えてこの獣のこともどう説明するか。小学校に無断で忍び込んだこともかなりまずい。普段、大人の言うこともよく聞く上、決められたルールからはみ出す行動を取ることも少ないので、ダンは焦りながら頭を抱えた。

店長は相変わらず電話に出ず、麻子に連絡してみようかとも思ったが、気になる相手にみっともない姿を見せるのは、プライドに関わる。

「あーもう!」

ダンは少し悩んでからスマホの画面に指先を滑らせ、再度電話をかけた。

三コール目で相手は出たが、電話の背後は耳をつんざく電子音や金属の玉がじゃらじゃらと落ちる音で騒がしく、パチンコ屋独特の喧騒にダンは思わず反射的に耳を遠ざけた。

「よお、どうした? ダン」

「仁さぁぁぁぁぁんんんッ!!! 助けてくださいッ!!!」

「うぉっ、どうしたどうした?!」

電話越しでも頼り甲斐のある剛人の声に、ダンはどこか安心しながら事の経緯を話した。


※※※※※※※※※※


獣と電話口に向かって騒ぐダンと、それを他人事のように眺める大きな獣の組み合わせを、校舎の屋上から静かに見下ろす二人の青年がいた。

「通報はガセかって思ったら、そうでもなさそうだな。そもそも、何でこんなところに特異点があるんだよ」

屋上の縁に片足をかけて身を乗り出し、青年の一人が下の様子を窺った。落ち着いた声は中性的で艶があり、柔らかな春の風に、一つにまとめた長い髪がなびいた。

深緑の男物の長袖シャツに、ブラウンのチノパン。

黒の革手袋をはめた手で、ショルダーホルダーの、左前に付いた小さなポーチの中へ、小さな黒い正方体のものを戻すと、ループタイのカメオが胸元で揺れる。

足元はゴツゴツとした黒のミリタリーブーツで、汚れても傷付いてもその頑丈さを誇っていた。

風戸万里。国家最大戦力である、1級の資格保持者だ。

万里は目を細め、やや睨むように眼下のダンと巨大な白い獣を見下ろす。

強力な結界で、認可外のものを弾くはずの施設に現れた異物に、警戒の色が滲んでいる。

万里は目の前に軽く手をかざし、1級保持者の権限を使ってデータを拾うと、空中に複数の画面を展開させた。

資格持ちの中でも1級保持者は、首のマイクロチップを経由してあらゆるデータへのアクセス権と閲覧権がある。それは国家機密に抵触する事項から、市井の人々のマイクロチップから読み取れる個人情報まで多岐に渡り、今目の前で展開している画面には、ダンの個人情報や過去に同じような事件が起きていないかの検索結果、獣の特徴から宇宙のものなのか異界のものなのかを調べた結果が表示されている。

画面の一つを見ると、万里は小さく舌打ちした。

「舌打ちしない」

もう一人の青年が、やんわりと行儀の悪さを注意する。

黒のパーカーのフードを目深にかぶり、口元は同色のタオルを巻いて隠しているため、表情は見えない。

足元こそ、政府公認の黒のタクティカルブーツだが、通報を受けて急いで来たのか、パーカーの他はサイドに白のラインが入ったジャージだけと、万里に負けず劣らずの軽装備だ。

彼は眼下にダンの姿を認めると、ぎょっとしたように肩を強張らせるとしゃがみ込み、脱力して両手で顔を覆ってため息を吐くと、あーともうーともつかぬ、低い唸り声を上げた。

「なんだよ。知り合いか?」

青年の反応を見て、万里は訝しげに眉をひそめる。

「うん、ちょっとな……」

思い悩むように、両手の指先で自分の額を揉む青年を一瞥すると、万里は憮然と眼前の画面を指先で撫で、ダンの情報を表示させた。

「本業絡みか」

「そう……。何やってるんだよ、こんな所で……」

へにゃへにゃと萎びて消えてしまいそうな声でボヤき、頭を抱える青年の横で、画面を見つめていた万里は訝しげに目を細めた。

耳や足の特徴から、在留資格を持った異人かと思っていたが、登録された情報の中にそのような記述はない。

親も地球人であり、耳や足が持つ特徴は隣にいる獣と毛艶が似ている。

「あのガキ。多分、隣にいる犬っころに憑依されてるな。取っ捕まえるぞ」

「わっ! ちょっと待ってくれ!」

屋上の縁にかけた足に力を込め、そのまま跳んで降りようとする万里を、青年が慌てて止めた。

「わざとルールを破るような子じゃないんだ。何か事情があるはずだから、捕まえたり、あの子に関して報告を上げるのは待ってくれないか?」

懇願する青年に、万里は気難しげに唇を尖らせる。

「ああ? 待ってどうすんだよ」

「タイミングを見て、私から事情を確認したいんだ。何かあったら責任は取る。……頼むよ」

しゃがんだまま青年は万里を見上げ、子犬のようにじっと見つめる。

万里は黙って青年を睨みつけていたが、根負けしたように視線を逸らすと、苛立たしげに前髪を掻き上げ、屋根の縁から足を外して踵を返す。

「……分かった。あのガキについては一任する。こっちは何とかやるから、そっちもちゃんとやれよ」

「ありがとう」

安心してへにゃりと相合を崩した青年の声に、万里は気に入らないとばかりに小さく鼻を鳴らした。

青年は拗ねてしまった万里を見て、困ったように小さく肩をすくめて笑ったが、顔を前に戻すと目の前の画面に指を滑らせる。

過去に同じ事例がないか、片膝をつき、莫大な量の報告書に素早く目を通していた青年はふと視線を止めると、万里、と声をかけた。

「十年前に、2級の資格保持者が立ち入ってる。分かりにくいけど、データに改竄の後があるから痕跡を辿れるか? 準2の権限だと、プロテクトを突破できない」

青年は指先を滑らせ、万里の眼前に一枚の報告書を表示させる。

「……カイザンって何だよ?」

「文書が書き換えられてるってこと」

万里の問いに簡潔な言葉で答えると、青年は他の報告書と照らし合わせながら静かに言葉を続ける。

「この学校。私も少しの間通っていたけど、その時から七不思議とか不可思議な噂話は多くて。あの百葉箱も、子どもは開けたらいけないと言われていたから、噂もこの特異点を隠すためだったのかもしれないな」

文書のプロテクトを解除した万里は、吐き捨てるように小さく息を漏らす。

「出てきたぞ記録者の情報。タマキのおっさんだ」

「うわぁ、あの人かぁー……」

記録者の署名を覗き込み、青年は知っている名に再度頭を抱えた。

署名の横には、書き換えによく気付いたなとばかりに、ポップな落書きが添えられている。

「腹立つな」

落書きを見て、万里は苛立ちを隠すことなく腕を組むと、ぽそりと呟く。

青年が落書きの上を指でなぞると、落書きが消え、その下からメモ書きが現れた。

「でっかいワンちゃんがいるけど、古くにこちら側に流れ着いて土着した怪異。特異点を守る土地神として祀られていたけど、今は社も名前もない。人間には友好的だし、害はないから放っておいてあげて♡……か」

「あのおっさんのことだし、それもどこまで本当か分かんねぇぞ」

「それなんだよなー……。あの人、いつも適当だから」

組んでいた腕を解くとチノパンのポケットに両手を突っ込み、憮然と言い放つ万里の言葉に、青年も困ったように天を仰ぐが、大きく息を吐くと気を取り直して前を向くと、眼下のダンを見つめる。

「とにかく、しばらく様子を見てみるよ」

二人の間を静かに風が吹き抜けていった。


※※※※※※※※※※


「へっくし!」

繁華街のビルの一角にある寂れたスナックで、男の大きなくしゃみが響く。

「ちょっとヤダ、誰かに悪口言われてんじゃないの?」

恰幅の良いスナックのママが、眉をひそめて笑いながら、カウンターに座る男におしぼりを渡す。化粧は濃いが、その所作には気遣いが溢れていた。

「ん。ファンは多いからね」

白い髪に浅黒い肌、ワインレッドのスーツの男はおしぼりを受け取って鼻の下を拭うと、顎の無精髭を撫でながら軽口を叩いた。

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