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嗅覚や聴覚の過敏や異常な脚力が発現してしまうのは、二年前から抑えられていた。
今は店長による封印術でリンクを切っている状態のため、今朝のバイトに加え、部活を終えた後の走りっぱなしの足で、元気溌剌な柴犬を追うのはなかなか骨が折れる。
「ハナちゃん……マジで勘弁してくれって……」
ダンは時折こちらの様子を窺うように振り返って止まってみたり、右に曲がったと思ったら引き返してきて、リードを引き摺りながら逆方向に暴走するハナに振り回されながら、ひたすら走って追いかけていた。
住宅街の中はまだまばらに人がいるが、その人種は様々で、見た目だけではどこの出身であるか判断が付かない。
もし出自を尋ねる際は帰属意識を持つ郷を尋ねることが常識化しており、これも外観上では宇宙人や異人などであっても、旧・近畿地方の居留者やその子孫であることも増えているため、自認する帰属意識も異なるからだ。
なお、渡航手続きについては旧・近畿地方の中でも旧・大阪が人の出退国を管理しており、物資に関しては旧・神戸が出入口となる。
今でこそ宇宙や異界からの観光産業によって外貨を得ているが、逆に旧・近畿地方から人間が異界に渡るには手続きがかなり複雑困難で、テレビのバラエティ番組などではその渡航手続きを簡略化し、出費を抑える為に人ではなく物資として、カメラ付きのアンドロイドを送り込むことが主流になっていた。
あくまで人間は地球の中で囲われているが、稀に宇宙人によって拉致されたり、異界とゲートが繋がった際、あちら側に流されてしまう人間も存在する。その際はマイクロチップの電波を拾い、消失した人間の行方を探すのだが、マイクロチップの制度が整備される以前も認知されていないだけで同じような事例は古来より頻繁に起こっており、神隠しや行方不明、失踪といった名を当てられていた。
不慮の事故でこちら側に流れてきた者がいた際は、データにない生体反応として感知が出来るように、やっとこの十年で制度も整備されている。怪異警報もその一部だ。
また、人間が宇宙に進出出来ないのは、肉体や精神構造が長期間宇宙の環境に耐えられるものでないことに加え、百鬼夜行が起こったことによってマイクロチップやナノマシンなど、惑星の文化水準を超える技術が流入してしまったため、この不可抗力で入り込んだ技術を惑星単体で開発・管理出来るまで文化水準が上がらなければならない規約に縛られてしまったからだ。
今の地球はこれらを宇宙からの輸入に頼っている上、地球上の資源で再現することは困難を極めている。
この世界の人間は月を歩いておらず、青い地球の姿を己の肉眼で眺めた者もいない。
異人もあくまで地球上の生物という括りで宇宙への進出は禁止されており、規制が強化される前に流入した技術は、突然断ち切ると経済や生活水準に大きな影響を及ぼしてしまうため、規定の中で維持されつつ、一部は旧・神戸を窓口として依然として取り込まれていた。
今でこそ希望の川の介入により、百鬼夜行で発生したゲートを管理し、宇宙や異界の窓口として旧・近畿地方は独立の形を保っているが、一度植民地化された影響はすぐ立ち消えるものでもない。
ダンは独立を経た後のネイティブ共存世代のため、偏見や差別に繋がる事柄に関しては敏感で、彼自身、肌感覚で相手を傷付けてしまうことを察したり、幼い頃からの教育により、なるべく相手の考えを尊重したり受け入れることに慣れている。
そのため、異人であるカミュランを始め、多種多様な生まれ育ちが集まるクラスでも大きく衝突せずにやっているが、百鬼夜行前後から地球に居着く世代の中には人間を軽視し、そもそも人間が意思を持っていると思ってもいない考えの主もいる。
先程のハナの老飼い主である宇宙人も、目や耳が悪く、言葉が伝わりにくいのもあるが、ダンが話しかけても目を合わさなかったのは、意図的に人間を無視することが染み付いている世代だからだ。曖昧で決まり切った返事も、話すことも本来であれば忌み嫌う、人間を軽視した意識は根底にある。
ダンも無視されて最初は何とも言えぬ侘しい想いもしたが、それでも会うたびにこちらも無視することなく根気強く話しかけ、嫌々とはいえ返事をしてもらえるようになった分、かなりの進歩だ。
一人暮らしの老飼い主が犬のハナを可愛がっていることは確かであり、目の前で起きていることを放ってもおけない性格のため、お人好しと呼ばれてもダンは脱走したハナを老飼い主の元に連れ返したかった。




