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ダンがバイトとして、凪で勤務を始めて二年になるが、彼がこの仕事を始める原因であろう祠は、まだ見つかっていなかった。
「ちゃんと探してはりますぅ?」
その日の夕方、来客用のソファに腰かけてノートパソコンのキーを叩いていた麻子は、怪訝な目でテーブルを挟んだ向かいのソファで横になっている店長を見る。
文字禍は、そこで一匹見つければ百匹はいると言われている。過去に出現した箇所はまた出ることも多く、過去の依頼から定期的に再発していないかの点検の営業をかけているのだが、今日は一件、その定期点検で発見した文字禍を店長が退治だけし、国の規定に則った報告書を麻子が代筆で作成していた。
今日の麻子の服は、パステルイエローの襟が大きなブラウスに濃い色合いのデニムスカート、ハイカットのスニーカーを合わせている。髪は表編みのアップヘアにしていた。
ダンは学校と部活があるということで、今日は事務所に来ていない。
開け放した窓からは、春の柔らかな風が醤油と胡麻油の香りを階下の大熊猫飯店から運んでくる。時間も時間のため、麻子の腹が小さく鳴った。
「やってる、やってる。仕方ないだろ、異界の瘴気に当たると記憶も混濁するし、肝心の本人が場所を思い出せないんだからさぁ」
店長は、大きく欠伸をすると伸ばしていた足を組み替えた。
時間が経っているのもあるが、ダンの記憶はひどく曖昧で、一緒に肝試しに行ったはずの友達の名や祠があったであろう場所すら思い出せない状態だった。
ダンも自力で調べてはいたが、主に麻子が気を利かせて、ダンの生活圏内で噂が立ったであろう場所や時間軸が交差した観測記録を調べ、仕事の合間に時間を見つけては二人で現地を訪れて調べてはいるのだが、未だに成果らしい成果はない。
剛人も無報酬で協力してくれているが、プロの情報屋が片手間で探っているとはいえ、不思議と情報は集まらない。
「本人は生活に支障が出てないみたいだし、このままでもいいんじゃないのか? 学業も部活も順調みたいだし、麻子ちゃんたちがそんなに気にする必要もないだろ」
「ちょっと……もう……。協力するって言い出しっぺが何を……」
店長のあまりにも無責任な言い方に、麻子はキーボードを叩く手を止め、呆れ返って返す言葉を失いながらも、何かないかと考えるように呟いた。しかし、店長は前髪をかきあげながら上体を起こすと、両膝に肘をついて目尻を下げて笑いながら、麻子の顔を上目遣いで覗き込む。
「だってそうだろ。私の術式で同調は切れているし、あの子は今の状態に慣れてる。少し気を付けるだけで『普通』に生きられるんだ。人は惰性で生きる生き物だよ」
「……そんな性格やから離婚されるんですよ。二回も」
「そうだな」
唇を尖らせ苦し紛れに出た麻子の嫌味に、店長は余裕の表情で微笑んだ。
「藤代少年も卒業後は進路をどうするか言わないし、このままウチで働いてくれたら、私は楽なんだけどねぇ。学生からしたら高額だけど、業界内ではうちの給料安いし」
「は……? サイッテー! えっ、今のまさか本気で言うてませんよね?! サイッテーーーッ!!!」
「あっはっはっは!」
あまりのものの言いように麻子は思わず声を張り上げ、店長は揶揄っているのか本気で言ったのかをはっきりさせないまま、朗らかな笑い声を上げた。




