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ーーー現在。
大熊猫飯店の扉が開き、ぼんやりとテレビを眺めていたダンは頬張っていた炒飯を飲み込む。
「おかえりなさい……って! どうしたんですか!!!」
カメラを抱えて戻ってきた麻子の姿に、ダンはぎょっとして立ち上がった。
丁寧にアイロンをかけた、パステルカラーの青いハンカチで鼻の下を押さえながら、まだ現実を整理出来ていないという風に、麻子は目を泳がせながらも落ち着きを取り戻そうとする為に片手を振りながら深く息を吐く。
「大丈夫やねんけど、どうしよ。どうしよどうしよどうしよ……」
読経のように低く呟き続けながら、そのまま席に着くなり両肘を卓上につき、虚ろな目で額を押さえる麻子に、ダンは新しいおしぼりを差し出した。
「ありがとォ」
礼を言うと、麻子はハンカチを鼻から離す。
べったりと血が付いた面を見えないように内側に折り込み、ダンから受け取ったおしぼりで顔に残った血を軽く拭く。
「鼻血? 大丈夫っスか?」
「うん……もう止まったから……」
まだ少し虚ろな目をしながら、麻子は懺悔でもするように首を垂れ、深く息を吐いた。
「目線いただきまして……」
「目線?」
ポツリと呟く麻子にダンは首を傾げた。
「万里様がこっち見はった」
「ちょっと! そんなに近付いたんスか?!」
望遠レンズがあったとはいえ、認識される程近付いたのかと、流石にダンも呆れた声を出した。
宇宙生物や異界のものは放射線や瘴気など、地球上に生ける人体に悪影響を及ぼすものも少なくない。
最低限の自衛手段と知識を持つからこそ、資格持ちの現場入りは許される。それこそ生死に関わることも多いので、3級の取得は筆記試験だけとはいえその壁は厚く、難易度の割に死亡率も他の産業に比べて圧倒的に高い。
「ちゃうのよ……。望遠レンズで撮ってたんやけど、何でか気付きはって……。とりあえずこれ見て……。あたし、もうアカンかもしれへん……」
息も絶え絶えな麻子は、慣れた手つきでカメラから望遠レンズを外すと、その液晶画面に今日の撮れ高を表示させた。
ダンはカメラを受け取ると、画像を順に追っていく。
連写された画像はコマ送りで動き、一つの動画を見ているようだ。土煙が立ち込める中、商店の屋根の上で片膝をつき、そこから倒れた怪獣の様子を窺っている万里の涼やかな横顔が限界までアップになる。
そのまま画像を送ると、ふと、カメラのレンズに気付いたような万里の流し目から溢れる色気に、ダンも思わず息を呑んでカメラを取り落としそうになり、慌てて持ち直した。
今日、麻子から見せられた広告の写真はモノクロだったが、カメラの中では、砂埃の中で透け感のあるカーキベージュの長く艶やかな髪が画面の向こうで揺れ、長めの前髪がはらりと顔にかかる。輪郭の線は優美で化粧っ気のない肌に、服は、左前に小さなポーチの付いたショルダーホルスターを装備している以外、麻子が真似している広告のものと同じだ。
資格保持者が現場に出るには随分と装備も少なく、軽装な印象だった。
髪を纏めている細い紐の色は藤色。首から下げているループタイの紐は元々の色が分からない程ひどく色褪せ、新品で誂えられた服飾の中では少し浮いて見えた。
カメラのレンズに気付いた様子の万里が、コマ送りで顔をこちらに向け、黒革のハーフ丈グローブを装着した右手の人差し指を薄い唇に当てると、悪戯っぽく片目をつぶりながら、カメラレンズに向かってその指先を向けた。
普通なら気障な仕草に見えるのだろうが、男のダンが見ても所作が見目麗しく、少しも嫌味がない。男性的な要素と女性的な要素が絶妙に混ざり合い、洗練された美しさが引き立っている。
麻子と初めて会った時ほどではないが、高鳴る鼓動を抑えるようにダンは唸る。
「これは……かっこいいッすね……!」
「でしょー!!!」
いつの間にかビールを注文していた麻子は、生気を取り戻そうとするようにジョッキの中身を半分程一気に飲んでから、興奮したように口を開く。
「あたしが着いた時は、もう怪獣倒してはったんやけど、もう何もかも全部カッコ良くてぇ! あっ、ダンくんも入る? 万里様ファン倶楽部」
「そんなんあるんスか」
オレはいいです、とダンはやんわり断ってから麻子にカメラを返し、頼んでもいないのに勝手に万里の良さを早口で語り始めた麻子の生き生きとした顔を幸せそうに眺めながら、残っていた炒飯を口に運んだ。




