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大熊猫飯店二階に位置する事務所の応接間。

赤いベルベットのソファに居心地悪く座りながら、ダンは向かいに座る店長の顔を恐々と見上げた。

犬は尻尾を振りながら興味津々で事務所内の匂いを嗅ぎ回り、藤の衝立で仕切っただけの給湯室で湯を沸かしていた麻子の足元に行儀良く座ると、何かもらえないかと期待の眼差しを向けている。

犬の熱い眼差しに、耐えきれなくなった麻子が叫ぶ。

「店長ー! ワンちゃんに冷蔵庫のチーズあげてもいいですかー?」

「店長じゃなくて、オーナーと呼びなさい。あと、犬に人の食べ物あげちゃいけません」

店長は小さな子でも諭すように、ソファに座ったまま返事をすると、薄い笑みを浮かべてダンに向き直った。

大熊猫飯店のオーナーであり、文字禍退治専門業者・凪の経営者でもある。

「両親共に、こちら側出身。祖父母や親戚にも異人は無しか。それで、その身体になったのはいつから?」

機械音声で聞いた時とはまた違う、じわりと腰にくる渋い中低音。襟足の伸びた白髪に同じ色の無精髭。日に焼けた健康的な色合いの肌はハリがあるが、やや下がった目尻のシワは深い。年齢は重ねているだろうが、正確な年齢を判断しにくいダンディな男が、ゆったりと対のソファにもたれかかりながらダンに尋ねた。

艶のある黒いシャツはよく見ると光の角度で柄が浮かび、深みのあるワインレッドのジャケットとよく合っている。靴も高そうな革靴だった。

「じゅ……十歳の時からです……」

店長の喉仏を見つめながら、ダンは両手を両膝の上に揃えて恐る恐る答える。次に来る質問は、大体検討がついていた。

「十歳のいつ頃かな? 心当たりは?」

店長は穏やかな声のまま尋ねるが、眼光は鋭く、目の奥は笑っていない。

これを聞かれると、居心地が更に悪くなり、ダンは店長の喉仏の辺りを見ながら辿々しく答える。

「夏休みに友達と肝試しで……あの……小さい祠を壊しちゃいまして……。それから……です」

話を聞いていた店長と、沸かした湯で二人に温かいお茶を出そうとしていた麻子の動きが止まった。

「あちゃー」

店長は大きく息を吐くと片手で目元を押さえ、天を仰いだ。


文字禍を祓った後、実況見分などの後始末は剛人が引き受けてくれた。

「その足。困ってるなら、店長に相談してみなよ。俺の師匠だし、その方面に強いよ」

倒していた自転車を起こしながら剛人に言われ、ダンもこうして初めて対面する店長に相談してみたのだが、人に話してみると自業自得で改めて恥ずかしくなってくる。

「それにしても、七年もよぉ我慢してたね。しんどかったんちゃう?」

ダンでも知っている高級陶器のカップをソーサーに乗せ、麻子が眉を下げて同情を寄せながら茶を差し出した。

すっきりとした香りが鼻腔をくすぐり、店長は黙って出されたカップを手に取ると、ゆっくりと口をつけてから麻子に視線をやる。

「ミントとレモンバーム入れた? 今日の麻子ちゃんブレンド」

「ぴんぽーん! さっきの現場、ひっどい臭いやったから。気持ち切り替えたくて」

店長の言葉に、麻子はブイサインを作ってはにかむ。

「はい、ダンくんもどうぞ。お砂糖もあるし、ハーブティーが苦手やったら無理に飲まんでもエエからね」

麻子に優しく促され、ダンもカップを手に取る。カップの温もりが心地よく、口をつけると乾いていた喉が求めるままに一気に飲み干す。

今まで誰にも言えなかった言葉が、胸の中でじんわりと溶けていくような気がした。

「最初はここまで酷くなかったんです。気が付いたら人より足が早くなったり、高く跳べるようになったくらいで、匂いとか音を強く感じ取れるようになったのは、ここ最近で……」

元々、学校では短距離走上位の常連だったため、異変を気付かれることはなかった。気を付けて力を抑えれば周りにバレない。

ましてや祠を壊すなど、異界との境目が曖昧になっている今日び、かなりの大事になるのが目に見えている。一緒にいたはずの友達は祠を壊したことを覚えておらず、混乱と困惑の中で、日を追うごとに言い出せなくなっていた。

しかし、生活の中で一番ダンを追い詰めたのは、中学から部活に入って始めたバレーボールだ。

仲の良い友達に誘われて始めたのだが、最初は上手く打てなかったサーブが入るようになり、戦略を覚えやチームワークが出てくると更に面白くなってきた。

しかし、気を抜くと人外の足は早く走りすぎ、高く跳びすぎる。

自分の異能に気付かれないように意識すればするほど、全力を出せない悔しさと苛立ちがダンの心を蝕んだ。

やがて、初めて一年もしないうちに夢中だった部活に顔を出すことも出来なくなり、同じ部活の友達に声をかけられても曖昧に理由をつけて言葉を濁す。

母に買ってもらったバレーシューズもサイズが小さくなり、もう履けなくなったまま、部屋の隅に転がっている。

そして、高校受験を終えた頃から、刻々と嗅覚や聴覚が増し、特に生活に溢れる臭いや騒音が苦痛と化した。

極め付けは、偶発的に起こる足の外見の変化だ。

ダンは両親共に人間であり、足が変化するなど遺伝子上から有り得ない。周りにばれたらどんな騒ぎになるのか、想像もつかなかった。


ダンの不安を見透かしたように、店長が口を開く。

「話を聞いた上での仮定だが、恐らく七年前に祠を壊した際、あちら側のものと身体がリンクしているな。その正体は調べてみないと分からないが、その足を見るに獣人か何かしらだろう。まず言えるのは、こちら側とあちら側で時間軸以外が同調するなんて、百鬼夜行以来、観測されたことのない事態だ。政府に見つかっていないのも奇跡と言ってもいい。見つかったら、あっという間にどこかの諜報機関にでも捕まって研究材料か、宇宙人相手なら、拉致されてどこかに高値で売り飛ばされるかもしれないな」

店長は一息でさらりと怖いことを言ってのけ、ダンは背筋を凍らせる。

「そして、きみの身体はあちら側に侵食され始めている。侵食というよりも、入れ替わっているのかもしれないが。どちらにせよ、最終的にはこちら側から消えてしまうかもしれないな」

まだ仮定だがね、と店長は念を押した。

「そこでだ。一つ提案がある」

その言葉に、ダンは初めて店長の目を見ることが出来た。

店長はもたれていたソファから上体を起こし、両膝に肘をつくと、ダンの目を悪戯っぽい笑みと共に見つめ、人差し指を前に突き出す。

「私の封印式である程度、この侵食を抑えることが出来る。その間、よほど強い同調が起こらない限り、ごくごく一般の生活を送れるようになるだろう。だが、きみがもっと根本的な解決を望むなら自分の力で解決しなければならないし、それを望むならこちらもそれなりの提示をしよう」

麻子は黙って窓際にもたれて茶をすすり、犬は誰も相手をしてくれないことに飽き、ダンの足元にすり寄ると、その場で伏せて寝て始めた。

「表向きの籍は大熊猫飯店に残したまま、この『凪』でアルバイトとして働くこと。蛇の道は蛇。この事務所は文字禍駆除を専門にしているが、その分、文字禍以外の異界や資格持ちとの接点も多い。壊した祠で何を祀っていたのか、祀られていたものが何だったのか調べることでアプローチすることは可能だ。危険も伴うことがあるが、藤代少年の覚悟に値するサポートは設けるし、身体が異界と同調していることについても秘匿しよう。どうだい? やるかい?」

ダンは少し迷うように言葉を詰まらせた。しかし、力強く店長を見据えると、背筋を伸ばす。

「オレ、元の身体に戻りたいです。自分の足で、自分の力で、全力で走りたいです」

その言葉に店長は満足気に微笑む。

「よく言った」

店長は微笑みを崩さないまま、肘を両膝から離し、鷹揚にソファにもたれる。

「聞いた? 麻子ちゃん。雇用データの時給、書き換えてくれ」

「聞いてましたし、今終わりましたぁ」

いつの間にか、ティーカップではなくノートパソコンを開いて持ち、窓際でキーを叩いていた麻子は不満気に返事をした。

「どうした? 止めるなら今だぞ?」

冗談混じりに笑う店長に、麻子は冷ややかな視線を向ける。

「男の子が腹括って決めたことに、横槍入れるほど野暮じゃありませーん」

あの……、とダンは上目遣いで店長の顔色を伺いながら恐る恐る口を開く。

「どうして、ここまで協力してくださるんですか……?」

その問いに、店長は緩く口角を上げる。

「私は、つくなら弱者にって決めてるんだ。せいぜい足掻いて追い上げてくれ」

「ちょっと言い方……。でも、あたしも出来ることは手伝うから、一緒にがんばろね」

店長と麻子の言葉にダンは咄嗟に立ち上がると、深く腰を曲げて二人に向かって礼をし、ダンが急に動いたことで目を覚ました犬は、何事かと人間たちの顔を見上げた。

「よろしくお願いします!!!」

ダンの大声が元気よく響いた。

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