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空中で身を捻り、犬を庇って背中から着地したダンは、痛みに呻いた。

ダンを下敷きにした犬はその顔を覗き込み、情けなく鼻を鳴らしながら励ますようにダンの顔を舐める。

「うっわ。ちょ、大丈夫だから。顔が剥がれて、びっくりしただけだから大丈夫!」

ドッグフードの匂いがする口で顔をべろべろと舐め回され、ダンは顔をしかめて起き上がった。

着地した際に洋館の屋根瓦が割れており、バレたら怒られるかな、と要らぬ心配が脳裏を過ぎる。

怪異は塀によじ登り、滴る涎で足元を腐らせながらまだ追ってきた。

「うげ」

ダンはもう一度犬を抱き上げると、助走をつけて人並外れた跳躍力で高低様々な屋根に跳び移り、相手を翻弄するためにわざと蛇行しながら、坂道を登っていく。

自身の重さのせいか、心なしか坂道を下るよりも登る方が怪異のスピードが落ちる。

今は犬と自分の身を守るために、目の前の怪異から逃げ切ることの方が大事だ。

ダンが坂道を登り切ると、三角に広がる石畳の広場が前方に広がる。

ずっと鋼製の右手と犬を持ち続けていて、腕が重い。つい足がもつれ、広場に着地すると、ダンはそのまま地面を転がった。犬は要領よくダンの腕の中を抜けると上手に着地し、地面に伏せて息を切らすダンを心配気に覗き込み、小さく鳴く。

ダンは忌々し気に自分の足を睨む。靴が脱げたまま走り、跳び続けてきた両足は人のものではなく、足の甲はきゅっと縮み、白く短い毛に覆われた犬の足が伸びていた。

聴覚も嗅覚もより強くなり、強烈な臭気と耳障りな音と街中に溢れる機械音に眩暈がして地面に突っ伏したまま立ち上がれないダンに向かい、怪異の触手が伸びる。


低い羽音のようなものが、ダンの鼓膜に遠く響く。

紙蜻蛉の群れが空中で身を翻すと、怪異に向かって正面から一斉に突撃し、途中で腐り落ちるものもいる中、その勢いは怪異を圧倒している。

怪異は体勢を崩して引っくり返り、低い地響きが辺りを揺らした。

「あら、ダンくん。マスク外してるから、一瞬、誰か分からへんかったわ」

剛人が配達用の自転車にブレーキをかけ、麻子は呑気な声を上げてその自転車の荷台から降りると、ダンに駆け寄った。

「麻子さん……自転車の二人乗りは違法っスよ」

ダンは何とか顔を上げて、麻子の顔を見上げた。花のように甘く柔らかい香りに、ダンの吐き気はすっ飛び、無様な格好は見せたくないと気合いで起き上がる。

てへぺろ、とダンの指摘に麻子は小さく舌を出す。

「緊急事態やもの。今日だけ許してもらお」

「許してもらいましょう!」

麻子の可憐な可愛さに、ダンは元気よく意見を覆した。

岡持ちを外した荷台の上に無理矢理しゃがんで乗りこんだ麻子を乗せ、変速も付いていない重い自転車で坂道を漕いできた剛人は、地面に足をつけると、シャツの襟元に左手の指を引っ掛けて風を送りながらハンドルに膝をかけ、背中を丸めて息を吐いた。

「ちょっと……休憩……」

麻子はそれに唇を尖らせると、冗談まじりに、煽るように剛人に向かって軽く手を叩く。

「今どき紙巻煙草なんか吸ってるから、体力落ちてるんとちゃいますぅ? ほら、お仕事お仕事!」

「そういう言われ方すると、頑張るしかなくなっちゃうなぁ!」

自転車を降りて剛人は深く息を吐くと、スタンドを立てることなく乱暴に車体を倒し、起きあがろうともがいている怪異を一瞥すると、その臭いに顔をしかめて左手で鼻を摘んだ。

「随分デカい文字禍だな。ありゃあ、拝み倒しても帰ってもらえそうにないね。ダン、俺の右手は?」

「あっ、はい。あります!」

ダンはよろよろと立ち上がると、鋼の右手を剛人に差し出す。

剛人は左手でそれを受け取り、軽く掲げて感謝の念を表した。

「サンキュ! おっ、犬も可愛い顔じゃねぇの。もっとこう、チラッと見えたの、おっさん顔じゃなかったっけ?」

「なんか、あの黒いのから伸びてきたやつに顔を剥がされて。人面犬から犬になってました」

「犬に憑いてた霊体だけ取られたんだろうな。首輪も着けてるし、飼い主も探さねぇとな」

犬はダンの足元から首を伸ばし、剛人のズボンをすんすんと嗅いだが、大きく鼻を鳴らすとすぐに興味を失ったようにそっぽを向いた。

「やーん、かわいいー! ダンくん、めっちゃ顔色悪いけど平気?」

犬の顔を両手で挟んでわしゃわしゃと撫でながら、麻子はダンの顔を覗き込む。犬は尻尾をぶんぶんと振っていた。

「オレは平気でっす!!!」

麻子の声に姿勢を正すダンを見た剛人は、微笑ましいものでも見たように頰を緩める。

剛人が切られた右手首の断面を合わせると、金属同士が引かれ合うように切断面に伸びて集まり、右手が繋がったことを確かめるように指先を閉じたり開いたりした。

「どうやったんスか?」

「企業秘密」

目を丸くして尋ねるダンに、剛人はポケットから取り出した煙草を咥え、火を点けると茶目っ気を込めて笑いかけた。

ダンの、踵のない脚をちらりと見やってから、剛人は怪異に向き直り、胸の前で両手を合わせて鳴らす。

「とりあえず今は、不法入国者にお帰りいただこうか」

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