半袖が着たい
均一に水色を貼ったような空を、飛行機が遮っていった。
この島の(ほぼ)唯一の、外に出る手段の空港。月に一回かどうかの頻度でしか飛ばない鉄の鳥が、真っ直ぐな線で空気を割る。
去っても白く伸びて残り、完全に分断されることのない空。細く跡を残しながら、機体は彼方で高い音と野太い音を交互に散らかしている。
小さくなる飛行機に反して、蝉の鳴き声が大きくなる。グラウンドから弾ける声さえも消されるくらいに。けたたましくなるそれに同調するように、首筋に感じる空気がぬるくなっていく。毎年のように最高気温が更新されているから、五十年くらい経ったらこのままの人間では生きられなくなったりするのかな。
でも、そんな未来すら蚊帳の外に感じてしまう。
先生の流れるような解説と同じで、耳からするりと入った言葉は、緩く閉めた蛇口のようにこぼれ落ちる。ぼうっとする。
そんな淡い焦点の中でも、憂う少女は私の姿を目の裏で描きながら、窓の中から鳥を見送る。
なんでもない、思春期なのだ。私だって例にもれず、ごく普通の女子高生。
人間関係、成績、進路、家族、自分の体、何にだってすぐため息をつくことができる。
ふわっと吹き込んだ風がカーディガンの裾から入り込む。ノートを取る娘とも、居眠りをする娘とも、落書きに熱心な娘とも勿論変わらないこのセーラーが揺れる。
肌にまとわりつく風に眉を寄せて、ようやく黒板に向き直る。
黒板の前では、先生が説明をしながら板書をしている。今は数学の授業。書かれた例題の横には公式が並んでいる。
先生が色付きのチョークで、ぐるぐると公式を囲む。私は力なく持っていたシャーペンを持ち直して公式をノートに写し、マーカーで線を引いた。
この公式の意味は、使い方は何だろう。聞いていなかった分、どこまで進んだのかわからない。
同じ公式があるページを探しペラペラめくっていると、隣の席の湊が声をかけてきた。
「苗村」
呼ばれて横を向く。
湊は喋りかけているのがわからないようにしているつもりなのか、下敷きを口の横に沿えて立てている。
下敷きは透けた色だし、あってもなくてもこっちを向いているのは筒抜けだから、意味ないのだけれど。
私を避けた太陽光が湊の茶髪に当たって、増して明るく見えた。
「今日、一緒に帰れる?」
待ちきれないように、とても純粋な目で私を見る。
湊は昔からの腐れ縁で、家も近くだ。この島では珍しくもなんともないけれど、学童学校習い事から近所づきあい謎の集まりまで、何かにつけて顔を合わせる。
もう見飽きたその顔。でもその顔が、中性的な少年から徐々に大人びて青年になるのを、親より近くで見てきた。
昔は私の方が10センチ以上大きかったのに、高校に入ったらすぐに抜かされて、逆に15センチもの差をつけられた。
私が図書館で勉強している間は、もともと細身だからと始めたスポーツで黄色い歓声を浴びている。
そして、先輩やら後輩やら女子マネージャーやらに告白され、「全部断った」とくしゃっとした笑顔で聞いてもいないのに報告をしてくる。
そんな、ありふれた幼馴染という間柄。
だというのに湊は、私のこと名字で呼ぶ。昔は「あさひ」と下の名前で呼んでいたのに、気づいたら苗字で呼ぶようになったのだ。
かと思ったら、ついこの間、また下の名前で呼ぶからと勝手に宣言してきた。気まぐれが過ぎる。
「下の名前で呼ぶんじゃなかったの?」
湊はそれを聞いて、はっと気づいたように目を丸くした。
「あ、やべ」
「こら、そこ、授業中だぞ」
先生に注意され、湊が唇を尖らせる。
小さく「はーい」と返事をしてから、耳打ちするように小声で言う。
「休み時間にな」
私はそれに返すことなく、私は前へ向き直った。
湊を注意する前と変わらないよう様子で、授業は続く。
いつも通りの風景。言っている内容は理解できるけれど、なんだか集中できなくて再びぼんやりしてしまう。先生の声が、少しずつ遠くなっていく。
耳の中には、既に通り過ぎたはずの飛行機の音が残っているような気がした。それに加えて、さっきは気にならなかった蝉の声が、耳の中でこだまするように大きくなる。数が増えたのだろうか。
「……」
窓の外を見ると、空が澄んだように青い。でもそのすがすがしさとは裏腹に、鋭い光が私を刺す。向こうの景色には蜃気楼が見えた。
夏だ。
ゆっくりと気づかれないように吐き出し、色の無い息を吐く。
ああ、半袖が着たい。