02-02. 名付
その《鳥獣系遷移者》は破壊の限りを尽くしていた。
目についたあらゆるものを片っ端から壊し、放り投げ、ビル壁に穴を空けている。
「あーあー、すっげえ暴れてるじゃーん」
周辺の避難は済んでいるので、人的な被害は心配ない。だが早く止めないと、破壊行為による被害が増す一方だ。
だが、彼女がやきもきしている理由はそれだけではない。
「せっかく一番乗りであいつと戦えるチャンスだったのに。クロトのやつ、おっそいなぁ!」
女──ストライク・ラウドは、特三でも一、二を争う好戦的な性格だった。
◇◇◇
ストライク・ラウド。中央警察庁・特三所属。二十一歳。
三歳で親に捨てられた孤児。その後あちこちを転々とし、七歳で孤児院に入り、以後十八歳までそこで育った。
孤児になった年齢が低かったのもあって、元の名前も、親の顔もほとんど記憶にない。
孤児院に入るまでのストライクは、その場その場で適当な名前で呼ばれていたので、自分の名前に価値など感じていなかった。
正式に孤児院に入ってから、「好きに名前を付けて構わんぞ」と院長の爺さんに言われ、自分で決めたのが"ストライク・ラウド"。
以降、それが彼女の名前になった。
ストライクはいわゆる《二系統遷移者》──二つの遷移を持つヴァリエントで、"翅持ち"だ。
『天から与えられたギフトじゃな』
世界的にも珍しい属性だ、と教えてくれた院長はそう言ってカッカと笑った。
『……そうかな』
幼いストライクは、素直に喜べなかった。
ひどい迫害の時代が過ぎ去っても、遷移のない「純血」にこだわる者は少なからず存在している。両親もそういう考えを持っていた。
自分のせいで、いつも両親は激しく口論していた。その怒鳴り声が止むまで、ストライクはクローゼットに隠れて嵐が過ぎ去るのをじっと待っていた。両親の顔は忘れてしまったが、それだけはうっすら覚えている。
多分、あのまま育てられてもろくな事にならなかった。
ストライクは冷静にそう評価していた。
彼女が入った孤児院もそう悪い場所ではなかった。
施設によっては、子供を闇業者に売ってしまう悪徳孤児院もある、と聞く。その中で当たりを引いた自分は幸運だったと思う。
……まあ、孤児院の初日はさんざんだったけど。
暴れ熊の監視をしながら、ふと湧き上がった記憶に苦笑する。
『生意気な化物め!!』
孤児院の初日、ストライクは先輩である子供達から厳しい洗礼を受けた。
最初は小突かれるだけだったのが、段々エスカレートして、蹴られたり引きずり倒されたりした。
『…………いってぇな』
だが、色んな場所を転々としていたストライクは、理不尽に黙って耐える性格ではなくなっていた。
『おらぁっ!!』
ブチッとキレた後は無双状態。相手を次々に殴り飛ばし、蹴り倒し、あっさり返り討ちに成功。
全力で投げた空き缶は、ボスの頭に命中し、その時誰かがふざけて言った「ストライク!」が名前の由来になった。
その後は、すっかり大人しくなった元ボスともなんだかんだ上手くやっていた。孤児院を離れた後も、彼とは友人として交流を続けている。
────そんなストライクも、今や立派な社会人だ。まあ、やってる事は、あの頃と大差ないけれど。
◇◇◇
夜風が女のオレンジ色の髪と白い耳を靡かせ、整った顔が露わになる。
顔の下半分を覆う鋼鉄製のマスク。さらに特殊素材の制服を着用し、攻撃機能が搭載されたギアを手足に装着している。
口元を覆うマスクと付属バイザーは、最近開発されたフェイスギアだ。相棒との会話もこれを通して行われる。
このフェイスギアは他にも様々な機能が搭載されているが、機械が苦手なストライクは、目下、最低限の機能しか把握していない。
相棒には「宝の持ち腐れだ」と呆れられたが、知らんものは知らん。
ビル風にはためく、黒いノースリーブのジャケット。胸にネオンカラーで書かれた「POLICE」の文字は、若くて華奢な彼女が、警察官である事を知らせるのに役立つ。
これがないと、パッと見では絶対に信じて貰えないのだ。
ジャケットの背中側は、襟元は繋がっているが、肩甲骨の辺りが大きく開いて、背中が剥き出しになるデザインだ。翅の動きを妨げないように特注した制服だった。
ストライクが着ているジャケットは、見た目は薄いが特殊な素材で出来ていて、多少は撃たれても弾が貫通しない程度に頑丈だ。
下半身は、同じ素材の短いハーフパンツと、厚手のレギンス。肘から先と膝下は、軽量化されたギアで覆われている。
機動性重視。その独特な装備は、彼女の容姿も相まって一般警察官とはかけ離れている。だが、本人は結構気に入っていた。
ビルの上を移動しながら、ストライクは捕縛対象者の監視を続けていた。地上から激しい破壊音が断続的に響く。
「それにしても最近多いよねえ。今月はもう、三件目じゃーん」
ぼやきながら様子を窺う。
大型の熊の姿に変化したヴァリエント。
目の覚めるような青の毛並みをした、二足歩行の青い獣は、一心不乱に破壊の限りを尽くしていた。
獣が通りすぎた後に、幾つもの瓦礫の山が築かれていく。
建物の角から様子を窺っていると、ヴァリエントは一台の車を持ち上げ、地面に叩きつけた。
車はまるでプレスをかけられたかのようにグシャグシャに潰れてしまう。
「うわ悲惨……!」
──この光景を見た車の主は卒倒するに違いない。御愁傷様。そう思った時だった。
不意に、熊がこちらに向かって何かを投げた。
「わっ!」
反射的に頭を引っ込める。直後、建物に大きめの物体が激しく衝突して、ガッシャンと落下した。
さっと下の通路を確認すると、スクラップと化した道路標識が転がっている。
唸り声に顔を上げると、暴走ヴァリエントとバッチリ目が合った。獣は牙を剥いて威嚇してくる。──ムカつく。
「あ?調子に乗んなよーう?」
マスクの下で、ストライクは好戦的な笑みを浮かべた。
あの完全変化したヴァリエント・アニマは、パワーだけでない。気配を察する能力も高いのだろう。
隠れても無駄、と言わんばかりに、次々に手近な物を投げてくる。
ドゴッ、ドゴッという音を聞きながら、ストライクは深く息を吐き出した。
挑発されて応じなければ、礼儀に反する。やる気を漲らせて、建物の影から飛び出す寸前──重要な事を思い出した。
「おっと、連絡しとかないと。忘れる所だったー!」
ホウレンソウ、大事。上司や相棒にしつこく言われてる事だ。一言断りを入れるために回線を開く。
「おーいクロト聞こえるー?対象に攻撃されたから、仕方なく応戦すんね」
『待て!あと三十秒で到着するから、大人しくしてろ!!』
「無理。隠れてたのに見つかっちゃったんだよー」
『待てって………』
やつがなんか喚いてる。うるさい。
ストライクはさっと音量を下げ、今度こそ建物の影から飛び出した。