01-01. 遭遇
亜細亜連合、極東地区の主都イリヤ。極東一の人口を誇る大都市だ。
かつて、《大災厄》により壊滅的な打撃を受けたこの街だが、現在は見事な復興を果たしている。
華やかな大都会へ返り咲き、荒廃していた頃の面影はもはやない。
見渡す限り摩天楼が立ち並び、夜を忘れたかのように、一晩中灯りが街を照らす。
そんなイリヤで、一、二を争う繁華街がこのセイラン・ストリートだった。
普段であれば、昼夜問わずたくさんの人で賑わい、車やエアロモービルがクラクションを鳴らしながら行き交う通り。
それが──今は、しんと静まり返っていた。
街灯や照明が昼のように通りを照らし、ビル壁や屋上の巨大スクリーンから、弾けるように立体広告が流れているのは、いつも通り。
だが、無人だ。
人がいない、というだけではない。道路を走る車も、空中を行き交うエアロモービルも見当たらず、まるでゴーストタウンのような静けさ。
その中を一人──黙々と歩く男がいた。
ボサボサの黒髪で顔は半ば隠れているが、その下に見え隠れする顔立ちは、見ようによっては男前と言えなくもない。
ただし目つきが悪く、全身から近寄りがたい雰囲気が漂う。
服装も独特だった。くたびれた厚手のジャケットにカーゴパンツ、合皮のグローブ。足元に履いた野外用ブーツも含め、どう見ても季節外れである。
だが、本人としては、好きこのんで暑苦しい格好をしてるわけではない。ある事情で仕方なく着ているだけなのだ。
彼の名は、クロト・カガネ。
二十八歳。退役軍人。現在無職。戦場を退いて、のらりくらりと世捨て人のような生活を送っている一般人である。ただ一点、体のほとんどが機械である事を除けば。
彼は来た道を戻り、路上をくまなく観察しながら歩いていた。
──今より三十二分前、セイラン・ストリートの東側、半径二百メートルに退避命令が出た。
偶然ここに居合わせたクロトも、当初は指示に従って、避難する人々の波に乗った。
だが、週末で鬼のような人混みだった上に、パニック寸前の群衆にもみくちゃにされ、いつの間にか首に下げていた金属のタグを失くしていた。
多分、何かにひっかけて鎖が切れたのだろう。
紛失に気づいた時には、もう封鎖線の外に出る寸前だった。設置されたゲートとバリケードを前に、彼はわずかに躊躇した。
誘導に従って安全区域に出るか、危険を承知で、戻ってタグを探すか。迷ったのは一瞬で、彼は戻る方を選んでいた。
道を逸れて小さな路地に入り、物陰に身を隠す。暫くすると人がはけてきたので、彼らとは逆方向──元来た道を戻った。
「…………そういえば、タグの鎖が古くなってたな」
路面を観察しながら一人ごちる。
新しい鎖に替えなかったのは自分の落度だ。だが、軍人時代から肌身離さず身につけていた物であったので、簡単に諦めがつかなかった。
探すにしても、退避が解除された後の人混みの中で、あの小さなタグが見つかるとは思えない。
だが今なら無人だ。好都合といえば好都合、と身勝手な解釈をして、彼は好き勝手に歩き回る事にした。
地面に目を凝らしながら無人の通りを歩いていると、ふと周囲が明るくなった。
立ち止まって頭上を仰ぐ。すると、ビル壁のスクリーンから派手な視覚効果付きで、何かのボトルが飛び出した。最近よく目にする立体広告だ。
それを眺めていたら不思議な感覚にとらわれた。まるで、フィクションでよくある、ディストピアな世界に迷いこんだかのような錯覚。
彼は軽く頭を振って自分の夢想を打ち消す。
ここら一帯が封鎖された原因は、
「完全変化の《遷移者》、か」
小さな呟きが、ポツリと響く。
最近、この極東地区を中心に、突如《遷移者》が完全変化し、凶暴化する事件が相次いで発生していた。
《レイジング・アウト》と呼ばれる一連の事件。この通りが封鎖された原因もそれだ。警察に「完全変化したヴァリエントが暴れている」という通報があった、と避難誘導する警察官が説明していた。
ただ、クロトの場合、凶暴化した《遷移者》相手でも負ける気はしない。軍人時代にアホほど鍛えられたし、彼の戦闘経験はデータとして蓄積されている。
とはいえ、封鎖区域を無闇に歩き回って、わざわざ遭遇したいわけではない。万一、暴走ヴァリエントに遭遇して、対処できなかったら、その時はその時だ。
世の中から人が一人いなくなるだけのこと。
退役以来、クロトは無気力で怠惰な生活を送っていた。戦場を生き延びた彼は、惰性で生きているに過ぎない。
戦う以外役立たず。だが軍に戻りたいわけでもない。……我ながら空虚な人生だ。
「……あぁ、あれだ」
ピッ、と小さな電子音がした。
暗闇をも見通す義眼が、ポツンと落ちているタグを認識する。デジタル処理された視界でマーカーが赤く光った。
鎖を交換するついでに、発信器も埋め込んでおくか……と考えながら、タグに向かって一歩踏み出す。
その時だった。
「!」
────突如、躯体に埋め込まれたセンサーが反応。脳内に警報が鳴り響く。
エネルギー熱量感知。躯体が瞬時に反応する。反射的に横に跳んで転がった。
バシュッ、バシュッ!
一瞬前までクロトが立っていた場所を、四発のブラスターが闇を切り裂くように通り過ぎる。
クロトの鋭い聴覚が小さな舌打ちを拾った。同時に、小さな唸りのような音も。
それは、蜂や蜻蛉が飛翔する時の振動音に似ていた。
索敵。対象捕捉。随分と上にいる。
躯体を沈め、相手が潜むビルの影に向かって跳躍する。
戦いかたは躯体が記憶している。現役時代と変わらぬ動きで、男は銃を撃った相手に肉薄した。
そして、
クロトは目を見張った。
相手もまた、空中で金色の目を丸くした。
攻撃してきた敵対者は────《遷移者》の若い女だった。
「わぁっ!?」
女は驚いた顔で、素っ頓狂な声を上げた。






