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042_太原雪斎の遺言

 この物語はフィクションです。

 登場する人物、団体、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

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 042_太原雪斎の遺言

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 もうすぐ年の瀬という時期。厩橋城内の道場は凍えるような寒さがある。そんな道場で小太郎さんと祐光さんが目を閉じ、額に汗して座っている。


 水が入った桶が、それぞれの前に置かれている。

 祐光さんのほうの水に波紋がふわりと広がる。その波紋が徐々に小刻みになり、激しく揺れ始めた。

 一方小太郎さんのほうはたまに波紋が広がるだけで、祐光さんのような激しさはない。


「はい、そこまで。今日はここまでにしようか」


 俺の声に、二人は目を開けた。

 そして不足した酸素を取り込むように、激しい息遣いをした。


「はぁはぁ……殿。どうでご座いましたでしょうか」

「祐光さんはもう少しだね。小太郎さんはまだ時間がかかりそうだけど、徐々にできるようになっているから時間さえあれば問題ないよ」

「ありがとうございます! 一生懸命励みます!」


 祐光さんの筋はいい。

 小太郎さんはぼちぼちかな。

 二人が何をしているか。それは魔法の練習だね。

 二人は陰陽師の術だと思っているようだけど、俺に陰陽道は分からない。代わりに魔法のことならたくさん勉強したからね。


 祐光さんは元々陰陽道を学びたいと俺のところにきたけど、小太郎さんは忍者としてもっと上を目指すために陰陽道を学びたいと言ってきた。


「何度も言っていますが、あまり根を詰めるとできるものもできなくなるので、俺がいるところ以外では訓練は禁止ですからね。特に祐光さん。貴方の勤勉さは理解しますが、無理をしたら陰陽道を学ぶどころの話ではないので、本当に気をつけてくださいね」


 祐光さんが時間外でも訓練しているのは知っている。だけど魔力を十全に操れない未熟な人が、一人で訓練するのはよくない。最悪は魔力暴走を起こして、肉片に早変わりということになりかねないのだ。


「も、申しわけございません……」


 しゅんと落ち込む祐光さんだけど、こればかりは厳しく言わないとね。


「それじゃあ、道場の掃除をお願いしますね」

「はい。承知しました」


 俺が立ち去ろうとしたら、小太郎さんの気配が動いた。

 俺は小太郎さんの肩をがしっと掴む。


「いつも祐光さんばかりに掃除をさせてますよね。真面目にやってくださいね、小太郎さん」

「……分かった」


 今の俺は小太郎さんにとって師匠だ。師匠のいうことは聞かないとね。それ以前に上司ポジションだけど。

 まったく、やんちゃな学生じゃないんだから、そのくらいやってよね。


 道場から出た俺は、屋敷の広間に入った。


「お待たせしました」


 待っていたのは爺やさんと藤吉郎さん、それと伊勢守さんだね。


「ご無沙汰しております。師匠」

「お久しぶりですね、伊勢守さん」


 伊勢守さんも自分の城があるから、領内を治めるのに苦労しているようだ。


「それで今日の話は開墾のことでいいのですか?」

「はい。某の領地も師匠のところのように開墾したく存じます。ですが某は剣術馬鹿で政のことは不得手。師匠にお知恵をお貸しいただければと思った次第にご座います」


 事前に手紙をもらい、伊勢守さんの苦悩は知っている。

 名目上は俺の家臣ということになっているし、俺を師匠と呼んで頼りにされている。

 手を貸すのはやぶさかではないが、開墾は俺よりも爺やさんと藤吉郎さんのほうがよく分かっているからね。


「爺やさん。伊勢守さんの領地の開墾について、考えを聞かせてもらえますか」

「さればでございまする。桃ノ木川の治水を行うべきかと存じます」


 上泉城は厩橋城のほぼ真東にあり、そのすぐ横を桃ノ木川が流れている。

 桃ノ木川の治水工事を行い、上泉城周辺の開墾に必要な水を確保するというのが爺やさんの案だね。

 上泉城の周辺は平地だから、農業用水があるとかなりの収穫が見込めるだろう。利根川から水を引いてもいいけど、それをすると結構大がかりになるか。


「あとは藤吉郎が行っているように、田圃の形を四角にし、植え方を指導すればよろしいかと」

「治水は俺のほうでします。開墾は藤吉郎さんに任せますが、伊勢守さんの領内で人手を出してください。銭はこちらが出しますので」

「銭までお世話になっては申しわけなく」

「いいですよ。今年は米を売ったおかげで、銭が余っていますから」

「しかしあまり伊勢守殿を優遇すると、他の国人たちがやっかみますぞ」


 家臣の領地の開発に銭を出して何が悪いのよ。


「いいじゃないですか。ついでに小太郎さんのところも開墾しちゃいましょうか。ね、小太郎さん」


 障子が少しだけ開いた。


「任せる」


 その一言を言ったら、障子が締まった。おいおい。





 ▽▽▽ Side 今川義元 ▽▽▽


 甲斐の武田は信濃を取りあぐねている。

 信濃の佐久郡と小県郡を新田に押さえられ、そちらからの侵攻に備えなければいけない中で信濃の残った土地を攻めているが、戦力が分散することで攻めきれていない。


 関東の北条も武蔵の北部を新田に押さえられ、下総に軍を出すどころではなくなった。しかも先の古河公方を小田原に軟禁しておるとか。

 その先の古河公方の娘婿が武蔵北部を押えている新田の奥に収まっておって、殺すに殺せん。もし先の古河公方を殺せば、新田に敵討ちという名目を与えてしまうからの。


 甲相駿の三国同盟、はやまったやもしれぬな。

 せっかく織田信秀が死に、尾張への圧力を増しているというのに武田と北条が揺れては、これ以上は難しい。

 両家のどちらかが倒れれば、この駿河が新田領と繋がる。繋がらなくても新田寄りの者が統治するようになったら、せっかく同盟して後方を安んじた策がおしゃかではないか。まったく……。


 頼みの雪斎和尚は寄る年波によって、最近は床から離れられなくなってきた。もう長くはないであろう。こんな時に、雪斎和尚に相談できぬのは痛いわ。


「お屋形様」


 儂が思案していると、近習の声がした。


「何事か」

「太原和尚様がお越しになりましてご座いまする」

「何、和尚が!? すぐに通せ」

「はっ」


 床から離れられない和尚がこのような寒い中、わざわざやってきた。

 火鉢の火を大きくした。駿河は比較的暖かい気候だが、それでも師走の寒さは堪えるでな。


 和尚が部屋に入ってきたが、その姿は以前の記憶にある和尚ではなかった。頬がこけてかなり(やつ)れた姿だ。

 こんな状態でわざわざやってきたのだ。ただ事ではないと、佇まいを正す。


「和尚。無理をしてはいかぬぞ」

「老い先短いこの命にご座いますれば、最後のご奉公に参上仕りましてご座いまする」


 声はかすれ、息も絶え絶えの和尚からは、命を懸けた必死さが伝わってくる。


「何を言われるか。和尚にはまだまだ儂を支えてもらわねばならぬのだ」

「拙僧の命はあとわずか。これは御仏がお定めになったものにて、俗世の者に抗うことなどできましょうか」

「和尚……」


 いかん。堪えようとしても涙が溢れ出て来るわ。

 儂にも人並みの感情というものがあったのだな……。


「これは拙僧の遺言だと思い、お聞きくだされ」

「そのような弱気ではいけませんぞ」

「芳菊丸様……いえ、治部大輔様。新田と同盟されませ」

「なっ!?」


 当家は武田と北条と同盟したばかり。それを新田と同盟しろとは、いくら和尚の言葉でも納得がいかぬわ。


「新田と同盟し、北条と武田と手を切るのでご座る」

「そんなことをすれば、今川は不義理の家と誹られましょう」

「汚名はいずれ晴らせますが、滅んでしまってはそそぐ汚名もなくなり申します」

「っ!?」


 和尚はそこまで新田を恐れておるのか?

 たしかに噂に聞く新田の赤鬼は、人知を超えた存在のようでならぬ。だが、今川はまだ負けたわけではない。それを不義理を犯してまで、新田にすり寄るなどできぬ話だ。


「拙僧の命を懸けた最後の忠言なれば、なにとぞ、なに……とぞ……お聞き……入れを……」

「和尚!?」


 和尚が前のめりに倒れた。


「誰かある! 和尚! しっかりするのだ、和尚!」


 和尚はなんとか一命をとりとめたが、もう長くはないであろう。

 和尚の言葉は重い。儂にとってはお釈迦様の言葉より重い。

 だが、承服できぬ言葉だ。

 どうすればいい。どうしたらいいのだ……。


 

ご愛読ありがとうございます。

これからも本作品をよろしくお願いします。


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