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025_典厩の憂鬱

 この物語はフィクションです。

 登場する人物、団体、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

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 025_典厩の憂鬱

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 ▽▽▽ 武田信繁(典厩) ▽▽▽


 ため息しか出ぬわ。上野勢が攻めて来たのだが、佐久郡の小田井原で対峙した多田淡路守殿の軍は一戦もせずに降伏した。佐久郡の国人たちも皆が新田に降った。

 その話を聞いたのであろう、真田弾正忠を始めとした小県郡の国人衆が皆新田に下った。崩れる時は、なんとあっけないものか。


 そのことを聞いた兄晴信は、烈火のごとく怒った。佐久郡と小県郡を手に入れるのにどれだけの年月と血が流れたか。上田原の戦いでは兄の両腕とも言うべき板垣駿河守と甘利備前守を失った。あの戦いでは兄も傷を負う大敗だった。

 それほど苦労して手に入れた佐久郡と小県郡をたった一日で失ったのだ。それを考えると兄の怒りも頷けるというもの。


 伝令から淡路守が降伏したことを聞いた後、我らは佐久郡に軍を進めた。そんな我らが目の当たりにしたのは、重厚な石の防壁を備えた城だった。


「なんじゃこれは……」


 兄の呟きは、そのまま儂の心情でもあった。

 上野勢は何をしたのだ? こんなところに城はなかったはずだ。いや、その昔に木曾義仲公が築いた蟻城があった場所だから、その名残が多少はあった。なのになんで城が建っている? しかもあの防壁はなんだ? あんな防壁見たこともないわ。理解が追いつかぬ。


「城が佐久往還を見下ろしておる。勘助。あれを攻めることはできるか」

「このような城は初めて見ましてございまする。さすがにどのように攻めるか、見当もつきませぬ」


 勘助でも見当がつかぬか。儂もまったく思い浮かばぬわ。


「退くぞ」


 兄が短く発した。


「戦わないのですか」

「あの城にどれだけの兵が入っておるか、典厩は知っておるか」

「……まったくもって存じませぬ」

「分からぬものに手を出してはならぬ。先ずはあの城のことを探ることからじゃ」


 道中怒っていた兄だが、このように切り替えて冷静な判断ができる。だから何度もあった危機を乗り越えてここまでやってこられたのだ。




 躑躅ヶ崎館に帰着した兄は、儂と勘助だけを自室に入れた。


「勘助。佐久郡を取り戻す手はないか」

「……さればでござりまする」


 勘助は地図を開き、徐に佐久郡と小県郡の上に×を書き入れた。


「この二郡は捨てましょう」

「何だとっ!?」


 兄が目を吊り上げた。


「新田は強うございまする。あの多田淡路守殿を戦わずに降らせる恐ろしさと、あのような城を短期間に築くだけの人員と技術がありまする」


 兄がぐぬぬぬと奥歯を噛みしめる。その気持ちは痛いほど分かる。だが、儂も勘助の提案に賛成だ。口惜しいが、あれは手を出していけない相手なのだ。


「それに新田の赤鬼でござります。我らは誇張にすぎぬと高を括っておりましたが、あの噂は本物。そう考えるべきでございましょう」


 兄が怨嗟のこもった唸り声をあげ、腕を組んだ。


「多田淡路守殿と原隼人佑殿の家族を解放されませ。相手が悪かったのであって、両名に罪はありませぬ」

「戦わずして降伏した者を許せと言うのか」

「それほどに赤鬼殿が化け物ということなのでしょう。聞けば帝の御前にて、刀で大岩を切ったとか。その力は人ならざるものなのだと考えるのがよろしいかと」

「……分かった。典厩、両名の家族を解放するように」

「はっ」


 正直言って、両名の家族を殺すのは気が進まなんだ。胸をなで下ろしたわ。


「さらに新田とは和議を結びましょう」

「されど、今となっては和議も簡単ではないであろう」


 儂が口出しすると、勘助は頷いた。


「そこで幕府に動いてもらいましょう。いや、朝廷のほうがよろしゅうございまするな」

「三条家を頼るのか」


 兄の継室は左大臣三条公頼様の姫。左大臣様としても武田が没落するのは不本意のはずだ。必ず朝廷を動かしてくだされるであろう。


「新田の赤鬼は帝から直々に剣聖の称号を与えられたとか。それだけ朝廷と繋がりが深いと思われます」

「なるほど」


 だが、それでは佐久郡と小県郡を手放すことになる。兄上はそれに納得しまい。兄の顔がどんどん険しくなっていくのが分かる。


「佐久郡と小県郡を新田にくれてやるのか」


 低く重い声だ。


「さにあらず」


 勘助が地図を見つめ、今川領の駿河、北条領の相模、そして我らが甲斐を順に指差した。


「治部大輔から提案があった甲相駿の三国同盟か」


 昨年のことだ。駿河の今川治部大輔殿から使者があった。治部大輔殿は武田、北条、今川で同盟をせぬかと言って来たのだ。今川はともかく北条とは長年戦ってきた間柄だったが、兄はそれを受け入れた。


「三国同盟は当家の後方を固めるだけではございません。上野は何度も北条の侵攻を受けた場所。つまり当家が佐久郡と小県郡に攻め入る際は、北条が上野へ攻め込む約定を交わすのです」


 なるほどそれであれば、新田は信濃で当家と、上野で北条家との二正面作戦を取らざるを得ない。だが……。


「新田の赤鬼が出てきたら当家だけが大きな被害を被るではないか」


 儂の質問に勘助がニヤリと口角を上げた。勘助は人相が悪い上に隻眼。駿河の治部大輔殿がその異形を嫌い召抱えようとはしなかったと聞いている。その勘助が悪い顔をしているということは、なんぞ悪だくみがあるのだろう。


「赤鬼殿が仕えるのは、新田上野介殿。その上野介殿がおられるのは、新田郡金山城。信濃とは真逆の方向にございまする。そして赤鬼殿が優先するのは、間違いなく上野介殿でございましょう」

「うむ。その通りだ!」


 兄上が我が意を得たりと、膝を打つ。

 儂でも分かる。選択とその結果だ。新田の本拠地金山城は武蔵や下総が近い。赤鬼殿は上野介殿を守るために、北条との戦いを優先するであろう。その間に我らが信濃を取り戻すのだ。

 北条家には悪いが、我が武田が大きくなるために赤鬼殿を引き受けてもらおう。


「しばらくは雌伏の時、我慢のしどころでございます。三条家経由で朝廷を動かし和議を結び、時を待ちまする」

「うむ。典厩、直ちに左大臣殿に使者を送るのだ」

「承知しました」


 わずかだが光明が見えた気がする。勘助の策がなれば、我らは佐久郡と小県郡を取り戻せるであろう。だが、新田の赤鬼が我らの想像をはるかに上回る化け物であったら、武田は滅ぶことになるかもしれぬ。

 今後の舵取りは細い綱の上を渡るがごときだ。少しでも間違えれば、武田は滅ぶ。儂は兄を助け必ず家を残す。そしてさらなる隆盛を迎えてみせる。そのためには修羅にもなろう。




 左大臣様のお骨折りもあって、朝廷から使者が出たと報告があった。和議の条件として、佐久郡と小県郡の領有を認めるしかないだろう。業腹だが、認めざるを得ん。


 我らは直ちに今川、北条、武田の三国同盟を進めることにしよう。昨年は今川の姫が当家の嫡男義信に輿入れした。

 今年は当家の姫が北条に輿入れした。元々は北条の嫡男の氏親に嫁がせる予定だったが、急逝してしまったため新しく嫡男になった氏政に嫁いだ。

 あとは北条の姫が今川に輿入れする。これで婚姻による甲相駿三国同盟が成立することになる。


 ほっと胸を撫で下ろしていたところに、凶報が舞い込んで来た。


「新田が武蔵に攻め入っただとっ!?」


 こんな時に新田は武蔵に侵攻だと。今は落ち着いているが、信濃で我が武田と戦うことになるかもしれぬというのに、新田は何を考えているのだ。


「兄者!」


 儂は兄晴信の部屋に入った。すでに勘助がおったわ。


「新田のことか」

「はい」


 兄が苦虫を嚙み潰したような表情をする。まさか信濃で武田と争っている時に武蔵に攻め込むとは思わなかったのは、儂だけではないようだ。


「如何いたしますか」

「どうにもできぬ。今ここで北条に援軍を出せば、左大臣殿に骨を折ってもらった信濃の和議がならぬ。それは左大臣殿の顔を潰すことになろう。それにまだ三国同盟はなっておらぬ。小田原が攻められたのであれば別だが、今は様子を見るしかないであろう」


 新田がどこまで攻めるか。儂らはそれを見守るしかないのか。


「なんともじれったいものよ……。勘助、北条は大丈夫であろうな」


 儂の言葉に勘助は表情を曇らせる。新田の動きが読めないのだろう。

 上野は元々豊かな国だが、せいぜい五十万石。それに対して武田は甲斐と信濃で五十万石以上。国力はほぼ互角だった。佐久郡と小県郡を取られたのは痛いが、それでも現時点では大きな差ではない。こういうものは後からじわじわ効いてくるが、今は持ちこたえられるだろう。

 当家とほぼ互角の国力でありながら、当家以上の国力を持つ北条を攻めるとは何を考えているのか。


「新田がわざわざ二正面作戦を取った。この思惑、勘助はなんと見るか」

「おそらくですが……最初から佐久郡と小県郡のみ得た後は、防衛に専念するつもりだったものと思われます」

「防衛に専念……それであの蟻三城か!?」


 佐久往還を見下ろすように築かれた蟻三城は、西城、南城、北城の三つの城からなる堅牢な城だ。巨大な石の防壁に守られた山城は、明らかに武田への備えである。


「武田が攻めて来てもあの堅牢な城で持ちこたえ、赤鬼の来援を待つ。赤鬼一人で数万の大軍と同等……。たった一人ですから武蔵から駆けつけたとしても、それほどの時間はかからない。というところでしょうか」


 儂は開いた口が塞がらない思いだった。それが事実であれば、儂らは何もできないではないか。


「三国同盟……早まったやもしれませぬ」

「勘助っ!?」


 儂は思わず叫んでしまった。


「同盟するなら、新田であったか……」


 兄上が絞り出すように声を出した。


「今からでも遅くはござりませぬぞ。越後は内乱中にございます」


 我ら武田の悲願は海を得ること。南は今川がいることで、出ることを諦めた。だから北へと進んだのだ。今ならまだ海への道は閉ざされていない。佐久郡と小県郡を取られても、越後や越中へ進むことは可能だ。


 さて、我らはこれからどの方向へ進むべきなのか……。




 ※ 人物名

 真田弾正忠 : 真田幸綱(幸隆)


 

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[一言] このまま歴史が進むと大江山の伝説も本当にあった話になりそう
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