024_武田晴信はぷっつんした
この物語はフィクションです。
登場する人物、団体、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
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024_武田晴信はぷっつんした
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▽▽▽ 原隼人佑(原昌胤) ▽▽▽
三年前に家督を継いで信濃侵攻でそれなりに戦功を立てた儂は、現在多田淡路守殿の副将として上野勢と対峙している。
上野国主の新田上野介殿を、殿(武田晴信)が暗殺しようとしたというのが侵攻の名目だ。殿は使者に対して知らぬと言い張ったが、儂はやっていると思うておる。殿ならそういうことをしていても、儂はまったく不思議には思わないからだ。
上野勢は三千五百。対する我ら武田軍は三千。戦力はほぼ互角。地の利がある我らのほうが有利と言えるだろう。
六年前の関東管領軍との戦いでは、この小田井原の地で見事に大勝利を収めた。儂は参戦しておらなんだが、あの戦いを知っている将兵は多い。さらに大将の淡路守殿は小田井原の戦いにおいて、抜群の働きをされた方だ。本来であればこの戦いに憂いはない。
視線の先に布陣する上野勢から、一人が進み出て来る。血に染まったかのようなその者の姿は、足軽たちを動揺させるに足る威容である。
「あれが新田の赤鬼か」
淡路守殿が呟いた。厳しい目であの赤備えの者を見つめている。
新田の赤鬼。堅城で名高い金山城を一刻で落とし、二万からなる関東管領・越後連合軍を壊滅に追いやった新田家の守護神。そんな話は尾ひれはひれがつくものだが、話半分で聞いたとしても比類なき戦功だろう。
そんな御仁と戦えるのは武人の誉れというものだ。
「我は新田上野介が義弟、賀茂忠治! 義によって武田を討ちにやって来た。命が惜しい者は今すぐこの場を立ち去るがいい!」
二町は離れているが、儂の耳にまで届いた。よく通る声だのぅ。
しかしまさか本当に一人で出て来るとは思わなんだ。一騎討を望むのかと思うたが、そうではないらしい。本当に勧告するだけのようだ。
「淡路守殿。いかがしますか」
「噂が本当だと信じ込ませようとしておるのであろう。我らがそれにつき合う必要はござらん」
それもそうか。儂も噂に引っ張られて、しなくてもいい警戒をしていたのかもしれぬ。
「せっかくだ、あの赤鬼に目にものを見せてやろうぞ」
淡路守殿は軍に前進の指示を与えた。
我らが押し出しても赤鬼は、まるで慌てることはない。なぜ平然としておられるのだ。もしや別動隊がいるのか。
「淡路守殿。別動隊を警戒されてはいかがか」
「ふむ。隼人佑殿の言う通りだな」
淡路守殿は別動隊を警戒する物見を出すように指示された。
赤鬼まで半町となったところで、矢を射かける。赤鬼は矢が降ってきても、微動だにしなかった。
「なっ、馬鹿な……矢を弾きおった」
あの赤い具足は、矢を全て弾いた。なんと強固な具足なのか。
「愚か者めがっ!」
赤鬼が吠えた。その怒鳴り声に、不覚にも身を固くしてしもうた。なんという殺気なのか。これが赤鬼なのか。
儂は身を固くしただけで済んだが、足軽たちは尻餅をつく者、気を失う者が大勢出た。半数以上が戦闘どころではなくなった。なんということだ……。
赤鬼がゆらりと動きだした。一歩一歩、まるで死が近づいてくるような恐怖を感じた。そんな赤鬼が肩に担いでいた真っ赤な棍棒をザンッと振った。その刹那、我らを囲むように炎が立ち上る。
「なっ!?」
横で淡路守殿が絶句し、目を白黒させた。恥ずかしながら儂は何が起きているのかさえ分からぬ。
なんだと言うのだ。我らは何と戦っているのか。いや、戦いにさえなってないのではないか。
その炎はまるで地獄の釜を思い起こさせる。これはまるで地獄の業火に焼かれる罪人で、あの者が……鬼。だから赤鬼なのかっ!?
儂らは本物の赤鬼と対峙していたのか。馬鹿な、そんなことが……。
「あ、淡路守殿……。我らは夢を見ているのでしょうか」
「ここまで伝わってくる熱気に嘘はないだろう……」
「では、我らは……あの者は本物の赤鬼なのか」
「分からぬ。分からぬが、どうやら我らは死地に立たされているようだ」
業火に囲まれ、退くことはできぬであろう。唯一開いている場所には赤鬼が仁王立ちしておる。どうすればよいのだ。
赤鬼が動いた。その動きに合わせて足軽たちが道を作る。この光景を見ると戦いどころではないと痛感させられる。
淡路守殿も指揮を執ることを諦めているようだ。まるで死を待つ年老いた者の表情に見える。こんな光景を見たら、諦めたとしても誰も咎めないであろう。
赤鬼がとうとう儂らの前に立った。わずか二間ほどの距離だ。
「降伏しろ。さもなければ皆殺しだ。骨も残さず焼き払ってくれる」
背中に雪を突っ込まれたような寒気を感じる声だ。気づいたら膝を折っていた。儂はあまりの恐ろしさに立っておられなかったのだ。
こんなことが、こんなことが……。儂はもう武士としてやっていけぬ……。
その横では淡路守殿が気丈にも立っている。だが足が小刻みに揺れているのが見て取れた。火車を退治したと聞いたことがあるが、その淡路守殿でもこの赤鬼の前では生まれたての小鹿のように足が震えている。
「どうした、お前は降伏しないのか?」
「わ、儂はっ」
トン。赤鬼が棍棒を淡路守殿の肩に下ろした。
「お前の返答次第で、ここにいる者全ての運命が決まる。心して答えろよ」
恐ろしい。かつてこれほど恐ろしいと思ったことはない。あの噂は本当だったのだ。殿は手を出してはいけない相手に手を出してしまったのだ。武田の命運もこれまでか……。
淡路守殿が崩れ落ちるように、膝をついた。今ので心が折れたようだ。我らがどれだけ足掻こうとも、赤鬼からすれば蟻を踏みつぶすよりも容易く蹴散らすことができるのであろう。
▽▽▽ 武田晴信(信玄) ▽▽▽
上野の新田が攻めてきた。儂が送った暗殺部隊が失敗し、こともあろうか儂のことを吐いたらしい。捕縛されるくらいなら死ねと申しつけておいたが、あ奴らは捕縛された上に儂の名を出しおった。不忠者どもめ! あ奴らの家族を捕らえ、皆殺しにしてくれるわっ。
新田からの使者には知らぬ存ぜぬを通したが、宣戦布告して帰っていきおった。上野をまとめ上げた手腕を評価してやったが、調子に乗りおってからに。その天狗のように伸びた鼻をへし折ってくれるわ。
儂はすぐに多田淡路守に備えよと命じた。副将に原隼人佑を配す。隼人佑は家督を継いだばかりで若いが、見どころのある男だ。血気に逸るところはあるが、勇猛果敢だと思えば頼もしい。淡路守の下につければ、これからのためにもなろう。
新田からの使者が帰ってからほどなくして、新田が攻めて来た。予め新田が攻めて来た時のために、甲斐と諏訪の国人には準備をさせておいた。宣戦布告などするから対策する時間を与えるのだ。
戦は詭道であると、孫子も云うておる。それすなわち相手の意表をつくことである。これだけ見ても新田は甘い。まさか孫子の兵法を知らぬのではないであろうな。ははは。もしそうであれば、新田など簡単に踏みつぶすことができるわ。
信濃を統一したら上野を盗るとするか。本当は海が欲しいのだが、上野が北条に食われる前に儂が盗ってやるわ。上野は平野部があり裕福な土地だ。食糧が乏しい甲斐で苦しみ尽くした我らにとっては、刈り取り場でしかない。
甲斐から五千五百、諏訪から一千五百、合わせて七千。
敵は三千五百と聞いたが、それは先遣隊にすぎぬであろう。後詰として五千は見ておくべきだ。
こちらはそれを上回る戦力を用意する。戦というものは敵よりも多くの兵を用意しなければならぬ。これも孫子の兵法よ。
上野の国人を調略しておるが、今のところ色よい返事はない。儂につけばよいものを新田のような泥船に乗りおって、先見の明がない奴らばかりだ。
だが、今回の侵攻を防いで大打撃を与えれば、愚か者どもの目も覚めよう。どの家につくのがよいか、思い知らせてくれるわ。
戦支度を整え、いざ出陣となった時だった。早馬が駆けてくるのが見えた。前線で動きがあったのであろう。儂は伝令を通すように命じた。
「申しあげまする! 多田淡路守様率いる部隊が小田井原にて上野勢に降伏!」
「………」
今なんと申した? 儂の聞き間違えか?
じわじわとその言葉が儂の体に染み渡っていく……。
「なんじゃとっ!?」
思わず叫んでしもうた。なんということだ。あの淡路守が降伏だと? あ奴は降伏するなら討死を選ぶような男だ。いったい何があったのだ。それに隼人佑はどうした!? 他の国人たちは!?
「戦はどうなったのだ? どれほど上野勢に打撃を与えたのだ!?」
唾を撒き散らして叫んでいた。怒りが抑え込めぬ。これほどの怒りは上田原の戦いで駿河守や備前守が討死した時以来だ。
「戦いは行われませんでした」
「はぁ?」
「上野勢と対峙した際、新田の赤鬼がたった一人で進み出るとお味方の将兵の多くが倒れ、さらには軍勢を炎が囲み……お味方は戦うことなく降伏してございまする」
「ば……」
怒りが込み上げてくる。
「馬鹿も休み休み言えっ!?」
思わず伝令を蹴ってしまった。
何が赤鬼だ! 何が炎だ! そんなものあるわけないであろうがっ!!
「そんなまやかしに淡路守は降伏したと言うのか!! あの愚か者めは何をやっているのか!!」
激高して刀の柄に手をかけたところで、弟の典厩に腕を掴まれて止められた。
「御屋形様。落ちついてくだされ。お主も下がれ。早う、いね」
面食らっていた伝令が慌てて走り去る。
なんたることか。戦って負けるならまだしも、一戦もせずに降伏など武田の名折れ。おのれ、淡路守。絶対に許さぬぞ!
※ 長さの目途
・一町 : 一〇九メートルくらい
・一間 : 一八〇センチくらい
※ 人物名
・駿河守 : 板垣信方
・備前守 : 甘利虎泰
・典厩 : 武田信繁
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