化身
破滅を齎す火球を振りまく香り車の渦巻く炎が、崩壊していくアールーマヤの都を照らす。
振り下ろされた正義の鉄槌、邪悪を清める粛清の炎。
繰り広げられる虐殺と溢れる死に、ナダールの騎士たちは歓喜し、愛する者たちの幸福を祈る。
止めどなく降り注ぐ無数の炎の塊が、新たな嘆きと悲しみを、破壊と死を以てアールーマヤの都に撒き散らしていく。
そして、それは起きた。
熱狂の歓声が沈黙に支配される。
悲鳴も、嘆きも、崩壊していく響きでさえも、火球の奏でる破滅の歌のその全てが、音を無くす。
時が止まったかの様な静寂───ナダールの騎士たち、逃げ惑う都の人々、そこにいる誰もが空を見上げ、そう思った。
都を破壊するはずだった火球は空に縫い止められ、おぞましく蠢いていた炎の渦は凍りついた様に動きを止めた。
ナダールの軍勢を覆っていた静寂に、戸惑いと響めきが湧き上がった時、火球が動く。
ひとつ、またひとつと、空に繋ぎ止められていた火球が震え始めそして一斉に、ナダール軍へと襲いかかった。
空を埋め尽くす火球はまるで意志を宿しているかの様に、ナダールの軍勢めがけて降り注ぐ。
火球の切り裂く大気の悲鳴と大地を震わす爆音が、肉片となって砕け散る騎士たちの絶叫を掻き消していく。
ナダールの騎士たちに逃げ場は無い。
何が起こっているのか理解出来る者は誰もいない。
騎士たちは見た、降り注ぐ火球の合間に。
人々は見た、炎の渦の浮かぶ黒雲の空に。
神々しい光を放つ、白銀に輝く巨大な龍の姿を。
ナドアルシヴァは震撼した。
軍の主柱である魔導騎士部隊の発動する防御障壁により、かろうじて空から襲い掛かる火球を遮りながら、ナドアルシヴァは眼前の光景に慄く。
巨木の枝を思わせる角を持ち、白い炎のたてがみを揺らめかせる白銀の龍が、稲妻の迸る曇天に巨躯を畝らせている。
「あれは……あれは一体何なのだ⁉︎ 何が起こっているというのだ!?」
己の放った決死の自決攻撃、吹き荒れる爆裂の嵐がナダール軍を打ち崩す。
撤退を余儀なくされたナダール軍は、瞬く間にその数を減らし退いて行く。
その様子は、前線より遥か後方に陣を構えるイザベラの目にも入った。
「あ〜ら〜?……良いじゃないイイじゃない? なんかエライ事になってるみたいよ〜?」
「うわ〜……なにか失敗でもやらかしたのか? 自分で撃った香り車、てめえで食らっちゃってるよ……んで、何なんだあのデカいのは?」
アールーマヤの都の上空、動きを止めた炎の渦の周りで白銀の巨躯をうねらせる龍の姿に、ウジェーヌが首を傾げる。
「龍じゃねえのか? 本当に居たんだな」
「龍って、あの龍かよ!? 実在すんのかよ龍って!……すげーな!……マジですげーな!」
「ガキか!」
ナダール軍の凄惨な情況を他所に、龍の姿を目にして子供の様に興奮するウジェーヌに、ドラクロワは一言そう吐き捨てると、惨状を眺めながら、真っ赤な唇を吊り上げるイザベラに問い掛ける。
「で、イザベラよ、やっこさん泡食っててんやわんやだ……肝心の魔導大隊は居ねえ様だが……こいつは好機なんじゃねえのかい?」
ドラクロワのその言葉に、イザベラは黙ったまま馬に跨ると「これからあたしらは突っ込む。ドラクロワ、頼んだわよ」とだけ言って、タハウィーロウの戦士たちへと向き直り、咆哮を上げる。
「お前たち良く聞きな! 今こそ恨みを晴らす時だ! 全てを奪い去ったナダールを皆殺しにする!」
イザベラの号令に、タハウィーロウの戦士たちが大地を震わす怒号で答える。
剣と盾を打ち鳴らし、猛々しい雄叫びを上げて復讐の到来に熱狂する。
タハウィーロウの戦士のその多くは、ナダールの邪教徒狩りによって親族を、国を失っていた。
憎きナダールを倒す───その強い信念の元形作られた集団、それがタハウィーロウであった。
「お前たち! あたしについてきな! 突撃ー!」
矛を振りかざし馬を駆けるイザベラを先頭に、復讐に奮い立つ五千の軍団が、崩壊を始めた十万のナダール聖騎士軍へと向かって猛進する。
堆積された恨みと悲しみは闘志へと昇華し、燃え上がる怒りは雪崩となってナダール軍を目指す。
しばらくの間、突撃していく戦士たちを見つめていたドラクロワが「さあて、うちらも一丁やるとするか」と言って魔導弓『麗しき戦慄』を手に取ると、ウジェーヌが口を開いた。
「おいドラクロワ、あの龍、見てみろよ」
ウジェーヌにそう言われ、白銀に輝く龍へと視線を向けたドラクロワは小さく、呟いた。
「今度は一体……何が起きるんってんだ……?」
ドラクロワの視線の先、都の上空に浮かぶ白銀の龍が、白く煌めく息を吐きながら、動きを止めた炎の渦の周りを旋回している。
朱赤と紅蓮に渦巻いていた炎の渦は、龍の吐く息に染まる様にして徐々に色褪せ、白く白く、凍りついて行く。
軋む音をたてながら氷結していく炎の渦は、瞬く間に純白の氷塊と化し、その表面を次第にひびが覆い始めた。
葉脈の様に伸びるひびが隅々まで行き渡ると、白銀の龍はふわりと離れ、両腕を広げる。
開かれた腕の間に光が集まり、やがて球体となった光は、すうっと、凍りついた炎の渦へと吸い込まれた。
空全体に稲妻が迸り、雷鳴が鳴り響く。
次の瞬間、凍てついた炎の渦は、ぱりんと透き通った音と共に、粉々に砕け散った。
氷の塵となった炎の渦はきらきらと、煌めく吹雪となって空を覆い尽くす。そして、天空をうねる白銀の龍と、すぐ真下でそれを見上げるペダリエイシーを包み込んだ。
「メドウス……メドウスなのか!?」
ペダリエイシーの問いに、龍は答えない。
揺らりと身体を起こした龍は、ゆっくり周囲を見渡すと、火球によって打ち砕かれ、もはや軍隊としての体を成さないナダールの軍勢に、その瑠璃色に輝く双眸を留める。
そして、音が響き始めた。
痛々しいまでの悲歎の嘆き、泣き崩れるメドウスの叫びを思わせる悲しみに満ちた音が龍の口から響き、その音と共に一閃の光が、ナダールの軍勢に向けて放たれた。
一瞬の後、大爆発がナダールの騎士たちを襲う。
光線の放たれた領域は蒼白い炎を吹き上げ、爆裂の中でナダールの騎士たちが粉々に砕け散る。
龍は、閃光を放ち続ける。
地上を死と絶望が埋め尽くし、天空には悲しみと怒り、怨みに満ちた龍の嘆きが響き渡る。
そしてその嘆きの声は、天空を切り裂いた。
地鳴りの様な音を響かせながら、空に亀裂が広がって行く。
その光景はペダリエイシーに、これから訪れる惨劇、更なる絶望を知らせた。
─────結界が……破れる……!




