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賢者が恋した賢者の恋  作者: 北条ユキカゲ
第三章 イムラン悲愴曲
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悲怨

 炎の雨を降らす煉獄の渦は消えた。

 それは合図だった。


 アールーマヤの都を取り囲むナダールの軍勢が一斉に、殺戮を齎す津波となって都へと押し寄せる。



 ────始まってしまった……



 逆らう事の許されない宿業から逃れる術は無く、エリヤは、信仰という鎖に繋がれそこにいた。


 エリヤは進むしかなかった。たとえそれが罪深い誤ちだと分かっていても。


 殺戮へ向かって恙がなく行進する大軍団の中、運命に押し流されるエリヤの耳に轟音が届く。


 突如響き渡ったその音に、正義の行進が俄に滞る。


 エリヤが空を見上げた瞬間黒い影が上空をかすめ、轟音を引き連れ瞬く間に遥か彼方へと遠ざかって行った。


 突然の出来事にナダールの軍勢は一瞬たじろいだが、聖なる使命に燃える信念は揺るがない。


 その黒い影は、未来も、運命も、何も変えてはくれなかった。


 大軍団は乱れる事無く進んで行く。


 ナダール聖騎士軍によるアールーマヤへの総攻撃が開始された。


 

 それはまるで、獲物に群がる蟻の大群の様であった。


 大地を覆い隠すナダールの大軍勢が、都へと迫る。


 都西を目指し空を駆け抜けるペダリエイシーは、地上に広がるその光景に怒りを(みなぎ)せて呟いた。



「何という数だ……!」



 一目で、今都に残されている戦力では退ける事の出来ない攻撃である事が分かる。


 直ちに応戦しなければ、都の中まで攻め込まれるのは時間の問題だった。しかし、今ここに留まって敵を迎え撃つ訳にはいかない。

 

 ペダリエイシーは苦渋の表情を浮かべて前方へと視線を戻す。爆煙に覆われる都西の空が霞んで見えている。



 ────アルカイル……生きておれよ……!



 立ち込める煙を切り裂き高度を落とす。

 荒廃する街の姿が広がりはじめ、そして、凄惨が(あらわ)になる。


 破壊し尽くされた都西の街は跡形もなく崩れ去り、瓦礫だけが残されている。


 何もかもが失われた破滅の世界。炎ですらその拠り所を無くし消えて行く。


 そしてその絶望の情景は、更なる変貌を見せた。



「着陸準備!……アルカイルは……ここに居る……!」



 メドウスの返事は無い。沈黙と共に漆黒の船が地上へと降りる。


 そこには瓦礫すら無かった。

 焦土と化した地面は抉られ、巨大な陥没が口を開けている。


 焼き尽くされ、灰と化した日常がひらひらと、僅かに落ちる糸雨(しう)に混じって粉雪の如く舞っている。


 懐中時計を握りしめ、メドウスはその光景の中にアルカイルの姿を探す。


 震える。息が上手く出来ない。

 手も足も、己を形作る全てが、心の奥底から溢れ出す絶望に耐え切れず正常を失う。


 それでもメドウスは進む。


 感覚を無くした足を、一歩ずつ。涙に(にじ)(うつ)ろな視線を破滅の中に漂わせ、奇跡などより僅かな(のぞみ)(すが)る思いで進んで行く。


 そして、その瞳は捉えた。


 揺らめく煙の向こう、右膝をつき、地に突き立てた剣に寄り掛かるアルカイルの姿を、メドウスの瞳が確かに捉えた。


 メドウスはゆっくりと歩み寄る。歓喜と恐怖、不安と安堵の入り混じる声で語り掛けながら。



「ア……アルカイル様……アルカイル様……!?」



 湧き上がった安堵が霞の様に薄れて行く。

 ほんの一瞬感じた歓喜は灰色の絶望へと姿を変え、視界すらをも侵食して行く。


 メドウスは知った。しかしその事実を拒絶する。



「アルカイル様……アルカイル様……起きて下さいまし……さあ……帰りましょう……一緒に帰りましょう……」



 地に突き立てた不殺破邪を、右腕で抱かえる様にして寄り掛かり、左手には懐中時計を握っている。


 メドウスは震える手で、アルカイルを優しく撫でる。



「さあ……起きて下さいまし……起きて下さいまし……」



 もう二度と、動く事も、答える事も無いアルカイルをその胸に抱き、メドウスはただ、その言葉を繰り返す。


 頑なにアルカイルに寄り添うメドウスの姿に、ペダリエイシーは顔を背け、苦悶に固く瞼を閉じる。そして、告げた。



「……メドウスよ……アルカイルは……アルカイルはもう……死んでしまっ……」


「死んでない!」



 メドウスの叫びが拒絶する。

 目の前の現実を、齎された絶望を、夫となるはずだった最愛の人、アルカイルの死を受け入れる事を、拒絶する。



「あぁあぁぁーーー! アルカイル様! アルカイル様! あああぁあぁぁーーー!」



 抑えていた感情が、心の堰を切って溢れ出す。

 メドウスの絶叫が、崩壊と死に満ちた悲嘆の光景の中に響き渡る。


  ペダリエイシーは、立ち尽くす事しか出来なかった。


 せめて後一日でも、せめて後半刻でも早ければ───。あらゆる後悔が止めどなく押し寄せ、己を責める。


 しかし、どれだけ後悔したところで、それはもう戻らない。


 メドウスが手にするはずだった幸福、訪れるはずだった穏やかな日常は、もう消えてしまった。



「アルカイル……メドウス……」



 今何が出来ると言うのか? 最悪に打ちひしがれるメドウスに、一体何をしてやれば良いのか?

 出来る事など何も無い。しかしここは戦場、いつまでもここに居る訳には行かない───。ペダリエイシーが泣き叫ぶメドウスへ歩み寄ろうとしたその時、それは現われた。



 ────この匂いは……!?



 (かぐわ)しい香りが漂い、ペダリエイシーは空を見上げる。

 弱々しく雨滴を落とす暗い空に、紫色の光によって巨大な魔法陣が描き出される。

 その中央から空へと燃え広がって行く炎の渦を睨み、ペダリエイシーは呟いた。



「香り車か……!」

 


 それは禁忌だった。


 魔力を宿す香木に火をかけ、その炎と煙を以て全てを滅ぼす忌まわしき呪いの術。


 燃える香木の放つ煙を人々に吸い込ませ、その強力な麻薬の効果で自我を奪う。そして、香木から燃え上がる転移と殲滅の力を持つ炎の魔導で自決攻撃をさせる。


 ナダールの邪悪を極める行い、圧倒的な破壊が、今まさに目の前に現れようとしている。



 ────このままでは、まずい……!



「メドウスよ! 撤退じゃ! とにかく今は退くのじゃ! メドウス!」


「いやーーー! 死んでない! 死んではいない! あああぁあーーー!」



 アルカイルの亡骸を抱き締め泣き叫ぶメドウスに、ペダリエイシーの言葉は届かない。


 極限の悲しみはやがて怒りの炎となってメドウスの中に燃え広がり、心の深淵で凍てつかせていた悍ましい感情を解き放つ。


 見開かれたメドウスの瞳が、全てを奪い去った炎の渦を捉える。絶望の叫びが、確固たる意志を持って響き渡る。



「ああぁーーー! ナダール……ナダールナダールナダール! 奪うのか! 再び奪うのか! 許さぬ! ナダールよ! 決して許さぬぞぉー!」


「メドウスーーー!」



 天空に渦巻く香り車が、地上へ向けて無数の火球を撒き散らす。


 雨の如く降り注ぐ蹂躙の炎。

 壮絶な暴力が全てを飲み込んで行った。

 


 

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