加護在らず過誤の在るらむ
「何も恐れる事はない! 狼狽えるな!」
熱り立つ馬を宥めながら、ナドアルシヴァがナダールの騎士たちに向かって大呼する。
イムランの領地へ入って間も無く、ここまで恙無く進軍をしていたナダールの軍勢は、アールーマヤを目前にして俄かにその隊列を乱していた。
騎兵たちが緊迫した様子で手綱を引き絞り、大地に目を向ける。
「おっおい! 地面が光っているぞ!」
「退避だ! 退避しろ!」
突然光りだした地面に驚く馬たちが嘶く中、各部隊の隊長が号令をかけ、輝きを放つ地面から後退して行く。
半ば混乱状態に陥った騎兵たちが光りを放つ範囲から退いて行くと、開かれた大軍勢の真ん中に、巨大な魔法陣が描き出された。
誰もが口を閉ざし、無言で魔法陣を取り囲む。
暫くの沈黙の後、眼前で輝く魔法陣を侮蔑の眼差しで見つめていたナドアルシヴァが、蔑む様な表情で口を開いた。
「……なんと忌々しい……!」
「……これは一体……何なのだ……⁉︎」
ナドアルシヴァの側に控える参謀のラカイが、皺の刻まれた顔をより一層顰めながら、誰に訊く訳でもなくそう言葉を洩らす。
この場に居る誰一人として、その問いに答えられる者はいない。
ナドアルシヴァも例外では無かった。
────イムランの、ペダリエイシーの怪しげな術に違いない……罠か? 何かの攻撃なのか……?
ナダール聖法王国にも魔導は存在していたが、軍事利用される一部の強力なものを除き、ほとんどが日常生活で使われる程度の物でしかなく、魔導国イムランの発達した魔導は彼らにとって完全に未知のものだった。
邪教と信じるイムランの魔導に対し、ナダールの騎士たちは軽蔑と同時にある種の恐怖心を抱く。
未知なる物への恐れと、邪教に関わる事によるナダール神への背徳という恐怖を抱きながら、騎士たちは魔法陣から距離を置いて身構える。
口を開く者は居ない。
疎らに生える木々の枝が風に戦ぎ、緊張と静寂に支配されたスウェイハン平原に唯一の音として静かに響く。
何も起こらない……攻撃ではない様だ───。警戒態勢をとっていた騎士たちがそう思い始めたその時、大地に描かれる魔法陣へ向けられていた軽蔑の眼差しが、驚愕の色を帯びながら空へと向かい、それと同時に響めきが湧き上がる。
視線の先、光輝く魔法陣の上空に、陽光を反射する巨大な直方状の物体が、青白い稲妻を迸らせながら降りてくる。
ビリビリと静かな音を立て、ゆっくりと回転するその物体が魔法陣の中央に着地すると、白い光が辺り一帯を包み込み、低い響きと共に、魔法陣から一閃の閃光が空へと向かって放たれた。
光が消え、静寂が訪れる。
─────何だ!? 一体何が起こった……!?
強烈な閃光に慄いた騎士たちが、喫驚の表情で魔法陣の中央に降り立った物体を見つめる。
少なくとも攻撃ではなさそうだが、イムランによる邪教の術である事に間違いはない─────。ナドアルシヴァは警戒しつつ魔法陣の中へと馬を進める。
「ああ! ナドアルシヴァ様……!」
ラカイが思わず嗄れた声を上げた。
騒然とする騎士たちに見守られながら、ナドアルシヴァが魔法陣の中央へと向かう。
表面を迸っていた稲妻は消え去り、静かに佇む物体の前まで来たナドアルシヴァは、馬を降りて注意深くその物体を観察する。
大柄なナドアルシヴァですら見上げる程に巨大なその物体は、一面に文字の様な物が刻まれていて、僅かに青みを含んだ白銅色に輝いている。
質感からして石材の様であったが、金属の様にも見えた。
何の目的で行われた術なのか、皆目見当がつかなかったが、イムランとの国境付近、祖国ナダール聖法王国に近いこの場所に出現した魔導の術に、ナドアルシヴァは嫌悪感を覚えた。
どんな目的があるにせよ、穢らわしい邪教の行いを許す訳にはいかない……ナドアルシヴァが号令を発する。
「第一師団はここへ残り、この忌々しい邪教の術を破壊するのだ! それ以外の隊は早急に隊列を組み直せ! 先を急ぐぞ!」
ナドアルシヴァの号令で乱れていた軍勢は平静を取り戻し、土埃を巻き上げながら、解れた糸を引き絞る様に整えられていく。
ナドアルシヴァはその様子を一望すると、参謀のラカイに命令を下す。
「ラカイよ、各隊へ伝令を送れ。予定通り鶴翼の陣形を展開、両翼を延翼しアールーマヤを取り囲む形で進軍を再開する」
ラカイは「御意」とだけ答えて一歩引き下がると、周囲を固める近衛兵に目で合図を送り各隊へ使者を手配する。
ナドアルシヴァがそれを横目に見て、馬に跨がろうと手綱に手を掛けると、別の伝令の兵士が駆け込んで来た。
「ナドアルシヴァ様、タハウィーロウの軍が合流致しました。ご指示を」
「タハウィーロウか……」
伝令の言葉を聞き、ナドアルシヴァの表情が曇る。
一瞬動きを止めて考えを巡らせた後、馬に跨り「分かった、後方に続けと伝えろ」とだけ言って、馬を進めた。
タハウィーロウ─────
報酬次第で何処にでも加勢する所謂傭兵団だったが、ほんの数ヶ月前、ナダール聖教に帰依した事で、正式にナダール聖法王国における騎士の称号を得ていた。
傭兵団に騎士の称号を与えるなど、前代未聞の出来事であったが、タハウィーロウの常軌を逸した強さ故に、実際には懐柔した形だった。
信心深いナドアルシヴァは、帰依したとは言えタハウィーロウに対して強い不信感を抱いていて、味方とは認めてはいなかった。
しかしナドアルシヴァのその判断は、強ち間違ってはいなかった。
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「本隊より伝令で御座いますです! 後方へつけとの事で御座いますです!」
ナドアルシヴァの伝令を受け取った騎士はふざけた口調でそう言うと、大袈裟に貴族風の御辞儀をして周りにいる仲間たちを笑わせる。
一応の報告を受けたリーダー格らしい騎士もそれに応え、両手を開いて芝居じみた返事を返す。
「あああーー! 了解でありますナドアルシヴァ大総督閣下様! はあぁあーー! ナダール神の御加護が在らんことを! ああああーーー! ナダール神万歳! 正義は我らにありいぃぃー……ぷっ……あーはっはっは……はぁ〜馬鹿馬鹿しい……何がナダール神だよ、まじで付き合ってらんねーわ」
楽しげに芝居がかった台詞を吐いたかと思うと、リーダー格の騎士は表情を歪めてそう罵った。
「おいおい、そんな事あんまりでかい声で言うなよ! ただでさえここの奴らには嫌われてんだ、ふりぐらいしてくれよまったく……」
すぐ隣にいた透き通るほどに美しい女騎士が、その容姿からは想像も付かない口振りで、周囲に目を遣りながら不機嫌そうに呟くと、伝令を受けた騎士が口を挟む。
「まあでも良かったじゃねえか後ろでよ、街を襲撃するなんざ野盗と何にも変わらねえ、戦ならともかく、そんなモンの片棒担がされんのは真っ平御免だぜ俺ぁよ」
「なんでもね、邪教徒を殺しただけ功徳になるって言われてるらしいわよ、まじでイカれてやがんのよあいつら!」
「だから、そういう事大きな声で言うなって!」
リーダー格の騎士は女騎士にそう注意をされて「分かったわよ! けつの穴の小さい女ね!」と言い返すが「小さくて結構!」と反論される。
「こんなイカれた宗教なんぞに入ってまでここまで来たんだ、必ずこの国を乗っ取って、私が教皇になってやるわよ」
リーダー格の騎士はそう言って手鏡を取り出す。
その様子を眺めながら、女騎士は小馬鹿にした様な口調で尋ねる。
「ああ、それは良いかもな、それであれか? 毎日の祈りの代わりに、化粧でもさせようってのかい?」
「アンタ何馬鹿にしてる? でも、何の役にも立たない祈りなんかよりは、よっぽど良いんじゃない?」
手鏡を覗き込みながら真っ赤な口紅を塗りたくると、そのチューリップの様な唇を歪ませて「加護なんざ、クソくらえよ」と吐き捨て、イザベラは笑みを浮かべた。




