偽り故の偶像
「えぇえー⁉︎ じゃあナダール聖教って嘘なの⁉︎」
リサイリは思わず立ち上がって声を上げ、隣に座るツァレファテに、「うわっ! ちょっと急に大声出さないでよ! びっくりするじゃない!」と怒られる。
「ああぁ……ごめんなさい……」
「まったく落ち着きないわね……同じ歳とは思えないわ……」
慈雨たる御手から聞こえて来た声と、隠されていた日記についてセルシアスに相談しようとしていたリサイリだったが、
『ああ分かった分かった、兄さん後で聞いてやるから、先に魔導国イムランの成り立ちについて調べてくれ』
と、けんもほろろにあしらわれ、どうにも話を切り出せないまま、仕方なくツァレファテと一緒にイムランの歴史を調べていた。
ぼんやりと資料を見ながらツァレファテの話を聞いていたリサイリは、ツァレファテの放った思い掛けない言葉に驚き、大声を上げてしまったのだった。
反省した面持ちでリサイリがおずおずと席に座る。
ツァレファテが頬杖をついてそれを眺めている。
リサイリがちらりとツァレファテの方へ目を遣って「えへへ……ごめんね……」と申し訳なさそうに薄ら笑いを浮かべると、ツァレファテは「はぁ……」とひとつため息をつき、呆れた様子でリサイリに問い掛けた。
「神などが本当に居るとでも思っていたの?」
「え⁉︎……あぁ、いや、そうは思ってないけど……」
唐突に投げかけられた質問に、リサイリは言葉を詰まらせる。
そもそも『神』とは何なのか?
ナダール聖教を始めとする様々な宗教において、証明する事が出来ないにもかかわらず、信仰の対象として崇められる曖昧な存在。
深く考えた事は無かったが、戸惑いながらも咄嗟に口をついた「そうは思っていない」という言葉、それが自分の答えなのかも知れない───。
ナダール聖教の暴挙に憤りを感じ、宗教や信仰というものに疑問を抱いていたリサイリは、自然に出たその言葉が違和感無く胸に落ちた。
「イムランの成り立ちを理解する上で、知っておかなければならない事があるの、これを見て」
ツァレファテがテーブルを撫でると、寂光鏡に古い書物の画像が浮かび上がる。
「この辺り一帯には、千年ほど前までひとつの王朝があったんだけど、内乱によって分裂し、滅亡した…… その発端となったのが『宗教』ではないかと私たちは考えている……」
ツァレファテはそう言いながら、映し出される画像を本のページの様にめくっていく。
「ナダール聖教に限らず、今ある宗教の多くは、目的を持って創られた虚構……ほら、ここに、宗教によって国家を統治する為の計画が記されているの、読んでみて」
ツァレファテの手が止まり、そこに映し出された文面にリサイリが目を走らせる。
『新興宗教による国家統治案』と書かれたそのページには、宗教の形式や偶像の設定といったナダール聖教の概念と、それを使って民衆を洗脳し国家を統治する構想について詳細に記されている。
憮然とした表情で文章を読み進めるリサイリが、怒りを帯びた言葉を洩らした。
「……偶像崇拝の対象とする上で、ナダール神の性別は両性とするのが望ましいって……何これ、そう設定したって事……⁉︎」
どんな理由にせよ、ナダール聖法王国の行いは間違っている。しかもその理由が、民衆を洗脳する為に考案された『宗教』という『作り話』である事に、怒りが込み上げると同時に、その卑劣に呆れ果てた。
「ナダール聖教はこの通り、民衆を洗脳する為に人の手で作りだされた紛れもない偽り。でも皮肉な事に、月日を重ねる内、次第にひとつの思想として確立されていき、ナダール聖法王国の設立によって、とうとう本当の宗教になってしまったの」
「そして、この計画、ナダール聖教の元を創り出したのが、ハルラート人……という訳か」
開いていた本をぱたんと閉じ、セルシアスがツァレファテの言葉にそう付け加えると、ツァレファテは沈黙でそれに答えた。
「ハルラート人が、ナダール聖教を作ったの……⁉︎」
リサイリの言葉に失望が滲む。
ハルラート人とは一体どの様な民族だったのか? 詳しい事は何も分からなかったが、漠然と好印象を抱いていたリサイリは、許されざるナダール聖教がハルラート人によって生み出された物である事に軽蔑を抱いた。
明かされた事実に、セルシアスが付け加える。
「そしてどうやら、リサイリ、僕らがハルラートの子孫である事は間違い無い様だ」
「……あぁ……やっぱり、そうなんだね……なんだかあんまり嬉しく無いなぁ……」
少し間を置いてからリサイリがそう言って俯く。
「でも安心して、宗教による統治に反発したのもまたハルラート人なのよ」
「えぇっ⁉︎ そうなの⁉︎ じゃあ、良いハルラート人も居たんだね!」
言い知れぬ罪悪感に苛まれて俯いていたリサイリが、期待に満ちた眼差しでツァレファテの方へ振り返ると、そのあまりに純粋無垢なリサイリの瞳に圧倒されながらツァレファテが答える。
「え……ええ、そうね、善悪なのかどうなのかは分からないけど、異なる考え方を持つハルラート人同士が衝突し、それがきっかけで王朝は分裂、滅亡したの。イムランやナダールと言ったこの地域の国々は、その後に生まれたのよ」
「ヘェ〜……そうなんだね! 僕、善いハルラートの子孫だったら良いな! ね! 兄さん!……」
果たして、単純に善悪と言う判断で割り切れるのか?
セルシアスは考えていた。
宗教による統治に反対するもう一方のハルラートが、必ずしも善とは限らない。
宗教を生み出した側に何かしらの正論があり、善であるかも知れないし、或いは両方悪である事も考えられる。
何れにせよ、忌むべきナダール聖教が、自分の祖先であるハルラート人によって生み出されたのは事実。これは当然セルシアスにとって喜べるものでは無かった。
虚構の神を生み出し、偽りの宗教を創り上げる。それが祖先の犯した罪───。
自分がハルラート人の子孫であると知ってしまったセルシアスは、それに目を瞑る事が出来なかった。
この事が、セルシアスの心にひとつの思いを芽生えさせる。
─────僕らが、責任を取る……
正義感と責任感によって、心の中に明確な目標が確立されていくのを、セルシアスは感じていた。
「にーいーさん! 兄さん‼︎」
「わっ! な、なんだリサイリ! 驚かさないでくれ!」
「だって兄さんぼーっとしてるんだもん! あはは! すごいぼーっとした顔してたよ! こんな事あるんだね兄さんでも! あははは!……ああ面白い! あ! そうだ! あのさ兄さん……」
驚いた顔のセルシアスを見て喜ぶリサイリが、肝心の慈雨たる御手の声と日記について相談しようとすると、セルシアスがリサイリの言葉を遮る。
「兄さんは沢山考えることがあるんだ! リサイリ! 次は67番の本棚の06-06の本を持って来て!」
「え⁉︎……えぇー⁉︎ また⁉︎」
「さあ早く! あ、この本はもう片付けて良いぞ! でも先に67番の本を持って来て! さあ早く早く!」
笑った仕返しと言わんばかりにセルシアスが急かし、リサイリはまたもや相談する機会を逃して本棚へと追いやられる。
「ね、ねえ、兄さん、あのね……」
「67番はあっち!」
「あ……う、うん……」
仕方なくセルシアスの指差す方へと目を向ける。
薄暗い本の回廊が続いている。
またちょっと怖くなる。
何となくツァレファテの方を見る。
ツァレファテがニヤリと笑う。
「……怖いんでしょ?」
「なっ……こわ、怖いわけ、ないじゃないか!」
苦し紛れに強がるリサイリが、無理に勇んで歩いて行く。
ツァレファテはその後ろ姿を見送りながら、「まったく、何を恐れているんだか……」と呟き、小さなため息をついた。




