馬車は進むよ何処までも!
「ほれほれ、危ないぞ、そう体を乗り出すでない……まったく、お前は子供じゃのうリサイリ……」
そう言いつつ、リサイリと同じくらい窓から身を乗り出すエルミラが、楽しそうに田園風景を眺めている。そしてその隣ではリサイリが「ばいばーい」と言って何処かに手を振っている。
「リサイリ、こっちいらっしゃい」
ジュメイラはそう言って、窓から落ちそうになるほど身を乗り出すリサイリを持ち上げて自分の膝の上に座らせると、それを見ていたエルミラが「おお!」と目を輝かせ、ジュメイラの向かいに座るドゥルマの膝の上によじ登った。
「凄い立派なキャリッジね、これ、ドゥルマのなの?」
膝に座らせたリサイリの両手を持って上下左右に躍らせながら、ジュメイラが豪華に装飾された室内を見上げてそう尋ねると、膝の上のエルミラに両手を持たれて、エルミラを抱きかかえさせられるドゥルマが、困ったような笑みを浮かべて答える。
「ああ、まあな、女王から宛がわれたんだが、こんな豪華なキャリッジ、平民出の俺には不釣り合いってもんだ、俺には昨日の、普通の馬車の方が性に合ってる」
「ご謙遜なのね」
ジュベラーリは感心した様子でそう言うと、風で乱れたエルミラの髪を優しく指で梳いた。
「だけど今日は、ジュベラーリにジュメイラ、それにエルミラ様もいるんだ、これくらいしないと申し訳ないからな」
「僕もいるよ!」
すかさず話に入り込むリサイリに「ああ、そうだったなリサイリ、そうだ、街へ着いたらどこへ行きたい?」とドゥルマが微笑みかけた。
ドゥルマたちを乗せたキャリッジが、田園地帯を抜けて街へと差し掛かかる。
街の様子を見ると言ってリサイリが窓を開けると、涼やかな風と共に外の喧騒がキャリッジの中へと流れ込んできた。
勢いの余り、書置き一つ残して国防軍を飛び出してきているドゥルマは、一応用心して窓の陰に息を潜める。
ドゥルマの横でその様子を見ていたジュベラーリは、エルミラの頼みとは言えよく来たものね、と思いながら口を開いた。
「私たちはここで降りて、歩いて軍本部まで行くわ、だからドゥルマは二人の事をよろしくね。流石に、本部まで行くわけにはいかないでしょ?」
「ああ、それが無難だな、すまない、気を使わせてしまって」
ジュベラーリとジュメイラを降ろしたキャリッジが、俄かに慌ただしい街の中へと消えて行く。
それを見送った二人は、俄かに慌ただしい、と思っていた街に改めて目をやる。
彼方此方で駆け回るワディシャーム兵や騎士たちが、住民たちに話を聞いていたり商店の中を調べていたりと、明らかに何かを探している。そしてその様子は、俄か、というよりもむしろ、物々しい、といった様相を呈していた。
一頻り見廻した後、二人は顔を見合わせる。
「これ、ちょっとおかしくない?」
「うん、おかしい……何かあったのかしら……?」
二人は、真っ先にドゥルマの事を思い浮かべたが、たった一日ドゥルマが姿をくらました程度で、こんな事になるはずはないだろうと思い直し「……まさかね……」「……そう……よね……」と若干不自然な笑顔を浮かべる。
そして不自然な笑顔のまま、ドゥルマたちを乗せたキャリッジの消えて行った方へと目を向けると、少しの間無言で街の様子を眺める。
「西側、おりません」「何か分かったかー⁉︎」「もっと東を探してみよう!」
兵士や騎士たちの緊迫した声が聴こえてくる。そしてその内容から察するに、どう考えても誰かを捜している。
再び顔を見合わせた二人は、不自然かつ不安な笑顔を交わし、後ろ髪を引かれる思いで、国防軍本部へと向かって歩き出した。
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青々と波打つ田園風景の中、立派な鉄の柵に囲まれる大きな屋敷の前に何台もの馬車が止まっている。
「すげえ家だな……」そう言いながら屋敷を見上げるサラディンには目を向ける事なく、ルグレアがずらりと並んだ馬車を一台一台注意深く見ていく。すると、その中に一台の見慣れた馬車を見つけた。
────間違いない、この馬車だ………
ルグレアは馬を降りて足早に玄関へと向かい、獅子の顔を象った真鍮製のドアノックを叩く。
家の中から「はーい、ちょっとお待ちくださいね!」と、快活な女性の声がして重厚な木製の扉が開くと、その扉を開けた美しい女性が、ルグレアの姿を見て目を丸くした。
「あれま! 騎士様がどうしてまたこんなところに⁉」
その美しい女性は、長い亜麻色の髪を軽く指で整えながらそう言って首を傾げる。
「私はワディシャーム国防軍第三騎士団のリッガ・ルグレアと申します。サジュウロウ殿は御在宅でしょうか?」
「ああ……主人なら、ちょうど出かけちまって、今いねえんだわ……」
その女性は、麗しい外見には見合わない少し変わった口調で残念そうにそう答えた。
恐らく、さっきすれ違ったあの豪華なキャリッジがそうだったのだろうとルグレアは悔やんだが、普段ドゥルマを乗せている馭者の話さえ聞ければよいと思い、続けてその女性に尋ねる。
「いつもドゥルマ様を乗せている馭者と話をしたいのですが、その者はおられるか?」
「……へえ……それだったら、いつも主人がやってんですよ」
「えぇっ⁉……ど、どうして……⁉」
「うちの人昔、ドゥルマ様に命を助けて貰った事があってよ、それ以来、ドゥルマの馭者は俺がやるっつって、ずっとやってんだわ」
ワディシャームの運送業界を牛耳る大富豪、あのサジュウロウ自身が、ドゥルマの馭者をしているという事にルグレアは驚いたが、今はそれどころではない。
「あ!……それで、ご主人は先日、ドゥルマ様を馬車に乗せたかどうか、ご存知ですか⁉」
「へえ……昨日も今日も一昨日も、乗せてっと」
やはりそうか!……これで手がかりが掴めた!────ルグレアはそう思って拳を握る。
あとは、ドゥルマ様が昨日どこへ行ったのか、それをサジュウロウから訊きだせば居所が分かるはず………!
………?
……………⁇
ルグレアが固まった。
「あ……あの……奥様、今『今日も』って……仰っいました……?」
ルグレアが身を乗り出してそう尋ねると、その女性は独特の口調で、事もなげに答える。
「んだよ、ちっと前に、ドゥルマ様と、そのお友達と、みんなして楽しそうに街へ行ったとこだど」
それを聞いたルグレアが再び固まった。
すると、固まるルグレアの隣で、サラディンがひとつ手を叩く。
「あー! やっぱりさっきのドゥルマ様だったんだ!」
「えっ⁉」
固まっていたルグレアが勢い良くサラディンの方へと振り返る。
そして、わなわなとしながら、震える声で尋ねた。
「……サラディン……お、お前……知ってたの……!?」
「ん? ああ。すれ違いざまにチラッと見えてさ、あれー、そうかなーって思って………え?……どうしたお前……?」
「バカッ!」
ルグレアは力いっぱいそう叫ぶと、踵を返して馬へと走り出す。
その途中、挨拶を忘れていた事に気が付いて「あ! 奥様! 有難う御座いました! ! しっ失礼します!」と言うと、サジュウロウの妻、オキヌに一礼をして馬に飛び乗り駆け出した。
その後を「おっ! おい! ちょっと待て!」と言って、サラディンが追いかける。
そしてルグレアは再び大きな声で叫んだ。
「お前付いて来んなバカー!」




