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賢者が恋した賢者の恋  作者: 北条ユキカゲ
第二章 ワディシャーム狂想曲
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ワディシャームの窓際で

 ざくり、ざくりと小気味良い音を立てて、長い事使い込まれた鍬が大地を抉る。

 一頻り鍬を振るったところで腰に手を当てると、「う~ん……」と言いながら、マゴベエは背中を逸らした。



「どれ……そろそろ昼にすっぺや」



 マゴベエがそう言うと、少し離れたところで草を刈っていたマゴベエの女房オチヨが「んだな」と言って、マゴベエと同じように腰に手を当てて伸びをする。


 二人が畑の畦に立てた大きなパラソルの日陰に入り、美しい装飾の施されたハイバックチェアに「どっこいせ」と言って腰を下ろすと、隣の畑からサジュウロウが二人に声を掛けた。



「おーい、お前さんたちも昼飯かい? ちょうどうちらも昼にしようと思っていたところでなぁ……エッグサンドイッチとチョコチップマフィンがあるんだが、どうだい一緒に」


「おお、そいつは良いねえ、おらぁチョコチップマフィンには目がなくてなぁ、いやあ、有り難えや、ほんじゃあ、うちらも呼ばれるとするかね」



 マゴベエとオチヨ、サジュウロウと、その女房オキヌの四人は、一緒にパラソルの下の、優美で繊細な細工が目を惹く、猫の様な曲線を描いた細長い脚が特徴的な、美しい薄水色に輝くクリスタルトップテーブルを囲むと、たまごと野菜がぎっしりと詰まったエッグサンドイッチと、オチヨが作って持って来ていたベーコンエッグサンドに手を伸ばす。



「いやあ、良い日和だなぁ……それにしても……あの、北の空のアレ、ありゃあ一体何だっぺな?」



 オチヨがエッグサンドイッチからはみ出したスクランブルエッグを、そっと小さく一口食べて、北の空の方を眺めながらそう言うと、それを聞いたマゴベエもオチヨの見ている方へと視線を向ける。



「ああ、あれか……なんでも、『散りぬる陽』とか何とかってやつで……良く分かんねえけど、えらく物騒なもんらしいで……」



 マゴベエは白いレースのハンカチで口元をそっと拭いながらそう言うと、金の縁取りがされた、品の良い白磁のティーカップをゆっくりと口元へと運び、ほんのひと時、目をつぶってカップから立ち上がる香りを楽しんだ後、すうっと、静かにそのバニラフレーバーティーを啜った。



「まあでも、うちらにはルファー様がついていてくださるんだ、あの方がいれば、何にも心配する事はねえよ」



 北の空に浮かぶ散りぬる陽を、不思議そうな面持ちで見ているオチヨにサジュウロウがそう言うと、その隣でオキヌが「んだ」と頷いた。



「そうさね、何があったって、ルファー様が守って下さるさ」



 オキヌはそう言ってワディシャーム城の方へと目をやる。すると今度は、オキヌが「……なんだっぺあれ……?」と言って、ゆっくりと立ち上がった。他の三人もそれにつられてオキヌの見ている方へ視線を向けると、ワディシャーム城の真上に、巨大な白い塊が浮かんでいるのが見えた。



「ん~……なんだっぺ?……雲かな……?」


「雲け?……いや違うべ……それにしても、随分でかいな……」



 マゴベエとサジュウロウがそう言いながら、ワディシャーム城の上に浮かぶセルシアスの空飛ぶ居城『揺蕩いし叢雲(たゆたいしむらくも)』を見つめるその傍らで、オチヨはバニラフレーバーティーをカップに注ぎながら、立ち上るその香りに目を細めていた。



「わあ……すごく良い香り!」


「本当ね! やっぱりお城で出されるお茶は一味違うわね! 見てこのティーカップもすごく綺麗!」



 ラシディアとジュメイラは楽しそうにそう言いながら、二人して金の縁取りがされた白磁のティーカップを眺める。



「これはバニラフレーバーティーと申しまして、このワディシャームの名産品なのですよ」



 ワディシャーム女王付家宰筆頭(かさいひっとう)のエルゲイネスがそう説明すると、二人はエルゲイネスの方を見て、笑顔で「へぇ~……」とだけ言う。


 そしてほんのひと時、手に持つバニラフレーバーティーを黙って見つめてから、幸せそうな表情で大事そうにすうっと、一口だけ飲んだ。



 ラシディアたちはセルシアスと共に、全員でこのワディシャーム城へとやって来ていて、城の応接室でルファー女王との面会を待っていた。


 先ほどまでエルミラが「我らを待たせるなど、何という無礼な女王じゃ!」と文句を言っていたが、セルシアスに紙と色鉛筆を渡されて、今はリサイリと二人で大人しくお絵かきをしている。



「大賢者セルシアス様、お待たせして本当に申し訳ございません。もう間もなく女王の準備が整いますので、それまでもう少しだけ、こちらでおくつろぎになってお待ちください」


「いいんだエルゲイネス。我々が予定より早く着いてしまったのだ、女王を急がせてしまってすまない。それに、まだあの散りぬる陽による被害が出ていないと聞いて、少し安心していたところだ」



 セルシアスは、申し訳なさそうにしているエルゲイネスに優しい笑顔でそう言うと、窓の方へと顔を向ける。そして、エルゲイネスに見せたその笑顔から一転して、厳しい表情で、窓の外、遠くの空に見える散りぬる陽に鋭い視線を送った。



 ──────セルシアス様の様子が……少し違う……



 いつものようにセルシアスの横顔を見つめていたラシディアは、ティーカップを唇に当てたままそう思った。

 


 ──────散りぬる陽の恐ろしさを知っているから、だからあんなに険しい表情なんだわ……



 ラシディアはそう思いつつも、しかし何かそれだけではない様な、そんな気がしていた。



「皆様お待たせ致しました。面会の準備が整いましたので、こちらへどうぞ」



 思ったよりも早く案内の者が迎えに来てしまい、ジュメイラは「えー、もう?」と残念そうに言うと、出されていた三段のケーキスタンドから、ぱくぱくぱくっと全種類のお菓子を急いで食べる。


 すると、それに気付いたセルシアスが、真剣な顔でお菓子を頬張るジュメイラの顔を見てくすりと笑い「ジュメイラ、ここでリサイリと待っていても良いのだよ」と言ったが、ジュメイラは、「いえ! 私も行きます! だってその女王見てみたいもの!」と言って、セルシアスの方を見たまま、もうひとつお菓子をぱくりと食べた。


 このワディシャームのルファー女王は、そのあまりの美貌ゆえに、その姿を見た者は凍りついた様に動きを止めるとさえ言われていて、『北限の幻』と謳われるその美貌は、世界で知らぬ者は誰もいないと言う程に有名だった。


 本来であれば、女王との面会にはセルシアスだけが来れば済む話だったのだが、噂のルファー女王見たさに、全員がこうしてぞろぞろとついて来てしまったのだった。



「いよいよね! どれ程美しい女王なのかしら! なんたって『北限の幻』よ⁉」



 女王見たさでついてきたジュベラーリが、手鏡を覗いて自分の髪を直しながらそう言うと、その隣にいたメイダーンが「僕はそれには興味ないですけどね別に……」と言いつつ、澄ました顔でいつもの様に横目でジュベラーリの胸元を覗く。


 こうして一同が女王との面会へと向かう中、ナドアルシヴァだけがまだ、窓際に立ったまま散りぬる陽の方を見ていた。



「シヴァさん、行きましょう……どうされたの?」


「……あ、ああ、そうだな……よし! その北限の幻ってのを拝みに行くか!」



 窓際で一人、外を見たまま動かないでいたナドアルシヴァは、ラシディアにそう言われてようやく、散りぬる陽へ視線を留めつつゆっくりと、ラシディアの方へと振り向いた。


 だが、どこか無理に元気な姿を装おっているように見えるナドアルシヴァの姿は、なにか暗い影を帯びているようにも見えた。そう思った瞬間、ラシディアの背中を冷たい何かが広がる。



 ─────これは……さっきのセルシアス様と同じ……いえ、それよりももっと複雑な何か……



 ナドアルシヴァが散りぬる陽を見ながら、何か特別な感情を抱いていることは感じ取れたが、当然、それが一体何なのかを知ることは出来ない。ただそのナドアルシヴァの目が、恐怖とも、悲しみとも少し違う何かを湛えていたという事を、ラシディアは感じていた。


 取り繕うような元気を振りまいて、ナドアルシヴァがメイダーンの肩にどかっと手を乗せて歩いて行く。ラシディアもそれに続こうと足を踏み出したが、直ぐに立ち止まり、ふと、窓の外へと視線を向けた。


 北国のひと時の夏を謳歌するように青々と生い茂る若葉、そしてその向こうに弘遠と広がるワディシャームの空。

 その美しいワディシャームの天色の空を残酷に突き刺して出来た様な散りぬる陽が、音もなく、ただ暗く、そこで蠢いていた。

 

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