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賢者が恋した賢者の恋  作者: 北条ユキカゲ
第四章 バスタキヤ奇想曲 第二部 伝説の起源
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訪れた機会

 どうしてまだこの場所にいるのだろうと、マリーチは思った。


 変身できない今、外へ逃げる事は出来ない。そして、いつまた粛然の幽牢に閉じ込められるか分からない。脱出できないにしても、まずはこの場から逃走し、変身可能になるまで何処かに身を潜めた方が安全なはずだった。


 それなのに、何故────。腕に抱えられた状態で、マリーチは男を見上げた。兵士たちはこの男をナジャハヴァルド様と呼んでいた。この軍においてかなり位の高い人物であるのは間違いなかった。ナジャハヴァルドの下には次々と報告が届いた。


 その一つ一つに、ナジャハヴァルドは的確に対応していた。非常に優秀だと思った。女性的な顔立ちながら、その精悍な眼差しには男性らしい力強さがあった。

 雨滴に乱される水面のように、心が騒めくのを感じた。マリーチはふっと視線を滑らせた。



 ────ああ……なんて事……!



 その感情がなんであるかは、察しがついた。しかしマリーチは、認めなかった。


 そんな事があるはずないし、決してあってはならない。だから、今ここから逃げ出さずにいるのは、別の理由なのだと、自分に言い聞かせた。


 兵士たちの報告内容から、ある程度の状況は把握出来た。この軍隊は共和国軍であり、別の作戦を成功させた本隊と合流して撤退するところだった。

 

 少なくとも今は危険ではない。魔力が回復するまで普通の猫のふりをして大人しくしていた方が、下手に逃げ出して追われるよりも賢明────。自身の判断を正当化するように、マリーチは自分を納得させた。


 逃がした視線の先から、ドレスのような軍服を着た女が向かって来るのが見えた。女はマリーチに気付いて、少し驚いた表情で口を開いた。



「ナジャハヴァルド様、ご無事で何よりです」


「おお、サーリシュハラか。心配をかけたな」


「いえ、必ずご無事であると、信じていましたから……」



 そこまで言うとサーリシュハラは、再びマリーチへと視線を戻して、言葉を続けた。



「これが、魈仙猫……」


「うむ。古来より、魈仙猫には不思議な力があるとされておる。今のところ、普通の猫のようだがの……して、サーリシュハラよ、如何した?」


「あ……はい……魈仙猫の弟子と名乗る者たちが現れました」


「……なんと……魈仙猫の弟子とな?」



 一瞬の間を置いて、ナジャハヴァルドは驚いたようにそう言った。そしてマリーチへと目を向けると、視線をとどめたまま「して、その者らはなんと申しておる?」と、サーリシュハラに尋ねた。



「はい。彼らは、見たところまだ十代前半の少年と少女なのですが、隠遁する賢者である魈仙猫と共に、この地に住まう魔導師だと、そう申しております」


「隠遁する賢者? この魈仙猫がか?」


「その可能性は高いかと。二本の尻尾を持つ猫が、そうそう何体も居るとは思えませんし」



 二人の視線が、マリーチへと注がれる。猫に徹し、隙を見て逃走しようと考えていたが、それどころではなくなった。

 どういう経緯でそんな突拍子もない設定になったのか想像も付かなかったが、魈仙猫の弟子と名乗る少年と少女が誰なのかは、考えるまでもなかった。



 ────リサイリとキシャル……!



 この二人意外の可能性は無かった。リサイリたちは何らかの方法で自分が共和国軍に捕らえられた事を知り、救出に来たとしか思えなかった。

 当然の事ながら、リサイリたちの状況がどうなっているのか、まったく分からない。憐れみの死神の奪取は成功したのか? それとも、作戦を放棄してここへ来たのか?────。いずれにしても、自分のせいで二人を危険に巻き込んでしまった。マリーチは自身の力無さを責めた。全ての責任は、自分にあると思った。

 


 ────何としても、リサイリとキシャルを守る!



 それこそが、本来自分に課せられた役目、果たすべき責務────。明瞭な使命感が、波紋に揺れていた心に、熱を帯びた平静をもたらした。

 

 共和国軍は魈仙猫について、詳しく理解していなかった。それ故に、ただの猫のふりをしていれば誤魔化せていたが、【隠遁の賢者】とされてしまった以上、もはやそういうわけにはいかない。ナジャハヴァルドの判断次第では、再び粛然の幽牢で拘束される恐れがある。マリーチは、サーリシュハラの報告に耳を(そばだ)て、脱出する機会を窺う。



「彼らが言うには、師である魈仙猫と力を合わせることで、眠っている兵士を目覚めさせることが出来ると申しております。実際に一人の兵士を目覚めさせています」


「あの眠りから、覚ましたというのか……」



 ナジャハヴァルドはそれだけ言うと、思慮を巡らせた。

 三千にも及ぶ大軍勢を一瞬にして無力化し、自身の操縦する毘盧遮那沙羅樹(びるしゃなさらじゅ)を打ち倒した、謎の魔導機────。自分を含め、共和国軍の兵士たちは全て、人智を超越したその魔導機によって撃墜され、命を奪われること無く眠らされた。


 それはつまり、強力な魔法によるものである事を意味していた。そもそも、何をしても目を覚まさない時点で、魔法の眠りである事は間違いない。


 魔法で眠らされた場合、基本的には、魔法の効果が切れるのを待つしかなかった。しかし、その効果には個人差がある。

 ナジャハヴァルドは、一般の兵士より魔法抵抗力が強い。そのため、早く目覚めることが出来たのだと考えられた。


 それ以外で目を覚ますには、二つの方法しかなかった。


 強力な魔法によって眠りの効果を打ち消すか、魔法の発動者自身の手で魔法を解く────。

 魈仙猫が本当に不思議な力を持っているとするならば、その力を以て兵士を目覚めさせる事も出来るかもしれない。しかし、この辺境に人が居たとは考えられない。魈仙猫の弟子と名乗る人物は、別の場所からやって来たとしか思えない。


 その彼らが、魔法の眠りを解いた、それはつまり、彼らが魔法の発動者である謎の魔導機と、何らかの関係があるという可能性を示唆している。


 確証は無かった。しかし、疑問は感じなかった。その代わりに湧き上がった感情は、ナジャハヴァルドに微かな高揚感をもたらした。



「ふっ……面白い……」



 ナジャハヴァルドの微笑が、マリーチに恐怖にも似た不安を感じさせた。

 


 ────このままでは……キシャルたちが危ない!



 ナジャハヴァルドが何かに気付いたのだと、マリーチは直感した。反射的にナジャハヴァルドの腕から飛び出した。



「あぁっ!」



 驚いて声を上げるサーリシュハラの足元を、マリーチは駆け抜けた。兵士たちが騒めき始めるのが分かった。おそらく、リサイリたちはこの艦のどこかにいる。集中して心眼を凝らせば、見つけられる。猫状態なら少なからず鼻も利く。


 今の状態でリサイリたちと合流しても、二人を守る力などない。だからといって、この機会を逃せば、脱出はより困難になる。


 とにかくリサイリたちを見つけて、その後のことは状況に応じて対処する────。マリーチは、全速で走った。



「……ナジャハヴァルド様……よろしいのですか……?」



 一瞬の出来事に唖然とするサーリシュハラは、後ろを振り向いたままの姿勢でそう言った。

 

 ナジャハヴァルドは動揺していなかった。しばらくの間、マリーチの走り去って行った方を見つめると、口元に小さく笑みを浮かべた。



「よもや、このような機会が訪れようとはな……」


「機会……?」


「この艦から逃げられはすまい。行き先は分かっておる。どれ、その弟子たちの下へ案内せよ。聞きたいことがある」


 

 ナジャハヴァルドはリサイリたちが憐れみの死神と関係があると見抜いたようです! そんな中キシャルはどっか行っちゃうし、マリーチもまだ変身出来ないみたいだし、リサイリだけで大丈夫!? 案の定、大丈夫ではない事態に……!!



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