守るべき覚悟
不時着した飛行船を覆っていた光の膜が、風に舞い散り消えてゆく。
それが高度な魔法だという事は、ディブルガルも直ぐに気付いた。
この二人は一体……!?────。ダナディアへ護送されるというリサイリたちに対する疑問が膨らんだが、今はそれどころではない。
魔法によって墜落は免れたが、飛行船はもう飛べない。
しかし幸い、この場所からダナディアはそう遠くはなかった。
────あとは、歩いてでも十分に行ける、とにかく、何としても儂の手で、この子らをダナディアまで送り届ける……!
確固たる意志を胸に、ディブルガルが飛行船を出ようとしたその時、目の前に広がる光景が、その意志を否定した。
怒りに震える群衆が武器を手に、飛行船へと迫って来る。
彼らの怒りの矛先は、ダラジャトゥ軍政府。それはつまり、ダラジャトゥの軍人である自分自身に他ならない。
その自分が、子供二人を連れてこの暴徒の中を進む事など、出来ようはずがない。むしろ、自分がいる事で、子供たちに危険が及ぶ事になる。
彼らの憎しみの対象はあくまでダラジャトゥの軍人である自分だけ。
この子供たちが憎まれる言われはない。
せめて子供たちだけでも……!────。ディブルガルは群衆に目を留めたまま、キシャルクティアとリサイリに語りかけた。
「二人とも怪我は無いか!?」
「はい! 大丈夫です!」
「おじさんは!?」
「大丈夫だ、二人ともよく聞くのだ、儂が一緒に行けるのはここまでだ。ここから先は二人だけで行け」
「え……!? ディブルガルさんは……どうするんですか……!?」
戸惑うリサイリの問いには答えず、ディブルガルは言葉を続ける。
「ダナディアはもうそう遠くはない、見えるか? あれに見える丸い建物だ、そちら側の扉から出ろ、さあ早く行け!」
そう言うとディブルガルは、飛行船の扉を開け、迫り来る暴徒へと向かって、歩いて行った。
煙を吐く飛行船から姿を現したダラジャトゥ軍の高官に、人々は怒りの眼差しを向けた。
日常を抑圧し、争いを激化させ、自由を奪った軍事政権への恨みが、目の前のディブルガルへと注がれる。
「出てきたぞ! ぶっ殺せ!」
「全部お前らのせいだ!」
怒りは罵声となって響き渡り、膨れ上がった憎悪が行き場を求めて暴力へと向かおうとしたその時、ディブルガルが声を上げた。
「全ては! 我らダラジャトゥの責任である! その咎を受けるだけの罪が儂にはある!」
そう言うとディブルガルは、地に跪いた。
「儂を殺して恨みが晴れるのであれば儂は喜んで殺されよう!」
ディブルガルは分かっていた。
忌まわしき力、大神を利用し、クーデターによって政権を奪ったところで、何の解決にもならないという事を。
複雑に絡み合った宗教対立、そして、それを利用したザルーブ連邦共和国の策略によって、アーリエン王国は既に分裂していた。
国家の破綻は時間の問題であり、軍事政権による強引な政策は、民衆の不満を高めるだけだという事を。
しかし、自分は軍人として、政策に逆らう事は出来ない。
軍事力による統制に賭け、それに期待するより他なかった。
そして齎された、最悪の結末────。
疲弊した軍事政権は力を失い、対立するザルーブ連邦共和国に対抗する力も、国を治める力も、もはや尽きていた。
ダラジャトゥ軍という組織の一員であり、命令に従い続けた以上、責任は自分にもある。
力で押さえ付ける事が、正しいはずがない────。ディブルガルは罪が何かを、知っていたのだった。
潔いディブルガルの覚悟に、群衆は言葉を無くした。
ダラジャトゥの軍人だからとて、ここで人ひとりの命を奪ったところで、何も変える事など出来はしない。恨みが晴れるはずもない。
誰もがそれを分かっていた。分かっていたが、昂った激情は、人々の理性を怒りの炎で焼き尽くした。
「殺せ! 殺して俺たちの怒りをダラジャトゥの連中に思い知らせるんだ!」
「これは見せしめだ! ぶっ殺せ!」
暴徒の怒りが、再び燃え上がる。
逃げはしない。そして、逃げる事などはじめから出来はしない。
あの二人が無事にダナディアに辿り着けさえすれば、それで良い────。それだけを祈りながら、とめどなく浴びせられる罵声の中で目を瞑り、ただ黙って跪くディブルガルの耳に、その声は届いた。
「やめなさい!」
吹き荒れていた怒りの嵐が、その幼げな声によって鎮められる。
ディブルガルは目を開き、顔を上げた。
陽光に輝く、僅かな蒼みを帯びたその銀の髪を、かつて見た事がある気がした。
暴徒は動きを止め、その少女によって齎された静寂に飲み込まれた。
大きく両手を広げ、ディブルガルの眼前に立つキシャルクティアが沈黙を切り裂く。
「喧嘩してる場合じゃないの! 今このシャムアルジールへ敵が向かって来てる! みんな早く逃げて!」
「ダラジャトゥ軍が必死に抵抗してるんだ! みんなを守るために! だから今のうちに王都を離れて何処か安全な所へ!」
ディブルガルの背後、群衆の前に立ちはだかるリサイリが必死に訴えた。
「お前たち……」
ディブルガルはそれ以上、言葉が出なかった。
安全なダナディアを目前にしながらも、今日会ったばかりの自分を守るために、危険を顧みず混乱の最中に身を投じた二人に、心を打たれた。
突如として現れ、憎きダラジャトゥの軍人を庇う少年と少女、そして、切迫する危機に群衆は戸惑ったが、誰かが叫んだ。
「それもこれも! みんなそいつらダラジャトゥが悪いんだ! そいつらが降伏さえすれば、攻撃されやしないんだ!」
その言葉によって、治まりかけていた興奮が、再び燻り始める。
群衆が徐々に怒りを取り戻し、怒号が響き始める。
リサイリとキシャルクティアが両手を広げて立ちはだかり、必死にディブルガルを庇うが、いきり立つ群衆は治まらない。
二人の力では、もうどうする事も出来なかった。
だからと言って、ディブルガルを見捨てて逃げる事など出来るわけがない。
この人は、言ったんだ、このシャムアルジールの人々の命を守って欲しいと、その人が、こんな目に遭って良いはずがない!────。「みんな! 目を覚まして!」
リサイリの心の叫びと共に、閃光が閃いた。
ダナディアを目前にしながら、完全に暴徒に囲まれるリサイリたち! 果たしてこの場を逃げきれるのでしょうか!? 大ピンチ続きのリサイリたちの前に、ついに『彼女』がその姿を現します!
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