戦雲に燃ゆる
ダラジャトゥ軍ユールベルタ分屯基地組頭、マルハバ・パラサは動揺していた。
戦時下において、比較的緊張度の低いユールベルタの分屯基地を任された時は、密かに安堵した。
紛争の激しい南西部からは最も遠く、警戒していたウードメッサ帝国は沈黙を守っていた。
「それなのに……なんで急に……!」
国民の絶大な信頼を集める【奇跡の姫君】エルゼクティアの出現、それによって巻き起こった大規模な暴動、その混乱の最中にもたらされた異常事態【漆黒龍の出現】────。
どうして突然エルゼクティアがやって来たのか!? 龍とは一体何なのか!? ウードメッサ帝国の攻撃なのか!? そもそも、龍などが実在するのか!?────。立て続けに発生する混乱の渦に、怯懦が言葉となって零れ落ちた。
刹那、困惑する兵士の声が執務室に響き、新たなざわめきが運び込まれる。
「わ……若頭! これは一体どういう────」
「ええい黙れ黙れ! マルハバ殿は何処か!?」
白い着ぐるみから頭だけ出したムスタファが、兵士たちを掻き分け執務室へと押し入ってくる。
その後ろへと目を向けた兵士たちが、驚愕の表情で静まり返る。
輝く蒼みがかった銀の髪、雪のように白く透き通った肌、大きく開いた胸元に揺れる魅惑の渓谷────。
艶麗な曲線に羽織る黒の衣をたなびかせ、シャーリアを腕に抱えるエルゼクティアがマルハバの正面へとやって来て、机にバンっと、そのスラリとした颯爽たる長い脚を乗せた。
「ん……んが……あぅぅ……!?」
圧倒的な迫力と威圧感、そして、気を失う程に壮絶な美貌────。眼前に降臨した奇跡の姫君を見上げ、言葉を失い硬直するマルハバの顔を覗き込むと、エルゼクティアはゆっくりと首を傾げて、命令した。
「マルってのはアンタだねぇ……? 黙ってあたしの言うこと聞きな!」
連なっていた鱗雲は南へと吹き流され、細い糸のような巻雲となって透き通る碧天に線を引いてる。
ダラジャトゥ軍ユールベルタ分屯基地離発着場に整列する兵士たちに向かって、エルゼクティアは大呼した。
「お前たちよーく聞きな! ブラシカ山脈の北、眠らるる樹海に出現した漆黒の龍は国境警備軍を打ち破り、現在236ノットでこのユールベルタへ向かっている! 龍がこの速度を維持したならば遅くとも後二刻、早ければ一刻半程でここへ到達するだろう!」
告げられた明瞭な解析が、漠然としていた危機感に重苦しい色を付けていく。
兵士たちにざわめきと緊張が広がっていく。
「龍の戦闘力は未知数だが、国境警備軍を短時間で撃破したその力は脅威であると捉えねばならない! それに対し! 我らの戦力は十分ではない!」
ざわめきは戦慄の響めきへと変わり、整列していた兵士の直線が俄に揺れる。
その間を、熱を帯びたエルゼクティアの声が駆け抜ける。
「しかし! 鍛え抜かれた屈強な精神を心に宿す諸君らに、倒せぬ敵などこの世の何処にも存在しない!」
心を揺さぶる命の叫びが、兵士一人ひとりの胸を貫き、闘志が烈火の炎となって戦雲の空に燃え上がる。
「急遽編成した特殊作戦部隊を以て我々は今日! 龍を討つ! 総員! 配置につけ!」
猛り立つ闘魂が、咆哮なって響き渡る。
振りかざされたエルゼクティアの靱な手が、勇を鼓す兵士たちを走り出させた。
「ムスタファ! マル!」
「ほぇ!?」「ふぁ!?」
シャーリアと手を繋いでエルゼクティアに見惚れていたムスタファとマルハバが、夢から覚めたように寝ぼけた返事をする。
「もうあまり時間が無い、念の為街の人々を郊外に避難させる。ムスタファ、アンタに任せたよ! マル!」
「お……おぉぅ……は……はあ……」
突き刺さる程に強く美しい声に痺れつつ、マルハバが何とか応える。
「この基地で一番ましな魔導機に案内しな! あたしがそれで出撃する!」
「へ?……え……えぇっ!?……姫が……出撃ですと……!?」
「つべこべ言わずにさっさと案内すりゃあ良いんだよ! このウスラトンカチ!」
「お……ぉぅふ……」
この瞬間、マルハバは何かに目覚めた。
「あたしはそれに乗って直ぐに出発する! 部隊を作戦通りに配置しな! 分かったね!?」
「出発するって……どど……どちらへ行かれるのですか!?」
ムスタファがそう尋ねると、エルゼクティアは「シャーリア? なんにも心配ないからね!」と、一瞬前までの軍神の如き激しさからは想像もつかない、女神のような微笑みを浮かべ、北から吹く少し冷たい風に髪をなびかせた。
「この街の北には【極彩玉鋼】の研究所を併設した試験工場がある。ウチで製造する魔導機のプロトタイプを作ってた所だよ……そこに行けば、何か役に立つ物があるかも知れない……」
「ウチ……そうか……!」
15年前、エルゼクティアが嫁いだ巨大魔導軍事企業【シェイザイド財閥】────。
国家防衛の為の最先端兵器を製造していたこの企業は、国中に多くの工場、研究所を所有していたが、クーデターの際エルゼクティアは、その技術力、生産力をダラジャトゥに利用されるのを阻止する為、全ての施設の機能を停止、閉鎖していた。
「あの時、ほとんどの実験サンプルを破棄しちまったんけど、研究者の皆が泣くもんでねぇ……全部は片付けられなかったのさ……」
「しし……しかし姫! たとえ役に立つ物があったとしても、姫さま自ら魔導機で出撃するなど……!」
「むむ……無茶で御座る……危険過ぎる……!」
エルゼクティアが、まさかあの人類史上最強と謳われる魔導騎士、咲きにける雷の守り神【蒼き雷神】であるなどとは夢にも思わないムスタファとマルハバが慌てふためく。
エルゼクティアは視線だけで二人を見ると、その様子に思わず笑みを零す。
「なあに言ってんだい……アンタんとこの兵士たちをあれだけ焚き付けておいて、あたしが出て行かなくてどうするって言うのさ……」
それだけ言うとエルゼクティアは、言葉を失う二人に顔を向け「それに……あたしゃもうお姫様じゃあないんでね……」と、大サービスのウインクを飛ばした。
これによってマルハバはエルゼクティアの奴隷となり、ムスタファは、エルゼクティアの超奴隷となった。
偶然にもすぐ近くにシェイザイド財閥の研究施設があったのですね! でも、長らく閉鎖していて誰もいないその施設に、役に立つものなんてあるのかな……? 僅かな期待を胸に施設を訪れたエルゼに、衝撃が走ります!
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