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賢者が恋した賢者の恋  作者: 北条ユキカゲ
第一章 揺蕩いのプレリュード
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メイダーンの受難

 まったく情けない奴め、あれしきで伸びてしまうとは……仕方ない、バルシャは暫し眠らせておくとするか。


 さて……もう朝か、どうしようかのう……

 見慣れない天井にほんの一瞬戸惑う。


 

 ─────あぁ、本当に、私は旅立ったのだな……



 天井を見つめながら、今自分が揺蕩たゆたいし叢雲にいる事を認識すると、ラシディアは一瞬遅れてそう実感した。


 天蓋の付いた、ラシディアには大き過ぎるベッドの真ん中で体を起こし、窓の方へと目を向ける。


 部屋の側面を覆い尽くすカーテンの合わせ目に、ぼんやりと陽の光が漏れているのが見える。


 ベッドの上を移動してようやく立ち上がり、ゆっくりと窓まで歩いて行ってカーテンを開けると、朝日に照らされて黄金色に輝く雲海がどこまでも広がっている。



 ─────私はこうしてセルシアス様と同じ場所にいられるだけで、それだけで良い。大賢者であるセルシアス様と田舎娘の私なんかが、釣り合うはずなどないのだから………



 そっと窓に手を添え、悠然と流れてゆく雲海を眺めながら、昨日までの自分の短絡さと烏滸(おこ)がましさ、そして欲深さが情けなく、恥ずかしく思えた。



 ─────そうだ、ジュベラーリさんに、昨夜の事ちゃんと謝らなくちゃ……



 ラシディアはそう思い立ち、眼下に広がる美しい光景から、名残惜しげに目を離した。


 朝になったら『清涼殿』と呼ばれる場所に集まる事になっていて、行き方は叢雲に尋ねればよいと言われてはいたが、これだけ広い揺蕩いし叢雲の中で、迷わずにその場所へ辿り着く自信の無かったラシディアは、少し早くそこへ向かう事にして支度を始める。


 すると、扉の方から微かに声が聞こえた気がして耳を澄ました。



「おい……起きておるか?……まだ起きぬのか……おい……」



 ラシディアは、扉の向こうから聞こえるその声に自分の耳を疑う。



 ─────え⁉ この声、それにこの話し方は……エルミラ様……⁉



 どうしてエルミラが私のところなんかに、と思いながらラシディアが扉を開けると、そこには確かに、エルミラが昨日と同様、五体の白い謎生物を従えて立っている。



「あ、エ、エルミラ様、おはようございます……どうされたのですか?」


「うむ、お前を起こしに来てやったのじゃ」


「え!?……あ、ありがとうございます……」



 てっきりエルミラから嫌われているものとばかり思っていたラシディアは、突然の訪問に戸惑いつつも、その言葉を聞いて嬉しくなった。



「あ! あの、私直ぐに出られますから、一緒にみんなのところへ行きましょう!」


「うむ、無論、そのつもりじゃ、我が清涼殿まで連れて行ってやろうぞ」


「じゃ、じゃあ、ちょっと待っていてくださいね! 直ぐですから!」



 ラシディアは急いで部屋の中へと戻る。そして支度をしながら、不思議とこみ上げて来る嬉しさに自然と笑みがこぼれた。




────────────────────




「そう言えばエルミラ様? バルシャはどうしたのですか?」



 エルミラと謎生物五体と並んで、美しい外の景色を見渡せる通路を歩きながら、ラシディアはそう尋ねた。



「バルシャか、あやつはな、昨夜から陽の昇るまで大いに騒ぎおってな、今は疲れ果てて眠っておるわ」


「あのバルシャが? 大いに騒ぐ……?」



 普段のバルシャを良く知っているラシディアには、あの大人しいバルシャが朝まで()()()()()などとはとても考えられなかった。



「……騒ぐって、あのバルシャが?……一体、何をそんなに騒いでいたのでしょう……?」


「鬼ごっこをしたのじゃ、あやつが鬼じゃ、あやつめ、結局我には指一本触れる事も出来なんだ、今度お前にも見せてやろうぞ」


「お、鬼ごっこ! それは、楽しそうですね……!」



 鬼ごっこ……夜通しやる⁉ と思ったが、どうやらエルミラは昨夜のその鬼ごっこが余程楽しかったと見えて、相変わらずの不機嫌な表情ながらも、その様子はご機嫌のようだった。


 

「ラシディア! それにエルミラも!」


「あ! おはようジュメイラ!」



 こぼれんばかりの胸を揺さぶりながら、ジュメイラが笑顔で手を振りながら走って来る。



「今起こしに行こうと思っていたの」



 昨晩のラシディアの様子が気がかりだったジュメイラは、ラシディアの元気そうな顔に、ほっとした様子で微笑んだ。



「ありがとうジュメイラ! でもね、エルミラ様がわざわざ起こしに来てくれたのよ!」


「え⁉ エルミラが⁉ そうだったの! ありがとうエルミラ!」


「うむ、感謝するがよい」



 はじめの印象が強烈だっただけに、ラシディアは今のエルミラの事が無性に可愛く思えた。



「で、バルシャは?」


「うん、なんかね、朝方までエルミラ様と鬼ごっこをして遊んでいたらしくて、今は疲れて寝ているんだって」


「鬼ごっこ⁉ 朝まで⁉」ちょっと呆れた様に笑いながらジュメイラがそう言った。



「あやつも大層喜んでおったぞ」


「そうなんだ! 良かった!……朝まで鬼ごっこか……何だかちょっと楽しそうね!」


「うむ、お前にも今度見せてやろうぞ」



 不機嫌な顔で上機嫌のエルミラと五体の謎生物について行くと、木々の生い茂る森のような場所に出た。


 木々の間からはゆっくりと空を流れる雲が見えていて、一見屋外のようにも思えたが、上を見上げると、ここもやはり巨大な窓に覆われているようだった。

 その森の中を進んで行くと、正面に大きな三角屋根をした建物が見えて来た。



「あれが清涼殿じゃ、我が中を案内してやろうぞ」



 ここまで来る間にも、エルミラはこの調子で良く話した。


 ここはこうで、あそこはどうで、あれはどうだのこうだのと言った具合に、ある物全てを説明する勢いでずっと話していた。


 その様子を後ろから見ていたジュメイラは、ラシディアの耳元で「やっぱり、子供なのね」と、今度は絶対に聞こえない様に言って、くすっと笑った。



「あぁ! ジュメイラ! おはようー!」



 ジュメイラたちが来るのを待ち構えていたのか、清涼殿の入り口に居たであろうメイダーンが、先日の『女子はみんな男子がばれていないと思っていつもちらっと胸に視線を向けている事に気付いている件』の衝撃から立ち直ったらしく、満面の笑みでこちらへと走って来た。



「おはようメイダーン」

「おはようございますメイダーンさん!」

「………」



「うん! おはようラシディア! エルミラも! エルミラは今日も相変わらず不機嫌そうだね!」


「……お前は今日も相変わらず阿呆の様な顔をしておるな、阿呆め」


「あれ⁉ 今日はご機嫌じゃないか!」



 メイダーンのその言葉に、ああ、やっぱりこの状態はご機嫌なんだ、とラシディアとジュメイラは顔を見合わせて微笑む。



「それより二人とも、僕が清涼殿の中を案内してあげようと思ってね、待っていたんだ!」と言って、メイダーンはついさっき聞いたばかりのジュベラーリの言葉を思い出す。


 ────いい? メイダーン、女はね、料理の出来る男に弱いのよ、あなたは料理得意でしょ? だから、自分が料理出来るって事は言わずに、ジュメイラに御台盤所を案内するって言って連れて来て、そしてジュメイラの見ている前でパパッと美味しいものを作ってあげるの! そうすればきっと、あなたの女神様も心が揺らぐはずよ……!────ふふふ……もう準備は万端整えてある……これならイケる!



 自信満々のメイダーンは、その長い黒髪をなびかせ、全力の爽やかスマイルで高らかに声をあげた!



「さあ二人とも! この僕についておい──」

「──何を申すかこの阿呆め! 御台盤所はこれより我が案内するのじゃ、お前は黙ってそこいらの草でも食うておれ!」


「えぇーーー⁉」



 エルミラの強烈な一言に、メンタル若干弱目のメイダーンが凍りつく。



「……あ、あの……なんか、ごめんねメイダーン……エルミラが案内するってすごく張り切ってて……」



 愕然とするメイダーンにジュメイラはそう言い、ラシディアも申し訳なさそうに、小声で「ごめんね!」と言うと、二人ともエルミラに連れていかれる。


 そしてエルミラは、先ほどまでの元気が嘘の様に項垂れ(うなだれ)るメイダーンを横目に「……阿呆め!」と、もう一度吐き捨てるように言い残して去って行った。



あれ? あの口調はエルミラ様みたいですが、なんの事を言ってるのかな? でもどうやら、バルシャは死ななかった様ですね!

ところで、やっぱりメイダーンは変な奴でしたね!


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