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のんびりした話…と第一話の前書きに書いていた…のに騒がしくなりそうです。宜しくお願いします
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大変に緊張している。
今俺の目の前には夕食の配膳をしている、医術医院の女神がいる。最近までこんな近くで会ったことはなかったので、大変に緊張している。
女神が先程まで調理していた鳥肉が良い匂いを放っている。こんがりとした揚げ物だ。
「閣下のお口に合うかしら?」
なんて可愛く子首を傾げているサリュシア=アノバテート先生。鳥と野菜の揚げ物は香辛料の香ばしい香りがして食欲をソソられる。
笑顔の女神に見守られながら、出来たての麺も口に運ぶ。挽魔獣肉と野菜と絡まり、とても濃厚な味付けだがいくらでも腹に入りそうだ。
「とても美味しいですね」
俺がそう言うと、アノバテート先生は頬を赤く染めている。
この人が本当にあの噂の彼女なのか?女神の通った後には、やり捨てられた男達の屍が残る…と揶揄されるほどの百戦錬磨の悪女だとはとても思えない。
俺もそうだが軍の若い隊員達も、最初はそういう目で見ていたと思う。だが実際にお会いしたアノバテート先生は大人しい女性だった。そりゃ見た目は随分と華やかな容姿の方だが、内面は派手な感じも無くしっとりと落ち着いている。
そんなアノバテート先生と接していた隊員達が暫くして
「サリュ姐さんは若い時に散々遊んだ反動で、今は落ち着いたのだ」
と言っていたのを思い出した。
そうか、そうかもな。だから今も食事を食べながら妙に慈愛の籠った目で俺を見ているのだろう。きっと『何も知らない初心な閣下はとても可愛らしいわね』なんて心の中を見透かしている…のかもしれない。被害妄想が酷過ぎるか?
そうだ…そもそも俺が噴水広場の前で張って入れば、もう一度先生に会えるかも?なんて邪な気持ちで待ち伏せをしていたのだって、アノバテート先生には全てお見通しで…先生があの花壇に隠れていたのだって
『あら~閣下ってば可愛いわね、昨日会っただけなのに、もう彼氏気取りなの?』
とか思っている…のかもしれない。これも被害妄想が過ぎるか?
「閣下…今日は時間が無かったのでお出し出来ませんでしたが、アリーベのパイはお好きですか?」
俺と食卓を囲み、一緒に魔獣鳥の揚げ物を頬張るアノバテート先生の言葉に記憶を探る。
アリーべとは主に内陸の温暖な気候で採れる少し酸味のある果物だ。加工して菓子類に使われるものだが、果物も菓子も実は好物だ。
思わず何度も頷くと、アノバテート先生は微笑みながら『閣下は可愛いわね~』みたいな顔をした…ような気がした。
「ウフフ…今度、閣下にお作りしますね…あっ…」
「…!」
な…なんだって?今度、今度と仰いましたか?アノバテート先生!?それはまた今度こんな風にふたりきりで食事を召し上がりたいという意思表示と受け取っても構わないということか!?
「あのアリーべのパイも作りますから…また夕食をご一緒して下さいますか?」
顔を赤くして下を向いてモジモジしているアノバテート先生…可愛いっ可愛すぎる!
「…はい、先生にご迷惑で無ければ是非…」
俺が唾を飲み込みながら、そう答えると先生はまた目潰し攻撃の笑顔を向けてきた。
「嬉しいですっ1人暮らしだし、王じ…ヘイベルナ閣下と一緒なんて華やかな夕食になりますし」
……殺られた。目潰しをまともに受けてしまった。華やかなんてとんでもない、アノバテート先生の華やかさになんてとても敵いません。
◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆
急に閣下にお会いしたし、揚げれば直ぐ出来る魔獣鳥の辛味揚げにしたけど…良かった。美味しそうに召し上がって下さっているわ。それにお菓子も好き…みたいよね?お菓子作りの方が実は得意なのよね。
公爵家の令嬢が調理場に入るなんて…と昔は家の調理人達に嫌がられたけど、子供の時から令嬢方からは妬まれているのか…茶会のお誘いも少なかったし、まともな友達はエカテリーナと侯爵家のバーバラくらいだもの。必然的に家で過ごすことが多くなったので、家の中で出来る料理作りに目を向けたのは自然な流れだった。
1人暮らしもお父様達に随分と反対されたけれど、医術医院に務めるには公爵の家じゃ遠いものね。私がもう少し移動系の魔術を上手く使いこなせればいいのだけれど…そういえば公共の転移陣の開発って進んでいるのかしら?あれが出来ると転移陣を使えば遠方に住んで仕事は王都へ…なんていうことも可能よね。
やっぱり独りきりの食事って淋しいわね~だけど今日は違うわね。美しい男性と向かい合わせで頂く食事…最強の王子様という存在で、いつもの五倍は美味しく感じるわね。
閣下には付き合わせてしまって心苦しいけれど、大人化計画を食事会に変更しているのはうまい具合に誤魔化せている感じね。多分だけど閣下が、私を喰っちまったぜ!と言ってくれたお陰で軍のあの子達も納得してくれたみたいだし…
「この魔獣鳥美味しいですね、これ野営でも食べられたらな…」
そう言った閣下の言葉に、そう言えば…と思い出していた。
「確か…保存系の魔術を開発中だと魔術師団のキルケさんが仰っていたのですが…」
ヘイベルナ閣下は少し表情を引き締めた。仕事の顔かしら……この表情も素敵ね。
「野営用の食事が今は携帯干し肉や日持ちの利く木の実が主流だというのはご存じでしょうか?後は現地調達をして魔獣狩りなどで食材を得ています。食料調達に予定外の戦力を消費していると軍部の補給班から苦情や改善を求める声が昔から出てはいました。本来の戦闘以外で、命を落としたり負傷したりでは軍としても困る。まあどうしても軍備優先になっていましたが、食料を保管する魔術はゆくゆくは家庭魔道具としても応用が利くと言って今開発が急がれていて…」
「え?もうその商品はあるのでは?」
閣下の説明に耳を傾けていたが、あれ?と思い口を挟んでしまった。
「ある…とは?」
私は閣下を手招きして台所へと連れて入った。買った食材を保管している籐籠を台所に置いているのだ。この籐籠には魔術がかかっている。
「ここに食材を入れて保管しているのですが、籐籠の蓋の裏に…こういう風に魔法陣と魔石を一緒に貼り付けているんです」
「うん…ん?この魔術式は…」
「え?傷の腐敗を押さえる術です…時間停止の応用と申しますか、私が術式を考えたので…術式名は無いのですが…これぐらい皆さん思いつきますよね?」
だって治療魔法を扱っている術師なら皆一度は考える術だと思う。血が止まらない…傷口の化膿を押さえたい。つまりは人間の傷口の腐敗を防ぐ…阻害する。その発想を別に転換して『食材、腐敗の進むものの進行を押さえる』術。
医術医なら皆が考えて、編み出しているはずだけど…術式認定申請をしない術師も多い。何故ならあくまで自分の患者の為を思って作った術だから、特許を取って金を設けてやろうとも思わないし患者に施術して術式なんて写したい放題で放置している。
「あ…そうか。正式認定の無い術だから魔術師団が『存在しない魔術式』だと考えていたのね。そうよね、物が腐らない魔法だし…攻撃魔法と補助魔法でもない限り魔術師団には用事が無い高位術式だものね」
ヘイベルナ閣下がハッとした顔をされた。
「そうか!魔術師団に在籍している術師でも治療魔術が扱えるのは数人…全世界規模でも絶対数の少ない治療術師の…それも高位魔法が扱える術師…となると更に数が少なくなる!この術式を編み出しても使用者が少ないのか!」
私は頷いた。治療術は魔術を扱える者が全員使える術ではない。全ては『素質』これに尽きる。魔術師の中で治療術師になれる割合は100人中1人くらい…と言われている。この国には5人在籍しているだけでも稀有なのだ。
「あの…それで勿論高位魔法が扱える位の術師でないと、この腐敗を止める術式は魔力を大量に消費するので使えないのですが…本来は患者の患部の治療用に作った術で……それを食べ物の保存用に転用しているのは…極々限られた方だけだとは思いますが…隠していた訳ではないですよ?」
つい声が小さくなってしまう。公に使う術式は魔術師団の許可が無いものは使用禁止だ。無断で使っているのがバレたら禁固刑や罰金刑…危険な術だと、死刑なんていうこともある。
私が使っているのは個人的に家で食材を保存する為だけのこの籠だけだ。当然攻撃魔法じゃないから…使用許可なんて頭から抜けていたし、ましてや申請なんてするほどのものでもない…と思っていた。
「先生…申請していない術の使用は禁止ですよ」
ひぃぃぃ!?真面目なヘイベルナ閣下が見逃してくれるはずがなかった!
「ど…どうしましょう!?私…こここ…絞首刑ですかぁ!?」
ヘイベルナ閣下はニヤリと笑った。
「直ぐに魔術師団に術式申請をしましょう。そして…治療術師の間でその術式を隠蔽していた事実は…揉み消してあげますよ…その代わり」
いっ…隠蔽!?揉み消しっ!?そんな大事になるなんて…絞首刑かも…という恐怖でガクガク体を震わせながらヘイベルナ閣下の隊服の袖口に縋り付いてしまった。
「では…その揉み消す代わりに、時々で構いませんから先生の手料理をこうしてふたりきりで食べさせてもらえれば…これでどうです?」
「え?それだけですか?」
「…はい、どうでしょうか?」
恐怖と緊張で強張っていた体の力が抜けて、床に崩れ落ちそうになったのをヘイベルナ閣下が腰を支えて下さった。
「閣下…申し訳ありません」
支えて下さった閣下を仰ぎ見ると……閣下は天井を向いていた。天井に何かあるの?
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夕食を食べ終え…アノバテート先生の自宅を出た。
何てことだ…アノバテート先生を脅してしまった…!なんて卑劣なんだっ!自分で自分が情けなくなる…
「くそっ!くそっ!」
あまりの不甲斐なさと己の卑しさに腹が立ち、つい路地裏の家の壁に額をガンガンと打ち付けた。
「や…やだーーっ!地震かいっ!?…あれ?揺れたのうちだけ…?」
……額をガンガンぶつけていた家のご婦人が戸口から慌てて出て来て、外でキョロキョロしていた。気まずくなり、急いでそのまま路地裏を抜けた。
実際の所、術式の申請を忘れていたとしてもアノバテート先生なら、魔術師団長から口頭注意くらいで済むはずだ。それなのにそれを盾に取って……先生とのふたりきりの夕食の時間を脅し取るなんて、軍人に有るまじき行為だぁぁっ!
「きゃああ!」
「お兄さん、顔から血が出てるよ!?」
怒気と魔力を放出しながら夜道を歩いていると、飲み屋の客引きの女性達に悲鳴を上げられた。
ん?血だと?
商店街の噴水の水に自分の姿を映してみた。額から血が出ている。先程ぶつけた時か…
「だ…大丈夫かい?ちょっと休んで行く?」
「そうよぉ~是非休んで行って…」
後ろから客引きの女性が声をかけてきたが、そのまま噴水の水で顔を洗った。
「や…あの…休んで行かない?」
先程までの勢いは無くなった感じで客引きの女性が更に言ってきたが
「こんなものすぐに治る」
と言ってその場を離れた。
そしてそのまま軍の鍛錬場に戻って己を律する為に素振りを千回してからその日は就寝した。
アノバテート先生…すみませんっ!
閣下のイメージが悪くなりそうで心配です…