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未完

作者: ぽん

僕は頬杖を突きながら、機械的にサンドイッチを口に運んだ。こんなコンビニのサンドイッチを食べるくらいなら、奈々ちゃんの弁当を食べる方がましだ。見た目は茶色で汚いが、味は僕好みの甘辛でそこそこ食える。「ポイント三倍、本日五十円引き」という店員の声が一度耳に入った以上、買うのは避けられなかった。あまりに青すぎる空が今にも落ちてきそうだ。おそらく、というか絶対に雲は自分がどこへ流れていくのかを知らないだろう。地球は丸く(本当は楕円形であるらしいが)この数百キロ先にも地面が続いているというのは知識では分かっているけど、納得することはできない。僕は自分の身に起こった体験だけを信用する経験主義だから。なら、数百キロ先まで歩いていけばいいじゃないか、それをしないというのは相当な怠け者だねという声が聞こえてきそうだが、僕は如何せん足が不自由なのだ。一年前三トントラックが僕を吹き飛ばした。始めは何が起こったのか分からなかった。ただ、横断歩道をテキトーに歩いていただけだ。テキトーといっても横断歩道を真剣に歩く必要はないし、実際に真剣に歩いている人はいないだろう、要するに普通に交通法を守っていたということだ。運転手の顔は見えなかった。聞いた話によると、事故の原因は運転手による居眠りだったらしい。彼は、あくびを噛み殺しながら、ハンドルを切り、僕を轢いたのだろうね。僕が、横断歩道の最後の白線を渡り切ろうとした時だった。そのトラックは歩道をめがけて斜めに突っ込んできた。グシャという果物を金槌で殴ったような鈍い音がした。荷物の遅延程度の損害(あと少し人型に凹んだトラックの修理費用)しかないトラックに比べて、僕の失ったものは大きかった。トラックは僕を吹き飛ばす時に、一緒に数本の電柱を薙ぎ倒していった。この電柱に脊髄が叩きつけられ、足を動かす神経がズタボロになってしまった。目が覚めた時には、足はぐるぐるの包帯になっていた。父さんと母さんは、僕の頭を一生懸命に撫でていた。時折、額にキスなんかもした。最初の違和感は、尿意を催した時だった。膨れ上がってパンパンの膀胱に比べて、僕の足は歩くという意志が見られなかった。ベットの股のあたりには穴が開いていて、下の方に尿瓶がついていた。あの震えあがるような瓶に小便を注ぎ込むのは、人間としての誇りが許さなかった。


事故の一年前、僕の祖母ちゃんは死んだ。糖尿病に起因する多臓器不全だった。途中から目が見えなくなり、僕のことを震える手で触って「よく来たねえ、お祖母ちゃんこんな感じでごめんね。もう目が見えんからね」と言った。祖母ちゃんは、歩くのが難しく、小便や大便の感覚もとうに制御できなかったので、オムツをはいていた。僕はその姿を心底軽蔑していたのだ!人間は年を取れば取るほど崇高な存在になっていくと思っていたので、他人に手を借りなければ、何もすることのできない、まるで赤ん坊のような祖母ちゃんを可哀そうとも思えなかった。惨めだ、ただその一言に尽きた。僕は二度と祖母ちゃんのもとへ行くことはなかった。祖母ちゃんはその一か月後に死んだ。

 

 どうすればいいかわからなかった。声を出して看護婦を呼んだらいいのか、ナースコールをすればこの暗い廊下を彼女達は走って来てくれるのか。足は動かなくなったとはいえ、性器は活発に動く。今も小便を我慢して、ビクビクと蠢いている。朝になれば、勃起しているし、この半監禁状態の中性欲というのが無性に溜まって仕方がない。なかなか人間というものを捨てられないものである。痣だらけの腹を起こし、ズボンとパンツを下した。暗闇の中でベッドの下の方を探ると、確かに穴があった。すべてを吸い込んでしまう、一度入ったら二度と出てこれないような、ブラックホールのような穴だった。僕は、そこに性器をつっこで、ゆっくりと小便を出した。その晩は泣いて、眠ることはできなかった。隣の源さんが心配してくれたのを覚えている。看護婦を呼べない僕の臆病なしが誇りを捨てさせた。退院して、学校にまた通い始めた。同級生は、「大丈夫か」と言いつつも僕の動かない足に興味深々だった。たまに露骨に「ねえ、この足つついても何も感じないのかい」と聞いてくる奴がいたので、実際にボールペンでつつくことを許可した。二、三回ボールペンの先が肌に突き刺さった(?)。肌はピクリともせず、そして僕は何の痛みも感じず、ただ黒色のインクが付いただけだった。もう二度と足を動かせないことを改めて悟った。奈々ちゃんは、中学の時の部活の後輩で、たいして強くもないバスケットボール部に所属していた。そして僕を追うようにこの高校に入学してきた。事故の後、奈々ちゃんは僕の病室まで見舞いに来た。包帯の足が天井から吊るされてるのを見て、「大丈夫そうですね。よかったですね、手は自由に動かせるじゃないですか」と笑った。小便を尿瓶にした後だったので、臭いを気にして彼女を病室から追いやったが、少し嬉しかった。それからも奈々ちゃんは定期的に病院に来たし、僕が学校に戻っても車椅子を後ろから押してくれた。僕は、元からあまり人と群れるのが好きではないので(別に友達がいないというわけではない)昼ご飯は中庭に入る階段に座って食べていた。事故後も、僕は車椅子でそこへ向かい、右手を地面につけ芋虫のように体を捩じりながら座席から滑らせ、階段に座る。コンビニの袋を開け、中からサンドイッチとカフェオレを取り出して食べた。奈々ちゃんはそれを見て「栄養が偏りますね。あと、コンビニって大して美味しくないですよね。私が作りましょうか。足が動かなくて美味しいものも食べれないって人生大損害ですよ。神様に文句を言ってもいいぐらいですね」と口を尖らせた。


 今日は、奈々ちゃんがいない。あの後ろで結んだ長めの髪を見れないと思うと少し寂しい気持ちになる。昨日のお弁当箱も返さなければならない。奈々ちゃんの優しさに浸ってる分、僕は何をお返しできるだろうか。ふと横を見ると、中庭の池から何かもやもやしたものが湧き出ていた。白い煙のような何か。だんだんと集まっていき・・・それは奈々ちゃんになった。裸の奈々ちゃんだ。髪も結わずに、後ろで遊ばせている。

「またコンビニのサンドイッチを食べたのですか。しかもそれ、あのコンビニのサンドイッチの中でも一番美味しくない奴ですよ。マヨネーズの臭いとカツの脂っぽい衣が合わさった時には、もう最悪。それみんな食べないから安くなってるんじゃありませんか」

だって、今日君は学校に来なかった。お弁当がないんだよ。

「えぇ、私は今朝熱を出して家にいましたから。すごい熱でしたよ。なんと、三十九点四度。昨日の夜からだるくて。ごめんさいね。今日はお弁当を作ってあげられなかった」

いいよ、君の体の方が大事だから。じゃあ、どうして今ここにいるの。

「多分、治ったのでしょうね。分かりませんけども。体からパワーが漲るようです。今だったら確実にスリーポイントシュートを決められますよ」

そう、ならよかった。体は大切だからね、養生しなよ。でも、どうして君は僕にお弁当を作ってくれたり、見舞いに来てくれたりしたんだ。他の誰もそんなことしてくれないし、されたという話も聞いたことがないよ。

「そんなの、決まってるじゃないですか。分かってくださいよ」奈々ちゃんは屈んでそっと僕の性器の先に口づけをした。


 落ちてきそうになるほどに青かった空は、茜色に変わっていた。どうやら五時間目も六時間目もとうに過ぎて、放課後になっているらしい。サッカー部の大声が聞こえてくる。僕が昼に見ていた雲はもう太平洋を渡っているのだろう。いや、胸を張って渡っていてほしい。奈々ちゃんは結局学校には来なかった。お弁当箱を返すのはまた明日になりそうだ。僕は車椅子にしがみつき、腕の力だけで座席に座った。そして、車輪を押して家に帰った。


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