第1節 シュトラースブルクへ
男爵の城から、エクソシスト会議が行われる、シュトラースブルクに向かいます
私達一行は、地方貴族のハーゲン男爵に見送られて、出発した。
護衛の騎士が増えて、馬車も随行している。実は、姫様も同行になったため、お付きの侍従女官や護衛の騎士が付いてくることになったのだ。
姫様達は、途中まで一緒だ。ベルンハルト殿がシュトラースブルクに行くので、同行し、修道会に紹介するのだ。私たちも泊まる予定だ。そこから、ビンゲンのヒルデガルト様宛に紹介状を書いていただき、召命(修道生活を神が望み、呼ばれているかどうか)があるかどうか、ビンゲンで修行をさせていただく計画だとのこと。
私は、馬の背から、ベルンハルト殿に声を掛けた。横に並んで馬の歩みを進めているのだ。
「ベルンハルト殿、よく男爵夫妻は許可しましたね」
「いや、どうなんだか・・・しかし、姫様の病気が、病気ではなく、むしろ聖性の高さ故だとしたら、聖女になってもらいたいと思うのではないでしょうか。姫様も変わったでしょ?嬉しかったんじゃないですか?信心深いご両親で良かったですよ」
「なるほど。政略結婚というのは、よくありますが、本人の意思が大事ですものね」
「実際、身分の高い女性は、選ぶことができますからね。嫌かどうかで」
「キリストの花嫁になる方を、選ぶんですから、喜ばしい限りですね」
「私たちからすればですが・・・」
「確かに」
なんとなく、一仕事終えた感覚で間延びしているが、会議に間に合えばいいので、移動も気が楽だ。天気もよく、暖かい気候に恵まれた一日になりそうだ。
聖職者は、独身を貫かなければならない。ということは、修道会は、常に跡継ぎ問題に悩むことになる。修道士、修道女を目指す者がいないと、年寄りばかりになり、その修道院は廃止されるしかないからだ。だからこそ、これから修道士、修道女を目指す人は歓迎される。特に、身分が高いとか、裕福な家庭出身とかが、歓迎されるのだ。
(寄付金とか期待されているし、寄進も欲しいし、世俗権力の後ろ盾も必要だからな。そういった意味で、うちの家系が名門でよかったよ)
彼らは、修練者という立場で、修行を行い、キリストに呼ばれているのかどうかという見極めを経て、修道士になりますという、誓願を立て、そのまま続けられることができたら、晴れて、修道士、修道女になれる。
俗世間から離れ、聖域のような所に隔離され、修行をしていくわけだが、特に修練者が一番大変だろう。男爵令嬢が大変なのは、これからだ。
「ベルンハルト殿。お嬢様は、修練者として乗り切っていけるでしょうか?心配です」
「まぁ、労働はさせないでしょうから、肉体的に辛いということはないでしょう。
ただ、すでに賜物を神様から頂いているとなると、高慢にならぬよう、その鼻を折ろうとする指導者は出るでしょうね」
確かに、地獄に堕ちるきっかけとなりやすいのは、高慢などの心の在り様だ。7つの罪源などと呼ばれているうちの一つである。正確にいうのなら、人を罪に至らせる可能性がある、7つの心の在り様というべきだろうか。虚栄心や高慢は、罪に陥るきっかけになりやすいものだ。
「なんとなく指導者の気持ちは分かりますが、やり方がひどくないといいのですが」
「まぁ、そのあたりは、司教様次第でしょうね。私からもお願いしておきますよ」
「ここの教区の雰囲気がわからないのですが、実際どうなのですか?」
「司教様は素晴らしいお方ですから、心配なさらないほうがよろしいかと・・・それよりも、悪魔の動きに注意しておきたいですね」
ベルンハルト殿の顔が急に険しくなったので、内心驚いた。
「あの、なにか動きがあるのですか?」
「いや、今度の会議の議題も、悪魔に関連しているんですよ。なにやら、動きがあるのです。まぁ、エクソシストの集まりですから、当然といえば当然なのですが・・・
実は、ある幻視者によると、これから向かう都市そのものが、地獄になってしまったというビジョンが見えたとか・・・ライン川から西側全てが、完全に悪魔の支配下になってしまい、街どころか、草木が一本もない、それこそ荒れ野ですな。主が悪魔の誘惑にあわれたような、荒れ野になってしまったとか」
荒れ野と聴いて、私はひどく驚いた。
「それは、随分と荒唐無稽ですな・・・しかし、可能性がありますね」
ベルンハルト殿は、相変わらず、暗い表情だ。
「そうなんです。この間の少年の時の大天使聖ミヒャエル様のように、いざとなれば、神がわれらを見捨てることはないと思いますが、何分、世の終わりが近いのではないかという話もありますしね。世の終わりが近いのなら、少しでも最期の審判にむけて、悪魔側も、罪人を増やし、地獄に連れ帰る魂を増やしておきたいでしょうな。だからこそ攻撃が激化してくる可能性があるのです。
まぁ、悪魔の攻撃は、攻撃といってもご存じのように巧妙なのですが、一番信心深い者や行いの正しい者の魂を狙います。聖職者であっても例外はないです。むしろ、高位聖職者が危険です。むしろ、清い魂の者を、堕落させることが奴らの喜びですからね」
ベルンハルト殿は、馬の背に揺られながら、ため息をつきつつ、俯いた。頭が馬の動きに合わせて、前後に揺れている。ベルンハルト殿は、邪念を振り払うかのように頭を左右に振って正面を見た。
「私たちにできることは、祈ることですな。お嬢様も、これからが正念場ですぞ」
私達は、ライン川に近い道を、ライン川に平行に北上した。そのうち、遠くにシュトラースブルクの街が見えてきた。このあたりは、低地だということもあり、池も多いし、ライン川の支流にあたる、小さい川も多く流れている。特にシュトラースブルクの中心地区は、支流の一つの川の中州にできた古い街だ。中州につくまでに、色々と珍しいものを見ることができた。
まずは、ライン川沿いにできた港だ。いわゆる川港というやつだ。何隻もドックのような停泊所に係留されており、積み荷が降ろされたり、積み込まれたり、活況を呈していた。
そして、これから向かう古い街並みだろう。
「シュトラースブルクは、初めてなのですが、かなりの賑わいのようですね」
私がそういうと、ベルンハルト殿がニッと笑った。
「この街は古いですからね。古代ローマ時代の記録にも残っているし、あと、有名なところでは、西フランク王国と東フランク王国の同盟とかも、この街で結ばれました。
もう3百年も前のことですよ」
歴史が大好きなベルンハルト殿らしい発言だ。私はあまり歴史は詳しくないが、教養レベルならわかる。下手なことを言うと、話に火がついて、何時間でも歴史談義になってしまうのを警戒しつつ、会話を進めた。
「歴史の重みを感じますね。ここの教会建築をゆっくりと見て回りたいですが、あまり、時間もありませんからね。早く巡礼を済ませて帰らないと・・・城砦都市に帰るのが遅くなればなるほど、修道院長が恐ろしい顔になりますから」
「あははは、お察し申し上げます。仲がよろしくてうらやましいですよ」
確かに、ベルンハルト殿は、まったくの外様だから、親戚ばかりで固めたリウドルフィング家の城塞都市では疎外感があるだろう。私は少しは気を使って話そうと思った。
「仲がいいように見えるだけですよ。血で血を洗うのは、むしろ、一族同志のほうが酷いですからね。生き残るためには、いかに欲を出さず、欲を見せず、機会があるたびに、欲を否定して、って感じですから、気が休まりませんよ」
「わかります。私の故郷もそうでした。第2回十字軍から帰ってきたら、城も街も焼けて、すごいショックでしたよ。まさに荒れ野状態でした」
「え?いったい何があったんですか?」
「私が死んだという情報が、遠く聖地から流れてきたので、財産とか跡目とかの争いですな。結局、家族は殺されて、殺した親族は、私が倒し、焼けた城はそのまま廃墟にしたまま、私は流れ者になりました。リウドルフィング家の公爵様や司教様に拾われなかったら、今頃は、夜盗にでもなっていたかもしれませんね」
「そうだったんですか。お察し申し上げます」
私が真面目に話を返したものだから、ベルンハルト殿もすこしやりすぎと思ったようだ。
「まぁ、夜盗は言い過ぎでした・・・でも、フェーデばかりやる、泥棒騎士になっていたかもしれません」
(ちょっと、フェーデですか・・・まぁ、ベルンハルト殿なら、負けないだろうな。怖い話だ。フェーデというのは、警察のような組織がないので、犯罪にあっても実力で対応しなければならない状態で起こる決闘のようなものだ。しかし、これを悪用して、言いがかりをつけて決闘し、身代金や解決金をせしめる悪党のような騎士がいたのだ。私は、海賊のようなベルンハルト殿を想像してしまった・・・不謹慎だよな)
「領地から税は取れないのですか?」
「いや、既に、別の貴族の所領になっております。新皇帝の指示なので、どうにもできません。法的には、私は死者ですから」
私は、何と言っていいのか分からなかった。話題を反らす目的の会話が、更に傷口を抉る様になってしまう、悪い例だった。こういう時は、沈黙がいいだろう。そもそも修道士は沈黙が仕事のようなものだ。しかし、ベルンハルト殿は話がうまいし、話題も豊富なので、つい話過ぎてしまう。自重しないといけないと感じた。私の魂の危機につながるかもしれないのだ。
いつしか、道は石畳に変わっていた。小さな川があり、古い石の橋がかかっていた。どいこかで、鳥が鳴いているのが聴こえる。随分と精神的な余裕ができたものだ。
石畳の道は、私たちを橋へと誘った。
石の橋はローマ時代からあるのだろう。アーチが美しく、時代を感じさせる。使用されている石が年代を感じさせるような、時代の錆のようなものを身にまとっていた。
「なかなか、良い感じでしょ?この橋の向こうが、大島地区です。まぁ、川に囲まれて、島になっているんですよ。中州の島ですね」
「へー。会議は、どこで行われるのですか?」
「司教聖座の参事会室です。あまり大きい部屋ではないのですが、分科会に分かれて、幾つかの部屋を使います。今夜は、親睦のための食事会だけです」
「お、料理は、名物料理とかでるんですか?」
「いやいや、水とパンと少しの肉料理だけですよ。
下級聖職者の集まりで、予算があるわけでないし、質素であることは、それだけで悪魔に勝つ重要な要素ですからね。これで宴会でもしていると、それこそ魂に隙ができます」
「意外です。普段から質素にしているのに、こういう時ぐらいちょっとばかり贅沢してもいいのではないかと思いますが」
「いや、そうしたいですけど、こういう時は、本当に危険なんですよ。試みというか、誘惑というか、堕落させようと、悪魔たちも必死ですからね」
「そうなんですか。すみません、知りませんでした」
「気にしないでください。それよりも、今日の宿に早めに入りましょう。宿にする修道院の院長も今日の会議に出られるんですよ。おっと、ちょっと馬車の御者と話してきます」
ベルンハルト殿は、馬を回頭させ、後ろの馬車に話にいった。それから、すぐに戻り、道案内をしながら、宿となるベネディクト会系の修道院に向かった。
修道院につくて、事前に連絡を入れておいたおかげで、話が通っており、ことがスムースに進んだ。私と護衛騎士がそれぞれの部屋を当てられた。お嬢様は、近くの女子修道院に宿泊するそうだ。
ベルンハルト殿は、急いで、会合に向かった。ゆっくりしすぎて、若干遅れたようだ。「修道院長はすでにおられないので、大遅刻ですな」と笑いながら出かけて行った。
久しぶりに一人になった。修道院の宿泊部屋は質素で、飾りつけもなかった。乾草と藁布団のベッドと、毛布が2枚あるだけだった。
部屋には暖炉があって、すでに火が入っている。暖炉の上には、十字架が掛けれている。小さな文机が一つあり、その上には、インクと羽ペンが置いてあった。文机の横には小さな窓があり、鉄格子が嵌っている。燭台はあるが、火は灯されていない。しかし、鎧戸は内側に開け放たれており、十分、その光で読み書きはできた。私は羊皮紙を出し、旅の記録をしたためた。
鐘がなり、食事の時間のようだ。面倒を見てくれる修道士が私を迎えに来た。私と護衛騎士は連れ立って、修道士の後について、食堂まで歩いていった。
どこの修道院も基本的な造りは一緒だ。食堂は回廊から入るようになっているし、個人の部屋もそれぞれ回廊に面している。私の修道院もそうだが、回廊を歩いて黙想するように、回廊は重要な役割を持たされている。この外を内側に取り込むような建築様式は、私も気に入っている。修道士は、基本外出はしないので、こういった庭のようでいて、屋根もついている回廊は、便利だからだ。
労働を担う修道士もいて、彼らの仕事は、労働だ。祈り、そして働くということだ。彼らは、修道院付属の果樹園や、薬草畑など、外で働く分、気分転換ができるだろう。体を動かしたほうが、悪魔に付け入る隙を与えないからだ。労働する修道士は、厳密にいうと修道士ではなく、労務修士という身分だが。結局修道院も外と同じく身分社会というものからは、逃れられない。
食事が饗された。質素ではあるが、栄養価の高い食事だった。実際、外の飢饉で一日に多くの人が亡くなっていくような時でさえ、修道院ではちゃんと食事ができる。
これは、修道院自体が食料生産を行っており、かつ、備蓄も行っているからだ。旅人や巡礼者にとっては、避難所のようなところだった。ただで泊まれるし、病院の役割も担っているのだ。
私の護衛騎士は、流石に鎖帷子は着ていなかった。本来は任務中に脱いではいけないのだが、ここは修道院で客として滞在しているので、普通の服に着替えているのだが、剣だけは帯びていた。長剣とサクスを2本だ。盾が使えないので、サクスを盾代わりに使うのだろうと見当をつけていたが、幸い、戦いに遭遇することはなかった。
(そりゃそうだよな。盗賊が侵入するのは、あまりないはずだ)
食事中も会話はない。修道院は沈黙の場所だからだ。黙想も修行の一部なのだ。
食事が済んで、私は、中庭の回廊を歩いた。ぐるぐると、何周か覚えていないが、歩いて回った。数珠をつまぐりながら歩いたのだ。修道士たちは、政務日課をこなすようで、誰も中庭や回廊には居なかった。
ふと気付くと、前に、私と同じように歩いている修道士がいた。服装は私と同じ修道会の服のようだ。労働修士ではない。
私は、前方を歩く修道士に干渉しないように、ペースを合わせて歩くことにした。
回廊は長方形なので、短辺と長辺がある。私は長い廊下の真ん中あたりを歩いていた。前の人が長い廊下の角を曲がった。前の人に続いて、私が、長い廊下の角を曲がると、短辺の廊下に、その人はいなかった。
(ということは、すでに反対側の長辺廊下を歩いているのだろう。次の角を曲がる頃には、また背中を見ることができるかな)
私は、次の角を曲がった。しかし、その人はいなかった。
(おや、どこかの部屋に入られたのかな?なんだか付け回したみたいで悪かったかもな。祈りながら歩いているなら、妨げになるからな・・・だから、同じ速度で歩いたつもりだったのだが)
もう、前の人がいなくなったので、私は、そのまま同じペースで、祈りながら歩いた。気が楽になって、次の短辺の角を曲がり、そして次の角を曲がった。
(あれ、先程の人がすぐ前を歩いていないか?)
私は混乱してしまった。その人は、自分の部屋にちょっと寄ってまた出てきたのか?
いや、それはない。それなら、長辺のこちら側ではなく、あちら側から現れるはずだ。一周するうちに追い越されたのか?そんなバカな。追い越されて気づかない程、私の目は節穴なのか?
(祈ろうとしていた気持ちは何処かに消し飛んでしまった。でも、何かが変だ)
もしかして、廊下の切れ目からのショートカットなのか?
私は、なんとなく釈然としないまま、そこで散歩を切り上げて、自分の部屋に戻った。
釈然としなかったので、羊皮紙に回廊の見取り図を描いて、考えてみた。
四つの角に、それぞれA,B、C、Dをあてる。私が、Bへ向かって、AとBの中点あたりにいた時、前を歩く修道士に気づいた。その修道士は、すぐにBの角を曲がった。ABは長辺で、BCが短辺だ。そして長さは2:1ぐらい。私が、Bについて曲がった時、あの人はCにはすでにいなかった。
しかし、私がCについたとしても、せいぜいCD間の中点ぐらいにはいる筈だ。ところが居なかった。ここにすでに理解できないことが起きている。何かがおかしい。
そして、私が、A点に戻り、角を曲がったら、あの人は、ABの中点にいた。
見取り図を描いたので、整合していない部分がより際立って思えた。
その時、ドアを4回ノックする音が聞こえた。
「ドミニク神父様、私です。ベルンハルトです」
私は、扉のところにいき、ドアを開けた。
ベルンハルト殿は、厳しい顔をしていた。
「どうされたのですか?」
「ここの修道院長が行方不明なんです。どうやら誘拐されたようなんです」
いかがでしたか?
修道院長は誘拐されたのでしょうか?