vol.74 恐怖による支配
「ばかな……」
ヘリアンは、がっくりとうなだれた。それはそのまま四つん這いの姿勢にまでなる。それは、「人間が絶望すると自然とそういった姿勢になるのだなぁ」と私達に認識させるほどの落胆ぶりだった。
「ありえない……この俺が……こんな奴らに?」
先程までの余裕ある態度と打って変わって、威厳とはほど遠い王の姿に審判者やその他の兵士達も困惑している様子だった。既に、ただ私達を引っ捕らえれば事が済む状況ではない。“絶対なる勝利”という確信が失われてしまった今、この場に見切りをつけたのだろう。その数は一人、また一人で減っている様子だ。
「痛い目を見る前に、さっさと降参したほうが身のためじゃないかしら」
マリンが這いつくばるヘリアンを見下ろして言い放つ。
「痛い目だと……? そうか。思い出した。思い出したぞ……その声、キサマはこの俺を拒絶した夏目だな」
「……えっ」
ヘリアンは、マリンの人間だったときの名前をピタリと言い当てた。おい、何でマリンの名前を知っているんだ。同じクラスではあるものの、マリンは殆ど学校に来ていなかったハズ。……いや、そうじゃない。マリンがこの世界に転生したという時点で、こいつと何かしらの関わりがあったはずなのだ。知っていてもおかしくないのだ。
「な、何で分かったんですか? 声だけで思い出したなんて」
「フフフフ。そっちのおどおどしている奴は日向か。その姿になっても、人間だった頃と態度は変わらないな」
アンズが困惑した声をあげると、ヘリアンはその姿に反応して薄ら笑いを浮かべてアンズを見た。あまりにおぞましい姿に、思わずアンズは「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。その隣に立っていたクレハが、嫌悪感を露わにしながらアンズとヘリアンの間に割って入る。
「何よアンタ! さっきからニヤニヤと気持ち悪い!」
「そこのチビは秋山だな。皮膚の色が違うもんだから、理解するのが遅れてしまったよ」
馬鹿な、クレハまで。同じクラスメイトだからとはいえ、外見が異なり自己紹介もしていないのに。こうもスラスラと言い当てられるものなのだろうか。
「妙だ。妙だなぁ……お前らにはできるだけ重くなるように、転生時のペナルティを与えたのになぁ……。なんで、お前らが。ここにいる資格のないお前らが。そこに立っているんだ……!!」
突如として、ヘリアンの圧が大きくなる。禍々しい魔力の渦が彼の周囲に漂っている。な、なんだ。これ、まずいんじゃないか……? ちょっとこの戦力は予想外過ぎるぞ。<ST閲覧>でのぞき見たあいつのステータスは、全然大したものじゃなかったハズなのに……!
「がああああぁぁぁぁ……!!!」
その禍々しい渦は徐々に範囲を広げていく。次の瞬間、王の近くにいた兵士や審判者達が次々とうめき声をあげてバタバタと倒れていった。
「な、何!?」
倒れた兵士たちはピクリとも動かない。こ、これは……生命力を吸い取っている!?
「オール・フォー・ワン」
「え?」
「その忠誠心を礎とする魔法だ。俺に忠誠を誓った部下の、全ての生命力を自分のものとする禁忌の魔法」
奴の身体がムクムクと大きくなっていく。筋肉が膨張し、体格を無理やりビルド・アップしたためか歪な形の身体が形成される。そのあまりにも悍ましい姿に、アリッサムが怒りを露わにして叫んだ。
「なんてことを! ヒトの生命をなんだと思っているのです!!」
「良いか? 忠誠なんてものは役にたたなくちゃ意味がないんだ。上辺でばかり持て囃したところでそれは何の意味も持たない。その点、この魔法は忠誠心を直接俺の力として変換してくれるんだ。こんな素晴らしい魔法は他にないんだよ」
ヘリアンが一歩踏み出す。アリッサムをあざ笑うかの如く、眼の前に倒れていた兵士の頭をグチャリと踏みつけてしまったが。彼は全く気にする様子がなかった。
「な、なんでこんな奴に忠誠を誓えるっての? 理解に苦しむんだけど……」
嫌悪感を微塵も隠さず、クレハがヘリアンを見て怪訝な顔をしている。しかし、ヘリアンはそんな彼女を一瞥して鼻で笑ってみせた。
「はっはっは。忠誠心が信仰や信頼でしか得られないなんて考えてないだろうな?」
「なっ、どういう意味よ」
「分からないのか? そんなことだから、お前は学級委員長なのに誰もついてこないんだ。良いか? 信仰や信頼が得られないなら、恐怖で支配すれば良いんだよ。この魔法の恐ろしいところはな。この俺を“恐れた”奴は、もうその時点で俺の一部になってしまうところだ。敵味方関係なくな」
奴の魔力はどんどん大きくなってきていた。……待てよ? この悍ましい姿を、セレスガーデンの街の人々が見てしまったらどうなるんだ? 城の外から、観衆の声が聞こえる。マリンの作り出した映像を見て、街の人々が王に怒り押し寄せてきているのだ。奴の姿を見た人々が“恐怖”してしまったら……。
「ハハハハ! ことの深刻さにやっと気づいたか!! この俺をこんなことで追い詰めたと思ったのが間違――」
誰もがその状況を覆す策がないのかと固まった刹那。『ダンッ』という踏み込み音と共に、何かが炸裂する音が王座の間に響いた。
「新月ノ型・燕飛!!」
ヘリアンのその巨体が吹き飛び、王座を薙ぎ倒して壁に叩きつけられる。その勢いは壁ごと破壊し、ガラガラと瓦礫が奴の上に崩れ落ちた。炸裂音の正体は、凄まじい疾さで肘鉄を叩き込んだ衝撃。純白の衣に身を包んだ、アンズだった。
「アンズ! 大丈夫なの!?」
この状況で、私は真っ先にアンズが恐怖してしまうのではないかと考えていた。臆病で、心理的にダメージを負いやすい彼女のことを心配していた。或いは奴に囚われてしまうのではないかと。でも、アンズの目は誰よりもまっすぐヘリアンのことを捉えていた。
「大丈夫です! 皆さん、早いところこいつを倒しますよ!!」
「ぐ、くそ! 日向……何故だ、この俺はどんどん強くなるんだぞ。キサマのような人間は、状況を考えて真っ先に絶望してしまうハズなのに……なぜ、歯向かうことが無駄だと分からない!!」
瓦礫の中から、ヘリアンが立ち上がりながら叫ぶ。しかしアンズは至って冷静に、怒りを目に灯しながら言った。
「何を言っているんですか?」
「なんだと……」
「今の悍ましい姿の貴方を見ると皆が恐怖してしまいます。だったら、皆が恐怖する前に!! 貴方を私達で倒してしまえば良いだけです!! 順番通り、やるべきことを行えば良いだけ!! 無駄なことなんて、一つもありません!!」
アンズは叫んだ。彼女の周囲に、淡い緑色のオーラが漂う。あれは<チャクラ>の回復エネルギーを攻撃力に当てる技だ。彼女はただ闇雲に怒って攻撃しているわけではなかった。アンズは、しっかり考えて。ここにいる誰よりも素早く、最適な行動を起こしていたわけだ。
「その通りだよアンズ! よく言った!!」
彼女は、しっかり成長していた。いつだって、アンズのことを評価していなかったわけではないけど。アンズだって、私がおもっている以上にいろいろ考えて、前に進んでいたんだ。アンズが恐怖に負けてしまうかもしれないなんて、彼女に失礼な話だった。常に私達と一緒に最前線で戦ってきた彼女が、これくらいで折れるわけがないのだ。
「キキョウとルピナスはアリッサムを護って! 他のみんなはいつもどおり!! 行くよッ!!」
腕をシールドに<形態変化>させて、私は地面を蹴る。
「アンズちゃん、見直しちゃったわぁ」
「まったく、アンズに先を越されるなんてっ!」
続いて、マリンとクレハも魔力を開放して戦闘態勢に入った。全く相手を恐れる様子のない私達を見て怒り狂うヘリアンとの戦いが始まった。




