vol.23 再会
あの時、私達の目の前で死んでしまったアンズ。この手に、その生命を断った感覚がまだ残っているというくらいだというのに。そんな彼女に、私達はあっさりと再会してしまった。ダメ元で真っ直ぐ奴隷商まで来てみたけど、まさかこんなにあっさり会えるとは思っていなかった。
死んでしまったら記憶が失われるのではないかという、私達の予想通り。彼女は私達のことが分からないらしかった。こちらを見つめる目はひどく怯え、自分の両肩を抱えてぷるぷると震えている。初めて彼女を助けたときの反応と同じだったことを、私は思い出していた。
「お客さん、お目が高いねぇ」
アンズを見つめるマリンに、小汚い男がヘラヘラしながら話しかける。よく見ると前歯が無く、すごい間抜け面だ。彼は、ニマっと不快な笑顔を浮かべて続けた。
「そいつは昨日入ったばかりでな、ハーフ獣人のレアモノだよ。記憶を無くしちまってるのがたまにキズだけどな」
へぇ。アンズは純正の獣人とは違うんだな。よく見れば、他の獣人よりもアンズの方がより人間に近い見た目をしていた。ハーフ、クオーターと獣人の血が薄まるごとに人間っぽい見た目になっていくのかな。しかし、やっぱり記憶なしか。リスポーンの代償は記憶という線は間違いないな。
「……記憶が無いっていうのは、この子が死んでしまったからかしら?」
「あぁ。前の主人が生きていれば主人の元にリスポーンすっけど、まとめて死んじまったんだろうな。そういう場合、前に登録した地点。即ちウチの店にリスポーンするようになってんだよ。もっとも、そいつはもうツーアウトだ。そろそろ残機もないだろうな」
男はごそごそと自らのポケットを探り、あったあったとタバコを取り出すとその場で更かし始めた。奴隷の人生に興味など無い、とでも言いたげに。しかし私は、そんな彼に怒るのも忘れてその言葉の意味を理解しようと頭の中で必死に考えていた。いまこいつ、なんて言った?
残機だと? 生き返ることができる回数には、制限がある?
「あの……残機って」
「あぁ? 残機は残機だろ。普通の奴の残機は3つだ。3回死んだら終わり。だからツーアウト。ガキでも知ってるぜ?」
冗談は顔だけにしてほしい。マリンもショックなようで、面食らったようにその場から動けずにいる。アンズは、次死んでしまったらもう生き返ることができない。もしまた、ひどい奴に買われてしまった場合。その生命は失われたものと同義だ。
「その、前の主人は……?」
「さぁね。こいつがここにスポーンしたってことはスリーアウトだったんだろ」
絞り出すようにマリンが質問をするが、男は淡々として答えた。頭がキャパシティオーバーで沸騰してしまいそうだ。3回め死んだらどうなる? 消滅してしまうのか? それとも、全く別の個体になるのか?
ぐるぐると、余計なことまで考えてしまう。しかし今は一刻も早く彼女を解放してあげなければならない。マリンの<变化>も有限だ。チンタラしている暇はない。私はマリンに、アンズを買ってあげるように指示した。
「……では、こちらの子を貰えるかしら?」
「あー。残念だなぁ、ソイツは今さっき売れちまったばかりなんだよ」
は? なんだって? ……さっきの男か。寸でのところで先に買われてしまうとは運がない。内心舌打ちしつつ、なんとかならないか交渉を試みるよう促す。
「……私はどうしてもこの子が良いの。なんとかならないかしら」
「そうは言ってもねぇ……。こればっかりは早いもん勝ちだしなぁ。どうしてもってんなら、直接買った奴と交渉してくれや」
男はヘラヘラして言った。人をバカにしたようなニヤけ顔が腹が立つ。
「この子を買ったヒトのことは知ってる?」
「……勿論、タダってわけはないよなぁ?」
なんてがめつい奴だ……。マリンは小さくため息をつき、金貨を取り出すと男に握らせた。金貨1枚で1000ジルだったかな。ちょっと渡し過ぎな気もしたが、背に腹は代えられないか。
「まいど」
嬉しそうに男は言うと、一枚の紙切れをマリンによこした。どうやら、あの挙動不審男の住所が書いてあるらしい。マリンはしげしげとその紙を見つめ、そして階段の方へと踵を返す。
「詳しくは知らねぇが、そこに行くなら気をつけな。あいつに関わると碌なことがないぞ」
「……ご忠告ありがとう。もう行くわ」
「おいおい、マジで行くのかい? 物好きだねぇ、他にも良い奴隷はいるぜ?」
小汚い男の言うことを無視して、マリンは階段を登っていく。ヒュウと口笛を吹いて、男また椅子に座り本を読み始めた。偉そうにしやがって。こいつはいつか泣かす。密かに、そう心に誓った。
【……必ず助けるから!】
私は去り際、<念話>でアンズに話しかけた。ビクッとしてキョロキョロしている彼女の身を案じながら、私も階段を登る。受付の老人から一旦指輪を返してもらい、また来る旨を伝えてその場を後にした。あの挙動不審な男の家は、住宅区のはずれ。あんな変な男にアンズを渡すわけにはいかない。
※
私達は紙切れの住所を辿り、街の北西側、住宅区までやってきていた。マリンは方向感覚が良く、初めて通る道でも全然迷わない。一緒に行動している身としては安心感があるから非常に助かる。
【マリン、よく迷わないねぇ】
【ん? ああ、そうね。だって、私は目が見えなくてもなんとか生活していたから。視界があれば道を覚えるのなんて大したことじゃないわ】
スタスタと歩きながら、当然でしょ? とばかりに彼女は言った。十分凄いことだと思うんだけどなぁ。私なんて、地図があっても迷ってしまうのに。スマホの地図アプリがあったって、現在地が少しでもブレると分からなくなることすらある。
【ついたわよ?】
感心する私をよそに、どうやら無事に目的地へついたらしい。想像していたよりも遥かに大きな屋敷がそこにはあった。レンガ造りのその屋敷は、壁は古めかしくヒビが入っている。見るからに年季が入っていることが分かるが、庭の木々や芝生はしっかりと手入れされており、とりあえず廃墟ではないらしいことが分かった。
【……雰囲気あるね。ボロくて】
思わずつぶやいてしまう。立派ではあるが、住みたくはない。正直に言ってしまえばそんな感想を持つ屋敷だ。某テーマパークでこんな屋敷のアトラクションがあったな。なんだっけ、なんとかマンションってやつ。
【ごめんねコユキちゃん、ちょっと時間を頂戴】
おもむろに、マリンが小さな瓶を取り出す。それは、例の二人組が落とした薬品。ラベルに“MP回復のポーション”と書かれた薬品を、彼女は躊躇なく飲み干した。うおお、見るからに怪しいのに一気にいったな。レベルとスキルが上がり、マリンの<变化>していられる時間もかなり増えたが。奴隷商で少々時間を食ってしまったので、だいぶMPが枯渇していたらしい。
【……大丈夫、マリン? そういえば、街に来てから随分立つけどずっと<变化>したままだもんね】
【ええ、まだ平気よ。泣きごとも言ってられないし……せっかくここまで来たんだもの】
ニコリとマリンは微笑んで見せた。しかし、いつもの優しい笑顔とは違い、明らかに無理をしているのが分かった。MPは使いすぎると頭痛が起きる。無理が祟って、こうして普通に活動しているのもしんどくなってきているのだろう。
だけど、私はマリンの頑張りを無駄にしたくなかった。彼女はアンズを救うために真っ直ぐ動いてくれている。休んでいても良いよとも言おうとしたが、それを言ってしまうことは彼女の頑張りに水を指してしまうような気がして。
【行こう、マリン】
今の私には、口惜しいが背中を押してあげることしかできない。マリンもそれを分かっているのか、もう一度私に微笑むと、屋敷の門をくぐった。私も“身隠しの布”をしっかりかぶり直す。
今更ながら、歯抜けの男の言うことが頭の中でこだましていた。“あの男に関わると碌なことがない”、か。一体どんな危ない奴だというんだろう。ただの金持ちな中年にしか見えなかったが、不気味さだけが増していく。だがここは、アンズを助けるために避けては通れない道だ。
鬼が出るか蛇が出るか。緊張しながらも、私達は重そうな扉を叩いた。




