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気まぐれムジカと祭りの夜  作者: 齋藤睦月
第二章 祭りの夜
5/14

喧嘩慣れしていない人間

 夕焼けが山の向こうに色づき始めている。かき氷にイチゴシロップを垂らしたように、西の空が赤く染まっていく。


 神社の入り口らしき鳥居が見えてくると、太鼓や笛の音とともに喧騒が聞こえ始める。

 石畳の広い道を、露店の列が賑々しく彩っていて、なぜか売り子のお姉さんは金髪の人が多い。

 大人も子供も老人も、皆それぞれ楽しそうに歩いている。


 小さな頃、お祭りはいつも楽しみだった。毎日でも続いて欲しい、非日常的な時間。

 社会の歯車になってから――いや、きっとその少し前から――僕はお祭りを無邪気に楽しむことも無くなっていた。仕事に関わるしがらみやプレッシャーに振り回されて、常にストレスを抱えていたからかもしれない。

 そこから自由になった今、祭囃子(まつりばやし)の音はどこか懐かしく、心地良かった。


「中々悪くないラインナップだな。まずは熱々のたこ焼きが基本か……いや、あのイカ焼きの堂々たる様はどうだ。捨て置けん」


 境内に入るなり屋台の様子を伺っていたムジカが、食欲に(まみ)れた言葉を口にした。


「ムジカさん、取材する気あるんですか?」

「他人の取材スタイルに口出ししないでもらえるかな。私はもっぱらつまみ食いしながら取材を進めるタイプなんだ」


 言い終える前にムジカはイカ焼きの屋台へふらふらと吸い込まれ、より大きいイカ焼きを手に入れるべく売り手と交渉を始めた。

 確かに食欲を刺激される香りだ。わからないこともない。それにしても――

 ムジカの様子を眺めてから、僕は改めて()()に視線を移した。


 まるで天井のように中空へ敷き詰められた、無数の提灯。

 決して広大なスペースではないが、その数の多さに圧倒される。


 ふと、その提灯の一つ一つに絵が描いてあることに気付いた。

 近付いて見上げてみると、それはとても(つたな)い技術で描かれた顔だった。

 黒の筆だけで描かれたものもあれば、カラフルな絵の具を使っているものもある。

 おそらく地元の小学生にでも描かせたのだろう。笑顔の提灯が並ぶ様は、実にのどかな光景だ。


「あれが噂の『生首』ってわけですね」


 イカ焼きを咥えて戻って来たムジカに尋ねると、口をモグモグと動かし、じっくりと嚥下(えんか)してから彼女は答えた。


「そう、気付いたかい。しかも顔は一つ一つ異なる。コピー機やパソコンなど一切使わず、全て手描きだそうだ」

「思っていたよりも、何だか可愛らしいですね。言っても提灯ですし、当たり前か」


 すると僕の言葉にムジカが薄く笑ったような気がした。蒸し暑い夜なのに、ほんの一筋、背中に冷汗が流れる。


 ムジカは境内(けいだい)へ向かう広い階段を指差して言った。


「奥へ進もうか。上から見下ろす景色を撮影しておきたい」


 得体の知れない不安が不意にお腹の中に湧き上がってきたが、奥歯を噛み締めてそれを押し殺す。

 美女とのお祭りデートだぞ。こんな機会を楽しまずして何が旅か。


 歩き出したムジカの後ろについて、僕は人混みの中を歩き出した。


 ◆


 さすがに地元民が勢ぞろいするお祭りの会場となるだけあって、神社の敷地はそれなりに広い。

 本殿に続く広い階段は大きくカーブしていて、下からは上の様子がまったくわからない。

 途中の階段にも大勢の人たちが行き来しているらしく、浴衣の鮮やかな色彩が遠くからでもざわざわと動いて見える。


 ムジカを見ると、いつの間に取り出したのかスマートフォンを上に向け、気に入った提灯を見つけては撮影している。

 何枚かは自分自身も含めて写しているようだった。こうやって撮影した画像も、後にブログの中で効果的に使われるのだろう。


「ムジカさん、僕が撮りましょうか?」

「それには及ばない。考えてみなよ、後でブログにアップして『この写真は誰が撮影したんですか? お祭りに誰かと行ったんですか?』なんて書かれてみろ。アイドルブロガーにたちまち彼氏疑惑が持ち上がる。炎上マーケティングは趣味じゃないんでな」


 なるほど、と納得する。

 しかしそれなら本当にどうして僕は誘われたのか。本当に話し相手が欲しかっただけなのだろうか。あれだけのルックスだ。僕のようなヒョロい男じゃなく、もう少し頼りになるお供がいくらでも見つかるだろうに。


 そう思った時、二人の男が近付いて来た。


 ◆


「ねぇねぇ、君可愛いね。ヒャクパーこの辺の子じゃないでしょ。どこから来たの」

「おいおいイキナリ声掛けんなよ、お前見た目いかちいから怖がんべ」


 二人組は無遠慮にムジカに話し掛けてくる。


 日焼けした肌を見せつけるようなタンクトップを着た筋肉質の男と、サングラスをアタマに着けて甚平を着た男。揃って示し合わせたように短めの眉毛が威圧感を感じさせる。

 二人とも僕よりも若そうだが、シンプルに言ってしまうと、かなり苦手なタイプだ。


 どうやら僕とムジカが一緒に行動してると思っていないらしく、彼らは僕には目もくれずにムジカに声を掛けている。

 あるいはわざと無視しているのかもしれないな、とも思った。


 こういう時、喧嘩慣れしていない人間には選択肢が少ない。仲裁するのも追い返すのも、殴り合いに発展する可能性がある以上、躊躇する。

 頭では怖がっていなくても、身体が(すく)むのだ。


 ムジカが助けを求めて来たらどうしようかと思ったが、こちらを振り向きすらしない。

 僕は言葉を発することも出来ずに、その場に固まってしまった。


「わかった、都内だ! その美しさは絶対コンクリートジャングルで磨いてる。当たってたら俺と一緒にビール飲んでくださ~い」とタンクトップが言う。

「うるせぇよ酔っ払い!」甚平が笑いながら突っ込む。「でも俺らマジ君と思い出残したいんですけど、ちょっと遊ぼうよ。いいじゃん」


 二人ともいちいち声と動きが無駄に大きい。そしてそれがまた威圧感を増幅させる演出となっている。


 ムジカの様子を伺うと、いつの間にか取り出したスマートフォンを操作しながら、イカ焼きの残りを咀嚼している。若者二人を無視している形だ。


「おいおい、スルーとか超酷くね? さすがに失礼でしょ」と甚平。

「マジ俺ら超良い奴よ。見た目で判断されていつも泣いてんだから。……お姉さん聴こえてる? ねぇねぇ」


 タンクトップがムジカの肩に手を掛けようとするが、スマートフォンを見ながらムジカは身体を軽く捻ってその手をすり抜けた。

 男はもう一度とばかりに後ろから手を延ばすが、やはりかわされてしまう。まるで言葉も肉体も、すべてがムジカに届かないかのようだ。


 タンクトップは二度も空振りをした事で明らかに苛立った様子を見せた。

 自分に非があっても他人に怒りを発散出来る類の人間。第一印象通り、僕が苦手とするタイプのようだ。


「逃げんなよオイ」


 男が冷たい声で恫喝する。途端に辺りの空気が凍り付いたように感じ、心臓が早鐘を打つ。


 彼はムジカを睨みつけるが、ムジカはまったく意に介さずといった様子でスマートフォンを操作している。

 ナンパには無視が最も有効だとはいえ、今回は相手が悪いんじゃないか。などと、心配だけは一人前な自分が情けない。


「おい」タンクトップがゆっくり近づく。「お前次シカトしたらマジ殺すぞ。礼儀知らねえのかコラ」


 するとムジカは初めて男の言葉に反応を見せた。

 不機嫌そうにため息をついて、スマートフォンをポケットにしまう。


「二つ、教えようか」


 そう言って顔を上げたムジカを見て、チンピラたちの表情が変わった。

 怒りと不満の代わりに浮かんだのは、驚きと怯えの色だった。


「まず、私には連れがいるので君らと行動を共にすることは出来ない」


 押し殺した声で話すムジカの表情は僕の角度からは伺えない。しかしその全身から漂うただならない雰囲気に、遠巻きに見ているだけの僕も萎縮していた。


「そしてもう一つ」


 ゆっくりと左手を持ち上げ、タンクトップの男を指す。

 場の緊張感が更に高まる。全ての音がどこか遠くから聴こえるようだ。


「礼儀が()ぇのはてめぇだ」


 突然言葉を荒らげると、ムジカは人差し指を伸ばしたまま左手をひらひらと振った。まるでオーケストラの指揮を一小節だけ任されたように。


「おわっ!」


 小さな悲鳴とともに、タンクトップ男が履いていたハーフパンツがストンと落ちた。


 いきなり下着丸出しになった男が慌てて履き直そうとハーフパンツを持ち上げるが、うまく固定出来ない。

 一歩離れて見ていたサングラス男が近付いて声を掛けた。


「おい何してんだよ」

「くっそ何だこれ、紐が千切れてる」


 千切れてる? 偶然、それともムジカが何か?

 そう思ってムジカを見ると、また左手をひらひらと動かしている。すると、薄闇に二つの明かりが生まれた。


 より正確に言うと、男たちの背中が燃え上がったのだ。


「うわああああ! あちぃ!」

「んだよこれ、あああああああ!」


 男たちは火の付いた服を慌てて脱ぎ始めるが、汗で身体にまとわりつくのか、するりと脱ぎ捨てることが出来ない。


「あっはははは! どうしたんだよお前ら、カチカチ山かぁ? 早く消さないと火傷しちまうぞ!」


 ムジカの冷酷な嘲笑に言い返す余裕も無い。

 二人は脱衣することを諦めて、火を消そうとその場で転がり始めた。


 助けるべきだろうか。しかしどうやって。

 周りの人たちが何人か状況に気付いたらしく、何人かの悲鳴とともにざわめきが聞こえる。


「泉原くん、そう慌てるな。ちょっとお灸を据えてやっただけだ。ほら」


 言いながらまた左手を動かすと、男たちの背中に点いていた火が瞬時に消えた。それはまるで、ムジカが炎を操っているかのようだった。

 僕は事態が飲み込めず、呆然としていた。


 二人の男はしばらく地面に転がっていたが、しばらくすると立ち上がり、背中を触り始めた。そしてムジカの方に顔を向ける。


「ひっ」


 タンクトップの男は情けない声を上げると、ハーフパンツがずり落ちないように掴んだままドタドタと階段を下り始めた。

 甚平の男もそれに続く。


 それを見てムジカは再び指差していた左手を降ろした。

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