なんとも猟奇趣味な神
「昔々のことだ。この地域である病が流行した。現代医療の知識があれば、適切な治療と予防で対処できたのだろうが、当時の人々はその術を持たなかった。体力の乏しい老人や子どもが次々と命を落とす中、彼らはそれを山の神の仕業と考えた」
「カミって、神様?」と思わず訊き返した。
「そう、神様。日本が誇る八百万の神の一人だ。自由な発想が許されて素晴らしいね、この国は。これが一神教だとそうはいかない。連中ときたら事あるごとに神への冒涜だの何だのと、寛容さのかけらも無い。そんな奴らに限って宗教犯罪に走りたがるから手に負えない」
「概ね同意しますけど、何か話がそれてきた気が」
ムジカは芝居がかった咳払いをして、話を本題に戻してきた。
「山の神についてだったね。このタイミングで唐突に創り上げられたわけではなく、元々そういった土着の神の言い伝えがあったらしい。人々は神の怒りを鎮めるべく、祭りを執り行った」
祭りという言葉が出てきたので、おそらくこれが提灯祭りに繋がるのだろうと推測する。
「さて泉原くん。神の怒りを鎮めるために、人々は何をしたと思う?」
「儀式ですかね。舞を舞ったり、供物を捧げたり」
「そう、供物だ。では何を供えたかというと……」
ムジカはそこで一呼吸置くと、さらに顔を寄せて低い声で囁いた。
「生首だよ」
ナマクビ。生首。日常会話においては聞き慣れない単語だが、不穏なその言葉はあっさりと僕の頭に入って来た。
「物騒ですね。生贄を捧げたってことですか……」
僕の反応を楽しんでいるのだろうか。ムジカは口元に笑みを浮かべている。
「元々山の神の言い伝えがあったと言ったろう。古来その山では失踪した人間が、首無しで発見されることがあったそうだ。新聞すら無い頃の言い伝えで、真偽は実に怪しいものだけどね。そんなバックグラウンドもあって、山の神は人の首がお好みだとされたわけだな」
それが本当なら、なんとも猟奇趣味な神が居たものだ。
「実際には猟奇殺人鬼が人知れず殺して回ってただけなんじゃないですか?」
現実的な解釈をしてみる。すると彼女は「そうかもしれないね」と意味ありげに微笑んだ。「とにかく、人々は首を捧げることにした。しかし皆を助ける為に率先して首を差し出す者など現れるはずもない。実際には生首に模した提灯を吊るすことで、山の神の怒りを鎮めたという話だ」
生首の代わりが提灯。なるほどそれで提灯祭りか。頷きながらカップを口元へ運ぶが、中身が無い。話を聞きながら無意識に飲み干していたようだ。
「それで、ムジカさんはそのお祭りに何しに行くんですか? あ、もしかして民俗学を研究してる人?」
「いや、もちろんただの趣味だよ。実益も兼ねているけどね。こういった奇妙な言い伝えや風習は探してみると全国に未だ数多く残っているものだ。そんな土地を訪れて、実際に見て回り、レポートを書く」
「ということは、ライターさんですか。記事を雑誌に持ち込むとか」
僕の言葉にムジカはやれやれと首を振った。
「雑誌に載せるよりも、今はインターネットだよ、泉原くん。私はこの通り美女だからな。プロフィールに顔写真を載せているだけで、アクセス数は増える一方だ」
うなぎ登りのジェスチャーだろうか、人差し指を上に向けてニョロニョロと上げてみせる。個人サイトでもアクセス数が多ければ、広告などでそれなりの収入を得られると聞いたことがあるが、ムジカは上手くやっているのだろう。
自分で自分を美女と言い切るとは大したものだが、こういう明け透けな性格も人気に繋がっているのかもしれない。
ウェブの世界は信じられないスピードで日々変化していく。そこには当然、流行り廃りといったものがあり、個人のサイトが人気を維持するのは極めて難しいものだ。
ちなみに僕が作ったブログ『ハイパーくるくるランド』は、設立以来アクセス数がまるで伸びず、ウェブ上に公開されていながら他の誰ともほとんど交流も無く、さながら生ける屍と化している。
◆
ふと気付くと、ムジカが僕の眼を覗いていた。
「な、なんですか?」
「もしよかったら」ムジカは続ける。「一緒に行かないかい?」
これ以上無いくらいにストレートな誘い文句が飛び出した。油断していた心を掴まれて、顔が赤くなるのがわかる。
「え、いや、それはいいですよ」
焦りの余り、イエスだかノーだか判然としない返事をしてしまう。
しかしムジカは都合良く解釈したらしく、ニヤリと笑って言った。
「決まりだな。では私は一度宿へ荷物を置きに行ってくる。すぐに戻るので、君は時間調整にコーヒーでもお代わりしていてくれ。十六時にそこの駅前で待ち合わせよう。異論は無いな?」
気持ち良いくらいに自由な人だ。しかし——「どうして僕を誘ったんですか?」
「一人旅での取材も嫌いじゃないが、たまには連れが居てもいいと思ってね」ムジカは美しい黒髪を手で弄びながら事も無げに言った。「それに、仲間を探すなら酒場が基本だからな」
「そんな、ロープレじゃないんですから……」
ここは酒場じゃないし、仮にそうだとしても訊きたかったのはそういうことじゃない。
何故僕だったかということだ。
「どうしたんだ、お代わりしないのかい? 遠慮しないで頼まないと割り勘負けしてしまうぞ」
恐ろしいことに、いつの間にか割り勘することになっている。僕は軽くため息をついてからお代わりを注文した。
ふと気になって伝票を見ると、『本日のパスタとケーキのセット』が事前に頼まれていたとしか思えない金額が記されていた。
「じゃあ泉原くん、時間に遅れるなよ」
ムジカがしれっと半分弱のお金をテーブルに置いて店を出て行った。割り勘負けどころの騒ぎではない。ほぼ初対面の僕に声を掛けたのは、これが理由だったのでは。
頭を掻きながら、僕は砂糖抜きのエスプレッソを飲み込んだ。
◆
店を後にして腕時計を見ると、数分で十六時になろうというところだった。
このカフェから駅までは一分と掛からない。僕は待ち合わせ場所へと向かった。
地元住民らしきラフな格好をした人々が、三々五々神社の方角へ歩いて行く。
この辺りの住民にとっては年に一度のお祭りだ。歩ける人は全員参加というのも大げさではないのかもしれない。
「遅いぞ泉原くん」
見ると、ムジカが改札の外で腕組みをしていた。キャリーバッグも帽子も宿に置いてきたと見える。
「時間ぴったりじゃないですか」と僕は口を尖らせる。しかし女の子と待ち合わせてお祭りへ行くという憧れのシチュエーションに、僕は内心少し感動していた。
「集合場所には五分前入りが基本だろう。……泉原くん、何をニヤニヤしてるんだ?」
「な、なんでもないですよ!」見透かされた気がしてドキリとする。
「そうか。それじゃ早速神社へ向かうとしよう」
地図を広げるまでもなく、地元の住民たちの流れに合流して歩けば神社へは辿り着けそうだった。
「それにしてもムジカさん、お祭りのことかなり詳しく調べてるみたいですね」
「事前調査を怠らない主義なんだ。必要な時に必要なことを知っておけば済む」
「露店も出てるんですか?」
「もちろんだ。先に言っておくが、たこ焼きは譲らないぞ。欲しければ身銭を切って買うことだな」
相変わらずの子供扱いだ。いったいこの女性はいくつなのだろう。とても三十路には見えないが。
伺うように顔を見ていると、ムジカが照れたように両手で顔を隠した。
「私の顔が美しいからといって露骨に見とれないでくれるかな。恥ずかしいじゃないか」
「何言ってんですか。ほうれい線の具合を確認してただけですよ」
恥ずかしさを誤魔化すために軽口を叩いてみせたが、その返事は強めの裏拳となって返ってきた。