普通の人間ではなくなる
「と、いうわけだ」背中からムジカの声がする。
「どういうわけですか」質問とも文句とも取れるニュアンスで僕が呟く。まるで宮沢賢治の世界だ。
「お察しの通りさ。カフェ・インヴィジブルは裏の世界だ。セバスチャンが作ったフィールドで、好きな場所に展開できる。ほら、改めて挨拶を、セバスチャン」
身長百七十センチ弱の姿勢の良い老人。カフェのマスターだとばかり思っていた男が慇懃に頭を下げる。
「セバスチャンと申します。ムジカお嬢様のサポートをさせて頂いております。以後お見知り置きを」
「執事じゃないんですね。サポートというのは、妖怪退治の?」
「左様でございます」
彼の名前が想像通りだったことへの驚きは敢えて口にしないでおく。
ムジカによれば、セバスチャンは自分の後見人のようなものらしい。今は亡き父親の遺言に従い、ムジカのことを陰ながら見守り続けている存在とのことだが、もはやこの辺の陳腐な設定は信じてよいのかどうかもわからない。
「裏へ入るのには入口を通る必要がある。しかし例外としてオーナーである妖怪が招いた場合、本人の意図しない形で裏へ入ることがある。また一つ勉強になったな」
「そうですね」
「そんなわけでね。十中八九、君はカフェに入るだろうと踏んでいた。カフェ・インヴィジブルは君好みのヨーロピアンな造りのオシャレカフェだ。旅先での非日常ムードを味わうには打ってつけだからな。それに――」
「それに?」
「最悪カフェで再会できなくとも構わないと考えていた。お祭りの会場で再会というのも悪くないシチュエーションだからな」
確かに。現地で会っていたとしても大筋は変わらなかったに違いない。
「つまりさ、泉原くん」ムジカが正面から僕を見て続けた。「自分がこっそりやっていたブログを仕事のパートナーが見ていたら嫌だろう? 君に本当の事を隠していたのはすべて、今後の事を配慮した結果なんだよ。だけどそれももう白状した。匿名ブログを続けたければ、新たにこっそり開設すればいいだろう。世の中には善意の嘘というものも存在するんだ。わかるだろう?」
ムジカがここを先途と畳み掛ける。椅子さえも無くなったカフェ跡地で、僕は立ったまま勧誘されている。傍から見たら美容院の客引きにでも見えるのかもしれないと思ったが、この駅前にあるのは昔ながらの理容室だろう。
さらりと嘘をつくし、頭のネジも飛んでいる。そんなムジカになお惹かれるのは、彼女のルックスや不思議な力だけが理由なのだろうか。それだけでは無い、と思う。この人と一緒に居れば、きっとエキサイティングな経験をすることが出来る。それはきっと、何にも代え難いというやつだ。
「わかりました」と僕は言う。「お手伝いさせて下さい」
「泉原くん! 君ならきっとそう言ってくれると期待していたよ!」
ムジカが両手で肩を掴んで喜びをあらわにする。昨夜見たゼロ距離の爆炎を思い出して、一瞬ヒヤリとする。
僕は思う。きっと、誰かに必要とされることが何より大切なんだ。僕はそういう人間なんだろう。
「その代わり、条件出してもいいですか?」と僕は言った。
「条件? まさか、私に恋人になれとでも言うのではないだろうな」
「違います」
わざとらしく動揺するムジカに、きっぱりと断る。
「なんだつまらない。では何が望みだ?」
種明かしに店を畳んでくれたのはいいが、お陰でさっきから立ち話だ。もう単刀直入に話を進めよう。
「さっきの妖玉、僕にインストールしてください」
「なんだって? あれは、その、ダメだ。凄く貴重な物なんだ。それに使い方を間違えると自分の命さえ危ない危険なものだぞ。君のことを思って言うが、やめた方がいい」
「あれだけの強さを持つムジカさんに守ってもらえるのは心強いです。でも、僕にも力が欲しいんです。ムジカさんを助けられる力が」
力無き正義は無力。どんなに正しく強い心があっても、それを突き通す力がなければ役には立たない。
それに、妖技はどれも反則のような超能力だ。これからどんなに腕立て腹筋して鍛えても、生身で立ち向かえるとは思えない。
僕の言葉に驚いた様な表情を見せたムジカだが、やがて目を閉じると口元を綻ばせて言った。
「泉原くんは素直だな。まぁいいだろう、入社祝いだ。プレゼントするよ」
「本当ですか!」
「ああ。その代わり――」言いながらムジカは僕の右手を取り、黒く煌めく妖玉をしっかりと握らせた。「——期待通りに働いてくれよ、泉原くん」
硬く感じた玉の表面だが、力を入れると不自然なほど指がめり込んで行く。手の平から腕に。腕から上半身に。全身に熱が伝わって行くのがわかる。
「これで君も妖技使いの仲間入りだな。さてさてどんな能力が身に付くか」
「え? かまいたちの能力が手に入るんじゃないんですか?」
増幅してゆく熱に、歯を食いしばって耐えながらも疑問を口にする。
「それはそうなんだが、奴も色んな力を持っていたろう? 美少女に姿を変える能力、大鎌を具現化する能力、傷を癒す能力。通常妖玉には一種類の力しか入っていないからな。何が当たるかはお楽しみさ」
そんなバクチ要素があるなんて。攻守バランスの取れた能力が一辺に手に入るという欲張りな期待が外れてしまった。
徐々に視界が赤い光で満ちてゆく。目の裏側がじんじんと痛む。これ大丈夫なのか? やり方を間違ってたりしないか? 少し不安になりムジカを見ると、彼女は言った。
「それがどんな能力だとしても――」鈍い痛みと眩い光。頭が重い。ムジカの言葉が四方から聴こえて来る。「――君は普通の人間ではなくなる。君が望んだことだ。後悔禁止、だぞ?」
頭の中まで伝わってきた熱で、ムジカの声がノイズの様に聞こえた。耳鳴りがする。手が震える。目の他に痛みは無い。しかし頭がおかしくなりそうだ。
叫び出しそうになったその時、突然すべての音が途切れた。
暗く、黒い闇が、僕を包んでいる。痛みが消えている。ふと、自分の中に今まで無かった感覚があることに気付いた。喩えるなら、新たな臓器を得たような。
おもむろに周りの音が戻ってくる。蝉の声、車の音、そして――わくわくを抑え切れないといった様子のムジカの声が聞こえた。
「どうだ? どうだ? 一体どんな妖技だ? 説明書など無いが、使い方もルールもわかるはずだ。君の記憶ごと書き換えられているはずだからな」
彼女の言う通り、今すぐにでも妖技が使えることがはっきり確信出来た。これは、この能力は。
「それがその、どうやらこれ――相手を転ばせる能力みたいです」
その言葉でムジカがこける。これは妖技ではなく、がっかりしてのことだろう。僕としても期待が大きかった分、かなり残念だ。ともあれ僕は、こうして妖技使いになった。
妹を殺された仇を討つ為でもなく、世界征服の野望を阻止する為でもなく、ただ僕を必要としてくれる人の為に働く。そんな自分が嫌いじゃないとも思える。
「ムジカさん、宜しくお願いします」
「ああ、よろしく泉原くん。早速だが、都内へ戻ろう。事務所件私の自宅が砂川区にある。次のターゲットの予習といこうじゃないか」
がっしりと握手をして、ムジカのようにニヤリと笑ってみせる。ムジカもまた、笑顔で応える。僕がやるべきことが見つかった。もう迷わない。自分を必要としてくれる人の為に、僕は命を賭して働こう。心からそう思った。




