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気まぐれムジカと祭りの夜  作者: 齋藤睦月
第四章 カフェ・インヴィジブル
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肉を斬らせて骨を断つ

 エスプレッソを抽出する蒸気音が聴こえる中、僕は質問すべきことを整理していた。場所はカフェ・インヴィジブルのテーブル席。時刻は正午を少し回ったところだが、ムジカはまだ来ない。


「お待たせ致しました」


 カチャリと軽い音を立ててデミタスカップの乗ったソーサーが置かれる。ムジカの携帯番号を訊いておくべきだったか。エスプレッソを口に含んだその時、ドアチャイムの音とともにムジカが店内へ入って来た。


「悪いな泉原くん、五分遅刻だ」


 昨日の清楚な白いワンピースとは違い、今日はノースリーブの青いシャツに黒のショートパンツを合わせている。それにも増して快活な印象なのは、長い髪を後ろで縛ったポニーテールだ。


「ムジカさん、昨日とだいぶ雰囲気が違いますね」

「面倒な仕事は片付いたからな。今日はリラックスモードだ」


 昨日のワンピースよりずっと戦闘に向いているんじゃないかと思ったが、口に出すのはやめた。おそらくムジカなりの美学やこだわりがあるのだろう。


 ムジカが席に着くのを見計らって、マスターが氷水を差し出す。一口、二口と飲み込んでから、ムジカもエスプレッソを注文した。


「さて、反省会を始めようか」


 ◆


「どうして斬られた腕が再生したんですか? あいつを倒す目的って何だったんですか? 昨夜僕に謝ったのはどうしてですか?」

「待て待て、一辺に質問しないでくれ。私は聖徳太子じゃないんだ」


 複数の質問を同時にしたわけではなく、単なる矢継ぎ早な質問だったのだが。


「わかりました。じゃあまず、腕をどうやってくっ付けたんですか?」


 ムジカは少し照れたように頭をかいて言った。


「実を言うと私には炎を操る他にもう一つ妖技があってね。……ある出来事を、無かったことに出来るんだ」

「無かったことに?」

「これは実に便利な能力でね。ちょっと見せてやろう」


 飲み終わった僕のカップをムジカが手に取り、頭の上まで持ち上げたかと思うとそれを床に叩きつけた。強烈な破砕音とともに、床に破片が散らばる。


「お客様、大丈夫ですか?」


 音を聞きつけてマスターが駆け寄ってくる。しかし――


「ああ、大丈夫。何も割れてない」


 そんな馬鹿なと床を見るが、破片らしき物は見つからない。それどころか――僕の目の前にはムジカに叩き壊されたはずのカップが鎮座していた。


 不思議なのはマスターも同様らしく、首を傾げながら戻って行った。


「――というわけだ。カップを落としたのを無かったことにした。割れたカップは元通り。何故なら落としてないからね」


 カップの底には僕が飲んだ珈琲の後が残っている。すり替え等のトリックではなさそうだ。


「同じように、腕を斬られた時もそれを無かったことにした。過去を変えるわけじゃないから、腕を斬られた記憶は残っているし、斬った方から見たら腕が再生したように見えるかもしれない。しかし、結果としては無かったことになるんだ」


 なんとも便利な能力だ。というか、最強の回復能力とさえ言えるかもしれない。待てよ、ということは……?


「だから、君の首がはねられたことも無かったことにした。おかげでピンピンしてるだろ? 私の妖技の力さ」


 一度は本当に首を切断されていたことを知り、背筋が凍り付く。死んだ後に無かったことにしたのか、それとも死ぬ寸前だったのだろうか。深く考えると怖くなりそうだから、やめておこう。


「そうだったんですね。でも、それならむしろ僕がお礼を言うべきであって、ムジカさんが謝ることじゃないのでは?」

「ああ、つまりね。肉を斬らせて骨を断つ、というか。実は、君を餌にしたんだ。わかるかい、おとり作戦だよ」


 ムジカは申し訳なさそうに物騒な発言を繰り出した。


「おとり? どういうことです」

「かまいたちは若い男が好きらしい。情報屋の妖怪からそんなネタを仕入れていたんだ。ほら、先日ニュースになった事件でも、犠牲者は若い男性だったろう。私のような美女の前には姿も現さないかもしれない。そこで君を連れて来たわけだ」


 そこまで聞いて、ようやく辻褄が合った。僕が首を飛ばされる瞬間に、ムジカはかまいたちを不意打ちしたのだ。その上で、首が飛んだ出来事を無かったことにした。


「どうせ無かったことに出来るんだから、首が飛んでも構わないって考えたんですね」と僕は若干の怒りを滲ませて言う。

「いや、さすがにそれは違うぞ泉原くん。最初は寸前で助け出すつもりだったんだ。でも、なんていうかその……ノリノリでキスしてる君を見てたら、軽いお灸が必要だと思ってね」

「わざと首が飛ぶまで待ったってことですか? 駄目押しに酷い!」


 ムジカはけらけらと笑っている。どうやらこの人は、頭のネジが二、三本飛んでいる。


「おとり、か。ムジカさん、それで僕をお祭りに誘ったんですね」

「すまない、本当にごめん」


 目の前で手を合わせてムジカが謝る。常に尊大な態度を崩さなかった、あのムジカが。ドライな作戦を立てながらも、それなりに罪悪感はあったということなのだろう。


 少しがっかりしたものの、理由がわかってよかった気もする。奥歯に詰まっていたビスケットがやっと取れたような気持ちだ。しかし、まだわからないことはある。


「いいですよもう」

「許してくれるのかい?」

「その代わりに教えて下さい。ムジカさんがあいつを倒したかった理由ってなんですか?」

「ああ、それはこれだ」ムジカが嬉しそうにカバンを探って何かを取り出した。その手には、スーパーボール大の黒い球体が収まっている。金属の様にも見えるが、細かい光の粒が煌めいている。


 受け取ってみるとズシリと重く、見た目から受ける印象とは随分違う。硬く滑らかな触り心地。これは一体。


「なんですかこれ?」

「妖玉と呼ばれる球だ。あいつを始末した時に手に入れた。ここには奴の妖技が詰まっている。インストーラーみたいな物さ。そいつは貴重品でね。裏のマーケットで(さば)けばかなりの金になるんだ」

「えっと、金の為? 家族を殺された敵討ちとかじゃなくて?」

「おいおい、人のエピソードを勝手に仕立て上げないでくれよ。三流映画のシナリオじゃあるまいし」


 その三流の筋書きの方がまだ納得出来ただろう。心細かった? 宿命だって? 全部でたらめだ。ただの金儲けに利用しただけだったのだ。


「でも」ムジカが言う。「私が腕を飛ばされた時、命懸けで奴に立ち向かってくれたね。あれには少し、感動したんだ」


 急に真面目な顔でそう言われて面食らう。


「嬉しかったよ。ありがとう」

「そんな、らしくないじゃないですか」


 ギャップというやつだろうか。ムジカの態度がとても殊勝(しゅしょう)に感じられる。誠実な感謝の言葉によって、金のために利用されたという悔しさは霧散(むさん)していた。なんとも単純だが。

 あるいはそれは、ムジカの危機に直面して臆する自分の身体を動かせたこと。勇気を奮い起こせたという事実を、今はっきりと認めることが出来たからかもしれない。


「お金の為に騙されてたことは正直腹立たしいですけど、でも……」一瞬言い淀んでから言い直す。「でも、今回僕はそれ以上に価値のある経験をさせてもらいました。僕がお礼を言いたいくらいです」


 仕事を辞めてからずっと――いや、あるいはその随分前から――僕は自分の価値を見失っていた。自分に何が出来るのか。誰が僕を必要としてくれるのか。でもそんなことをいくら頭で考えても仕方が無い。何かを試みることの方がきっと何倍も意味のあることだったんだ。それがわかっただけでも、僕にとってこれは貴重な出来事だった。


「ああそれで、実はね……実は泉原くんに相談があるんだ」ムジカの口の端が再び悪戯っぽく引き上がる。

「なんですか。またおとりになれって言うんじゃないでしょうね」つい皮肉っぽく返してしまう。すると――


「私の助手にならないか?」


 ――想定外の発言が飛んできた。

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