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気まぐれムジカと祭りの夜  作者: 齋藤睦月
プロローグ
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一人旅の始まり

泉原いずはら しん:主人公。26歳、無職。彼女なし。戦闘能力もなし。

チート主人公全盛の昨今において非常に弱っちい主人公です。

 八月のある日、蝉時雨(せみしぐれ)が降り注ぐ中。僕は新幹線のホームで電車を待っていた。

 八月とはいえ、世間が夏休みに入る少し前、そして平日だ。周りにはキャリーバッグを携えたビジネスマンらしきスーツの男が三人に子連れの母親が二組。そして涼しげにアロハシャツを着こなした老夫婦が座っているぐらいだ。


 白を基調とした流線型の美しい乗り物が、僕は嫌いじゃない。時速二百七十キロという、通常車両を遥かに凌駕する速度で走行する。反比例して車内の揺れは少なく、座席の構造も実に快適。余程困窮していなければ、長距離移動で新幹線を使わない理由はなかなか見つからない。

 とはいえ、そうそう遠出する機会の無い生活サイクルだったため、久々に乗る新幹線の到着が待ち遠しかった。



 泉原真(いずはらしん)。二十六歳、男性。無職。

 自分という人間の最小限のプロフィールを思い浮かべて、ため息をつく。


 今から十日程前、僕は会社に退職届を出した。入社して三年。それが世間でも言われる退職しやすいタイミングの一つだとは知っていたけど、まさか自分が辞めることになるとはまったく考えていなかった。


 都内の私立大学を卒業後、新卒で採用された会社だったが、元々やりたかった仕事というわけでもない。

 明確な目標も抱けないまま大学三年から始めた就職活動の中で、志望の会社にはまったく相手にされなかった。

 たらい回しの果てに志望業界を広げに広げ、ようやく引っかかった会社なのだ。結果的には苦労の末に入ったことになるが、いつ辞めても後悔はなかった。


 十年先の自分、二十年先の自分。

 身近な上司にその姿を重ねる内に、いつしか理想が描けなくなっていた。


 そんなある日、珍しく発注ミスをした僕は、上司の叱責を受けることになった。同僚や後輩の前で叱られた屈辱もあったが、辞めたいと思ったきっかけは上司の台詞だった。


「新人じゃねぇんだから、しっかりしてくれよ。お前の代わりはいくらでもいるんだからな」


 僕の代わりはいくらでもいる。

 当たり前のことだけど、その日に限ってその言葉は強烈に胸に突き刺さった。代わりが居るんだったら、僕じゃなくてもいいじゃないか。

 必要とされていないのに、お金の為に働かせてもらう。やりたいことも、なりたい自分もそこには無い。そんなことに一度しかない人生を費やすべきなのだろうか。


 一度芽生えた疑念は拭えなくなり、僕は白紙に戻すことを選んだ。

 とは言え時計の針は巻き戻らない。他業種への転職は厳しいと聞く。その上いまだに何がしたいかもわからない。

 半ば現実逃避とわかっていながらも、僕は旅に出ることを選んだのだ。


「本当にやりたかったことって、なんだったかな」


 誰にも聞こえないように呟いたので、誰からも返事は無かった。


 ◆


 定刻に到着した新幹線の車内で、指定席のチケットを確認しながら座席の番号を探す。通路を挟んで右側の、窓際の席だ。どうやら通路側は空席のようだ。知らない人の隣に座るのはあまり好きではないので、幸運だといえる。

 僕は少ない荷物を持ったまま、シートに腰掛けた。持ち込んだペットボトルの炭酸飲料を一口飲み込み、一息つく。

 まるで一昔前に流行った自分探しの旅だな。自嘲気味の笑いがこぼれる。しばらくすると、窓の外の景色が滑るように流れ始めた。


 一人旅の始まりだ。


 ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、スリープを解除する。新着メールは無い。

 半ば無意識のうちにいくつかのアプリを次々と立ち上げ、SNSやブログを巡回する。ついでに更新を済ませると、ブラウザアプリを閉じる。昨夜遅くまで準備をしていたせいか、ダイナミックなあくびが思わずこぼれる。

 画面に表示された時刻は、十時半。旅行の出発としては遅いかもしれないが、早起きが苦手な自分の能力を冷静に把握した上で設定したタイムスケジュールだ。

 何時にどこへ行こうが自由。初めての一人旅だが、これは考えていた以上に気楽かもしれない。


 スマートフォンのニュースアプリを立ち上げると、アイドルグループの恋愛スキャンダルや紛争地域での空爆開始、老人を狙った大規模な詐欺事件から物騒な殺人事件まで、雑多なニュースがひしめき合っていた。

 こうしたニュースが同列に報道されるのを見ると、情報の価値というものがわからなくなる。信仰の違いだけを理由にして数百人の人間が殺されていることと、国民的アイドルに実は恋人が存在したことが同じレベルの注目を集めている。

 懐石料理とラーメンを比べるくらい馬鹿げたことかもしれないが、それでも少し残念な気持ちになる。


 冷房の利いた車内は少し肌寒い。カバンから薄手のカーディガンを取り出し、Tシャツの上から羽織った。

 落ち着いたところで目についた順にニュースをチェックする。


「うわぁ……」


 三番目に開いた記事を読んで思わず言葉が漏れた。それは御影(みえい)清乃(きよの)市で起きた猟奇殺人についての報道だった。


 記事によれば、二日ほど前に住宅街から離れた墓地で、若い男性と見られる遺体が見つかった。遺体は頭部が欠損しており、警察では身元の特定を急ぐとともに殺人事件として捜査を開始している。


 ()()()()()


 その数文字だけで残酷さの際立つ事件になっている。ミステリにおいては定番のスパイスかもしれないが、やはりこうして現実の事件となると気が滅入る。

 頭の無い死体、か。遭遇しただけで泣いてしまうかもしれない。

 気分が悪くなりそうだったので、窓の外に目を移す。


 しかし、どんな理由があれば死体の頭を切り落とそうなんて思えるのだろう。身元の特定を妨げるため? 猟奇的な性的倒錯(せいてきとうさく)

 僕なら百万円貰えるとしても願い下げだ。でも一千万ならどうだろう。一億円なら、やってしまうかもしれない。お金の魔力とは恐ろしいものだ。

 一億あったら何に使おう。彼女、できるかな。


 流れる景色を眺めているうちに、僕は不毛な空想にふけっていたらしい。子供の頃からの悪い癖だ。

 せっかくの旅なのだし、滅多に乗らない新幹線から見える景色でも目に焼き付けようか。


 しかしそう思ったのも束の間、夜更かしの代償として襲ってきた睡魔にあっけなく身を委ねてしまった。わずかな揺れが心地よい。



 清乃市か。僕が今向かっている場所がまさに清乃市だったが、漫画に出て来る名探偵じゃあるまいし、旅先でそんな物騒な事件に巻き込まれることは無いだろう。

 平和ボケなどではなく、その時の僕は冷静にそう判断していた。


 そして、それが間違いだったと気付くのは、もう少し後のことだった。

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