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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

コミケ文学シリーズ

炎の階~ほのおのきざはし

 灼熱であった。

 容赦は無く、一切の斟酌も無く、かんかんと照り注ぐのは陽光。

 強い日差しは、眠る事なき夜を過ごした我の目を、ただひたすらに焼く。

 我の前にある者ども、後に並ぶ者ども、全ての者をただ等しく、陽の光が焼く。

 無言であった。

 我も、並び居たる者どもも、巌の如く口を閉ざし開く事はない。


 ふ、と息を漏らす者がいた。

 頭から、『世紀末魔法少女大戦ヨハネちゃん』タオルを纏った、堂々たる体躯の男であった。

 我の横に立ち、共に夜を徹してきざはしに立った男であった。

 彼の男の巨体が揺らぐ。


「ぶふ」


 男は沈み込むように、我らと同様に熱されたコンクリートの階段へ倒れこんだ。


「あかん」

「熱中症か」

「臭い」


 我は悲しみを覚えた。

 共に夜を越えた戦友である。

 ピチピチで体型をあらわにする、『世紀末魔法少女大戦ヨハネちゃん』に登場する敵対的魔法少女キャラクター、ビーストセブンが頭目、アウグストゥスちゃんが扇情的なポーズを取った、良識ある人間であれば眉をひそめる意匠が凝らされたTシャツは、彼の男の汗に塗れている。

 一体いかほどの汗を流したのか。

 水分補給を怠っていたのか。

 何故ベストを尽くさないのか。

 過ぎる思いは色々なれど、我を強く捉える、悲しみ。

 戦友は担架に乗せられて運ばれていった。


「うわ」

「くそ重い」

「痩せろよデブ」

「絶対こいつ0.1トン越えてるって」

「臭い」


 粛々と、我の隣に空いた空間が、背後から来た男によって詰められた。

 試練の時は未だ終わらぬ。

 灼熱の陽光を受けて、我の額からぬるりと汗がこぼれ落ちる。

 我は毛髪に関わるあらゆるしがらみから逃れる為、常に頭を潔く刈り上げて生きている。

 我の母上はバリカンが上手い。

 素晴らしい手触りに刈り上げられた頭は、薄くなった頭頂など微塵も分からぬ。

 故に、我が髪は流るる汗を妨げることなく、ただひたすらに、塩気を含んだ雫が額より頬を伝うのである。

 我は背負った背嚢に手を伸ばすと、中からタオルで巻かれたペットボトルを取り出した。

 水分を補給せねばならぬ。

 流した汗と等量の水を。

 そして塩を。

 ミネラルを。

 蓋を捻り開ける。

 出立の時、冷凍庫より取り出だしたときと変わらぬ冷気が溢れ出す。


「おっふ」


 我は喜びの声を漏らした。

 灼熱に包まれたこのきざはしいて、冷気をまとう飲料は、即ち甘露である。

 我は甘露を口にし、照りつける陽光の洗礼へ抗う力を漲らせるものである。

 ペットボトルを傾ける。

 つるりと、数滴ほどの塩味を帯びた飲料が、我の下に零れ落ちた。

 これで終わりである。

 いつまで経っても、甘露である冷たい飲料は、我の口に下っては来ぬ。

 何か。

 何があったのか。

 我は混乱した。

 恐る恐るタオルを開く。

 我は絶望した。


「溶けてないし」


 露になった姿は、未だ凍りついた飲料である。

 これでは。

 これでは喉を潤す事など出来ようはずも無い。

 灼熱の階に於いて、水を摂らぬ事が何を意味するか分からぬ我ではない。

 脳裏をぎるは、先刻倒れ伏した戦友の巨躯。

 戦を前にして、戦うことなく倒れた戦士。

 彼の存在は、悲しい。


「ね、熱中症はいやだあ」


 我は泣いた。

 黙っていても汗が吹き出る地獄のきざはし

 イベントが始まれば、徐々に列も動くであろうが、我が身は果たしてそれまで持つのであろうか。

 これ以上水分を出しては成らぬと思っても、涙に伴い鼻水までも流れ落ちる。無論、汗は止まらぬ。

 ええい、鎮まれ。

 鎮まれ、我が副交感神経よ。

 我は、己の肉体を叱咤しながら、何とかこの灼熱をやり過ごそうと苦心した。


「凍らせたペットボトルでござるな? ブフォ……一本は常温で持ってくるのが常識ですぞ」


 思わぬところから掛かった声。

 すぐ横から、我の目の前に水筒が差し出されていた。


「砂糖入り麦茶ですぞ」


「か、かたじけない」


 我は茶色き甘露が満たされた水筒の蓋を受け取ると、貪るように飲み干した。

 お代わりもした。


「げに有り難きは人の情け……」


「うむ、共に戦いの時まで耐え抜きましょうぞ。ほれ、もうじき時間ですぞ」


 我を救った、隣り合う男は微笑みながら『世紀末魔法少女大戦ヨハネちゃん』の『メサイア☆モード』ケースに包まれた桃色のスマホを我に見せた。


「おほ、お主、この背景は」


「うむ、拙者が書き申した」


「なんと……! カワユス……!」


「そうではない、そうではない。時間を見なされ」


「おお……」


 指紋と汗に曇った液晶ディスプレイに刻まれた時計は、イベントの開催時間が迫っていることを指し示していた。


「このために……」


 男は天を見上げ、眩しげに目を細めた。


「必ずや手に入れる。願いを果たす為に、拙者、一週間風呂を断って願を掛け申した」


「おお……!! 我も……我も、二週間入っておりませぬ」


「なんと……!! 同志よ!」


 しっかと手を握り合う、我と男。

 今この瞬間、我と彼の間には男同士の友情を越えた淡い情のようなものが芽生え……。


(有名なポップスのBGMが流れる。放送がかかる)


『これより、第92回コミック市場を開催致します』


 おおおおおおおおお。

 おおおおおおおおおおおおおお。

 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち。

 階に並ぶ戦士たちが、吼えた。

 鳴り響く拍手の音。


「企業ブース開きまーす! 皆さん走らないでくださーい!」


 我と男は、目を見合わせた。


「さあ、行きましょうぞ」


「ゆこうか」


 十時間以上を過ごした階に、道が開く。

 永く、永遠と思えるほどに続く列が、進み始める。

 我が一歩踏み出すと同時、額から汗が滴り落ちた。

 汗はコンクリートの階に叩き付けられると、飛沫を上げながら、熱気と焼けた階の暑さに溶けていく。

 炎の階。

 ここから五時間待ちであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ありとあらゆる言葉を尽くしても、その賛辞はこの作品の壮大さに及ぶべくもない。 ならば語るための口は閉じ、入魂して一言にこの作品の真価を封じ込めよう。 吹きました。
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