教授
あれから俺達は泣きじゃくるシャロを馬に乗せ、近場の町へと逃げ込んだ。幸いにも追っ手はおらず。何事もなく都市の中の宿が取れた。お金は侯爵がリサさんの馬に金貨を積んでおり、その量は1000枚を超えるであろう程であった。
転生する1年前に死んだ祖父のことを思い出す。彼はとても優しく、それでいて、とても強かった。愛する者を守るためならば進んで盾になり、活路を何とかこじ開ける程に。
そういえば、祖母もそのような人であった。母が苛められた時などは怒りながら飛んでいった……と言う程である。まぁ、その代わり……とても厳しくて苦しかったようではあるが。
母……元気にしているだろうか。……いや、俺が死んだことで悩み事が無くなったと思い、清々しているだろう。そうに違いない。俺はただのお荷物でしかなかったからな。
祖父……あれほどに良く動き、頼りがいのある人が認知症でボケた時は悲しみを感じた。年々弱って行く彼を見るに堪えなかった。だから、だろうか……俺が祖父に寄り付かなかったのは。
見るのが辛い……確かに、そんな感情も存在した。だとしても、俺は大学のことで頭が一杯だった自分が許せない。どんなに言い訳をして、どんなに理由を付けようとも、自分が気づかなかった事を許せない。
俺が見に行か無かったせいで彼は死んだ。それは紛れもない事実である。これがどうしても自分を攻め立ててしまう。あぁ、そうだ……それでいい。俺は自分を許さなくていいんだ。この思いは俺だけのもの。
いつか自分が許せるようになるまで持って置けばよいのだから……。恐らくは一生来ないだろうが。
俺は祖父に憧れていた、優しく強く、誰よりも愛情深い彼に。その俺が結果的にシャロを泣かせてしまった。……そう、俺はシャロが好きなんだろうな。それは自分でも解る。好きな相手を泣かせる様では。
いや、好きだからこそ、そんな相手を泣かせる様な孫では亡くなった祖父に恥を掻かせるような物だ。
情けない。自分の事ばかりに捕らわれていて近くに居る好きな子の事すらちゃんと考えてあげてないとは。
海野や籠もる前の俺だったならば、侯爵位は必死に地べたを這いずり回ってでも救っていただろう。ただ受け身なだけで、自らが動こうとは……シャロのことを一番に考えようとはしなかった。
突然、コンコンと戸を叩かれる。俺はベットに投げていた上半身を起こす。
「お兄ちゃん、私だけど……入っていい?」
「あぁ、どうぞ……」
俺から許可を得たリサさんが部屋に入ってきた。
「どうでしたか?シャロは」
「ダメね……あの子、気力がないわ。それに迷っているみたい」
「そうでしたか」
迷っているか……恐らくは『復讐』するかどうかだろう。だとすれば、今は俺がやるべきことは一つ。
「あの、リサさん……」
「何?」
「剣術を教えてくれませんか?多対一でもできるように」
そう……それしかない。シャロが何を選ぶにせよ、今は俺が強くならなければ。あんな事を繰り返さないためにも。早く強くならなければ。
「……そんなに簡単にはいかないわよ?」
「どのくらいですか?」
「10年かかるわね」
「そんなに待ってられないです!」
思いがけず立ち上がってしまう。
「あなたこそ馬鹿にしてんじゃないわよ!おいそれと、そんな技術が身につく訳ないでしょ!」
鋭い目でこちらを見るリサさん。
「自分は魔法で楽してるじゃないですか!」
「ふざけないで!あなたに私の何が解るの!?この力がそんなに安っぽいものだと思わないでよ!」
今までにないほどリサさんが怒っている。しまったな、また地雷を踏んだのか……思いっきり怒られている。俺は何を焦っているんだ……少し冷静になろう……確かに、リサさんの事を一つも知らない俺がそんなことを言うべきではない。
「……すみません、焦りすぎました」
「……別に、あなたの気持ちがわからないでもないわ」
思いもしなかった同情を口にするリサさん。この人も過去に何かあったのだろうか?
「そろそろ、私に何ができて何ができないかちゃんと話すべきね」
「さて、でも、何から話しましょうか?」
いつものように椅子に座り、質問モードに入る。できること……できないことか。
「では、まず……リサさんは魔法で何ができるのですか?」
「何でもできるわよ?それこそ、あなたが居た世界やこの世界をまとめて消せるくらい」
あっけらかんと返されてしまう。いや、え?どういうこと?そんなに強いの?この少女。
「では、何故、攻撃とかしてくれなかったんですか?それができるならばあの軍くらい一瞬で倒せたでしょう?」
それほどの力があったにも関わらず、手伝う素振りすら無かった事に少し腹が立ったので強めに聞く。
「それは……『権利はあるけど権限がない』のよ」
「ん?よく解りません」
「ん~、簡単に言うと『できるけど、やる事を許可されてない』って感じね。条件がそろえばできるけど」
できるけど、条件や許可がないとできない?それでは、まるで
「公務員みたいな状態ですね」
「まぁ、そんな感じね」
納得してしまっている。そんな感じで良いのだろうか?まぁ、いいや。
「それで、条件ってなんですか?」
その言葉を聞くや否や、俺を指すリサさん。え?俺?
「あなたの体の一部を貰う事」
俺の体の一部を貰う?
「その貰う場所の重要度によって、私ができる事は変わるわ」
……なんだ、そんなことなら
「早く言ってくれれば、侯爵は助かったんじゃぁ……」
「あれらを倒しても又新しい軍がくるだけよ?」
「それに、侯爵が囮にならなければ私達は逃げられなかった訳だし」
そうだった……ならば、あの状況は俺がよほど強くなければ事が解決しなかったという事か。
「加えて、あなたの主義を考えた場合……あまり私に頼まないほうが良い気がするし」
「そうなのですか?」
「えぇ」
俺の主義か……俺の安っぽい主義なんて、一般人が誰でも持ってる主義だと思うのだが。まぁ、いいか。
「しかし、何でまた……そんな面倒な事になったのですか?」
「さぁ?あれらが考える事なんて、人にもだいたいでしか解らないから」
あれら……とはリサさんにとって上位の存在の事だろうな。そういえば気になっていたのだが
「私だけが転生した理由はあるのですか?」
こちらにきてからというもの、同じような境遇の人には全く会ってない。
「それも解らないわね……あれらは気分次第にしか見えないから」
両手を横であげ、やれやれといったポーズをとるリサさん。う~ん、いまいち要領を得ない。
「リサさんはどういう立ち位置なのですか?」
「……そうね、ただあれに言われたことを忠実に伝えたり、実行したりするような状態?かしら?」
ふむ、そうだとするならばまるで
「巫女さんみたいですね」
「御子?御の字の御子?」
「いえいえ、神社とかの方の」
「あぁ、こんな奴ね」
「あぁ、はい……そうですね」
目の前でリサさんの服が瞬時に巫女服に変わり、ものすごい可愛い巫女さんが現存した。瞬時に服が変わるって……もう何でもありだなぁ。
「性質的には巫女ではないのだけれど……まぁ、そんな物でいいわ」
「では、今度から役職は閻魔もどきではなくて、巫女神様とでもしておきましょうか」
「まぁ、いいんじゃない?好きにすれば」
またも瞬時にいつもの藍色のロングワンピースに戻る。
「さて、少し町外れに行きましょう?」
「え?何故です?」
「剣術は教えられないけど……ムラサメの扱い方くらいならすぐに何とかなるわ」
「あぁ、なるほど。よろしくお願いします」
よかった。今よりは強くなれる見込みはあるって事か。
昼過ぎ、俺とリサさんは町を出て……畑の無い街道から少し外れた所に居る。ここは平地で何もない。有るとすれば踝ほどの野草だけである。
「ここでよろしいのですか?」
「えぇ、ここじゃないとダメ」
「さて、いくわよ……いい?」
「はい!」
俺はムラサメを抜いて準備する。リサさんが右手を下から上に振り上げる。
すると、目の前にうにょうにょと地面から何か奇妙な塊が生えてきた。それは段々形を整えて行き、人型になった。
その人型は日本人顔の垂れ目のイケメンで、これまた日本人特有の茶色い瞳で黒髪、そして、体は細マッチョ……って
「俺じゃないですか!」
「そうよ?自分で自分を切りなさい」
え~……自分殺しって……ううぅん。
「彼女の為に、強くなる覚悟をしたのでしょ?」
「あ、はい」
「彼女の目的に合わせたならば……自分を切れなくてどうするの?」
……つまり、自分を切り捨てて前へ進めという事か。面白い。それくらいなければな。
「いい?一撃で切り殺しなさい。躊躇いなく油断なく」
「はい」
そうリサさんに教授されている間に俺の偽者は5人に増えた。右に三体、左に二体と並んでいる。それぞれ刀を持っている。そのまま俺自身だなぁ。
「始め!」
合図と共に手始めに右の最手前の偽者を右袈裟で斬る。
「ぐはぁぁぁ!」
血が噴出し偽者ののはずの俺が倒れる。その血が俺に掛かり、血の独特のあの嫌な匂いがする。
と同時に気分が悪くなって来る。
「……う、うぇぇぇぇーー!」
「き……きたないわね」
思わず吐いてしまう。が、問答無用で頭部、背中、腹部に同時に衝撃が走る。
「ゴッ!?オロロロロ!」
おかげで足から崩れ落ち、吐きながら顔面から吐瀉物の中に突っ込んでしまう。自分が吐いた物ながら更に気持ち悪くなる。
「あぁ~、もう~……一人切るだけで吐いてるんじゃぁ、これから先どうするのよ?」
「……いえ、そういわれましても」
「匂いはそのうち慣れるのだからまだいいけど。切るのが他人だった場合を想定してみなさい。もっと気分が悪くなるから」
そう説教をしつつ光る手を俺の吐物や顔に当ててくれるリサさん。当てられた後には嘔吐した物はなくなっていた。周りの偽の俺は棒立ちだ。恐らくリサさんが止めてくれてるのだろう。
……言われた意味を考える。つまり、それは他人の人生を奪うということだ。その者には未来があり、家族がある可能性もある。そして、どんな人間であろうと身内はそのものが死んだら悲しむだろう。
「うえ!」
そう考えると尚の事、罪悪感や嫌悪感が酷くなって来た。
「……一つの方法としては考えない事」
「それはできそうにないですね」
どうあがいても考えてしまうだろうな。
「なら、殺した分だけ背負いなさい。自戒なさい。狩った分だけ生きるべきだと思いなさい」
「……そのほうが俺には楽な気がしますね」
事実、俺は今まで色々と切り捨てて来た。困っている人など素知らぬ振りが当たり前だったし、必死に助けを求めてきた他人を蹴り飛ばした事もあった。
それらを踏み台にしてでも俺はもっと良い環境になるべきだ!と言い聞かせて……今回もそれでいい。考えてしまうならば、殺した分だけ目的へ近づいてみせる。それが善であれ悪であれどちらでもよい。
もう一度背負ってでも動き出すべきだ。そう気合を入れなおす。
「さて、続けましょうか?」
「……はい!」
大分匂いにも慣れてきた。少しでも前へ進むためにも強くならなければ……。残りの4体と少し距離を取る。
「始め!」
「ぎゃ!」
合図と共に今度は左前の偽者を右袈裟で斬る。次は右の一人目を右逆袈裟で断つ。
「ぐわぁぁ!」
よし!次だな!そう思い、上半身を左に向ける。目の前の俺が刀を振り下ろしているのが見えた。次の瞬間、頭と腰に衝撃が走る。
「ぐぅぅぅ!」
足から崩れ落ちる。
「はい!やめやめ!」
「二太刀目を踏み込み過ぎよ!それじゃぁ、咄嗟に対応できないわ」
「急所や心臓に届くくらいでいいし、どこに誰がいて、どんな攻撃してくるかを予想しなきゃ多対一なんてできるわけないでしょ!」
「うう、そうですが……どのくらい踏み込んでいいのか解らないですよ」
痛む頭を抑えつつ立ち上がって抗議する。まともに剣を習った事のない俺がどうして踏み込みの量など解るだろうか。
「はぁ……しょうがないわね。ちょっと頭を貸して」
「はい」
良くは解らないが、取りあえず腰を曲げて頭を近づける。
「え?」
思わず驚愕の声を上げてしまう。何故かリサさんは俺の額を自分の額と引っ付けた。近い……目を瞑っているリサさんの天使のような顔が俺の目の前にある。
これはドキドキしないはずもない。しかも、どうしてもその可愛らしい唇が注意を惹きつけてしまう。常日頃は俺に対して酷い言葉を浴びせるその唇は柔らかそうで貪りたくなるほど愛らしく、シャロの美しく可愛い唇とは反対の魅力を持っていた。端的に言うと妙なセクシー差がある。
シャロのそれは美しさの中にある可愛さ故に口付けしたくなる感覚だが、リサさんのそれは可愛さの中に淫猥さがある。
「え!?」
いきなり、目の前でリサさんが足から崩れ落ちて座る。その状態は西洋人形が座っていると錯覚してしまうほどである。
あぁ……なんか、触りたくなる。触ってよいのだろうか?
【人の体が無防備な状態なのを良い事にそれで遊ぼうなんて変態ね……】
なんだ?頭の中からリサさんの声がするぞ?
【今、あなたの肉体の中に入ってるのだから当たり前よ?】
肉体に入る?どういう事だろうか……よく解らないんだが。
【まぁ、いいから……私がお手本を見せてあげるわよ】
俺の体が勝手にリサさんから歩いて離れ、俺の偽者たちへ向き直る。
【さて、いくわよ!】
そんな声が響くと偽者が五体に増えた。と同時に目の前の偽者達の位置を目が確認する。左に二人、右が三人。それぞれの位置を細かに把握する。
【ふっ!】
左の一人目に一気に間合いをつめ、右逆袈裟で斬り上げる。俺が切った時は体が真っ二つになったが、今は体の半分くらいしか断ってない。更に切り上げた後は少し視線をずらされ右の三人の位置を確認させられる。
そして、右の最手前を右袈裟で切り捨てると同時に左を向き、三人を確認させられる。二人は俺の面を取ろうと、視界の端の左後ろは胴を打とうとしてくる。それらを右に少し飛ぶことでかわさせられる。
三人が振り切るのを見届けると手前の一人を薙ぎ払い、左手にムラサメを持ち替えて左の一人を胸を目掛けて切り上げ、そして、最後の一人を両手でムラサメを持って叩き切る。
見事なものである。しかも、薙ぎ払った時以外はすべて最低限度の踏み込みで心臓に達する傷を負わせている。これほどの事を俺ではできない気がしてくる。
【なにいってんのよ!やらなきゃダメよ!】
そうは言われても……左手なんて使ったことなどないし。使えたとしてもここまで動けない。
【……もういいから、離れるわよ?】
どうぞ、離れてください。結構、人の声が頭に響くのは気持ちがいい物ではないですし。
「……なんか、失礼ね……それ」
リサさんの声が後ろでする。どうやらもう離れて自分の肉体に入ったらしい。
「そうですか?それはすみません」
「……なんか、白々しく謝られたような気もしないでもないけど……まぁいいわ」
不満そうなリサさんが右手を上げると切り捨てられた偽者の俺が消えて、新たな俺が五体現れる。右に二体、左に三体。
「さぁ、始めるわよ!」
「……はい!」
自信がない……なんて関係ないな。とにかくやらなければ!
「始め!」
最初は右手前の奴に左袈裟切りで斬り……ん!?浅かった!まずい!反撃が来る!
「うわっ!」
後ろに下がって避けるが上手く足を運べず、尻餅をついてしまう。
「はい!取りあえず止め!」
「……はぁ、上手くいきませんね」
「仕方ないわよ……練習あるのみね!」
「私も手伝うから、頑張ろうね!お兄ちゃん!」
いきなり可愛く両手に拳を作り、腕を縦に振ってガッツポーズをして、キャラを変えてきたリサさんである。いや、その言葉はとてもくる物があるが……こんな時に使われるのは些か何とも言えない気分になる。
「あぁ、よろしく……リサ」
「うん!頑張ろうね!」
ニコニコと屈託なく笑うリサさんが少しだけ悪魔に見えた気がした。そして、同時にここまで手伝ってくれるリサさんに嬉しさと感謝を覚えた。