喪失
バタン!
「お兄ちゃん!起きて!お兄ちゃん!」
「うぅぅ~む」
俺を苦しめる可愛らしい少女の声が聞こえる。と同時に体を揺さぶられる。何故、彼女が俺を苦しめるのかよくは解らないが、俺はまだ起きたくない。
起きればまた、その声の主に責められるのではないかと思ってしまうほどだ。そう思って俺は寝返りをうつ。
「もう~、仕方ないなぁ~。よーし!それじゃぁ……」
足音が少し遠のいて行く。
大方、彼女は俺が起きないとなるとニーキックを食らわすつもりなのだろうが……来るなら来い!
少女が走ってくる音がする。
「えい!」
声と共に飛び上がったような音がした。よし!今だ!そう思い、俺は布団を剥がす。
「あ!」
少し遅れて ドスっ と俺のお腹に多少の衝撃が走る。そして、その少し後にジュッと音がする。
「ニ゛ャ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァァァァァァァァァーーーァァーー!?」
リサさんの悲痛な叫びが屋敷にこだまする。計画通り!彼女にダメージを与えられたようだ。
「おやすみ……むにゃむにゃ」
目的は達成したので布団を掛けなおし、二度寝の準備に入る。
「どうかなされましたか!?」
「……い……いえ、なんでもないです」
使用人の女性が叫びを聞きつけて様子を見に来たようだが、それをリサさんは受け流したようだ。女性はすぐに戻っていった。
よし、これで俺の睡眠時間が削られる事はないな!これでぐっすり眠られる。
「……人が演じてあげてれば……調子に乗るんじゃないわよ!!」
ボゴォ!
「ぐっは!?」
腹部に大きな鉄の塊を落とされたような衝撃を受ける。思わず飛び起きてしまった。
「う……ゲホっ!ゴホッ!」
「おはよう……お兄ちゃん!」
「あぁ……オハヨウゴザイマス」
引きつった笑顔を貼り付けているリサさんが右拳を握り締めている。どうやら俺に腹パンをしたようだ。おかしいな……鎖帷子で防げるはずなんだが。
「鎖帷子なら ぶっ壊したから! 今日も一日よろしくね!お兄ちゃん」
そう言われて寝間着にしていた鎖帷子を確認する。おぅ……見事に拳状の穴が開いてる。
「あぁ、今日もよろしく」
俺は仕方なくベットから降りる。またも心臓が早鐘を打っていて気持ちが悪い。川からの旅の最中はリサさんがやってくる事はなかったとは言え、この感覚はきついな。
穴の開いた鎖帷子を投げ捨てる。
「はい、お兄ちゃん、これ!」
ニコニコとしながらリサさんが差し出してくれたものは、昨日リオレ侯爵が着用していたような服。白いシャツに膨らんだような大きなズボン、そして長靴下である。
「あぁ、ありがとう」
「ところでなんで起こしに来てくれたんだ?」
「みんな起きてるのに、お兄ちゃんが起きて来ないから起こしに来ただけだよ?」
小首を傾げるリサさん。瞬間、昨日の事を思い出しかけるが頭を振って払う。……なるほど……それならば仕方ないな。だが、毎回暴力を振るうのは止めて欲しいが……いや、前に聞いた通りなら自分が潜在的にそう望んでいるだけか。
「それじゃ!お兄ちゃん!シャロさんと侯爵を呼んでくるね!」
む?まだあの二人は揃ってないのかな?
「待て、俺が行くよ」
服を着ながら提案をする。
「え?なんで?」
「いや、ついでに朝の挨拶をしようと思って。どこにいるんだ?」
「ふ~ん?二人は中庭の前の練兵場に居ると思うよ」
少し疑問を呈した後、屈託のない笑顔で答えるリサさん。中庭の前の練兵場……あぁ、門のすぐ傍にあるところか。
「解った。じゃぁ、行って来る」
「1階の食堂で待ってるからね」
リサさんが部屋を出て行った後、俺は長靴下を留めた。よし、行くか。
出入り口である木の扉を開き、廊下を通って中央の大階段を下り、玄関から外に出る。
「……すごいな、やはり」
視界に入ってきた中庭の作りに、改めて感動してしまう。左右対称や均一をイメージし、バランスを重視した統一感の強さ。
練兵場へと歩きながら見るが、あまりにもバランスが良過ぎるのでこちらが圧倒される程だ。
「どうした!そんなことでは私には一太刀も浴びせられないぞ!」
「っく!」
剣のぶつかり合う音と共に侯爵の声とシャロの悔しさから来るうめき声が聞こえた。
整然とした美しさからそちらに目を移す。
そこでは上着を脱ぎ捨てた侯爵と動き安い格好をしたシャロが対峙していた。
「ふっ!」
息を止めてシャロが侯爵に向かって行き、両手で持ったショートソードの類であろう剣を侯爵に振り下ろす。
「甘い!」
左足を軸に体の向きを変え、それを細剣で受け流す侯爵。
「ん!」
勢い余って体勢を崩しかけたのを立て直し、向きなおしたシャロに細剣が突きつけられる。
「シャロ、君はスピードやテクニックはあるが……私には遠く及ばない」
「魔物相手ならばそれでもいいが、人間相手ならばそうもいかない」
「勝とうと思うのならば……その状況下での自分の強みを考えるんだ!」
「自分の強み……」
シャロが自分と侯爵を見比べる。目を鋭くするシャロ。何かを解ったようだ。
「はぁぁぁぁ!」
「ふん!」
「やぁ!」
「はぁ!」
先ほどよりも踏み込みが大きい薙ぎや袈裟切りを繰り返すシャロ。それを後ろに下がる事でかわす侯爵。
「むっ!」
下がりながら円を描くように逃げていた侯爵を先回りしてシャロが斬撃を繰り出す。
「っく!」
侯爵が仕方なく細剣で迎撃をしたため、互いの剣がかち合う。
「でやぁぁぁ!」
「むぅぅ!」
力で押される事で下がる事を余儀なくされ、後退する侯爵。
「む!?」
壁を背にした事を気づく侯爵。
「もらったぁぁぁ!」
シャロが掛け声と共に剣を地面と水平にして振る。しかし、
「そうはいかんな!」
「えっ!?」
侯爵はシャロの予想に反して前に飛び出し、小手に突きを入れようとする。
「くっ!」
咄嗟にシャロは剣から片手を離してそれを避け、片手のまま切りつけようとする。が……
シャロの剣が宙を舞い、地面に突き刺さる。
「そんな!」
「……ふぅ、力で勝てることを解ったのは良い。だが、まだまだそれだけでは私は負ける訳にはいかんよ!はっはっは!」
ショックを受けるシャロを笑いながら褒める侯爵。あんな動き……俺には到底できない。やはり、二人ともすごい。
「しかし、シャロ……どこで剣術を覚えた?お前の父上、アルは稽古などつけてくれなかっただろうに」
「剣術は偶然出会った女傭兵の方に習いました。弓もその方に」
「そうか、それならばその傭兵にもお礼をしなければな」
「それが」
俯くシャロ……なにがあったのだろか。
「どうかしたのか?」
「……彼女は私を庇って命を落としました」
「そうか……それは残念だ」
二人の間に重い空気が流れる。ふむ、ここはこのタイミングだな。
「おはようございます。侯爵」
「……おぉ、おはよう!ゆっくり眠れたかね?」
「えぇ、とても良く。ありがとうございます」
一礼をして感謝を示す。
「いやいや、気にしなくて良いよ。シャロの客人なんだから」
細剣を持ってない方の手を前後させて遠慮なさる侯爵。それをもう一度少し頭を下げて受ける。
「おはよう、ショータ」
「おはよう……シャロ」
少し落ち込み気味のままでシャロが俺に朝の挨拶をする。
「さて、では二人とも……中に入って朝食でもとろうか」
「そうですね」
「はい」
シャロがショートソードを拾い、俺たちが屋敷に戻ろうとした時
「旦那様!」
馬の足音と共にそんな若い男性の声が門のほうから聞こえる。
「おぉ、フランク」
門の男を見た侯爵がそう反応する。フランクと呼ばれた馬上の男がこちらに近づいてきて馬を降りる。西洋甲冑を着ており、頭に三角帽子のような兜を被って、腰にショートソードを装備している。
「紹介しよう、彼はフランク……私の一番の部下だ……ある用事を言いつけていたのだ」
「初めまして……フランクです。よろしくお願いします」
「初めまして……シャーロット・バレーヌよ。あなたの主、叔父様にはお世話になってるの」
「……あなたがシャーロット様」
「俺は山上将太だ」
「え……あぁ、どうも……フランクです」
シャロが自己紹介をしたときに意味深な顔をするフランクだったが……なんだったのだろうか?
「それで、どうだったんだ?」
「あぁ、はい……これを」
「ふむ」
差し出された紙……恐らくは書状であろう物を読む侯爵。
「……教会はなんと?」
「それが……『それはできない』と」
「……そうか」
鼻で息を吐いてそう呟く侯爵。何かやるせない物を感じる。
「すまない……シャロ。約束は果たせそうにない」
「え?それはどういう意味ですか?叔父様」
「シャロ、ショータ君、朝食を取ったらすぐに出発の準備をしなさい」
出発の準備?つまり、出て行くようにという事か……俺だけならまだしも……シャロもだって?どういう事だ?
「私はフランクと一緒に少し書斎に行く」
「叔父様!?」
「あぁ、ショータ君……準備ができたら私の書斎に一度来てくれ。一人でね。場所は二階のあの左の塔に位置する場所だ」
「では、先に失礼させてもらうよ」
そう言い残し、侯爵はシャロや俺の疑問には答えずにさっさと屋敷に入っていった。俺とシャロのみが中庭に取り残される。
「何があったんだろうか」
「……解らない。でも……いえ、取りあえずは朝食を済ませて準備しましょう?」
シャロは心当たりがあるようではあったが答えてくれなかった。仕方なく俺とシャロは屋敷に戻り、朝食を済ませたのだった。
お借りした衣服を不器用ながら折り畳み、使用人の女性が持ってきてくれた魔呪の衣と無法の法衣を着る。そして、左腰にムラサメを据える。
シャロは朝食を取る間じゅう、ずっと何かを考え事をしていたようだった。俺が話しかけても『うん』や『そうね』等々しか返事が来なかったほどである。
恐らくは今朝方の『約束を果たせそうにない』と呟いた侯爵の言葉が引っかかっているのだろう。確かに俺も気になる。リサさんには食事をしながら俺から説明したが……『そう』と言ったまま目を伏せてしまった。
俺は侯爵に呼ばれていたので部屋を出て、バルコニーに隣接する廊下を渡り、左の塔に当たる場所……書斎の前まで来る。
「さてと……」
どうしたものか。ノックをした方が良いだろうな……しかし、何回なんだ?ノックをする回数は。2回でいいのか?
「ぐあぁ!」
突然扉の方から侯爵の叫び声が聞こえる。なんだ!?中で何が……。
「うわっ!」
いきなり衝撃を受けて地面に尻餅をつく。どうやら勢いよく扉を開けて誰かがぶつかってきたようだ。衝撃で閉じた目を開き、その相手を確認する。
「え?」
朝方紹介されたフランクがそこに立っていた。血のついた剣を持って。
「誰か!誰か奴を!」
そんな侯爵の声が耳に入る。声のする方を向くと足から血を流して侯爵は倒れていた。
侯爵の声を聞くなり、逃げるようにして走り出すフランク。これは……そういうことか!
「ショータ君!奴を……フランクを追ってくれ!フランクから海図を取り返してくれ!」
俺は立ち上がり、フランクが逃げたほうへ行く。
「っく!」
そこではシャロに進路を妨害されているフランクがいた。足音で俺が追いついた事に気づいたようだった。
「仕方ない!」
フランクが横の扉からバルコニーへと出る。
「あ!」
「待て!」
追い掛けようとするが、バルコニーへ繋がる扉の前の窓で俺は立ち止まる。なんと、フランクはバルコニーから馬車小屋を使い、地面に飛び下りたのだ。
「くそ!」
俺も追い掛けてバルコニーに出る……が。最早、フランクは馬に手をかけていた。逃がすまいと俺もバルコニーから馬車小屋を使い飛び降りようとする。
「はっ!」
その間に馬小屋の前に止めていた馬のいななきが周りに響く。
「どけぇぇぇー!」
馬に乗ったフランクはそのまま門を掃除していたらしい箒を持った使用人に向かって声高くして突っ込んで行く。
「ひえぇ!」
「くっ!逃がすか!」
全力で走る……が門を出てすぐに曲がらなければ海に落ちる為、スピードを落とさざるを得ない。
何とか曲がりきって、広場のほうへと続く道を確認する。居た。どうやら人を避けさせながら走っているようだ。
「待てぇぇー!」
直線の一本道なので全力を出して走る。あっという間にグングンと近づく。あと少しで尻尾だ。
「何!?……化け物か!」
あまりの速さにフランクが驚いているが知った事ではない。フランクの背中に何か筒状の物がある。恐らくあれが取られた物だろう。
「侯爵から奪った物を返してもらう!」
「ちっ!旅人風情が!」
こいつ……なんか馬鹿にしたな…。まぁ、そんな事よりも、どうすればいい?馬に体当たりでもするか?いや、それでは周りに被害が……馬を斬るか?いや、斬ったら侯爵が困るか?
いや、筒状のあれの紐を切ればいいか!そう思い、ムラサメを抜く。
「はあ!」
急にスピードを上げ始めるフランク。くそ!負けて堪るか!こっちもあの後ろの紐を切れるようにスピードアップをして……足をもう少し速く動かし背中に追いつこうとしたその時、
「げ!人混み!」
そうか!広場だからか!こちらに気づいた人々がざわめく。……このままではぶつかってしまう。急いでスピードを落とし足を止める態勢に入る。そんな俺にも関わらず、フランクはそのまま突っ込む。
どうする気だ?まさか。
「はああ!」
馬が飛んだ……。そして、俺は何とか人混みの手前で停止する。馬が飛び、人々を越すまで一瞬だがみんな静まり返った。見事なものだ。っと……感心してる場合じゃない!刀を納めて人混みに入る準備をする。
「退いてください!」
「退いて!」
そう言いながら人混みを通り抜ける。くそ!これは大分遅れをとった。
馬が走り去った方向をみる。よし!まだ居る!
俺はもう一度走り始める。どこに持って行くつもりか解らないが。とにかく追いつかなければ。
広場から町の門までは一直線な為、このままでは外に出られてしまう。くそ、さすがに門までは間に合わないか?いや、門を抜けても追い掛ければ良いだけだ!
「はぁ!」
「おおぅ!?」
フランクが門を抜け、元々ざわめいていた周りの衛兵たちが更に騒ぎ始める。
「退いてくれ!」
「ん!?待て待て待て!」
「うわぁ!?」
衛兵の一人が体を呈して俺を止める。なんだというのだ!
「死にたいのか!貴様!」
「……どういうことです?」
死ぬ?大きな魔物でも出たというのだろうか?いや、そうだとしたなら、この人達も戦っているはずだ。
「あれを見ろ」
「はい?」
体を避けて指された方向を見遣る。そこには先ほどのフランクが駆けていたが、その奥には銀一色の固まりとその上に剣に×の印を付けた旗が目に入る。
目を凝らして良く見てみる。人だ……しかも、鎧や槍、剣などを装備した多くの人々に違いない。
「あれは……いったい……」
「ラフスン王国軍・反逆鎮圧軍エルマン・オーリックの部隊だ」
「あっちを見てみろ……王都の船まで来てやがる」
誘導されたほうを向くと、同じように剣に×印の旗を掲げた帆船が港の奥の海に見える。これらは反逆鎮圧軍といったな……反逆鎮圧?馬鹿な……もしや、俺たちのせいか?
「何故こんなことに?」
「侯爵が戦争に反対してるからだろう……何故侯爵が反対してるのか我々にも解らないが」
「だが、あの人が理由も無く反対するとは俺は思えん」
「なるほど……ありがとうございます」
もう一度、門の外の部隊を見る。風に揺られる旗とその下に集う無数の人々が襲い掛かってくることをイメージしてしまう。あまりにも恐ろしく背中が震えている気がした。
12時を報せる教会の鐘がこの青く綺麗にも関わらず重苦しい空に響き渡るのだった。
中庭の練兵場は兵士が慌しく動き、馬や戦争の道具が揃えられ、物々しい雰囲気を醸し出していた。それはそうであろう……今から一戦交える。いや、死にに行くような物なのだから。
あれから俺は屋敷に戻り、侯爵に奪われた物を取り返せなかった事を謝罪した。侯爵は『そうか…』と残念そうにしていたが、『いや、仕方のない事だ……気にしないでくれ』とすぐに俺を慰めてくれた。
不甲斐ない限りだ。侯爵が町民たちにここから離れるように促したため、もうこのポワッソメールには侯爵の兵士以外はほとんどいなかった。実は侯爵が自分の兵士達にも王国軍に投降しても良いと述べた為、いくらかの兵士はあちらに投降していた。
残った兵士と侯爵は戦うために槍や剣……そして、マスケット銃を用意しているのだった。
最早、夕日が差し込んでいる。
目の前で戦に出るために鎧を着込んだ侯爵が白い馬を優しく撫でている。その顔は諦観と疲労、そして後悔に満ちていた。
「……侯爵」
「ん?あぁ、ショータ君か」
「申し訳ありません……力に成れずに」
「いいのだよ……これは私がまいた種だ」
侯爵は俺たちを鎮圧部隊が来る前に出立させたかったらしいが、それができなかった為、こうして俺たちを逃がすために反抗する事に決めたようだった。
町民が逃げる際にそれに紛れ込む……といった作戦もあったが、シャロに却下されてしまった。
愛おしく白馬を撫でる侯爵。最早、死も覚悟したのだろうか?
「……私は間違っていたのかも知れないな」
ポツリと侯爵が零し始める。
「私は実は母が農民でね。父が素朴な農民の母に一目惚れして娶ってできた子だそうだ」
「ここでは自分たちの立場を守るために権力階級の人間が農民を悪く言う風習が蔓延していてね」
「母も私も、それは酷く当たられたよ」
なるほど……だから前の侯爵は農民の扱いが酷かったのか。
「アルは私が初めて出会ったときに農民の血が半分入っていることを話すと『お前は侯爵の血が入っており、侯爵の下で育ったのであろう?なら、胸を張れ!その辺の者どもなど気にするな!』と励ましてくれたのだ」
喜ばしそうにする侯爵の顔を見るにそれがシャロの父親、前国王のアルドを心酔した原因のようだった。
「だが、同時にアルは純粋な農民の子であるレイの事は大嫌いのようだった」
「それは何故です?」
「……アルも権力階級の人間だったという事だろうな」
「まぁ、それも仕方のない事だ……事実、少なからずの農民は卑劣で下劣な者たちもいる。そして、農民出のレイは礼儀もなく、意地汚く、野心に燃え、何かに飢えたような男だった。時折、私も恐ろしいと思ったことがある程に」
「それもこれも、諸侯が冷遇するから悪いのだが……アルもそこだけは耳を貸さなかった。いや、貸せなかったのもあるのかも知れないな。あいつは王様だったから」
王は全体のバランスを見なければならない。内政をする上では新しい事をすれば必ず誰かとの軋轢が生まれる。これは自明の理である。今回の場合、農民を冷遇しないようにすれば諸侯の反乱を招くだろう。
又、下手に農民の地位を上げるのも反感を買わざるを得ない。だとすれば、それはそれぞれが自主的にやるのを待つしかなかった……と、侯爵は前国王の態度をそう解釈したのだろう。
「私は侯爵だが、農民の気持ちも解る。日々、魔物に関してもないがしろにされ続けてきたあの者たちの気持ちも。だから、私はアルとレイの中をずっと取り持って来た」
「そうしてきたことで、私はレイとアルの間にも、少しずつだが友情のような物が芽生えてきたような気がしてた」
まるで可能性の新芽を大切に育ててきたかのような口ぶりを感じる。
「それがきっかけにいつか周りにも認められ、農民の地位も上がって行けるのではないかと希望を抱いて頑張ってきた」
「だが、それは私の勘違いだったようだ」
希望を匂わせる口調から一転して、失望したように馬を撫でている手を止めて俯く侯爵。
「レイはアルを殺し、王家を根絶やしにし、あろう事か私も殺そうとしている」
「理想や友情等々のために生きる事など……やはり、間違いだったのかもしれない」
「そんな事はない!……と思います」
そうだ、理想や友情も愛も無しに人は生きていける筈などない。なぜならば
「だって、それは人が人らしく生きる糧ですよね?それを間違いだなんて……そんな事は言わないでください!」
「あなたは立派です!この国の誰よりも強く、誰よりも人間らしい生き方をしたのではないですか!」
「それを間違いだなんて言われたら、俺はどうやって生きていいか……」
言葉に詰まる。それは単なる俺の感情や考えでしかなく、客観的視点ではない。この国をよく知らない一個人の勝手な言い分に過ぎないのは解っていた。だが、目の前の侯爵が間違っているなどと思いたくも無かった。
「……ふっ、すまない。私としたことが弱気になっていたようだ。」
「でも、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」
「侯爵!お持ちしました!」
「あぁ、ありがとう」
兵士の一人が何か筒状の物を渡す。それは先ほどフランクが取っていった物とよく似ていた。
「これを君に……」
「え?なんですか?これは?」
手渡された黒い筒は上の部分が外れるようになっている。しかも、軽い。中身が入ってないかと思う位だ。
「宮殿の見取り図及び警備図だ」
「宮殿の?」
「少し古いから警備図は違うかもしれないが……シャロが欲しがっていた物さ」
「何故それを俺に?」
「……シャロを頼む」
真剣な目をして俺を見つめる侯爵。侯爵の目は俺に懇願し、訴えている。これに応えなければ俺は一生ダメな気がした。
「解りました」
俺はそう答えて見取り図を法衣の中にしまう。
「頼んだぞ」
「はい」
肩を叩かれる。軽い荷物なはずなのに、これほど重い物はない。
「叔父様」
「おぉ、シャロ」
丁度シャロがこちらに近づいて来て、侯爵に話しかける。目の前のシャロはいつもの旅の服装だった。しかし、その顔は違う。
「叔父様。私も戦います」
「何を言っている」
「私も一緒に戦いたいのです!」
「ならん!シャロ、お前は戦ってはならない!」
「でも!」
「許せ、シャロ」
「あ!…っく、叔……父……様」
侯爵がシャロを気絶させる。そうでもしないとシャロは意地でも戦っただろう。
「よろしいのですか?侯爵」
馬に乗ったリサさんが侯爵に近づきながら問う。
「あぁ、こうでもしなければこの子は止まらないだろう」
「そうですね……では、私の後ろに乗せてください。兄は馬に乗りなれておりませんので」
「……そうか、では、頼む」
侯爵はリサさんの馬の後ろにシャロを乗せる。
確かに、俺は全く馬などに乗ったことがない。どのように捌けばいいかなど、ひとつも知りはしない。先ほど、ある程度は教えてもらったが上手くできるとは思えない。ここはリサさんに任せるべきだろう。
「君たちの周りは騎兵隊で固めて全力で守る。だから君たちは思いっきり逃げてくれさえすれば良い」
白馬に乗って侯爵が俺達に指示する。
「はい、解りました。ロード・リオレに神の祝福が有らんことを……」
リサさんが十字を切ってお祈りする。
「……ありがとう」
「お心遣い感謝します」
「では、頼んだぞ…」
俺が感謝を述べたところで侯爵はそう言って去っていった。
俺も馬に乗って逃げる準備をする。
「……それでいいの?」
「ん?これしか方法がないだろう?」
「……そう」
少し残念そうな顔をしたような気がするが……他に俺ができる事などない。あのような大軍にどうやって立ち向かえというのだろうか。
こちらは居て五千。あちらは陸だけでもその3倍の1万五千に船団を合わせればそれ以上いるらしい。土台無理な話だ。
侯爵が先頭で誘導して、町の壁の門の辺りまで行軍する。
「なぁ、そういえば今朝聞いた話なんだが……」
「おぅ?どうしたよ?」
何やらその辺の兵士が話をしているようだ。
「昨夜、海の上を滑ってる女の子を見たって、逃げてった傭兵の奴から聞いたんだが……お前信じるか?」
「そんな馬鹿な話があるか!船の上にでも乗ってるのを見逃したんじゃねぇのか?」
「そうだよなぁ……そんな馬鹿げた話があるわけねぇよなぁ」
「船も無く人が海の上に浮かぶなんて、御伽噺じゃねぇしなぁ」
「くだらねぇ話してんじゃねぇよ!」
「いやいや、何となく気晴らしにさ」
「アホか!……まぁ、ありがとうよ」
「ははは」
苦笑い……か……。みな死にに行く様な物なのだからそうなるよな。
行軍が止まり、侯爵が俺たちの方へ向く。
「ごほん……みなの衆、まずはこんな馬鹿げた事に付き合わせてすまない」
「俺たちゃぁ、侯爵が好きで、奴らが嫌いでこんなことしてるんだ!気にするこたぁないですよ!侯爵!」
「そうだ!そうだ!俺らはレイナルドの野郎が気にいらねぇんだ!」
周りの者たちが口々に侯爵に味方する。それを侯爵が手を振ることで沈める。
「ありがとう。みんな」
「私はここに残ってくれた者達を誇りに思う。私やアルド陛下との友情を裏切って、王家を根絶やしにし、自らを『託宣』を利用して即位すると言う邪知暴虐を省みず……
民を無視した奢侈禁止令を出し、農民や諸侯を苦しめることしか考えず。己が農民だった事を忘れ、欲望に沿って戦争を起こそうという愚かなる王に従うのは恥じであるという高潔な志を抱いた同志諸君は
誇り高きラフスン王国の由緒正しき、真の王国騎士団と言えよう!そして、この扉の向こうにいるのは我らが神を語り、神の本当の意思に背き、国の全てを食らいつくそうとせん悪魔の軍である!」
「ここにいるみなが思うように世にそのような悪魔が蔓延ってよい訳がない!」
「そうだそうだ!」
またも何名か侯爵に同意する。
「ならばこの戦、我々に正義ありと声高らかに戦い、世の人々に正しきラフスン王国民の道を示してやろうぞ!さすれば他の者もレイナルドの圧政に気づき、厚顔無恥である現国王に抵抗せんとする我々の意思を継ぐ者も現れるだろう!」
「オォォォーー!」
兵士達の士気が更に上がる。勝ち目などない戦いだからこそ自分達を鼓舞する。大義名分を掲げて。
「大丈夫だぜ!俺達が盾になって守ってやるから、シャーロット様を頼んだぜ!」
「あぁ、ありがとうございます」
恐らく自分の顔が不安そうであったのだろう。隣の兵士に慰められた。いや、実際不安だ。昼ごろ見た感じでは大砲も有ったし、マスケット銃を持った兵士もいた。
確かに周りを鎧を着込んだ兵士達で固められているが、いつ流れ弾などが来てもおかしくない。
そういえば、リサさんはそれほど着込んでないが…大丈夫だろうか?
「なぁ、リサ?」
「何?お兄ちゃん?」
「シャロを後ろに乗せるのはいいが、流れ弾が当たったらどうするんだ?」
「……大丈夫よ。シャロさんに当たれば私が転ぶし、馬に当たれば私が転ぶから」
少し考える……つまり、どこかに当たれば自分に危害が加わるという事で防御が可能ということか。ん?待てよ?
「俺に当たったらどうなるんだ?」
「頭に当たらないことを祈るべきね。それと馬に弾が当たってこけたら走りなさい。それくらいはできるでしょ?」
「……解ったよ」
逃げるくらいなら俺にもできる筈だ。これしか道がない。これしかないんだ!
「門を開けよ!」
その侯爵の言葉と共に門が少しずつ開く。そして、3分の4開いたところで
「いくぞぉぉぉ!」
合図と共に旗振りが勢いよく旗を振り回し、騎兵隊が飛び出す。その流れに俺達も乗る。
今回の戦いは負け戦。そして、目的は俺達を逃がすこと。馬を走らせていると雨のように弓矢が飛んでくる。
だが、それらは横を走るリサさんの馬には当たらず、周りの兵士達の鎧に飛ぶが……刺さらない。
続いて発砲音が聞こえる。前の数名が騎馬から落ちる。
さらに大砲の音。どうやら狙いは俺達の方ではなく後ろの侯爵のほうであったようだ。砲弾は俺達を飛び越える。
あちらこちらに聞こえる悲鳴。こちらの数は少しずつ減って行く。急に頬に冷たい物があたる。どうやら雨が降ってきたようだった。
「よし!あそこが手薄だ!突っ込めー!」
包囲されているのを突破して俺達を逃がす為、先陣を切っている兵士が号令を掛けて敵の本隊ではなく手薄なほうへ誘導する。
槍と剣、砲弾、銃弾……それらが交差し、命を刈り取る。
俺は夢中になって駆け抜ける。
「ぐあぁ!」
「おのれぇ!ぐぅ!」
「ラフスン王国に栄光あれー!」
「逆賊は死あるのみ!」
どんどん周りの人間が落馬し、倒れていく。俺達は何とか進んで行くがもう味方も敵も区別がつかないほどであった。どちらにいけばいいか解らなくなってしまう。
「こっちよ!」
すると、喧騒の中からリサさんの声が聞こえた。そちらに向きを変えると道ができている……動かなくなった人の山の中に。
「いくわよ!」
「あぁ」
リサさんの声に導かれるがまま走る。酷い。これが戦か……目の前には死体ばかり。
しかも、鎧の隙間や顔に槍や矢が刺さり、銃弾が鎧を貫いている。またも発砲音が聞こえ、いななきが聞こえる。
「うわっ!」
急に馬から転がり落ちる。どうやら俺の馬がやられたらしい。くそっ。
「走って!」
「解ってる!」
すぐに立ち上がり、雨の中で走り出す。
「やぁぁぁぁ!」
「くそっ!」
「ぐあぁ!」
向かってくる兵士をムラサメで切り落とし、駆け抜ける。2、3人を切りながらリサさんの後を必死に追いかけると人ごみが無くなった。どうやら戦場を抜けたようだった。
それでもまだ俺達は走り続ける。
「ふっ!」
何分走ったのだろうか?急に小高い丘でリサさんが止まる。
「はぁ……はぁ……」
息を整えようとする。ふと顔を上げると……リサさんの視線は俺の後ろの戦場へと向けられていた。俺も後ろを見る。町が……燃えている。夜で暗い雨の中にも関わらず煌々と火が町から上がっていた。
あれほど美しく綺麗であった町が恐らくは砲弾でボロボロになり、燃やされている。最早、町の前で戦っている影などほとんど無かった。
「あ!シャロさん……ダメです!危険です!」
後ろで何かが落ちた音がしたので振り向く。どうやらシャロが起きてしまったようだ。
「叔父様!」
「ダメだ!シャロ!」
町の方へ行こうとするシャロを手を取って止める。
「どいて!ショータ!」
「叔父様が!叔父様が!」
俺の手をほどこうと何度もシャロが手を振る。
「もう間に合わない!」
「……そんな!そんな!どうして!どうして!」
大雨の中、シャロがへたり込む。
「どうして叔父様が!どうして……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
シャロが両手を目に当てて泣いている。その声は獣が泣いてるようにも聞こえる。彼女は雨に濡れる事を気にもせず、母親から離された幼子のようにただただ泣き叫んでいる。それを見れば解る、自分は間違ったのだと。
……やってしまった。これは俺が招いた結果だ。
これは……彼女の今の状態は……努力していても、訳も無く勝手に自分の愛する者を奪われた……祖父を失った時の俺と同じだ。なんてことだ。彼女の泣き顔や悲しみを取り除いてあげたくて『手伝う』と言ったはずなのに。
何をしているのだ……俺は……。何故、侯爵だけでも助けようとしなかった!何故俺は!……戦うのを恐れていたからか!死ぬのが怖かったからか!だから、なんだというのか!それで許されるものか!現に彼女は俺が何もしなかったせいで泣いている。
「すまない……すまない……」
全てを叩き潰すような雨が降っている。俺達をあざ笑うかのように。俺は自分の未熟さと不甲斐なさと自身勝手さへの憤怒の中で頬を伝う雫が地面へとどんどんと落ちていくのだけは感じた。
「……本当に……馬鹿な子……」
憐れみを含んだ言葉が俺とシャロの後ろから聞こえたような気がした。