距離
「起きてください、もう出発しますよ?」
聞き慣れない女性の声がする。それは俺の家族の物ではなく、それらよりももっと凛として透き通った声だった。
しかも、敬語である。俺に敬語を使うような人間なんていないはずである。誰だろう?
「むむむ……」
唸りながら目を開ける。そこには金髪でポニーテールの女性が俺の顔を覗き込んでいた。彼女は髪の毛全てをポニーテールで一括りにしている為、よりきつく見えるようだった。
しかし、誰だっけ?
「おはようございます。ショータさん」
「あぁ、おはようございます」
体が微妙に痛い。後、なんだか背中が冷たい。起き上がり、背中を右手の甲で触ってみる。どうやら濡れているようだ。何故だ?
立ち上がり、自分が寝転がっていた地面を確認する。なるほど、草が自生していたのか。というより何で俺は草の上なんかで寝てたんだ?
「……どうかしたんですか?」
正座をしていた彼女が立ち上がり、そう質問してくる。
「いや、ちょっと……状況が掴めなくて」
「……本当にそれで旅人なんですか?」
眉根を寄らして疑問をぶつけられる。旅人?旅人……。少しづつ思い出す。あぁ、うん、そういえば転生したという事だったなぁ。と。大体のことは頭に蘇って来た。そうか、もう朝になっていたのか。
日の光が目に痛い。
「いえ、少し寝起きが悪いだけですよ」
辻褄合わせにそう答える。彼女の手伝いをしなければ……。取りあえずは出発の準備を……。と思い、辺りを見回すがもう終わっているようだった。証拠に彼女が荷物を持っている。ふむ、しくじったなぁ。
「行きますよ?」
「あぁ、はい……片付けのお手伝いもできずに、すみません」
街道のほうに立ち、俺を催促する彼女……シャーロットさん。の傍に近づき一言謝る。
「いえ、いいんです。大したことではありませんから。では、行きましょう」
「はい」
そうして俺たちは街道を歩き始める。街道といえど、大きくそこだけ野草がなく、土肌が見えているからそう思うだけだが。そういえば、どこへ行くのだろうか?
「これからどこへ行くんですか?」
「これからアルテュイ侯爵の領土下の町へ向かいます」
「ふむふむ、それから?」
「そこで宿を取って補給した後、リオレ侯爵の元へ行く予定です」
「なるほど」
やっぱり、旅慣れしているなぁ。しかし、この世界のことがよく解らない。侯爵というのが存在するとは。まるで英国か何かに思える。何にせよ俺も侯爵とは貴族の一種としか知らない。
直に聞いてみるしかないだろうな。
「あの、すみません……俺、『日本』から来たのでこの国のことがよく解らないのですが」
「……『ニッポン』という国は初めて聞きます。となると、この国のことがよく伝わってないのかもしれませんね」
「あ、はい……興味本位で来ただけでして、他の人からは初めて見る人だと言われました」
「私も初めてです。そうですか……それでは」
そういう流れで彼女に、ここがラフスン王国と言われる国であること、絶対王政制度であること。そして、少し前に謀反が起こって国王が変わったこと。
タルス教という宗教があって、それが国教でその教会の本部が強い影響力を持っていること。を説明された。
しかし、さっきから気になっていたのだが。
「何故、俺に敬語を使っているのです?昨日はタメ口でしたのに」
「……それは、その……昨日は……虫の居所が悪くて……その」
「ごめんなさい!」
「えぇ!?」
いきなりの事に声を上げてびっくりする。彼女が振り返って俺に頭を下げている。どうなってるんだろうか……これ。
「え?いや……どういう?」
「ショータさんは私より年上ですよね?それなのに昨日は失礼な口を聞いてしまって」
「え?」
一瞬思考が止まる。俺がこの人より年上だって?嘘でしょ?
「えぇっと…失礼ながらシャーロットさんはおいくつ位でいらっしゃいますか?」
「10代後半です」
「えぇ!?」
驚愕事実、これほど大人びて美しいにも関わらず俺より年下だという。衝撃過ぎる……異世界人だからか?それともこの子が大人びているだけなのか……解らない。
「ショータさんは20代ですよね?」
「え?えぇ、まぁ……」
そういえば、外見上は20代の垂れ目で優男のイケメンに見えるんだっけ?それで敬語だった訳か。でも、そんな立派な人じゃないから敬語を使われるのはあまり嬉しくないな。
「いや、敬語使わなくてもよろしいですよ?俺はシャーロットさん程立派ではありませんし」
「いえ、そういう訳には……それに私もそれほど立派では有りませんし」
なんかやけにきっちりしている人だ。どこか良家の出身なんだろうか?
「そういわれても……俺も敬語を使われるのは違和感があって、むず痒いですし」
俺と彼女ももどうした物かと思案する。少し悩んだ結果、
「あ、でしたら……両方タメ口でいいという事に致しませんか?」
彼女がそんな提案をしてくる。確かに、それなら落ち着きそうだ。
「あ、それがいいです。それでよろしくお願いいたします」
「そうですか、じゃぁ、改めまして……私の事はシャロと呼んで!」
「はい!じゃぁ……俺のことはショータって呼んでくれ!」
「ふふふ……」
「ん?どうしたんだい?」
シャロが口に右手の平を当てて楽しそうに微笑む。その顔に昨日やさっきのような張り詰めたような硬さはない、いい笑顔だ。そんな笑顔に俺は魅かれる。
「いえ、私、こういう経験がなかったから……なんだか嬉しいな……って」
「そうですか……いや、そうか、最初が俺で少し申し訳ない気もするが……それは良かった」
「いえ、いいの」
機嫌よく彼女が歩き出す。こんなことで喜んでくれるなんて……なんだか少し嬉しい。
「それで、ショータの国はどんな国なの?」
「うん?ん~、そうだなぁ……」
どんな国と言われるとちょっと困る。あまり他人に自分の国を紹介することなんて無かったから。それに、自分の国にそれほど誇りを持ってはいない。いや、ある意味で愛国心は少しあるけど。
「安全で物の溢れた国かな?」
「安全で物の溢れた……魔物とかいないの?」
「うん、いない」
「いいなぁ~……それで物が溢れてるのかぁ、住みやすそう!」
すごい幻想を抱いているが……そこまでいい国ではないと思ってしまう自分がいる。実際、魔物がいない時点でここからすればいい場所なのだろうけど。
貧富の差はある程度あるし、労働者は奴隷扱いに近い処遇。それを見てみぬフリをする行政。まぁ、しかたないのだけど。
「確かに住みやすいかもしれない……家族は冷たかったけどな」
「……そう」
若干の落ち込みが入る俺の横で、楽しそうにしていた彼女もまた落ち込む。何か彼女が落ち込む理由が存在するのだろうか?
「―――!!」
「――――!」
急に獣の咆哮が当たりに響く。俺は刀に、シャロは弓に手を掛ける。片方は昨日と同じようにフェルウルフの咆哮だった。俺は右の山の方を見渡すが、どこにもいない。
もう一つの咆哮は俺は聞いた事ない叫びだった。
シャロは俺の後ろに背中を預けている。右の山の方にいないとなると左か?
そう思って、左に視線を移そうとしたとき、
バキッ!!
と先ほど見ていた山から連なる森から枝を踏み折る音がする。俺は警戒をそちらに向ける。
どうやらシャロもそうしたようだ。俺たち二人は音のした方へ集中を注ぐ。
ザッ ザッ ザッ
何かが近づいてくる音に息を呑む。
「――――!」
咆哮と共に注視していた森の茂みからフェルウルフが俺たちのどちらかを目掛けて飛び出してきた。
「くっ!」
俺たちは咄嗟に左右に避ける。俺は左にとび、シャロは右に飛び退いた。
着地する俺を目掛けて更に1匹のフェルウルフが飛び出してくる。それを俺は後ろに下がって避ける。
弓を射掛けたシャロも同じように飛び掛られたが、同じように下がって交わしたようだ。
鞘から刃を出そうと刀を引きかけたところで先ほどの音の主が現れる。
「――――!」
それは熊のような体格をしているが、やはり靄が掛かったようではっきりと輪郭が見えない。だが、その体格は優に3メートルあるように見える。
そんな化け物の腕を見てみると大きく、手にはするどい爪を備えていた。あんなもので撫でられたらひとたまりもないだろう。
「モルベア……」
シャロがその化け物を見て呟く。モルベアという魔物なのか……なるほど。フェルウルフは3体しかいない。あれを片付けるのは前回の経験から瞬時で済む。
だとすれば、よく解らないあれから先に倒すべきだ!
そう思い、目の前のフェルウルフを無視してモルベアのほうへ走り出す。
「ちょ!?ショータ!?」
シャロがなにやら驚いていたが大丈夫、速攻で切れば間に合う。俺は瞬時にモルベアの懐に入り込み、腰から刀を抜いて、一気に切り上げようとした。
が……。
「ん!?……なに!?」
こんなことが起こるのか!?
刀が鞘に引っかかってしまっている。抜き終わる前に切ろうとしたため、刀が止まってしまったようだ。
予想外の出来事に一瞬思考が止まる。
ゴッ!
「ショータ!!くっ……!」
左半身に衝撃が走り、右に吹き飛ばされる。吹き飛ばされた勢いで地面に右半身を擦る。
「いって!」
衝撃は受けるが、血が出たような熱さが体にはない……おそらく魔呪の衣のおかげだろう。しかし、衝撃だけは伝わるため、結構痛い。下手をすると地獄だろうに。
「ショータ!大丈夫!?」
声が後ろの近くで聞こえる。という事は位置を変え、こちらに後退してきながらシャロが俺を気遣っているようだ。
「あぁ、大丈夫だ」
痛む左腕を軸にして立ち上がり、後ろを振り返る。左前にシャロ、視界の真ん中の奥にモルベア、その周りをフェルウルフ3体いる。
「そう……本当に?」
「あぁ、少し左腕は痛むが……血は出てない!」
「え?嘘?あの一撃を食らって?!」
「あぁ、恐らく魔呪の衣……まぁ、服のおかげだ!」
モルベアに横薙ぎに払われた衝撃で鞘からムラマサが抜けている。ちゃんと握り締めていてよかった。この状態なら先ほどのようなトラブルも無く戦えるはずだ。
シャロは弓を背中に収め、小剣に持ち替えていた。距離が取れないと踏んだのだろう。こうなれば、フェルウルフを狩るのが先か?いや…。
「シャロ、フェルウルフなら近距離で何体相手に出来る?」
「え?えっと……2体くらいなら近距離でも片付けられる」
「じゃぁ、2体は頼んだ!」
「解った!」
もう一度モルベアの方へ右から接近する。それを迎撃するかのようにフェルウルフの一体が俺に飛び掛ってくる。ムラサメを右上に振り上げることでそれを切り落とし、
さらにモルベアに接近する。
「―――!」
そうモルベアは短く咆哮して、左腕を振り上げる。上から切り裂くつもりだろう。俺は自分の予想を信じてそのまま突っ込む。
ヒュウッと風を切る音と共に俺に向かって左手が振り下ろされる。……が。
モルベアの左腕が二つに分かたれて行く。俺がムラサメをモルベアの左腕の攻撃の延長線上に置いたのだ。
モルベア自身の力でその腕は切れる。
「でやぁ!」
刀をモルベアの腕に突き刺したまま胴体まで押し切る。
またも声無く絶命し、後ろに倒れていく。その様を目で確認するとすぐに俺は後ろへ振り向く。
「はっ!やぁ!」
「―――!」
蹴られた犬のような悲鳴を上げてフェルウルフの命が切れる。シャロがフェルウルフを頭から突いて倒したのだ。
突き倒されたフェルウルフは2体目で、一体目は既に縦断されてシャロの足元に転がっていた。
「ふん!……ふぅ」
足でフェルウルフの首を押さえ小剣を引き抜いたシャロが溜め息をつく。どうやらすべて片付いたようだった。
「お疲れ様、本当に大丈夫?」
「あぁ、本当に大丈夫だ」
シャロが心配そうにしているため、俺はそう答える。多少なりとも左半身が痛むが傷一つ無いのだから問題無いだろう。
「その服、すごい服ね……どうなってるの?」
「ん?まぁ……特注品なんだ。しかし、なんでシャロはそんな装備なんだ?」
弓を扱う者としての軽装にしても、軽鎧位は着けていてもいいはずだが……。動きやすさの為か、シャロは茶色の長袖服を腰でベルトを止め、そこに麻袋の財布を掛けている。加えてスカートではなくパンツスタイルである。
服装だけ見れば男性かと思うが、顔と体つきで女性だと解る。女性特有のしなやかさとリサさんよりもある胸のおかげであろう。
「あぁ、私は……最悪、逃げながら戦うことを想定してるから」
「それに、『教会指定品』だから魔物の攻撃も少しは防げるの」
「『教会指定品』?」
「……う~ん、要は教会で『神様の加護を受けた装備』って意味かな?」
少し考えてシャロが説明する。なるほど……そんな物があるのか。そして最悪、逃げながら戦う事を想定していた。ならば軽装なのも仕方ないな。
はてさて、そういえば
「何の話をしてたんだっけ?」
さっきまでの話を思い出せず、そうシャロに問いかける。
「えぇっと……それは……あ!」
「ん?」
何かに気づいたシャロの視線の先に俺も目を向ける。そこではフェルウルフの遺骸から少しづつ黒い粒子が発生していた。それは遺骸から離れ空中に飛ぶと消えて行く。
その様をじーっと見ているとフェルウルフの形は無くなり、とうとうすべて霧散してしまった。フェルウルフの遺骸が残っていた場所……そこに転がっていたのは一粒の白い小さな宝石だ。
「終わったわね……さぁ、回収しましょう!」
「え?そのダイヤモンドみたいなのをか?」
「そう、このダイヤモンドを回収するの」
シャロは丁寧に膝を曲げてその小さな宝石を一つ拾い上げる。そして、他のフェルウルフがいたところにも一粒ずつ落ちていた。とすると……モルベアのほうにもあるのか?
そう思い、後ろを振り返ると……視界の中に小さな光を捉える。
「ふむ」
近づきそれを確認する。なるほど、フェルウルフと同じ大きさで同じ色の宝石がそこにあった。それを摘み上げる。やはり、鉄のように硬く、カクカクとしていた。
どこからどうみてもダイヤモンドにしか見えない。ただし、かなり小さくガタガタで……親指の爪ほどしか大きさが無かった。故に値打ちはそれほどなさそうに見えた。
「はい、ここに入れて」
「あぁ」
そう促され、俺はシャロが差し出した麻袋に入れる。
「ありがとう」
シャロはそうお礼をして、麻袋をベルトに掛ける。どうやら財布以外にも小袋を持っていたらしい。
「そうそう、三武人の話を知っている?」
「三武人?」
「……そう、聞いたことないの」
「じゃぁ、話してあげる!」
少し残念そうな顔をしているかと思い気や、すぐに明るくなるシャロ。余程話したいのだろうか?
「あぁ、じゃぁ、お願いしよう」
「そう?じゃぁ、話すね!」
なんだろう……とっても嬉しそうだ。
「三武人って言うのはね、この国の有名人なの!それは前国王のアルド陛下、現国王レイナルド・ローレンス、そして、エドモン・リオレの事で……」
「その三人は片手剣のアルド、大剣のレイナルド、細剣のエドモンって言われてて…」
「特にアルド陛下はファブニールに止めを刺したから、とっても民から慕われててね!あぁ、ファブニールって言うのは大きな魔物の事なんだけど……」
「なんでも、その魔物はとっても強くて大きく、あわや国が滅びるかと思われる程だったんだって……」
「それを倒したのがその三人で!……レイナルドが注意を引き、エドモンが目を潰し、アルド陛下が心臓を貫いて止めをさしたらしいの!」
「どう?すごいと思わない!!」
「お……おぅ、すごいな」
まるで自分がすごいかの如く喋るシャロに戸惑いを隠せないが……ん?待てよ?
「なんでそんな有名人であるリオレ……侯爵?に会いに行くんだ?」
「え?えぇっと……そう!出資者なの!」
不意の質問に焦ってたような気がするが……まぁ、気のせいだろう。しかし、旅人に出資するような人か……。
「一体どんな人なんだ?リオレ侯爵って」
「え?えぇっと……とっても優しいおじさま?って感じよ?」
優しいおじさまがこんな美しい人に出資……うっ……なにか嫌な想像をしてしまった。
「うん?」
「いや、なんでもない」
いやいや、そんな立派な人がそんなことをする訳がないな!
俺がこめかみに手を当てた為、シャロが不思議そうにしていた。
「ん!?」
ふと何かの視線を感じて後ろを振り返る。しかし、誰もいない。その先に見えるのは平らな道だけ。どういうことだ?確かに近くに視線を感じた。
「どうかしたの?」
「いや、少し視線を感じたんだが……なんでもない、気のせいだったようだ」
「そう?じゃぁ、行きましょう?」
「あぁ……」
俺は視線への疑念を拭えないままそこを後にした。
俺たちはその日、太陽が落ちるまで街道を歩いた。
日が暮れて少ししたところで街までまだ歩かねばならない為、今日はもうここで休もうという事になった。
「はい、これ」
「ありがとう」
差し出された半分のパン……のような物を右手で受け取る。
「これは……なんだい?」
パンのような物であるには変わりないが。どうも俺が知っているパンではない。どうも所々色が違う。断面も少し茶色い。
「……それは、『雑穀パン』よ」
「そうか、パンでいいのか……しかし、雑穀か」
「ごめんなさい、あまり食事にお金を掛けるつもり無かったから」
「それに、一人で旅をしてたから数もないの」
「いや、こちらこそすまない。貴重な食料を」
それはそうだ。元々俺は予定外の人間なのだから……しかも、恥ずべき事に文無し。恵んでもらうだけ感謝しなければならない。
よくよく考えてみたらこんな状態で一緒に旅をさせてくれとよく言ったものである。普通に考えた場合、たかり行為に他ならない。
またなんだか自分が情けなくなってきた。はぁ。
「はい、これもどうぞ」
シャロがそう言って麻袋の旅鞄から取り出した水の入った瓶を渡してくれる。その瓶は縦に細長く、蓋はコルクできており、それほど量が入る形はしていなかった。
少しだけ瓶の中身が減っている。どうやらシャロが先に自分のコップに注いだようだ。半分に割かれたパンと木製のコップをシャロが持っていた。
「ショータの分のコップがないから……瓶から直接飲んで」
「いいのか?」
「うん、私は先にとったから」
瓶の水の減りから見るに……注いだ量はわずかなのは明白だった。
「……少しコップを貸してくれるかな?」
「え?どうして……」
「いいから」
俺は立ち上がり、シャロから若干奪うような形でコップを取り上げる。やはり、コップの中には一口か二口分くらいしか水が無かった。
コルクを取り、瓶の中の水が半分より下になるまで注ぐ。
「あ……ちょっと!?」
「はい」
焦って立ち上がったシャロにコップを渡す。
「どうして?」
彼女の蒼い綺麗な瞳に疑問の色が浮かび上がる。
「むしろ、俺が聞きたい……一番動いてたのはシャロだろ?」
「それは……その、ショータがモルベアの一撃を受けてるのに頑張って倒してくれたから」
「あんなの軽い軽い……むしろ俺はシャロにフェルウルフを押し付けてすまないと思ってるくらいなのに」
実際、シャロは朝から俺の何倍も動いている。俺は基本的にダメージを受けないからそこまで怖くないし、肉体的にも避けるのは容易だ。しかし、シャロはそうではない。
先ほどのフェルウルフを二体狩るのもかなり動いていた。フェルウルフから剣を抜くときにはかなりの汗を掻いていたし、歩幅も実は俺より小さい。ふと、彼女の汗を拭う姿を思い出した。その美しさと艶やかさに胸が高鳴る。
いかんいかん。
「それに、俺はシャロほど運動量が多かった訳じゃないしな」
「……そう、ありがとう」
シャロが納得して水を継ぎ足したコップを受け取る。俺よりも少し低い程度……だいたい、目線よりも少しした程度の身長であるシャロには俺の歩幅を合わせるのは結構大変な様子だった。
実は早歩き気味に前を歩いていたのが見ていて解った。
貴重な水をあまり動いていない俺にそこまで渡す理由がよく解らない。施しを受けているのはこっちだと言うのに。遠慮すべきはこちらだ。
しかし、同時に素直に受け取ってくれたシャロに感謝だ。
俺は自分の席に戻り、雑穀パンと水を口に入れる。パンはパサパサして味も無くあまり美味しいものでもないが……無いよりはマシであった。逆に水は、歩いてばかりいた俺にとって多少の喉の渇きを癒す、ありがたいものだった。
自分でこのくらい美味しいと思える物なのだからシャロにとってはより必要なはずである。ふと、シャロのほうを見ると両手を組んで目を瞑っている。
「……」
何をしているのだろう?と目を見張る。……やはり、シャロは美しい。整った顔に一本筋の細い眉。パッと見ると月の女神を見ているような美しさがある。そんな美しさが異世界人だからと言う理由である訳がない。
しかし、どこか寂しげなところがある。一体何故、そんな印象を受けるのだろうか。
「アーメン」
シャロがそう呟いて蒼い瞳を開く。なるほど……お祈りをしていたようだ。どうやらこの世界ではそれが普通なのかもしれない。
「そういえば、昼間に聞きそびれたんだが……」
「何?」
双方が食べ終わって質問を始める俺にシャロが先を促す。
「シャロは家族がいないのか?」
「……どうして?」
驚いたような表情をしてシャロが聞き返す。ふむ、解らないとでも思ったのだろうか。
「いや、なんだか寂しそうな顔をしていたから」
昼間見たシャロの落ち込み顔はどうも悲しげであった。そんな顔に俺は胸を締め付けられた。シャロ自身は美しく気丈で百合の花のような人物なのにどこか儚い……そんな印象を受ける時がよくある。
それが先ほどの家族の話題のときは顕著だった。だからこそ、聞きたかったのだ。
「………」
やはり、暗い顔をする……。踏み込むには早かったのだろうか……いや、早いのは解っていた。しかし、彼女のその暗い表情を取り除きたい。助けたい。
しかし、それは俺の我侭だろう。シャロのそれは、おいそれと他人に話したくないことなのかもしれない。
事実、目の前の焚き火で見えるシャロの顔は辛そうだ。
「……家族はもういないの」
「みんないなくなっちゃった」
「どうして?」
ポツリとシャロが話し始めてくれたので理由を聞く。
「それは……ごめんなさい」
「……そうか。すまない」
「うぅん……あ、でも……おじさんがひとりだけいた!」
少しだけ表情が明るくなる。
「へぇ~、どんな人なんだい?」
「とっても優しくて男前な人よ!お父さんの友達で、小さい頃からずっと一緒にいたの!今では田舎に戻っちゃったけど」
嬉しそうに語ると共に最後は残念そうなシャロ。
「また会えるといいな」
「うん……そうね、すぐ会えるといいのだけれど」
またも表情を曇らせる……そのおじさんも何かあるのだろうか。気になってしまう。
「あの……」
「さ!寝ましょう!」
「あぁ、うん……」
話を断ち切られてしまったため、さらに詳しく聞けない。はてさて……どうしたものか。
そんな風に考えているとシャロが袋から何か粉の入った瓶を取り出し、焚き火に振りかけた。
「なんだい?それ」
「これ?『聖灰』よ」
「『聖灰』?」
「これは神様の加護を受けた木屑で……これで魔物の嫌う匂いを発生させるの」
「そうすれば、魔物が近寄ってこないから」
「なるほど」
魔物が出るのにどうやって旅をして休息を取るのかと思っていたが……便利な物である。なんとなく匂いを嗅いでみる。
「人間には匂わないの……だから、昨日みたいな夜盗には効果がないけど……」
「ショータが親玉を倒してくれたおかげで今日は心配することは無さそう!」
あぁ、あのでかい男の事か……ふむ、こんな面で功を奏すとは思っても見なかった。
「ありがとう!ショータ!」
「いや、俺は別に何も……」
シャロの笑顔に戸惑う。狙ってやった訳じゃないので照れてしまう。
「それじゃぁ、お休み!」
「え?あ……」
目の前で背中を向けて寝転がってしまった。これはもう話をする気がないという表れなのだろう。
「あぁ、じゃぁ、おやすみ」
仕方なく俺もシャロの背中を見ながら横になる。彼女の背中が昨日より小さく見えるのは気のせいだろうか。
今日一日だけで結構なことが解った。だが、色々と整理する前に一日中歩いていた事による疲れのせいか、睡魔が襲い掛かってくる。
「ごめんなさい」
そんな声が目の前の背中から聞こえた気がしたがはっきりとは解らなかった。