知識
数日を過ぎて、俺はエルマさん、エリーゼさんとの生活には慣れた。
今は、エルマさんたちが住んでいる家から少し離れた森林の中、俺はある人の代わりに仕事をしていた。
力いっぱいに目の前の木に斧を振るう。木の大きさは直径にして1m程はあるだろうか?ここいらの森ではこの大きさの木は珍しくはない。
その木に斧を斜めに刃を入れて少しずつ切っていく。ほんの少しずつ切れ目が入るのを繰り返し、ようやく切れ目が中心部近くに届きそうになる。
そうすれば、今度は反対から木を切っていく……最初はこの程度の作業をするのにも、すごく時間がかかったが、今では、この位の木を切るのに2時間くらいで切れるほどになった。
考えてみれば、どのような作業も最初は上手くいかないもので、下手でも少しずつ経験して上手くなっていくものである。頭で考え効率的に学習していくことで更にその時間は短縮される。
これがお金になるための作業ならば、なおの事、それは楽しく感じれる。どんどん上達していくという事は成功体験に他ならない。加えて、それで役に立っているという一体感も生まれる。
「何考えてるのよ?」
「え?いえ、少し楽しいなぁと思ってしまいまして」
「はぁ~」
木を切るのを楽しんでいる俺にリサさんは呆れたようだ。切り株に座っている彼女が大きなため息を吐き、遠くを見つめてしまった。
「それはいいのだけれど、あなたはこれからどうするべきなのか解ってる?」
「いえ、全く予想がついてないので……解ってないですね」
「まぁ、そうよね……そうなるわよね」
現状解ることはエリーゼさんの父親がいないことと、その仕事が俺に回ってきていること。更に、実はエルマさんの片足が義足で働けないという事。
そして、エルマさんが家事をするにも人の助けが必要だという事でエリーゼさんかリサさんの助けが必要だという事だろうか?
魔物が襲ってきて、困っているという事はなさそうであり、今のところムラサメを必要とする場面と言えば……。
ガサッ!
物音共に目の前にフェルウルフが飛び出してくる。こういう時ぐらいだろう。
「―――!」
俺に狙いを定め、いつもの咆哮を上げて、こちらへ向かってくる。俺は斧を木に刺したまま腰に着けているムラサメを引き抜き、飛びかかって来たそれを斬り落とす。
「――!」
「何!?」
間一髪の所で左から飛びかかって来たフェルウルフの攻撃を後ろに飛びのいて避ける。そのフェルウルフがこちらに向きを変える前に俺は切りかかる。
フェルウルフはやはり悲鳴を上げることなく命を絶たれた。
「……危なかった」
冷や汗が体中から出る。今の俺は魔呪の衣を着けていないのだから、普通に魔物の攻撃を食らえばダメージは受けるし、下手をすると致命傷にも成りうる。
やはり、戦闘においては左目が見えないという事はかなりの欠点になる。これは……どうにかしなければいつか死ぬだろうな。
「人間はどこが欠けても生きるのが難しいものなのよ?」
「……そうですか。ところで何故、リサさんは狙われないのですか?」
「知りたい?」
愛らしさの中に意地悪そうな笑みを浮かべている……これは教える気ないな。
「いえ、いいです」
「あら、残念」
心を読んだ上でのこの演技……腹が立つな……おい。
「それで、一体私はここで何をすればよいのでしょうか?」
「それは自分で気づかないとダメ。私は教えないわよ?」
「またですか」
シャロの時もそうだが、この人は何のために居るのか解らないな。
「まぁ、答えの相談くらいなら乗ってあげてもいいけど……それ以外は自力でね!お兄ちゃん!」
最後だけ妹モードでこちらに話してくるとは……全く。
まぁ、とにかく魔物が襲って来るという事は今のところは無さそうだが……未来形で有るのかもしれない。そこは警戒しておくに越したことはないだろう。
しかし、魔物以外の事となると何だろうか?シャロの場合は復讐の手助けであったが……今回はそういった危険なことなど存在しない。ただ仕事をして、生活をしているだけだ。
そんな状態で誰かの助けを必要とするような問題があるのだろうか?あるのだとしたら、それは一体……。
「ショータさ~ん、お仕事お疲れ様です~」
「え?あ、はい……エリーこそお疲れ様です」
急にエリーゼさんの声が後ろから聞こえたので驚いて振り向き、彼女を確認してから返事をする。いつものように腰まで有りそうな金髪を片三つ編みにして水色のドレスを着たエリーゼさんがそこにいた。
「いえ~、私は大したことなどしてませんから~」
「いつの間に来たのですか?」
「さっき来たばかりですよ~?」
そうだったのか……俺は気づかなかったが。もしや、リサさんが最後を妹モードで締めたのはその為か?
「ところで、どうかしたのですか?」
「それがですね~、今から街に行く時間ですので~」
「おや?街が近くにあるんですか?」
街があったとは……知らなかったな。
「はい~。私とショータとで行くので、呼びに来たんですよ~」
「私とですか?」
「はい~」
何故俺なのだろうか?……よく解らないな。
「では、私はエルマさんのところへ戻っておきますね!」
「あ、はい~。お願いいたします~」
リサさんはそう言葉を交わすとリーベルト家の方へと走って行っていた。まぁ、そこそこに近いからあまり心配はないだろう。
「その木も持っていきますので~、適当な大きさに切って持っていきましょう~」
「あぁ、はい」
木も持っていく……という事は。なるほど、荷物持ちという事か。それならば合点がいく。
俺は言われたとおりにムラサメで枝を切り、木を適当な大きさに分割する。ムラサメを使った理由は時間があまりないのではないかと思ったからである。
「すごい剣です~」
ムラサメで軽々と木を分割する俺を見たからか、そんなことをエリーゼさんが言う。
「え?あぁ、そうですね。まぁ、貰い物なんですけどね」
「それなら木を切るのも楽そうです~」
「あぁ、いえ、切るときには使わないんですよ」
「何故です~?」
「いえ、何となくです」
「そうですか~」
商業的に見たとき……ムラサメを使って切らないのはおかしい。斧で切る時間だけ無駄である。だが、俺はムラサメを使って伐採をする気にはなれなかった。
少し不思議がっているエリーゼさんを横目に、俺は分割した木を引っ張ってきていた荷車に乗せる。
「さぁ、取りあえずは戻りましょう」
「はい~」
街道沿いを俺とエリーゼさんが行く。エリーゼさん曰く、家から街までの道路は平坦で草木などは生い茂っていないらしい。
おかげで荷車を引くのにそこまで大変という事はない。これは有り難いことである。しかし、ここまで整備されているとなると割と何日かに一度は街に行くのだろうか?
「そういえば~」
「どうしました?」
無言の中、比較的小さな荷車を引いているエリーゼさんが急に話しかけてくる。
「私、ショータの国の事とかショータが知っている事とかもっと知りたいです~」
「えぇ?!えぇ~っと、何が知りたいんでしょうか?」
予想外だ……知っている事という曖昧で広い範囲はあまりにも予想外。シャロと居た時は自分の国に関してだけだった……どうすればいいんだろうか?
「そうですね~、まずは数について私に教えてください~」
「えぇ~っと……」
困ったな……数の概念を教えろと言われてもな。小学生相手の教師や塾講師ならできるかも知れないが、生憎と俺はそんなことはしたことない。
いや、寧ろ数の概念は小学生でももう解っているんじゃないのか?困った。
「ダメですか~?」
「いえ、少し難しいなと思いまして」
そもそも俺の知識がこの世界において正しい知識なのだろうか?人に物を教えるというのは、その教えられる者にとって後々まで役に立つ物でなければならないという責任が発生するのではないだろうか?
ともすれば、俺の知識は現代日本の価値観としての知識でしかなく、これを教えるのは彼女にとってマイナスでしかない可能性も……。
「どうかされましたか~?」
エリーゼさんは何の疑念もなく、俺の次の言葉を待っている。……その表情は俺に期待する様な表情であった。これを断るのも悪い気もする。
「そうですね、銀貨を一枚出してもらえますか?」
「はい~」
彼女がエルマさんから出際に預かっていた袋から銀貨を一枚取り出す。
「そう、その1というのが数と言う物でして……」
「そうなんですね~」
「1という数から更に銀貨が増えると、2という数字になりまして……」
「2という事はこうですか~?」
銀貨を更にもう1枚取り出してエリーゼさんが俺に質問する。ふむ?やはり、何枚というのは解るのだろうか?
「そうですね。その増えていくのはどこまで数えれますか?」
「私が数えれるのは5枚までです~」
5枚まで……か。
「それより先はどう表現されるんですか?」
「いっぱいです~」
「いっぱいですか」
なるほど、確かに間違ってはいない。しかし、こんな状態で買い物をする時は大丈夫だったんだろうか?余程、良い人がエリーゼさんの周りには集まるのだろうな。
「5より先は6、7、8と……」
俺は十進法を彼女に教える。そして、ついでに銅貨と銀貨、金貨の換価額をエリーゼさんから聞いて確かめつつ、それらの量や大きさ、重さがイメージができるように説明していく。
前にシャロと旅をしたときは数え方は十進法では良かったはずだから、俺のこの知識でいいだろう。
「なるほど~、そうだったんですね~。お母さまに言われていた事が今解りました~。ありがとうございます~」
「あぁ、そうなんですか。それは良かったです」
ん?エルマさんからは教えられてはいるのか?だとしたら、どうしてこうも……まぁ、いいか。
「ではでは~、数以外にもショータが知っていることを教えてください~」
「えぇ~っと……そうですね」
曖昧な質問ほど困るものはない……さて、どうしたものか?何を知らないか解らない人間にもっと正確な質問をしろ!と言ってもできはしない。
「じゃぁ、私の母国の話をもっと詳しく話しましょうか?」
「はい~。お願いします~」
「解らないことが有ったらどんどん聞いて下さいね?」
「はい~」
そう返事するエリーゼさんはかなり嬉しそうであった。まぁ、俺も知らないことを知るのは好きだから、それと同じで嬉しいのだろうと思っていた。
そうこうしている内に、俺たちは街に着く。そこにあるのは大きな壁に囲まれた街。つまりはラフスン王国で見たそれと同じであった。
「なるほど、ラフスン王国とあまり変わらないのですね」
「そうなんですか~?」
「あぁ、いえ、そうですね。俺が見たラフスン王国の街とよく似た構造をしてます」
話をしてみて解ったのだが……エリーゼさんは家とこの街以外は行ったことがなく、見たこともないらしい。食事は何を食べるのか、職業とは何かから政治制度に関してまでかなり突っ込まれたので俺は少しげんなりしていた。
「ラフスン王国ではどんなことをしたんですか~?」
「あぁ、はい……それはまた今度という事で、用事を先に済ませましょう?」
「はい、解りました~」
今度のエリーゼさんは少し残念そうな顔をしていた。恐らくはもっと自分の知らない世界を知りたかったのだろう。
「まずは教会に行きましょう~」
「はい」
エリーゼさんに付いて街の広場まで出る。いつものように人々は通りで商売もしている。だが、ここの街には芸術家の類は見当たらなかった。
「ここです~」
言われて建物を見上げる。いかにもと言えるだろうか?普通、教会を想像する場合はゴテゴテした装飾が多い物だと勝手にイメージしていたのだが、それとは全く違った。
その建物を正面に捉えると、赤い三角の屋根の左側に尖塔が目に入る。その尖塔には青い屋根部分のすぐ下に時計が備わっていた。時計は俺の懐中時計と同じように針は一つしかないようだ。
やはり、この世界の時計は針が一つしかいないのだろう。分針や秒針の概念がないのかもしれない。
遠くからでも目立つ尖塔に対して建物は、少し薄汚れた白い4本の柱に同じような白い壁、装飾も天使等々の手の込んだものもなく、扉も木製である。おおよそ荘厳さは微塵も感じれない。
「神父様に知らせてきますので~、ここにいてください~」
「あ、はい。いってらっしゃい」
エリーゼさんが荷車を置いて中へ入っていく。
しかし、何故こうも違うのだろうか?確か、ラフスン王国の宮殿は神の祝福を受けていた……とリサさんは言っていた。ともすれば、この教会も祝福を受けているだろう。
だが、祝福を受けている宮殿とこの教会のデザインは全く違う。となると……デザインが似ていなくても問題はないのだろうか?
古さから言えばこちらの方が古いと解る。そうであるならば、では、何故、宮殿はあのような豪勢なデザインに……理由が思いつかないな。
「お待たせして申し訳ありません」
黒い服に身を包んだ中年の男がエリーゼさんと一緒に出てきて、そう俺に挨拶する。更にその後ろには街の人間らしき人たちが幾人か付いて来ていた。
「いえいえ」
「さぁ、君たち……運んでくれ」
「解りました」
俺の荷車に入れてある、小さく切った木を街の人間が教会の中に持って入っていく。
「いつもありがとう、エリーゼ。これが今回のお金と聖灰だ」
「はい~、ありがとうございます~」
お金の入った袋をエリーゼさんに……そして、それとは違う袋が俺の荷車に置かれたのだった。