労働
「ぐはぁぁぁっ!」
突如、腹に衝撃が走ったため目が覚める。
「おはよう!お兄ちゃん!」
「……げふっ」
衝撃の発生源がいつもと同じように屈託のない可愛らしい笑みで朝の挨拶をしてくる。心臓がまた無駄に早鐘を打っており、気分も悪いため返事ができない。
「大丈夫?お兄ちゃん?」
「大丈夫もないと思うのですが……」
他人のお腹の上に乗っておいて……いや、ダブルニーキックを食らわせておいて、よく言う。
「お兄ちゃん!もう朝ごはんだよ?早く起きて?」
俺の腹の上で体重移動をさせてゆさゆさとする。痛いんだが……。しかし、なんで俺の部屋だというのに兄妹モードなんだろうか?
「リサちゃんはお兄さんが大好きなんですね~」
リサさんとは違うおっとりとした声が聞こえてきたので、驚いて扉の方を見る。そこにはエリーゼさんが立っていた。どうやら扉が開いていたようだ。
「取りあえず……起きたから、退いてくれないか?リサ」
「うん、解った!」
思わず顔をしかめる。何故なら、リサさんが偶然に見せかけてニーキックの着地点に手をついて降りたからだ。
体を起こしてリサさんが降りた方とは反対からベットを降りる。
「あら~、着替えずに寝たんですね~」
「ん?あ……」
そう言えば、着替えて欲しいって言われていたんだっけなぁ。忘れていた。
「お兄ちゃんってば、そんなに疲れてたんだ~」
リサさんの方を見る。彼女は緑の前掛けと白い袖にフリルの付いた赤いドレスを着ていた。どうやら着替えたらしい。
「まぁ、長旅だからな……そうだな。着替えるから先に居間に行っててくれないか?」
「うん、待ってるね!」
「では~私も待ってますね~」
リサさんが部屋から出て行って扉を閉める。ふぅ、朝から酷い目に会うのは、いつものことながら慣れないな。
俺はタンスの方へ近寄る。普通、服があるとしたらこれだろうな。
躊躇いもなく開ける。……その中には男物の服がたくさん入っていた。
だが、多くは俺のサイズよりも大きめの物ばかりだった。腕まわりや足回りが明らかに俺よりも大きいため、ダボダボだ。何着も試してみては、脱ぐを繰り返し、ようやく自分でも着れそうなものを見つける。
「ふむ、これならなんとか……」
それでも、すこしダボついていたが何とかなる程度であった。探し出したズボンも魔呪の衣よりも少し硬い素材でできた物だったが問題はなかった。
魔呪の衣と無法の法衣を左腕に乗せ、右手でムラサメを持って扉へ向かって行き、部屋から出る。
「おはようございます」
「おはよう!お兄ちゃん!」
「おはよう~ございます~」
「あぁ、おはよう」
一礼をして朝の挨拶をしたため、それぞれ三者三様の返事をする。エリーゼさんはほわほわした、リサさんは元気がよく、エルマさんは少し不愛想な挨拶を俺に返す。
「みなさん、早いんですね?」
「何言ってんだい?あんたが遅いんだよ?」
「え?そうですか?」
言われてムラサメを机に立て掛けて、懐中時計を服のポケットから出して確認する。その時計は7時を示していた。
「何ですか~?それ~」
「あんた、珍しいものを持ってるね……どこで手に入れたんだい?」
「え?いや、えぇっと……偶々、行きずりの人から頂きまして」
しまった……この世界ではこういった懐中時計は高級品だったのを忘れていた。
「ふぅ~ん、まぁ……いいけど。今はもう7時だ……私たちはもう既に仕事に取り掛かってなきゃいけない時間なんだよ」
「そうでしたか……それはすみません」
これは居候の立場としては不味いことをしたな、気を引き締めなければ。
「お兄ちゃん、その時計貸して?」
「え?あぁ……」
時計を目の前の席に座っているリサさんに渡す。何でそんなことを言い出したのだろうか?
「はい、エリーゼお姉ちゃん!」
「ありがとうございます~。ショータさん、見てもよろしいですか~?」
「あぁ、はい。遠慮なくどうぞ」
なるほど。エリーゼさんが見たがっていたから俺から時計を借りたのか。
「わぁ~すごいですね~。どうやって動いてるんでしょうか~」
初めて見るのか……いや、きっとそうだろう。そのような反応でエリーゼさんが懐中時計を手で持って色々と触ってみている。
「洗うものはそこの桶に入れておけばいいよ」
指された方向には大きな木桶が在った……俺は言われたとおりに魔呪の衣と無法の法衣を桶に入れる。
「さぁさぁ、エリーゼも時計を珍しがってないで……朝食にするよ!」
俺が服を入れるのを見届けたのだろう。エルマさんが号令を掛ける。
「はい~」
「解りました!」
「これ、ありがとうございました~」
「あぁ、いえいえ」
席に着くなり、俺はエリーゼさんから懐中時計を渡される。
「じゃぁ、始めるよ!」
エルマさんがそう声を掛けると俺を除いた三人が手を胸の前で組む。
「天にまします、我らが神よ。こうやって日々の食事を与えて下さり感謝いたします。
このように日々私たちを見守り、導いて頂き嬉しく思います。
このお祈りをあなたの御子を通してあなたにお祈りいたします。
アーメン」
「アーメン」
「あーめん」
エルマさんの結びの言葉に続いてエリーゼさんとリサさんがそれを復唱する。何か微妙にいたたまれない気分にもなったが……俺は何もしない。
「さぁ、食べるよ!」
その言葉と共にリサさんとエリーゼさんがある木で作られたスプーンを使い、目の前にあるスープとパンの内、スープに口をつける。
俺もそれに倣い、スープを口にする。そのスープは胡椒の味が少し効いており、入っている野菜はカブや玉ねぎらしきものだった。
「しかし、あんたの国の文化ではお祈りの文化はないのかい?」
「え?えぇ、まぁ、そうですね。あるにはあるんですが……私は無宗派ですので」
「ムシュウ~……ハ?って何ですか~?」
またもエリーゼさんが不思議そうな顔をしている。
「なるほど、無宗派ね。だとしたら、あんたは神様を信じない訳だ」
「いえ、神様を信じてない訳ではないのですが……」
信じない訳にはいかないだろう。目の前にいる俺の妹と名乗る心を読む少女がそれらしいのだから。
「さすがによく解らないね。どういう事だい?」
「私には死後の世界が解らないから何でもいいって主義でしょうか?」
「……よく不安にならないね、私には到底無理な考えかただよ」
「そうですか?」
「あぁ、私は生まれてからずっとこの国の国教であるタルス教で教えられてるからね……エリーゼもそうさ」
「はい~私もお母さまと同じですよ~」
「そうなんですか……」
ここも国教はタルス教なのか……一体タルス教はどれほど強い勢力を持っているのだろうか?
「そういえば、私がこの服やあの部屋を借りてよろしかったのですか?」
俺が着ている服と昨日寝た部屋を指して質問をする。
「……どうせ、その服や部屋はもう使われることはなかったんだ……気にせずお使い」
「そうですよ~」
エルマさんのその言い方から昨日の疑問の答えがある程度出る。離婚したか、死んだ……のどちらかだと。
しかし、宗教で離婚を禁止されているならば答えは一つだが……そこは追々聞いてみるとしよう。
「そうですか、ありがとうございます」
ここで更に突っ込みを入れるのはあまりにも失礼だからお礼を言って終わらせる。
「ところで、私は今日は何をすればよろしいのでしょうか?」
木皿に盛られたスープを飲む手を止めて、同じく木皿に乗った雑穀パンらしき物を裂きながら話題を変える。
「そうだね、あんたには動物たちの世話と力仕事を。リサちゃんには家事手伝いをやってもらうよ」
「なるほど、具体的には何をすれば……」
「細かい仕事内容はエリーゼが説明するから、エリーゼに聞きな……エリーゼ教えてやんな!」
「はい~、私に聞いて下さい~」
ふむ、俺の業務の先輩はエリーゼさん……か。あまり頼りなさそうに見えるが、仕事となるとバリバリと動くタイプなのかもしれない。
「どうかしましたか~?」
「いえ、何でもありません」
つい注視してしまっていたようだ。だが、こちらに疑問を投げかける際もほんわかと穏やかな口調で尋ねてくる彼女を見て、素早く動けるイメージがやはり浮かばなかった。
食事が終わり、俺は今、豚小屋に居る。
「この小麦の束を……こうやって~この餌箱に入れて下さればいいんですよ~」
「なるほどなるほど」
エリーゼさんが手本を見せながら、そう説明してくれる。餌やり程度なら簡単な仕事だ。
「そして、餌を食べている間に糞尿をこれで集めてください~」
言われて渡されたのは木でできたスコップの様なものだった。
「はい、解りました」
「それから、集めた糞尿はあれに乗せて、畑の方に持ってきてくださいね~」
指し示された方向を見ると、これまた木でできた荷車が在った。
「解りました」
「それでは~、私は畑の方にいますので~」
「はい、では」
エリーゼさんの姿が見えなくなるのを確認する。
「さて、仕事内容は単純で簡単だが……」
辺りを見渡す。どう見ても豚の数は30頭以上はいるだろう。一つの囲いの中に5匹入っているが……それが6つ。
「よっ!っと」
スコップで糞尿をすくい上げてみる。結構重い…これを荷車に乗せる。この動作を一つの囲い中で5回以上はしなければならないとなると……なるほど。
少し疲れたが、何とか豚小屋での作業を終える。以前の肉体ならこれをするだけで一日が終わりそうになっていただろう。
「さて、持っていくか」
荷車の取っ手を両手で掴んで畑の方へ向かう。それにしても、酷い臭いだな……俺がいた世界でもこのようなことはあったのだろうか?いや、有るのかもしれないが接してきてないから知らないだけだろう。
働いた事がない俺にとってはある意味で何もかも新鮮な物に見えるな。あぁ、そうだ……本当に真面目に生きればよかったのではないだろうか?
全くもって一度の人生を無駄にした。やはり、人というのは色んな事を失って初めて解るものだ。
「もう終わったんですね~!速いです~」
「あぁ、はい」
くだらない思考にふけっていた俺をエリーゼさんの声が現実に引き戻す。畑の方とは言ったがここは畑ではない。何やらゴミ捨て場の様な場所だ。
「では、その糞尿を~、この小麦の束と~、この木箱の中にこれで入れてください~」
現実に戻されたばかりの俺に大きな木のフォークが渡される。ん?何をするんだ?
「えぇ、解りました」
「交互に積んでくださいね~」
言われるがままに糞尿と小麦の束とを四角い大きな木箱の中に交互に積んでいく。
「はい~」
俺が積んでいく所々でエリーゼさんが木のバケツで水を加える。
「できました…」
「では~、これで上から押さえつけておいてください~」
渡されたのは木蓋……どうしようというのだろうか?
「こうですか?」
言われたとおりに積み上げた箱の上から蓋で抑える。
「そうです~。では、そのまま待っててくださいね~」
「はい」
体勢を維持したままエリーゼさんの方を見る。彼女は人の頭ほどの大きさの石を両手で持ってこちらにやってきた。
そして、その石は俺の両手の間に置かれる。
「はい~、ショータさんもこれと同じような石を持ってきてください~」
「えぇ、はい」
蓋から手を離して、エリーゼさんと一緒に歩いていく。少し歩いたその先には大きな石がいくつも積み上げられた場所があった。
「これの一つを持っていけばよろしいのですか?」
「はい~」
俺は両手で大きな石の一つを持ち上げる。エリーゼさんも隣で同じように持ち上げる。
「では~、行きましょうか~」
「はい」
先ほどの木箱に戻り、二人ともが蓋の上に石を置く。
「この作業はこれで終わりです~」
「ふぅ……次は何をしますか?」
「次は畑仕事です~。こちらですよ~」
案内されるままにエリーゼさんに付いて行く。畑に着いた途端に俺は少し驚愕する。目の前に1haは有りそうな畑がいくつか広がる。その奥にはエルマさんが居る家が見える。
「大きいですね」
「そうですよ~、ここは私のお父さんが切り拓いたんですよ~」
「そう~なん。いえ、そうなんですか」
危うくエリーゼさんの口調に釣られるところだった。ところでさっきから気になるのだが。
「あの、敬語でなくていいですよ?それと、呼び捨てでも構わないですよ?」
「え~?何故です~?」
「いえ、恐らくですが……私より年が上ですよね?」
「ん~、私は確か~、お母さまが言うには28だったと思いますよ~」
「やっぱり……ですから、私に敬語なんていいですよ」
「そう~なんですか~?」
エリーゼさんが不思議そうな顔をする。どうしてだろうか?
「私、よく解らないんです~」
「え?えぇっと、それはどういう意味でしょうか?」
「28って何でしょうか~」
ん?んんん?28が何ってどういうことだ?
「え?数字ですよ?」
「数字って何ですか~?」
「えぇ!?」
数字って何って……。しかし、エリーゼさん本人はいたって真剣な顔でこちらを見ている。本当に知らないようだ。
「えぇっと、そうですね……数の一つというか」
「数?」
彼女が不思議そうに小首を傾げながらこちらに質問をしてくる。その様に疑問をぶつけてくる彼女の姿には、ふんわりとした雰囲気の中にも愛らしいものを感じれた。しかし、これは大変だなぁ。
「そうですね……1とか2とかの仲間なんですが。いえ、とにかく、さん付けや敬語はしなくてよろしいですよ」
「ん~、でも私は、他人と話す方法はこれしか知らないんです~」
弱った。どう言えば良いのだろうか。敬語なしというのは彼女の中ではどう話せばいいのか解らないらしい。
「そうだ、お父さんとお母さんはどういう風に会話していたか解りますか?」
「お母さまとお父さんの会話ですか~」
恐らくだが、夫婦という関係ならば敬語がないというパターンが普通だから……。
「お母さまは今の私と同じように話してたと思います~」
「づえぇぇ!?」
「お父さんの話し方は~。お母さまから人前ではお父さんの話し方を真似するなと言われてます~」
うぅぅ~ん?どうなっているんだろうかこの家族関係は……厄介だなぁ。仕方ない、もう……いいか。
「解りました。敬語でいいですよ」
「はい~。ありがとうございます~。でも~、さん付けが嫌でしたらショータと呼びますよ~?」
「あ、はい。じゃぁ、それでお願いします。エリーゼさん」
「では、ショータ、私もエリーゼとでも呼んでくださいね~」
「はい、解りました。エリーゼ」
呼び捨てと敬語という訳のわからない文法に成ってるが、もうこれ以上は教える必要があるから突っ込まない方がいいだろう。
そんな問答があってから、俺たちは畑へ入る。
「これで小麦を収穫するんですよ~」
渡されたのは木でできた柄に刃がついたような鎌。よく稲刈りとかで使うあれであるとは思うが。
「どうやって刈るんですか?」
「こうやってですね~。穂の足の方を切るんですよ~」
エリーが腰を屈めて、小麦を切る。ふむふむ。まるでそれは小学生の時に見た、稲刈りをするのと同じような行為だった。
「こうですか?」
「そうです~」
「上手ですね~。どこかでやっていたんですか~?」
「いえ、全く」
やったことがあると言えば、小学生時代に学校の教育の一環でやらされたことがあるくらいだろう。そんなものは実務では何の価値もないだろうな。
「そうですか~。では~、そちらの方はお任せしますね~」
「はい、解りました」
「そういえば~」
「はい?何でしょうか?」
何も問題なく小麦を刈っていると突然エリーゼさんが作業をしたまま俺に話しかけてきた。俺も返事をしつつ作業を続ける。
「その左目は魔物にでもやられたんです~?」
「あぁ、これですか……まぁ、そんなところです」
「見えなくて不便ではないですか~?」
「いえ、もう慣れましたので……大丈夫ですよ」
確かに左目が使えないだけあって、左に死角が増え、距離感覚も最初は掴めなかった。だが、それはシャロと一緒にポワッソメールの復興をしている内に慣れてしまっていた。
今では距離も誤ることもなく、ムラサメを難なく振るえる位だ。但し、左の方に死角が増えてしまった問題は解決してはいないが。
「不便なことがありましたら~、言ってくださいね~。お手伝いしますので~」
「ありがとうございます。エリーゼ」
「はい~」
ほんわかしている彼女だが、俺を気づかってくれているようだった。いきなり家に居着くことになった人間を気づかって貰えるとは思いもしなかった。
これなら、取りあえずはうまくやっていけるのではないだろうか?うまくやっている内に助けなければいけない事もおのずと解っていくだろう。俺は小麦を刈りながらそう思案していた。