復讐
30m程あるだろう大きな石壁…それは人が登る事など到底できない事が一目で予想できる程の高さ。これほどの物を作り上げるとは…やはり人間は凄い。見ているこちらが圧倒されてしまう。その上にはどうやら侯爵の所と同じように弓兵が十数人見張りをしていた。
同じような石壁は他の都市にもあったがこれほどの高さは無かった。リオレ侯爵が治めるポワッソメールでさえもこの高さはなかった。このような物を作り上げるからこそ、人間は偉大であり…作らせるからこそ愚かなのだろうな。
目を都市の入り口へとやる。
そこでは、中へと続く大門の前に二人の兵士が立っており、通る人々の顔を確認している。検問のようだ。それを受けて中に入るために、傭兵や商人、農民といった人々が列を成して並んでいる。
その検問は目的は人なのか…誰かを探しているようだった。荷物だけではなく、門を通って中に入る人々の顔すらも確認している。むしろ顔の方がメインであるかのように人の顔をよく見ていた。
そんな中、俺たち三人は少しずつ前へ前へと…検問兵の方へと進む。注視しているうちに、もう少しで門兵の顔が確認できるほどの距離になった。俺はムラサメの柄に手を掛ける準備をする。
「お…お役人様!た…助けてください!」
急に俺たちの後ろから農民らしき人が土埃を巻き上げながら検問をしている門兵に掛けて行き、泣き付く。泣き付かれた門兵は少し唖然としていたようだった。
「な…何事だ!?」
「魔物が!魔物が!…お願いします!私の家と家族を助けてください!」
「魔物だと!?…えぇい!離せ!それは別の者の仕事だ!私は忙しいのだ!」
「そんな!私の娘や妻、息子はどうなるのですか!」
「知らん!さっさと中の者にでも言え!」
「そんな事をしていたら私の家族が魔物に殺されてしまう!お願いです!お役人様、来てください!」
「だから、私は重大な役目を負ってるからダメだと言っているだろうが!」
けんもほろろとはこう言ったことだろう。全く相手にされてない。まぁ、役人ならそれが普通か。
「なんだぁ?折角王様が変わったってのにお役人の兵士共は腑抜けのままか。これはお笑い種だなぁ!」
突然、俺の少し後ろからそんな男の声が聞こえた。その声は荒々しく、低く野太い声だった。傭兵だろうか?
「なんだと!?貴様!今何といった!」
「あぁ?おぅ、言ってやるぜ!王国の兵士は腰抜けだってな!だから、王様は俺たち傭兵を集めてるんだってな!」
「きさまぁ!」
みるみるうちに助けを求められていた兵士は顔が真っ赤になる。
「だって、そうだろう?農民の命よりもこんな王都の人や物の出入りの方が重大だってほざくんだ。要は戦うのがこわいだけに決まってらぁ!」
「みんなもそう思うだろう?」
「おぅ!そうだそうだ!俺たち農民の命なんか蚊ほどにも思ってないんだろう!だからいつも我々を助けてくれないんだ!」
「新しい王様は魔物退治が何より最優先だと言われてたはずだぞ!」
「レイナルド様の命令に逆らう気かぁ!」
どうやら先ほどの傭兵らしき声の持ち主が周りの人々に同意を求めたらしい。農民、商人、傭兵すべてが口々に勝手なことを言っている。
「むむむぅ!ここまで言われては黙ってはおれん!お前も来い!」
「え?おい!ちょっと待て、ここはどうするんだ!」
「構わん!門の上の者が気づいてここに急いで来るだろう!それよりも、兵士としての…我らの生活を支えている農民の命とレイナルド様の命令のほうが大事だ!」
「いや、しかし…」
検問を一緒に行っていたもう一人の方が難色を示す。俺は役人としてどうかとは思うな。怒っている兵士はどうみても農民の命とかよりも名誉とかで助ける気になったような感じではある。
「なんだ?お前こそ農民の命を軽く見ているのか!?」
「…いや、そうではないが」
「案内しろ!」
「ありがとうございます!お役人様!こちらです!」
走って行く農民の後をドスッドスッと音を立てて追いかける片方とそれについて行くもう一人の兵士だった。
しばらくして二人の兵士が小さくなって見えなくなった頃に突然その一言は発された。
「さぁ!今のうちに面倒な検問を受けることなく駆け抜けようぜ!」
「おーー」
その傭兵の一声が掛け声となったのか…並んでいたみんなが一気に門の中に流れ込む。
それに乗じて俺たちも走り出して一気に門の中に入り込み、門の上からも見えないような裏路地へ駆け込む。
「ふぅ…案外上手くいってよかった」
「はぁ…はぁ…。そう…ね」
シャロが息を整えつつ答える。正直、上手くいくなど思ってなかった。最悪の場合は俺が刀を抜き、大立ち回りするつもりだった。
「おぅ!そこのアンちゃんよぉ!」
「ん!?」
急な荒々しい男の声に思わず目を向ける。そこには先ほどの号令を掛けた傭兵らしき者が快活ながら何か要求するような態度で立っていた。
「あぁ、すまない…これが後金だ」
俺は金貨3枚を傭兵に渡す。
「へへ…儲けたぜ!」
受け取った金貨を手の上で転がしながら去って行く。
「…行ったの?」
「あぁ…もう大丈夫だよ」
「ふぅ…」
顔を見られないように後ろを向いてたシャロが溜め息を吐く。
「さて、じゃあ、行きましょう?」
「…まずは宮殿か」
「そうだね…お兄ちゃん」
俺たち三人は裏路地を出て大通りを歩き出す…。大通りには人が溢れるほどではないが…通りを埋める程度には居り、これならばおいそれと人の顔を確認できない程であろうと判断できた。
幾分、今まで訪れた都市の中では傭兵と商人の割合が多いようにも思える。やはり、戦争の準備をしているからだろうか。
しかし、再三思うが、よくあれで上手く入り込めたものだ。如何に無能といえどもあんな事をするような人間が役人兵士でいていいのだろうか?まさか?…な。
歩きながらふと思う、金貨を払って兵士に泣き付かせた農民はどうなっただろうかと…。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
シャロが俺の様子を心配してくれたようだ。…いや、まぁ、農民は大丈夫…だろう。
斬り殺せばそれはそれで問題になる訳なのだから。いくら、あのような役人兵士でもそれくらいは解るだろう。
と思い込むことにした。
「ところでなんで商人は雇わなかったの?」
「ん?…聡いからだよ」
「なるほど…そういうことだったのね」
シャロは納得したようだった。確かに、門を通るために農民と傭兵は雇った。かたや生活困窮者に近い地位の者、片や頭よりも体を動かしてお金を稼ぐ者。
この二人は商人のように情報を手に入れたところで扱い方をあまり知らないかもしれない。万一シャロの顔をチラリと見ても状況を察することはなかなかできないだろう。
しかし、商人は違う…奴らの場合は情報とその売り込み方法…そして、立ち回りが命の職業だ。故に、商人は情報整理及び処理能力は高い可能性が大きい。
いや、営業マンが必ずしも優秀とは限らないが、この魔物が蔓延る世界の商人で首都まで来る様な者たちだ…下手な商人よりも賢いかもしれない。
そんな危険性のある商人にはどうしても手を出したくはなかった。だから、農民と傭兵に金貨で演技をするように頼んだのだ。
「しかし、やはり王様のお膝元なだけ有って、大きいな」
大通りという表現が似合うほどの道の広さがある。50m程有るんじゃないか?感覚でしか解らないが。
「それはそうでしょ?お父さんが治めていた場所なんだから」
「内政を重視するほうだったのか?」
「元々はそうじゃないけど…ある時を境にそうなったみたい。私が小さいころの話だからよく解らないけど」
「ふむぅ、そうか」
何かあったのだろうか…が、しかし、今判断できるような物でもないな。
通りを行く人に紛れながら俺たちは現王様レイナルドが居るらしい宮殿へ向かう。
今まで見た広場のどれよりも大きく、半径200m程もありそうな円形広場を通り抜け、何十段も存在する石段を上がった。
「なんというか…圧巻だな」
「王族が住むところだし…それに、叔父様も手を加えたから…」
目の前に広がる建物に俺は息を呑む。所々窓のある高さが15mは有ろう白い壁がカタカナのコを描くように広がっており、更に上に青い屋根がある所は20mは有りそうであった。
大きな窓が建物の高さの半分のところにずらりと並んでいる。恐らくは一階と二階が廊下か何かで全てに繋がっており、20mある部分は三階建てで三階部分だけが繋がってないのではないだろうかと思われる。
「あ、ちょっと…!?」
これほどの物は見たことがなかった。俺の居た世界でもこういった物は存在していたかもしれないが、生きる事に精一杯で見にいく余裕などなかった。
一番大きな入り口の両脇を丸い柱が上下に二本ずつ全部で8本あしらってあり、二階の通路側の窓の傍には何か人の像が置かれていた。
更に青い屋根の真ん中にはまた大きな窓があり、天使や女神のレリーフがその窓の周りに施してあった。美しい…そして、こちらを圧倒してくる。これほどの物を作るのにどれだけの技術と時間が掛かったのだろうか。
あぁ、この世界でもこんなにも人々の努力の結晶であり、人の凄さと素晴らしを見せつけられる事になるとは…。
「ちょっと!ショータ!」
「……あ!すまない」
シャロに肩を叩かれ、我に返る。どうやら俺は夢中になって一番近い建物に近づいてしまってたらしい。
「お兄ちゃん…珍しいからって我を忘れすぎだよぉ」
リサさんにもそんな突込みを食らうほどだったようだ。
「シャロさん、取りあえず正門の様子を見てみませんか?」
「えぇ、そうね」
「ほら、お兄ちゃんもボサッとしてないで!」
「あぁ、そうだな」
幸いにも警備図とは違い、近づいた建物には兵士は立っていなかった。…何でだ?
「もう、お兄ちゃん…遅いよ!」
「ごめんごめん」
少し考えて立ち止まっているところを咎められ、シャロの後ろに立っているリサさんの方へ急いで近寄る。
「……ダメね。ムラサメでは切れないわ」
横に並んで歩き始めたときにそうリサさんが呟く。こんなときにそれを呟くのはシャロが俺たちより少し前を歩いているからだろう。
「何故です?」
「…鎖帷子と同じよ。この宮殿全体に祝福が施されてるわ」
「なるほど…解りました」
となると、やはり当初の予定通りの作戦しかないか。
「…どうかしたの?」
「いや、何でもない」
誤魔化してシャロの横につく。正門の少し離れた位置で俺たちは立ち止まる。
「二人…か」
「二人ね」
「二人ですね」
正門の両脇には槍を持ち、背中にマスケット銃らしき物を背負った兵士が二人立っていた。
これはどういうことだろうか?何故二人しかいないのだろうか?警備図にはもっといたような気がするが。
「なぁ、シャロ、今日は別になにか特別なことがある訳じゃないよな?」
「ない…と思う。この時期は大した行事も祭事もないから兵士が他に動員されるなんて事はなかったはずよ?」
そうであるならば、これが通常警備であることになる。いくらなんでも少なすぎないか?
「でも、二人だけなら私でも何とかなりますね!」
「そうね…でも」
「う~ん、まぁ、そうかもしれないが…」
とは言え、これ以上の情報を集めるにはもっと動かなければならない。商人とも交渉をしなければならない可能性が高い。
「でも、城門であれだけの事を起こしたのだから…あまり長居できないのよね」
「そうだな」
恐らく血眼になって色々と町の中の人間を確認する可能性もある。加えて雇った傭兵や農民から俺たちの情報が漏れている可能性も高い。やはり、のうのうとここで情報収集する暇はなさそうだ。
「取りあえず、一旦宿屋でも取りましょう?」
「そうですね!私もあの兵士さんたちを魅了する何かを用意したいですし、それがいいと思います!」
「あぁ、そうしよう」
俺たちは計画の準備のために一旦宿を取ることにした。正直、今から大それた事をするのだから心の準備がしたいというのが俺の本心だった。恐らく、シャロもそうなのではないだろうか?
だから、宿屋に泊まることを提案してきたのだろう。…リサさんについてはどうかは解らない。あの人は変に肝が据わってる雰囲気もある。別にこんな事くらい大したプレッシャーじゃないのではないだろうか。
いや、そもそも神様に近い存在らしいから怖くも無いか。
日が沈み、夜と月明かりが世界を包む。俺の部屋の明るさはその月と蝋燭の火でもたらされていた。
昼間に活発に動いていた人々はみな静まり返り、今聞こえるとしたら一階の食堂の傭兵たちの馬鹿騒ぎくらいだろう。
静かだ。とても静か過ぎて気味が悪い程だ。この静寂が何か自分を責めている訳ではないが、どことなく後ろ指をさされているような気分になる。
「…ふむ、寝るか」
そう呟いてベットへ身を投げる。こんな気分になるのならば、さっさと寝てしまったほうが良いだろう。あれこれ無駄に思い悩むよりゆっくりと心を落ち着けて休んだほうが
一番良い。幸いにもこの宿屋にはまだ兵士の確認が来てないようであるからゆっくり休むこともできる。もし、寝てる間に来たら、恐らく誰かが起こしてくれるはずさ。
まぁ、何か騒ぎがあれば起きるつもりではあるが。
しかし、何故……へい…しの…か…ず…が…。
赤いワンピースのような服を着た目の前の兵士を切り捨てる…やはり、あまり気分のいい物ではない。しかし、血を浴びたというのに、その返り血から生臭さや生暖かさを感じない。…何故だ?
「いたぞ!奴だ!」
俺の後ろからそのような声がした。ちらりと振り返ってみると、多くの剣兵がこちらに押し寄せてきている。
「こんな奴らより、シャロのほうだ!」
焦りからかそんな感情に任せた発言を俺は呟いて、兵士たちが向かってくる方向とは逆の方向に前へ前へと進む。どうしたことだろうか…いつもになく心臓の音が近く、脈の音もよく聞こえる。
一刻も早くシャロの元に行かなければ…その一点しか頭にない。何をそんなに焦っているのか自分でもよく解らないが…そうしなければいけない気がした。
赤い敷物…赤い絨毯がより赤く見える。にも係わらず自分の気分は随分と青ざめているような感覚を受ける。人を殺した事によるそれとは違う…何かもっと嫌な物を感じる。
「早く…早く…!」
そんな事を口走る程であった。何だ?この胸騒ぎは。
「行かせるか!」
「邪魔だ!どけぇ!」
「ぐあぁぁぁあ!」
視界に飛び込んでくる兵士をムラサメで払い切り、先へ先へと急ぐ。早くシャロの元へ行かなければ…。
中庭を抜け、大きな柱が並ぶ廊下を走り抜ける。追いかけてくる兵士には目もくれず。
迫りくる兵士たちを切り捨ててようやく目的地にたどり着いた…そんな感じがする。
「そんな…」
目に映る光景に俺は愕然とする。そんなはずはない。いや、考えていたが…そんなことが起きるはずないと思っていた。
少し離れた距離にシャロの背中が見える。だが、その中心を白い鉄の塊が突き抜けていた。
「シャロ!」
剣が抜かれると共に彼女が背中から倒れるのが見えた。俺は一目散にシャロの元へ駆け寄り、膝をついて抱き上げる。
「シャロ!死ぬな!…シャロ!嘘だろ!」
必死に呼びかけるが反応がない。目に光もない。俺の手に温かい液体が触れる。
左手が傷口に触っていたようだ彼女のお腹の部分が赤く染まっていた。これが意味する事はよく解っていた。
「おい!こんなの嘘だろ!」
何のために俺がいたのかよく解らない。いや、というよりも…こんなのは嫌だ。
「あ…」
「シャロ!」
喋ろうとシャロが口を動かすが、最早言葉も発せられない様子だった。だんだんとシャロが冷たくなって行く。
「しっかりしろ!シャロ!」
そんな言葉も虚しく彼女はガクリと顔を落とす。…自分の中ではそんなのはありえない事態だった。
「そんな!そんな馬鹿な!」
一緒に生きて行こう…でなければ、幸せに生きてほしい程…自分を犠牲にしてでも幸せになってほしい人だったのに!
彼女の体温が全く感じられない。抱き合ったときのあの温もりも全て無くなってしまっている。
「さぁ…次はお前だ」
「くそ!くそぉぉぉぉぉ!」
堪らず俺は相手を睨む。その男は顔が黒く塗りつぶされ、どのような顔なのかは解らない。しかも、俺は鎧を着込んだその男の顔をみた瞬間に切り捨てられたようだった。
自分の身を裂く痛みとともに視界が薄れていった。
「うぁぁぁああ!?」
なんだ!?今のは!…腕は…繋がってる!足も…動く!
「何だ…夢か…」
切られたと思った部分が実際にはくっついている事に安心する。だが、心臓が高鳴ったままだ。
「…気分が悪いな」
心拍が早すぎて吐きそうになってくる。加えて無駄に変な興奮がある。それは俺が忌み嫌う憎しみと恐怖の類の興奮でもあった。
この早鐘と気分はしばらくは収まらないだろう。仕方ない、ベットから降りて、椅子に座り気分を落ち着かせるか。
「………」
夢で殺されたせいか、まるでここに居て、生きているのがおかしいような感覚に陥っている。落ち着け…俺は生きている。今現在ここにいる。そう言い聞かせて必死に自分をなだめる。
「うぐっ…」
吐きそうなのを口を抑えて、自分を制する。冷や汗がジワリと体中に出ているのが感じれる。
落ち着け…落ち着け…。そう何度も言い聞かせる。
それを幾度となく繰り返した…おかげで、心臓がある程度の正常さを取り戻す。
「ふぅ…」
大丈夫、俺はいま生きてる…この様子ならシャロだって生きているはずだ。例え、明日があの夢のような結果になるとしても、今は俺たちは生きているんだから。
どのくらい自分を落ち着かせるために費やしたか解らない…それは10分かもしれないし、30分かもしれない。
ふと先ほどの自分へのセリフを思い出す…明日がさっきの夢のようになる?そんな可能性が不安をまた揺り戻させる。
あの夢のようならば、シャロは殺され、俺も殺されることになる…シャロのあの温もりが奪われ、俺も殺される。
「…くそ!」
今度は好きな人を奪われる不安からくる嫌な感覚が俺を支配する。シャロに会いたい…しかし、この状態でシャロに会うのは俺のプライドに反する。
左手で右腕を抑える。奪われる恐怖から来る人肌恋しさ…その感情には動物的なものしか感じない。
できれば、このまま何も起こらず…誰も来ないでほしい。
コン…コン…。
そんな音が部屋の扉からした。誰だ?!いや、どうする?
「…はい?」
なるべく平静を装ってそう返事をする。
「ショータ、私…シャロだけど…入ってもいい?」
その言葉に心が持っていかれそうになるがそこをなんとか抑えて我慢する。
…なんでこんなタイミングで来るんだ!いや、それよりも返事だ。俺は扉に近寄り、扉に背中を預ける。
「…っ!はぁ、ダメだ」
「…?どうかしたの?苦しそう」
「なんでもない!何でもないんだ!」
語気を荒げて返してしまうほど余裕がない。くそ!しかも、真後ろからシャロの声が聞こえるせいで尚のこと気分が暴走しそうだ。
「…そう」
少し酷い言い方になってしまった。何か言わなければ。
「どうか…したのかい?」
息を整えつつそう尋ねる。
「…ううん、なんでもない。明日は頑張りましょ?」
間の空き方から察するにこれは…言いたかったことを引っ込めてしまったのだろうな。情けないな、こんな状態に陥る自分が。
「あぁ、そうだな」
コツリ…コツリ…。
シャロは俺の部屋の扉から離れていき、自分の部屋に戻ったようだった。
「ふ…相変わらず情けないな」
自嘲せざるを得ない…肉体は強くなったのに精神は弱いまま…こんなので明日はどうなるんだ。
これでシャロを守り切れるわけがない…こんな俺では…。
コンコン!
「…誰だ?」
「私よ…気分はどう?」
鼻にかかるような甘い声の中に冷たさを感じる…これはリサさんだろう。どうせ心は見抜かれているのだ、この人に隠し事しても無駄だな。
「…入ってもいいかしら?」
扉から起き上がり、リサさんが入れるように距離をとる。
ガチャリと音ともに扉を開けて彼女が入ってくる。
「まるで怯える獣ね」
入るなり、くすりと笑いながらそう揶揄してくる少女。薄暗い月明かりの中で表情が読み取れるほどはっきり彼女が見えるのは俺の気分のせいだろうか?見境がないな。全く。
「そこに座って」
椅子に座り、ベットを指してそう言うリサさん。
「…何をする気だ?」
「いいから座りなさい?」
妙なプレッシャーを感じる。こっちは余裕がないというのに…仕方なく俺はベットに腰を掛ける。
「目を閉じて?」
指示通りに目を瞑る…何かしら落ち着くための魔法でも掛けてくれるつもりだろうか?なら嬉しいのだが…。
「ふふふ…そうね、魔法の一種かもしれないわね」
心を読んで答えるのはやめて欲しいものだ…。俺は息が荒いのを抑えるのが大変だというのに。
「そう?じゃぁ、こういうのはお嫌いかしら?」
頭と顔に暖かく柔らかいものを感じる。それは俺が今求めていた人のぬくもりだった。
「大丈夫、大丈夫よ…あなたは死なないわ」
「何をしているんだ?」
「大丈夫…成功するから…怖がらないで…」
人の話を無視して俺の頭を撫でながらそんな慰めの言葉を掛けてくるリサさん。こんなのはなんだか俺が惨めな気もする。
「慰めなら…」
「強がらなくてもいいの」
軽く離れようとしたのを強めに頭を抱きしめられる。おかげでより体温を感じれる。恥ずかしい気持ちが強いが…人の体温を感じれるおかげか、少しずつだが、自分の中にある不安が薄れていくのが解る。
「絶対に成功する…だから、自信をもって」
そんな励ましの言葉と抱擁が素直にありがたいと感じれる。あぁ、なるほど…ね。確かに魔法のようなものかもしれない。単純だが最も効果的な方法であると今なら解る。
「落ち着いた?」
「あぁ、ありがとう不安は取れたよ…ん?」
リサさんが手を緩めて離してくれたので、目を開けて彼女の顔を見てお礼を言おうとした瞬間、俺は固まってしまった。
「どうかしたかしら?」
「いや…君は誰だい?」
目の前には見たことない女性が立っていた。その女性はシャロよりも身長が高く、俺と同じくらいの高さで金髪の長い髪を腰まで伸ばし、白いドレスを着ていた。
「え?誰って…わからないの?」
右の綺麗な緑の瞳と左の鮮やかな赤い瞳が不思議そうにこちらを映し出す。
「…え?いや、まてまて…え?」
考えれば一本線でしかないのだからそういう結論は出る。しかし、だからと言ってこれはおかしいだろう。
「おかしくないわよ?だって私はリサだもの」
「えぇー…嘘でしょ?」
「嘘じゃないわよ、本当よ?」
確かに…おかしいと思ったのは心の中なのでそれに答えるということはリサさんなのだろう。しかし、どうみてもいつものリサさんから考えるとあり得ない。
「…そこから先は私に対して結構失礼な気がするけど?」
そう言われても…どう考えても肉体的に違いすぎる。凹凸に乏しく小っちゃくてロリロリしいリサさんが急に胸も大きく、腰もくびれている素晴らしいプロポーションの
女性に変わった…と言われても。
「信じれないな」
「だって、私、肉体を自由に変えれるのだから…別におかしくないでしょ?」
「はぁ…何でもありですね」
「そう、私は何でもできるわ」
もう考えるのを放棄したいな…うん。
「それで?少しは落ち着いた?」
「えぇ、まぁ…不安は落ち着いても、違う気分が膨れ上がりそうですが」
この人の傍に居ると何故かそれが掻き立てられるのだが…いや、まぁ、今なら仕方ない。これほどの女性を前にしてその欲望を滾らせない方がおかしいとも思える。
「ふふふ…今夜だけ特別よ?」
そんな言葉と共に彼女が俺を押し倒す。
何か暖かい物が体に当たる…それは柔らかく俺を包んでくれて、全てを許してくれそうな温もり。
「あぁ、暖かいなぁ」
全肯定を受けるかのごとき居心地の良さがある。その温かさは母のぬくもりの中のような。
「ん?…眩しい…」
ふと目を開けると、多くの光が俺の目に入る。どうやら朝日が俺を包んでいたようだった。
「ふむ」
なるほど…この太陽の光は確かに心地よい。全人類が受ける最も暖かく、全てを包んでくれるような温もりに変わりはないだろう。
コンコン…。
誰かが俺の部屋の扉をノックする。
「…はい?」
俺はベットから立ち上がって、扉を開ける。するとそこにはシャロが立っていた。
「あ…おはよう」
「あぁ、おはよう」
なぜだろうか…目を丸くしてびっくりされているのだが…。
「お兄ちゃん…起きてたの?」
ひょこりとリサさんがシャロの後ろから顔を出して珍しそうにこちらの顔を見る。
「何だか俺がいつもは起きてないみたいな言い方だな」
「え?そうじゃないの?だって、シャロさんだってそう思ってますよね?」
「え?えぇ、まぁ…」
「否定しないのか…少し悲しいな」
そんな風に思われていたとは俺もやるせないな。
「だって、お兄ちゃんは野宿以外なら、私がいつも起こしてたじゃない?」
「えぇ、そうね…私もてっきり疲れてるからかと…」
シャロがリサさんの言葉に同調の色を伺わせる。…そういえば、そうだな。ベットで寝れるときはリサさんに起こされてばかりだった気がする。
「確かに…反論の余地もないな」
「こんなに早起きだなんて…何かあったの?お兄ちゃん」
「あぁ、いや、朝日が暖かかったからさ」
不思議そうな振りをしてぶつけてくるいつもの意地の悪い質問を何の淀みもなく言い返す。
「そうね…今日は何だかお日様がいつもより暖かいと私も思う」
間髪を入れず、俺に同意するシャロ。
「そうか…それは良かった」
…少し間が空いてしまう。なんだか気恥ずかしいな。次の言葉はどうしたことか…と思った矢先
ギュっと俺の右手を握るシャロ…。
彼女の瞳が俺を見た。もしかしたら、昨日の事を気にしているのかもしれない。大丈夫だと答えるように俺は微笑み返す。
すると、彼女もふっと笑ってくれる。
「…むぅ、やっぱり、お兄ちゃんと何かあったんですか?シャロさん?」
「うぅん、何にもないの。何にも…ふふっ」
「そうなんですか?…何か納得がいかないです」
「そうか」
なにやら不満そうに言うリサさんであったが、俺は部屋の方に引っ込んで出発の準備を始めた。
「はい、これ」
「あぁ、ありがとう」
シャロから手渡されたムラサメをお礼を言って受け取る。
「…お兄ちゃんが話してくれないなら別にいいけど」
「まぁ、そういうなよ…リサも大人になったらわかるさ」
マントを羽織りつつ、十分大人であるリサさんにそんな事を空ぶく。
「うぅぅ~、なんかその言い方は腹が立つ!」
「ははは!」
よく合わせてこんな演技をするものだとも思いつつシャロと一緒に部屋を出て、俺たちは朝食を食堂で取ったのであった。
大通りに出るなり兵士が人を呼び止めては顔を確認している。だが、それは検問を設置しているような仰々しさではなく軽い職務質問のような感じだった。
「…妙だな」
あれほどの事が起こったのなら普通、戦争前なら内乱を恐れて人の管理・把握のために躍起になるはず。しかも、シャロが生きているというのはどこかでバレているだろうに。
「まるでそれ自体が取るに足らないか…」
…無礼、いや、屈辱に近いものになるかもしれない。まぁ、この状況を使わない手はないが…しかし、このおかしな状況の理由も気になる。
「どうしたの?お兄ちゃん?」
「行きましょう?」
「…あぁ」
フードを深くかぶり、顔を隠したシャロに促されたので大通りを兵士に接触しないように人混みに紛れて俺たち三人は宮殿へ急ぐ。
広場を抜け、多くの石段を登り…白く大きな柱と青い屋根が連なる建物を前にする。
「それじゃぁ、私は行ってきますね!」
「うん、行ってらっしゃい」
「無理するなよ?」
「うん、しないよ?…あ、そうだ!」
ポピーとイースターカクタスと言われるらしい花が入った籠を持つリサさんが何かに気づいたかのように自分の腰に巻いているナイフを外す。
「はい、これ…もしものときに使ってください」
「…ありがとう」
もしもの時とは…嫌な想定だが、あってもおかしくない。そんなことは無ければ良いが。
「じゃ、行ってくるね!」
「あぁ、行ってらっしゃい」
柔らかな微笑みをこちらに投げかけから、門の兵士の方へ掛けていくリサさん。
「…リサちゃんはすごい子ね」
「そうだな」
「私より強いかも…」
少しシャロが眉を寄せた…何故だろうか?
「どうかしたのかい?」
「うぅん…秘密…かな?」
人差し指を顎に当てて考える素振りを見せつつ教えてくれないシャロ。何かムッと感じる物があるが、そんなのは幻想だろう。
「そっか…」
リサさんの方を見る。遠目ながら門番に花を見せつつ俺たちから注意を逸らすために兵士を柱の陰に誘っている。
「さぁ、今のうちだ!」
「うん!」
俺たちは兵士がこちらを見てない隙に近場の扉を押して中へ入っていく。
「うっ!」
入るなり、部屋の大きさに驚愕してしまう。扉から部屋の端まで50mはあるのではないだろうか。なんとなく大きいだろうとは思っていたがこれほどとは。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう…じゃぁ、柱に隠れながら玉座に向かいましょう?」
「あぁ、そうだな」
シャロはこの広さに慣れてるのか…さすがと言ったところか。
部屋の真ん中に絨毯が敷いてある。部屋かと思っていたがどうやらここは廊下だったようだ…しかし、廊下でさえこの大きさとは。
手慣れた様子で柱の陰に隠れながら前進するシャロ。
俺はそれに続く。ふむ、なるほど…ちらりと見た感じでは廊下の絨毯を二人の兵士がこちらに向かって歩いてきているようだ。見張りだろうか?
ここに建てられている柱は二人分隠れるだけの大きさはあるが距離によっては見つかる可能性がある。
「私が行くね?」
ささっとシャロは次の柱に張り付く。シャロは何故こうも手慣れているのだろうか?自分の住んでいた所だとは言え、それだけではない気もするが。
「おい?今夜は何が出ると思うよ?」
「ん~、そうだなぁ。今はポワッソメールが無くなったから魚が、少ないからなぁ…肉とか豆とかじゃないのか?」
「また、肉と豆かよ!もう喰い飽きてきたぜ!」
晩御飯の会話でもしているのだろうか?こちらに来る兵士二人がそんな話をしている。もうシャロの方は通り過ぎた為、俺の方へ近寄ってきている。
柱に張り付いて、あちらの歩調に合わせて見つからないように回る準備をする。…来たか!
「そんなもん、俺に言うなよなぁ」
「ちぇ!レイナルド様なら果物とか俺たちに回してくれると思ったんだけどなぁ…」
「おい、城内でそんな発言するのは不用意だぜ?」
「だってよー」
「まぁ、聞いた話によるとリュリュシー様がそういうのを嫌うとか何とからしいが」
それにしても、大きな声で喋る兵士二人だ。俺は柱を少しずつ周りながら迂闊な兵士だと思った。
「リュリュシー様が?はぁ、まぁ、あの方ならやりかねないな」
「まぁ、なぁ」
何とかやり過ごせたようだ。
「リュリュシー様と言えばよ?最近、ポワッソメールに…」
「あぁ、それは…」
兵士二人はそのまま雑談をしながら更に俺たちとは反対の方へ進んでいく様子だった。
俺は後ろを警戒しつつ、シャロは前を警戒しつつ…柱に隠れながら移動してふいに扉の前に来る。恐らく、正面扉に繋がる扉だろう。
「まだ、半分か」
「…」
俺の弱音を気にも留めずシャロは腰をかがめて前へ前へと進む。その高さは左の窓を気にしたような高さだった。
疑問に思い、窓の方を見る。なるほど…中庭か。
確かに警備図には兵士が配置されていた記憶がある。しかし、さっきの廊下にも警備図ではもう少し多くの兵士が配置されていた気がするのだが…手薄すぎないか?
そんなことを気にすることもなくシャロは進んでいく…余裕がないのかもしれない。何もなければよいが。
真似して俺も前へと進む。移動しながら中庭への窓や廊下の兵士を数えてみる。
…多くても中庭の兵士を合わせて5人…やはり、おかしい。
「なぁ、シャロ…少しおかしくないか?」
「…何が?」
俺を少し険しい目で見つつそう答える。
「いくらなんでも警備図とは違いすぎて…兵士の数が少なすぎないか?」
「…この時間なら、会議でもしてる可能性もあるの。だから大丈夫よ」
「それに、これを逃したらもうチャンスはないの」
シャロにとっては後者が主な理由だろう。焦りが顔に現れている。いつになく冷静ではない。確かにこれを逃せばこのまま捕まってしまう可能性の方が高い。
だとすれば、シャロにとって次にいつ来るか解らないチャンスより今ある確実さを取りたいだろう。
最悪、罠だとしても俺が何とかする…いや、してみせるしかないか。
「解った」
彼女がそうしたいと思うのであれば、今しかないだろう。恐らくだが、この切羽詰まった感じと侯爵が亡くなった時のことを考えれば、ここで止めてしまえばシャロは生きる気力を失うだろう。
そんな思考をしている間に彼女は宮殿の右端の曲がる通路まであと半分というところまで隠れながら進んでいる。…見失うわけにはいかないな。
姿勢を低くして、見回りの兵士の視覚がこちらに向いていないことを確認しつつ柱の間を駆けて行く。こんなことはやったことないが案外やってみると上手く行くものなのだろうか?
何人かの兵士に見つかりそうだと思ったのだが、彼らは談笑をしていて夢中になっているのか、こちらに気づくことはなかった。
故に、俺たちは無事、宮殿の曲がる通路へ難なくついたのだ。
見つからないように必死でシャロの後ろへ付いて行っていた俺の目に立ち止まった彼女が写る。
「…」
何か考えているようだ…。
「…どうかしたのかい?」
「いえ、なんでもないの。行きましょう!」
不安そうな顔が一瞬見て取れたが、声を掛けた瞬間にその表情はすぐ消えた。いや、彼女が隠した。
曲がる通路を抜けると、今度は柱の陰に隠れて中庭と通路の兵士に見えないように位置取りをする。もっとも、玉座に繋がる通路から来る兵士には丸見えになってしまう為、そこには更に注意をして移動する。
一つ…二つ…三つ…四つ…と順調に抜けていく。ここにある柱の数は玉座に繋がる大きな廊下までに十二個…半分ずつ左右に設置されているため、こちら側の残りは二つとなる。
シャロが廊下を曲がるために五本目の柱から図面上横に並ぶ柱から縦に並ぶ柱に駆けていこうとした。
が…その時!
「…あっ!」
「…むっ!」
「お前!何者だ!」
俺たちの方を振り向いた兵士がシャロと対面した。俺は咄嗟に走り出す。
「侵入者だ!みんな!侵入者だ…!グワァ!」
他の兵士を大声で呼ぼうとした所を俺はムラサメで切り殺す。兵士は左から切られたため首の左から血飛沫を出しながら倒れる。
「どうした!?」
行動むなしく、兵士たちが何人かこちらに来る。こうなれば…。
「シャロ!先に行くんだ!」
「え…?」
どうやらシャロも切り伏せようとしていたらしい。剣を抜いていた。
「シャロが行かなければ目的を達成できない!ここは俺に任せて先に行くんだ!」
「うん…解った!」
一連の流れにシャロは少し戸惑っていたが、一度頷くと俺に背を向けて走り出した。
「待てぇ!」
「させるか!」
「グワァ!」
中庭側からシャロを追い掛けようとする衛兵を切り捨てる。幸いにも彼らの着けている装備は教会指定品ではないらしく、鎧を気にせず振るえる。
「ここから先には行かせないぞ!」
「くっ!」
玉座へ続く扉の方からシャロが狼狽えた声が聞こえる。どうやら、扉の横に居た兵士がシャロの迎撃に出たようだ。
「がっ!」
「なに!?」
迎撃に出た衛兵の2人のうち、一人を一気に間合いを詰めて切り上げる。
「くそぉ!!」
「せいや!」
「ギャァァ!」
相方がやられて激昂した衛兵を突いて仕留める。
「さぁ、行ってくれ!」
「うん!」
俺に決意の表情を見せて扉を開けて入っていく。
「さぁ!ここから先へ行くなら…俺を倒してからいけ!」
扉を背に、集まってきていた衛兵にそう威嚇する。
「舐めやがって!」
「若造が!」
「賊風情が!」
何十人と居る衛兵が罵倒を俺に浴びせてくる。ふと、自分の服が血で汚れており、生臭さを感じる。
「掛かってこい!」
ムラサメを構えて戦闘態勢を取ることで気持ち悪いと感じる気分を吹き飛ばす。
「はぁ…はぁ…」
地面に転がる複数の遺体を見る。修行通りに動くことでシャロを追おうとしていた衛兵は無傷で全て倒すことができた…。
しかし、死に物狂いでムラサメを振り回した結果…息が切れる。これほど多人数を実際に相手するのが大変だとは。いや、今はそんなことを言っている場合ではない。
さて、シャロに追い付かなければ!俺は後ろへ振り向き、目の前の大きな扉へ手を当てる。
腕に力を入れて扉を押し開ける。
視界の奥にシャロと重鎧を着て玉座に座っている男が映る。
「あれか!」
そこに向かって俺は走り出す…約150m程奥行きがあったが、リサさんから与えられた体で動く俺はあっと言う間に玉座の前にたどり着いた。
「シャ…」
彼女の名前を呼ぼうとして俺は止める。シャロの背中から受ける気迫が尋常ではない。今、話しかけるべきではない。そう思うほどに。
「フッ…アルドの娘か…」
男が閉じていた目を開けながらそう答える。
「私を打ち取りに来たのか?」
黒い長髪を無造作に左右に分けて、無精髭だらけの見るからに粗暴そうなレイナルドであろう男がそう質問をして、シャロを見つめる。
「フフッ…いいだろう」
レイナルドが立ち上がる。
「ならば、王として戦ってやろう」
玉座に立て掛けていた1m後半はあろう大剣をレイナルドは持ち上げてシャロと対峙する。
「さぁ来い!反逆者よ!私の野望を邪魔する奴は誰であろうと叩き切るまで!」
「えぇ、そうさせてもらう!この日を待っていたのだから!」
シャロも剣を抜く。
「シャ…シャロ!」
「…」
レイナルドの鎧は夢で見たあの男と同じものだった。故に、あの光景が実物になりそうで怖くなり、ついシャロの名前を口にしてしまう。
だが、彼女は俺の声にも反応を示さず、ただ現国王であり、彼女の敵であるレイナルドに全てを集中させていた。
「はぁぁぁ!!」
「ふっ!」
シャロとレイナルド、互いの剣がぶつかり合う…。
「ふん!こんなものか!ぬん!」
「っく!」
鍔迫り合いをしていたものの…シャロは後ろへと押し飛ばされてしまう。…それほどに体格差と力の差があるのだろう。
これではシャロに勝ち目はないかもしれない…。そう思い、ムラサメの柄に手を掛ける。
「手を出さないで!!」
そんな声がシャロから俺に向かって飛んできた。
「…しかし」
「これは私がやらなければならない事なの!だから手を出さないで!」
仇を見据えたまま俺にそう言うシャロ…。決意は固いようだった。ここで俺が手を出してしまえば、彼女は自分に納得しないのだろうな。
「…わかった」
自分に納得できない…それが一番苦しい事が解っている俺は戦いを見届けることだけにしよう。
「ごめんなさい」
シャロが負い目を感じてか謝罪の言葉を口にしたので、俺は首を横に振り、笑顔で答える。
「ありがとう」
「てぇやぁぁぁぁ!」
「ふん!」
「っく!…くはっ!」
吹き飛ばされた先で壁に叩きつけられ、膝をつくシャロ。
「はぁ!」
「くっ!」
壁ごと叩き切るつもりで膝をついたシャロに追い打ちを掛けたレイナルドは、振り降ろされる前に逃げられた為、壁を大きく壊すだけとなった。
「たぁ!」
「甘いわ!」
振り切って隙ができた所を避けたシャロが攻撃するが、レイナルドはすぐさま体勢を立て直してそれを大剣で受け止める。
まるで手足のごとく扱うその様を見る限り…生半可なことでは隙を付けないだろう。
「レイナルド様!」
突然、俺の後ろから若い男の声がした…何かと俺は振り返ってみる。そこにはレイナルドと同じように全身を鎧で固めた、金色の短髪と緑色の瞳を持つ好青年が立っていた。
「セバスか!」
「今、私がお助けします!」
セバスと呼ばれた好青年が腰に差している剣を抜いてシャロの方へ向かおうと踏み出す。これは、止めなければならない…ムラサメの柄に手を掛ける。
「ならん!」
好青年が近づこうとしたのを一喝して止められる。
「何故です!?」
最もな質問をセバスがぶつける。俺もついレイナルドの方へ注視してしまう。
「私の問題だ!貴様は手を出すな!」
「…ぐっ!解りました」
たったの一言でセバスは抑えられる。
「その男の相手でもしておくが良い!」
「はっ!」
彼はこちらに向きなおり、剣を向けてくる。ムラサメを抜き…間合いを取る。俺にできることと言えば先手を取って切り捨てるくらいしかできないだろう…だから…
「何っ!?」
鎧を気にせずムラサメを振り下ろしたのだが…ムラサメが鎧で弾かれた。なので思わず驚きの声が出てしまった。
「もらった!」
「ちっ!」
寸でのところでかわす。これは不味いな。
「ふっ!はっ!やっ!」
「くっ!うぉ!」
何とか避けるがやはり、一手一手が正確で速く、反撃の隙がない。何とかムラサメで受け流すことができる程度だ。
「くそっ!」
間合いをさらに取って離れる。…無理だ。俺のムラサメが通らないこの状態では勝てない。仕方なく、俺はムラサメを鞘に戻す。
「ん!?何のつもりだ!」
「俺はお前に勝てない…だから戦わない。」
「ふざけたことを!」
侮辱されているとでも感じたのか…セバスは冷静な口調だが、表情は怒っていた。
「降参したとしても、罪は免れられないぞ!」
「自分の命じゃない、俺はどうなってもいいが…」
シャロの方を見る…変わらずシャロの方が劣勢だ。
「彼女は見逃してほしいな」
「何を言っているんだ?彼女も逆賊なのだから…」
「そうかもしれないが…やっていることは決闘と同じさ。この国の法律では決闘は正当な権利として存在するのだろう?」
「そうだが…しかし、王への決闘は国家反逆罪で罪だ!」
「何故?行為としては君たちの王がやったことと同じだろ?」
「確かに、レイナルド様は…アルド様を殺して王になられたが…」
少しセバスの声が弱くなる。彼も何か思うことがあるのだろう。
「なら、シャロには決闘する権利はあるはずだ…だから、彼女は見逃してほしい」
「しかし…」
「俺はどうなってもいいさ…。どうとでもするが良い」
「…」
セバスが無言になる…若さから来るものなのか、彼は無防備な俺に切りかかろうとはしなかった。それに安心して俺はシャロの方を観戦する。
突然、甲高くよく響くラッパの音が宮殿の中を包む。
「なんだ!?」
バタバタと音を立てながらあっという間にマスケット銃を持った何十人もの兵士が俺たちを無視してシャロとレイナルドを囲む。
「構え!」
しまった!あまりの突然さに呆然としてしまった。このままではシャロが!早く何とかしなければ…悪夢が正夢になってしまう!
「貴様ら!手を出すな!」
レイナルドが怒鳴るが、隊長格らしき男が挙げていた手をゆっくりおろしていくのが見える。
「撃てぇぇ!」
「くそっ!間に合わない!」
ここまで来て、こんなところで本当にシャロを失うのか!しかも、シャロが目的を達することなく…そんな!そんなのは嫌だ!
少しずつ…銃弾がシャロの方へ飛んでいく…このまま行けばシャロに当たってしまう!誰か!誰か止めてくれ!
パチン!
「え!?」
指を鳴らす音がした。銃弾がシャロの前で止まり、レイナルドはその銃弾を大剣で弾こうとしている。セバスも兵士も全てが止まっている。何が起こっているんだ?
「私が止めたのよ?」
声のする方へ振り返る。…そこには少女が居た。気紛れで他人を弄ぶ性悪な少女が。
「…何故?」
「何故…って、あなたに選ばせてあげようと思ったのよ?」
いつものように少女が俺の方へ近づく。だが、今回はゆっくりと歩いて来ていた。
「何を?」
「ふふふ…助けてほしい?」
例のように意地の悪い笑みを浮かべる少女。
「助けてほしいわよね?」
くすくすと笑いながらこちらをからかっているのは解る。必死になっていたこちらからすると腹が立つが…恐らく、ここで嘘をついたり、意地を張ったところで無意味だろう。
「あぁ、助けてほしい」
「じゃぁ、あなたの一部を貰うわよ?」
一部?あぁ、前に言っていた体の一部を貰うということか。
「…どこを奪うんだ?」
「そうね…う~ん」
悩んでいるフリをして、こちらの様子をチラチラと見ている。これは最初から決まっているな。
「う~ん、じゃぁ、ここね!」
少女…リサさんが浮き上がって俺の左目を人差し指でさす。
「何でもいいさ、シャロが助かるなら」
「あら?とっても痛いけど…いいの?」
「体の一部を奪うだけじゃないのか?」
痛みを伴うなんて聞いてないんだが…。
「ただ貰うだけじゃつまらないじゃない!痛みで苦しむ姿が楽しいのよ!」
あぁ、やっぱりこの人はドSなのだなぁ。どこまでも人を虐めるのが好きなのだろうな。
「痛くていいからやってください」
「そう?じゃぁ、いくわよ!」
リサさんの右手が俺の左目の上へ置かれる。そして、
「いっ!」
4本の指が左眉を潰す。尋常な痛さではない。目の近くに指が入れられる感触がこれ程に痛く、気持ち悪いものだとは。指の温かさと負傷による熱で左目の上が熱い。
更に、指が少しずつ降りてくる様も恐怖を駆り立てる。
「いいいいいいいいい!」
左の頬に入る手前を終点にゆっくり左目を抉り取られる。
「ぐぅぅぅぅぅぅうう!」
抉り取られた部分が痛い!左目があった部分が熱くて痛くて堪らない。左目を左手で抑えてるが…倒れこんで、のたうち回りたいくらいだ。
「情けなく地面を転がりまわってもいいのよ?」
絶対嫌だ…それをすればリサさんが喜ぶだけだから。
「あら、そう…残念」
手についた血を可愛らしい舌で舐めながら、少し勿体なさそうに答える。
「これで契約成立ね!」
契約…か…まるで悪魔との契約みたいだ。
「さぁ、動き出すわよ?」
リサさんがそう合図をした数秒後、
「ぬん!…ん!?」
レイナルドの大剣に銃弾が当たることなく空を斬る。ついさっきまで銃弾が流れてくる場所を叩いていたのに、手応えがないため、驚いているのだろう。
「ぎゃぁぁぁぁぁあ!」
「俺の体がぁぁ!足がぁ!」
「腕ぇぇぇ!」
「あれ?俺の体が見えるぞ?」
「内臓がぁぁぁ!」
急に悲鳴や苦悶、絶叫が響く。驚いてその元を確かめると…シャロとレイナルドを取り囲んでいた兵士たちが次々と惨い切られ方をしていた。
「あれは…何だ!?」
その声に導かれて、兵士の視線の先を見る。風を切る音をたてながらその刃についた血をあたりにまき散らして銀色の大きな鎌が回転して宙に浮いている。
「鎌だ!鎌が飛んできている…逃げろ!逃げるんだ!」
「待て!お前ら!私の命令を無視する気か!」
隊長格らしき人物が必死に統率しようとする。
「構えろ!構えんか!…あ?」
不思議そうな声を上げた後、ずるりと彼の首がつながった上半身が地面に落ちた。
「うわぁぁ!」
兵士が散り散りに逃げる。その一人の方へ大鎌が飛んでいく。
「こっちに来るなぁ!ぎゃぁぁぁ!」
逃走虚しく、絶命の瞬間は訪れる。更に大鎌は次の兵士へと回転しながら飛んで行く。
「嫌だぁ!死にたくない!」
「そうよ!もっともっと叫んで!絶望の中で足掻いて!無様に逃げ回って!そして私を楽しませて!」
後ろで歓喜するリサさんの声が聞こえる。
「くそがっ!」
兵士の一人が無邪気に楽しんでるリサさんに向けて銃を構えた。銃を向けられたリサさんはどうするのかと思い確認する。しかし、彼女は一つも微動だにしない。
「ふふふっ!」
「アメリアー!」
「喰らえ!」
あまつさえ不気味な微笑みを浮かべているリサさんに向かって銃弾が放たれる。
銃弾は真っ直ぐにリサさんの頭の方へ進む…このまま行けば間違いなく当たるだろう。だが、その弾は当たることなく、リサさんの目の前で消失した。
「なんだと!?」
「そんな物で私を倒せると思ったの?」
くすくすとあざ笑うリサさん…その横で兵士たちを惨殺した鎌が止まる。俺の体くらいは有りそうな大鎌を小さなリサさんが掴む。
「さぁ、もっと私を愉快にさせて!」
ゆっくりとリサさんが発砲した兵士に近づいていく…。
「この…!」
「これでもか!」
「来るな!」
残った三人の兵士たちが掃射する…が。やはり、先ほどと同じように彼女に届くことなく銃弾は消え去る。
「化け物か!」
「悪魔だ!悪魔だぁぁ!!」
「あぁぁあああ…」
一人は狼狽え、あとの二人はほぼ戦意喪失し、逃げ腰になっていた。
「うっ!?」
化け物と呼んだ男とは10mは距離があったリサさんが一瞬のうちにその男の前に現れる。
「うぅぅぅ!このぉぉぉぉぉ!」
腰に着けた剣を抜いて切りかかったがそれも虚しく彼は左下から右上にかけて切り裂かれる。振り下ろした剣は鎌と接触した瞬間に見事に折れていた。
「ひぃぃぃぃーーー!」
切り裂かれた男が倒れるよりも早く、リサさんはその男の前から消え去った。そして、恐怖の声が聞こえる。
「いやだぁ!やめてくれぇ!クレアァァ!」
「良い顔ね…でも、ちょっとつまらないわ」
そう一言呟くとリサさんはまた消え去る。
「…あ?え?」
そう兵士が疑問を口にした次の瞬間、彼は四肢が体から切り離されていた。
「あぁぁあああああ!痛いぃぃぃぃ!」
血飛沫が飛び散り、苦しみの声が響く。
「うひぃ!」
悪魔だと叫んだ男の前に現れるリサさん…。
「た…助けてくれ!な?なぁ!何でもするから!」
「そう?…じゃぁ、お願いよ?」
にっこりとした笑顔を見せたリサさんだったが…大鎌を横に振る。
「う…うがぁああああああああ!」
「もっと痛がって、苦しんでね!」
臓物が地面に散らばり、男が膝をつく。
「あぁぁああああ!」
それを更に足で踏みつけるリサさん。
「う…うぇええええええ!」
辺り一面血塗れで生臭く、その上、内臓を少女が踏みつけている…あまりの異質さと嫌悪感に吐き気を催した。
「そこまでだ!」
鉄と鉄がぶつかり合う音がする。
「これ以上はさせない!」
「あら?私の邪魔をするつもりなの?青臭いお兄さん」
どうやらセバスがリサさんに刃を向けたようだった。
「やめときなさいな…あなたは幸運にも今回は助かるのだから…」
「折角の命を無駄にするのは、勿体ないと思うわ」
「ぎゃぁぁ!」
「くそっ!」
ボトリと音がした。どうやら声からすると、先ほどの腹を斬られた男がやられたようだった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
必死に抵抗した挙句、切り上げられた男が息絶え絶えに呼吸をしている。そこへゆっくりとリサさんが近づいて来て、顔を覗き込んだ。
「ぐ…がぁ…はぁ…はぁ!」
「そうそう!もっと悔しそうな顔をして!」
そう喜びながら、男の右腕をゆっくりと斬る。
「ぐぅぅぅぅーーー!」
「ほら!もっと!」
次は左腕を…。
「ぐおぉぉぉぉ!おのれぇぇぇ!」
「良い顔になってるわよ!」
更に左足を…。
「呪ってやる!呪ってやるぞぉぉぉ!」
「ふふふふふ!」
そして、右足をゆっくり切り捨てる。
「くそったれがぁぁぁぁぁ!」
「憎しみ!そう、もっと心から憎みなさい!私を!全てを!」
右足で終わりかと思われたが…リサさんは腹部を裂く。
「絶対殺してやるぅぅぅ!がっ!はっ…」
男が息をしなくなる。リサさんは男の表情を楽しそうにじーっと観察し
「…はぁ~、楽しかった!」
と満足そうに言うと、鎌を手放す。すると、どういう訳か大鎌が宙に消える。何もなかったかのように。
「…悪魔め」
「……」
レイナルドがリサさんにそう言葉を投げつける。シャロは絶句したままリサさんを見ていた。
「悪魔でも何でもいいけど…早く仕切り直しなさい?」
「ふんっ!」
「それから、シャロ?」
「…な…何ですか?」
恐怖心からか敬語になっているシャロ。
「侯爵が何のためにあなたに教えたと思ってるの?ちゃんとしないと侯爵が可哀想よ?」
「……」
そう言われたシャロは何かに気が付いたような表情をしていた。俺も感じていたことだが…例え、それに気付いたとしても勝ち目は有るのだろうか?
痛みは我慢できる程度に収まったので左手を退けてシャロとレイナルドの勝負に集中する。
「では、行くぞ?シャーロット」
「…えぇ」
「でぇやぁ!」
レイナルドが大剣を横に振るう。それをシャロは後ろに距離を取って避けてから…素早く間合いを詰め、鎧の隙間を突く。
「むっ!」
それを腕をずらすことでレイナルドはかわし、今度は切り上げる。切り上げた向きとは反対の方向に回り込みまた鎧の隙間を突く。
「ぐっ!」
明らかに先ほどまでの戦闘手段が違う。どうやらシャロはリサさんが言った意味が解ったようだ。力で負けるなら、速さと正確さで勝負するしかないと。
「ちぃ!」
「…ぐっ!」
それでも、力で押し切られる場面があり、やはり、甘めに見ても互角…実際はシャロが少し劣勢だろう。
「ふん!そんなものか!やはり、お前ではアルドの足元にも及ばんか!」
「っく!てやぁぁああ!」
「ぬん!…むっ!」
シャロはわざと突っ込み、レイナルドに大剣を振らせ…太刀筋を予測して間合いを詰める。このタイミングはレイナルドも予想外だったようだ。
先ほどと同じような要領で籠手の弱い部分に一撃を入れる。それをレイナルドは後ろへと片足を下げて避ける。だが、先ほどより速くもう一方の籠手の隙間を狙うシャロ。
それをまた、もう一方の足を下げて避けるレイナルド。しかし、その行為は…
「しまった!」
そう、シャロの攻撃が一段と速くなったため、レイナルドは思いっきり仰け反る形となった。
「これでぇええええ!!」
「ぬぅぅぅぅ!」
レイナルドの頭を狙った剣がシャロから突き出される。誰もが決まった…そう思ったが
「ふんぬ!」
レイナルドが突き出された剣を大剣で払い除けて折る。一瞬、シャロは驚いていたが、すぐに折れた剣の柄を離してレイナルドの方へそのまま右手を伸ばす。
そして、左手は腰のナイフへ…。
「ぐおぉぉぉ!」
右手でレイナルドの鎧を掴んで引き寄せ…左手のナイフを顔に突き付けた。そのナイフはリサさんが宮殿に出る前にシャロに渡したナイフだった。
「…はぁ…はぁ…はぁ」
シャロは息が上がり、額に汗が滲んでいた。
「…私の負けだ」
「レイナルド様!」
ガタンッと音を立てながらレイナルドはシャロに背中を向けて床に座る。
「セバス!私が殺されてもこの娘には手を出すな!」
「…っく!」
悔しそうに俯くセバス。シャロは少し間を置くと質問をレイナルドに投げかけた。
「何故親友であるアルドを…いえ、お父様とリオレ叔父様を殺したの?…答えて!」
「……私の野望に邪魔だったからだ」
「…魔物の全滅?」
「あぁ、それが俺の夢であり野望だった。だが、アルは俺を裏切った」
「…どういうこと?」
「最初はアルもエドも俺と同じように魔物を根絶やしにする事に賛成だった。いや、願っていた。だが…」
急に声のトーンが落ちる。
「ある時、アルが急に『魔物の全滅をやめる』と言い始めた…何故かと問い質したが『お前も家族を持てば解る』と言って答えてくれなかった」
「エドも何か知っているようだったが…あいつは聞いても無言になるだけだった。このままでは魔物を根絶やしにできない」
「だから、俺はあの二人を殺した。ただそれだけだ」
「それだけ?」
「…俺は父も母も魔物に殺された。信じる者は自分だけだった。だから俺にとっては魔物を根絶やしにする事こそが生きる意味なんだ!
まぁ、王家のお嬢ちゃんにはわからないだろうがな」
なるほど…しかし、そうなんだろうか?もしかしたら、
「…レイナルドさん…本当に邪魔だからだけですか?」
「ん?」
「生涯の親友だと思った二人に自分の知らない秘密があって、裏切られた事が根幹じゃないのですか?」
「…」
彼は信じる者は自分だけだったと言った。そんな人間が志を同じくする二人と出会い、喧嘩しながら功績を挙げて行った。
リオレ侯爵も別にレイナルドの事を嫌っていたわけではないし、アルド国王もリオレ侯爵や彼の語る口振りからするにそこまで彼を嫌っていたわけでもないようだった。
だとすれば、レイナルドも少なからず二人の事を気に入ってたのではないだろうか?だから、志を変えた理由を知りたかった。
ただ、邪魔ならば…本人に問い質すこともせず、もう一人の親友からも聞き出そうともしないだろう。
とすれば、シャロのお父さんであるアルド国王を殺したのはやはり、裏切りが原因ではないのだろうか?
「……さぁ?解らんね」
自嘲気味に答えるレイナルド…この人は不器用なのかもしれない。だから、こんな結果に陥ったのだろうか。
「さぁ、話すことは話した!やれ!」
「…解った」
シャロが折れた剣の柄を振り上げる。
扉を開けて、家の外へ出る。
「まだまだ掛かりそうだな」
「そうね…でも、侯爵やお父様を慕ってくれてた他の人もいるから」
「そうだな」
周りの瓦礫を見ながらそう会話する。瓦礫を人々が片付けながら、家を作り始めている。
あれから俺はラフスン王国を追放され、シャロは滅亡したポワッソメールに追いやられるという形を取ることとなった。
これを決めたのはレイナルドの側近、セバスだった。シャロを国外追放しなかったのは彼なりの優しさや罪滅ぼし何だろうか?良く解らないが。
なぜポワッソメールかと言うと、シャロがそう望んだからである。
「シャロのお父さんも侯爵も凄いな」
「えぇ、そうね…本当にすごい…だって、私が居るというだけでみんなが集まってくれるんだもの」
そう、シャロがポワッソメールに居ると聞きつけて、一緒にポワッソメールを復興しようと来た人たちが何人もいたのである。
それには元々ポワッソメールに住んでいた人だけでなく、王都に住んでいたものもいた。
「いいのかい?」
「うん、いいの…今まで私の我儘に付き合ってくれてありがとう!ショータ」
「いや、俺もシャロの為だけじゃなく自分の為もあったからさ…気にしないでくれ」
シャロが頑張って答えを得る…その結果を見たかった。自分の心にも負けず、強く生きるその生き様を。
「リサさんも、手伝ってくださって、ありがとうございました」
そうシャロは俺の隣に居る少女に頭を下げる。
「別に…私は何にもしてないわよ?」
「でも、ナイフとか私を乗せて戦場を駆けたり…いろいろ助けてくださいましたよね?」
「…私は私がしたいようにしただけよ?つかみ取ったのはあなたなのだから、私は関係ないわ」
そう言うとリサさんは俺たちから離れていった。考えてみれば、シャロの言う通り、リサさんは結構優しい人なのかもしれないな。
「しかし、良いのか?宰相は…」
セバスから聞いたところ、弟のアベルを殺したのはリュリュシー宰相の命令らしく…レイナルドは殺すつもりはなかったそうだ。
「いいの。私は今はまだ、私の思い出の町、ここポワッソメールを復興したいから」
「そうか」
彼女の顔には迷いはなかった。自分の元に集まってきた人と共に町を復活させたいのだろう。何と逞しく、心ある人なのだろう。そう思うと俺には勿体ないくらいの女性だと改めて感じる。
「それじゃぁ、行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい!私はここでみんなと待ってる」
「あぁ、解った」
帰りを待ってくれる人が居るということ程幸せなことは無い。
「…ねぇ、帰ってきたらずっとここに居てくれる?」
シャロが懇願するような目で俺を見てくる。それが嬉しくて俺は『あぁ…いいよ!』と答えようとした瞬間
「…いつっ!?」
頭にあの森であった老人の事が頭痛と共によぎった。
「だ…大丈夫?」
「…あ、あぁ…じゃぁ、行ってくるよ」
「…うん、行ってらっしゃい!」
少し不安そうな顔をしていたが、それを打ち消す言葉が見当たらなかったので俺はそのままシャロに別れを告げ、離れていったリサさんの所へ向かう。
しかし、何故頭痛が走ったのだろうか?体調が悪いわけでもないというのに。それに、あの老人が何故頭の中をよぎったんだ?
「さぁ、次に行きましょう?」
「あ?あぁ…はい、よろしくお願いします」
考え事をしていた俺に出発を告げるリサさん。今は最初に会った時と同じように宙に浮いている。
「じゃぁ、目を閉じて」
「はい」
言われるがまま目を閉じる。次はどのようなことをしなければならないのだろうか…。俺のできる範囲であれば良いが。目を瞑った俺は次の景色を見るまではそう思っていた。