最悪の勇者は、しかし仲間を知る。
異世界──と言っていいものなのか、些か、どころかかなり不思議ではあるけれど、しかし、異世界と呼ばざるを得ない、と言うか、女神様が異世界と言っていたんだしそりゃあ異世界なんだろうけど、兎に角、兎にも角にも、異世界マーズ星のとある路地裏を抜けて、商店街に出ていた。
焼けてしまいそう、ではないにしろ、かなり暑いそこは、所謂猛暑日と言うものなのだろう。汗で、着ていたシャツがべっとり張りついて、気持ちが悪い。
けれどまあ、今は、そんなことを気にしている場合ではなかった。
気にしていると言うか、そんなことは、むしろ気にならなかった。
だって、目の前にいたのは──
「──悠莉……?」
跡形もない、影も形もない、しかし紛れもない、俺の実の妹であるところの、悠莉であった。
跡形もない、影も形もない、と言うのは別に、別人と言う訳では無い。赤の他人と言う訳では無い。まあ、兄妹と言うのは一番近い他人なんて言うかもしれないけれど、しかしながら、今はそう言うことではなく、違和感があった。他人ではないにしろ、彼女の纏っている『何か』、具体的にはオーラや雰囲気が、今までとまるっきりすべて──違うのだ。
「──殺す」
ぽつり、と消え入りそうな声で、悠莉は呟いた。
果たしてそれは、俺に向かって言ったのだろうか──あの、何もかもまるっきり違う、それでも悠莉な存在は、そんな、物騒な言葉を俺に向けて呟いたのか。
──そう、思っていたら。
「聖剣。フルパワーで頼むよ……135年、だったっけ」
悠莉のその言葉は、鈴の音が鳴ったように綺麗なはずなのに、何処か冷たかった。今までは暖かかったのか、と言われれば渋ってしまうけれど、何処か、冷たくて、凍ってしまいそうであった。
そんな凍てつくような言葉に反応したのは、いつの間にいたのか、長身の少女である。
腰まで伸ばした金色に光り輝くポニーテイルを、まるで乖離された生き物のようにゆらりゆらゆら揺らし、応える。
「そうだね──でも、私がフルパワーを出してしまったら、君の寿命を135年使ってしまったら、死んでしまうかもしれないよ? 寿命が尽きて、また転生などせずに、昇天されちゃうかもしれないけれど、それで、いいのかい?」
「うん……お兄ちゃんを殺せたら、それでいいから」
ここでようやく、悠莉のその仏頂面、と言うか、クスリとも笑わなかった顔だけれど、しかし、ふふっと不敵に笑った。片頬を不気味に持ち上げて、もしくはニヤリ、と、笑った。
「──」
間違いなんてなかった。
誰も間違っていないし、誰も間違えることなんてない。
だからこそ、ここにいた俺は、間違いはないはずの俺は、俺たちは、唖然としてしまう。馬鹿みたいに口をぽかりと開けて、今にも泣きそうな目で、彼女たちを見つめるしかできない。
俺が間違えるはずがなかった。
あれだけ憎かった、あの不敵に笑う──聖剣の顔を。
「ゆ、うり……」
呟く。
今にも消えそうな声で、涙で掠れた弱気な声で、俺は呟いた。
果たしてそれは、彼女に届く声なのだろうか。
果たしてその声で、彼女は前みたいに元気よく返事をしてくれるのだろうか。
返事をしたところで、何かが変わることでもないけれど、しかし、転生してこの世界に来る前のように、返事をしてくれたら、嬉しかった。彼女の笑顔を、もう一度見たい、そんな、一兄としての願いだった。
「お兄ちゃん……」
悠莉は俺を一瞥し、口を開く。
哀しげな瞳で俺を見、そして──笑う。
「──すぐ殺してあげるから、安心してね」
ニッと笑顔を浮かべ、俺を恋しそうに見つめるその瞳は、恐怖以外の何物でもない。
やがて、金髪幼女は放つ。
「悠莉ちゃんと、戦うしかないようですね──」
完全な八方塞がりな俺は──逃げることしか頭にない。
◆
さて。
俺が何処へ逃げたのか、察しがつく読者はいるだろうか?
いない、か。いないだろう。いや、もしかしたらいるかもしれない。
果たして察しのいい読者がいるのか、そんなことは些かどうでもいいもんだから、それはすぐに胸にしまった。いや、それはただの比喩であるからして、別に本当に学生服の胸ポケットに入れたわけではない。そんな気持ちは、俺の胸ポケットには入らないくらいに大きいからな。まあ、そんな問題ではないけれど。
究極的に。
俺、旧魔剣の勇者にして、現聖剣の勇者である俺は、千鶴火憐は──何処に逃げたのか。
答えはあんまりにも簡単なことであった。
すべてはここから始まったと言ってもいいほどのこの場所は、思わず深呼吸をしてしまうほど、空気がよかった。空気がよかったと言うのは、物理的な空気なわけで、そこの雰囲気が良いと言うわけでは、ない。そう言うのもあるっちゃああるけれど、今はそんなことは言っていない。
すべての始まり。
一面の田んぼ世界。藁葺き屋根の、木でできた平屋が何件か。家の隣では水路が流れていて、水車ももちろんある。
「相変わらず、田舎だな……」
ふっと吐息が漏れる。
それは安堵の息か、自分自身でさえわからないけれど、何だかかんだか、安心した。
流石、すべての始まりの場所なだけある。
俺はいつも、気づけばここにいた。いつもと言っても、たった二回しかないわけだけれど、しかし、この異世界──マーズ星に来たときには、必ずここにいた。すべてはここから始まり、そしてここで終わる。そんな人生も、悪くないな、と。一面の田んぼ世界を横目に、しかし空を仰ぎながら、思う。
「おにぃちゃん──」
がさっと落ち葉、あるいは枝を踏む音がする。
向けば、金髪幼女と、銀髪幼女、そして青髪幼男がそこには立っていた。みんなみんな、俺が異世界で出会った仲間たち──みんなみんな、俺の大切な大切な、仲間たち。
じゃあ、そんな俺はどうするか──
「戦うしか、ねぇな……」
決意を固めた勇者は、遠くに歩く実の妹を、睨みつけた──




