/魔法と科学
「ベル様。本日のご予定でございます」
朝食を食べ終わる頃合いで、エドワードは澄ました顔で帳面をよこす。
時刻は8時半。すでに父や妹はそれぞれ席を外しており、私一人がこの無駄に広い食堂で優雅にお茶など飲んでいる。
大公家と言えば聞こえはいいが、このエルダー公領は「農都」と呼ばれ、このタータリアン王国における食糧庫に過ぎない。
麦はもちろんのこと、野菜や果物などの栽培、酪農・畜産から、加工・保存を主とした産業で成り立っている。
貿易、漁業が盛んな港都トーヴァや、炭鉱、林業の山都エネロイと違い、人が集まってくるような都市ではない。
悲しくなることを承知で言うが、はっきり言って田舎だ。
ただその領地の広さからどうしても隣国との境目に位置し、過去幾度となく隣国や魔族の侵略に晒されてきた土地でもある。
よって国の食糧庫を守るべく、王都から派遣されてきた兵士も数が多い。
ただ私が生まれる少し前から戦もなく、国境を守るべき兵士も普段は畑を耕し、家畜を世話し、家族を養っている。そういう、平和な領地だ。
だから父とてそう忙しくはない。家令であるエドワードが家のほとんどを切り盛りするばかりか、その政務までサポートしているのだ。
だからこうして、かしこまってその日の予定を渡されても特に何もないことは知っている。
それなのに、この男は決まって朝食が終わるタイミングで予定を渡してくる。
正直、うんざりではあるのだが…
「…………ん?」
目を通しながら、ふと見慣れない予定を目にする。
「エドワード。この学士との引見ってなに?」
人と会う予定の中に、貴族でもなんでもないのが混じっていることが珍しく、私はエドワードに尋ねる。
「トーヴァ大公よりご紹介のあった、“魔術師”を名乗る者だそうです。晩夏の夜会にてお約束されていたのだと、お手紙で伺っております」
「あぁ…アレかぁ」
私はぼんやりとその夜会を思い出す。
比較的親交のあるトーヴァ大公家とは季節の折々に交流を深めるのだが、その席で私が言ったことを真に受けたのだろう。
そこの大公家の嫡子が、やれ船の速度を操り貿易の効率を上げただの、航海中に襲われた海竜を退けただのと持ち上げ続けるので、つい口を滑らせてしまったのだ。
内容はこうだ。
―――貴方がとても見聞が広く、博識で、勇敢であられることは承知していますわ。ですがまるで古の魔法の担い手とばかりに奇蹟を起こされたとはとても信じられません。それとも、貴方はそういった方に伝手でもおありなのかしら。もしそうならぜひお会いしたいものですわね―――
まぁ、宴の席なので相手にはされまいと思って楽観視していたからすっかり忘れていたのだけど…。
「先方のご厚意でもございますので、無碍にするわけにはまいりません。アカデミーにてお会いになられるのがよろしいかと」
「あぁー…。そうね。そうするしかないわよね」
職場に魔術師を名乗る学士が来る、か。生徒たちや教師陣がいい顔はしないなぁ。
とはいえ、そんな怪しいのを自宅に招くわけにもいかないし。
自分で撒いた種ではあるが、私は若干気が重くなる。
この世界から魔法や魔術が消えてしまったのは、もうかなり昔のことだ。
歴史書いわく、その奇蹟を執り行う者たちは徐々に姿を減らし、いつしかそれは私たち人間とは違う種族、魔族と呼ばれる存在にのみ伝わるものとなった。
それは別に、我々人間が神と呼ばれる存在から見放されたわけではなく、この大地に生きる命として自立出来るようになったことを意味する。
現に、人を捕食するような大型の魔物や動物がいる世界で、我々は国を築き、社会を発展させ、文明を進化させ続けている。
生物としてこの世界に生きることを許されている私たち人間という種族が魔法あるいは魔術を失ったのは、その特別な奇蹟を奇蹟ではなくしたからだ。
例えば、魔法を使わなくとも火を起こし、水を引き、鉄の鎧で身を守り、矢を以て敵を葬るように。
科学が発展するにつれ、その恩恵が広がるにつれ、魔法はその意義を失ったものと推測されている。平たく言えば、「魔法でなくてもいい」ということだ。
人間はその社会性を持って外交をし、魔族との折衝から無用な衝突は避け、魔法や魔術に頼ることなく神の慈悲に縋りながらこの世界に生きている。
―――とまぁ、これが現代に生きる私たちの認識だ。
つまり、ドラゴンや巨人、キメラなんかの、おおよそ家畜にもならない魔獣がうようよいる世界で、人間は表面上仲良くしながらなんとか生き延びている。
その生き延びるために自分たちで磨き上げてきた技術が、科学だ。
火薬の製造や、鉄の鋳造、合金の組成だけでなく、生活水準を上げるための様々な知識を生み出す力。
アカデミーの生徒や教授陣には笑われてしまうだろうが…私はこれこそが現代の「魔法」であると思っている。
いや、違うな。今を生きる私たちが、魔法のような奇蹟を起こすには科学を止まる事無く進歩させ続けるしかない。奇蹟を博打でなく、確実に起こすための手段、とでもいえばいいのか。
まぁ、おとぎ話に出てくるような、ぱっとした華やかさはないんだけれども。
笑われるのを承知で言うが――私の夢はそういう、魔法のような奇蹟を起こすことだ。
今はせいぜい、毎日火薬の製法を試すべく様々な生き物の糞尿や腐敗物を地面に混ぜたりするような実験ばかりだが…。
ま、今はそれは置いといて。
「そうね。向こうの顔も立てないといけないし、お迎えに上がるのもいいかもしれないわね?」
魔法や魔術が失われたこの世界で「魔術師」を名乗るのだ。それはそれは奇特な学士に違いない。
このエルダー公領は腐っても国境警備を担う国の防衛の要。うちの衛兵たちがどのようにその「魔術師」と相対するのかを見るのも一興だ。
「…ベル様。はしたなくもお顔が歪んでおられます」
「失礼な。せめて笑ってるって言いなさいよ」
いかん。どうやら意地の悪い顔をしていたようだ。
私はすっかり冷めたお茶を飲み干しながら、澄ました顔に戻る。
引見の予定は昼ごろ。一度アカデミーに寄って実験の経過を観察してからでも、充分に時間がある。
魔法使い。魔術師。
今は失われた奇蹟の担い手。
実はなんちゃって、奇術師でしたー、なんてオチじゃなければいいけど。
その時はウェンディでも呼んで、楽しませてあげればいいか。
そう呑気に考えながら、私は出かける準備に入った。